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モダニズム言語は死滅したのか? | 坂牛卓
Did the Modernist Language Perish? | Sakaushi Taku
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.148-149

モダニズム言語は建築の外からやってきたと言われる

デヴィッド・ワトキンはモダニズム建築のコンセプトは建築に外在的な言葉によって語られていると主張した。彼は『モラリティと建築』(一九七七)★一において近代建築が、(1)宗教・社会学・政治的解釈、(2)時代精神、(3)合理性、技術性によって正当化されており、建築に固有の造形的側面が論理基盤にないことを批判した。またワトキンの考えはジョフリー・スコットが著した『ヒューマニズムの建築』(一九一七)★二においてすでにその萌芽を見ることができる★三。スコットは、(1)機械論、(2)倫理学、(3)生物学から建築の正当性を訴えようとすることの誤謬を訴えた。

建築内言語は使われなかったわけではない

しかしスコットとワトキンの主張には反例もある★四。その一例としてH・R・ヒッチコックとフィリップ・ジョンソンの著した『インターナショナル・スタイル』★五を見てみよう。彼等はモダニズム建築の特質をそれまでの説明概念であった「機能主義」という視点からだけでは捉えきれないことを指摘し、確固たる造形原理としてヴォリューム、規則性、平滑表面、装飾の忌避を提示した。本書はモダニズムを建築に内在する言語で語った数少ない例のひとつである。
さらにモダニズムを説明する言語を探索する意味でエイドリアン・フォーティーの『言葉と建築』(二〇〇〇)★六を瞥見してみたい。フォーティーはモダニズム建築を形作った言語を厳選してその使用経緯と現代における意味合いを描き出した。そこに登場する言葉は次の一八語である。性格、デザイン、柔軟性、自然、記憶、使用者、真実、歴史、機能、形、形式、型、簡潔性、構造、空間、透明性、秩序、文脈。これらの言葉は多かれ少なかれ建築に外在的な言語としてのニュアンスと建築内のそれとの双方を内包する。しかし相対的に内的、外的を大別するなら、上記のうち「形」から後の語、すなわち形式、型、簡潔性、構造、空間、透明性、秩序、文脈という言葉は、造形原理を直接的に示しやすいと言う意味で相対的に建築内言語と言えるものであろう(一方機能より前の語は建築外的である)。
さてこれらの反例が示す通り、モダニズム建築は必ずしも冒頭に挙げたワトキンやスコットが主張するような建築外言語のみによって説明されてきたわけではないことが伺える。

新たなる建築外言語の登場

上述の通り、建築の説明言語は、建築に外在的なものと内在的なもの双方の混在状態にあると言える。こうした状態は現代までその程度の差はあれども概ね現代まで続いていると言えるであろう。しかしここ一〇年くらいの間にこの状況は若干の変化を見せているように思われる。その点について昨今の建築ジャーナリズムの状況変化を瞥見してみたい。
一九九〇年代後半に建築専門誌がいくつか廃刊になると同時に、建築一般誌が多く発刊された。私の研究室ではそうした状況を踏まえ、昨年、一般誌として『Casa BRUTUS』(以下『CB』と表記)、専門誌として『新建築』を取り上げ、双方に掲載された建築物一〇〇件近くに対してそれを説明する双方の文章を比較分析した★七。分析項目は特徴的単語、修辞技法、記述内容についてなどである。その結果次のようなことがわかった。
(1)『CB』では生物、自然、ファッションを用いた比喩表現が多い。
(2)『CB』では擬態語の使用が多い。
(3)擬態語の内容は物に関わる「こんもり」「ぼこぼこ」などより、人の感情に関わる「うっかり」「ひんやり」といった言葉が多く使われる。
(4)文章の内容は、設計者から見た建築ではなく、使用者から見た建築となっている。
これらの結果を「建築の内外」という視点でまとめれば『CB』においては建築外言語の使用が多いということになる。さらにそれらの言葉は比喩や擬態語という新たな修辞形態であることも特徴的である。もちろん上記のような差異は執筆者の差(『CB』は編集者、『新建築』は建築家の言葉である)から説明される部分もあろうかと思う。しかし問題はその差異の原因ではなくむしろその差異のもたらす影響にあると思われる。『CB』のような一般誌は昨今住宅クライアントの愛読書であり、また専門誌に比べ安価であることから建築学生を含め若い読者が多く購読しているのである。こうした現実はその是非はともかく、建築設計を取り巻く「場」において『CB』言語の影響が浸透してくる可能性を示唆するのである。

1──『Casa BRUTUS』 (マガジンハウス)

1──『Casa BRUTUS』
(マガジンハウス)

2──『新建築』(新建築社)

2──『新建築』(新建築社)

言語の変容

少し話を整理してみよう。モダニズム建築は建築外言語と建築内言語の双方によって語られてきた。しかしここ一〇年くらいに多数登場してきた建築一般誌を瞥見するとき、建築内言語は減少し、さらに新たな建築外言語が登場してきていることに気づくのである。平たく言えば、建築はもはやワトキンが批判した「倫理」に拠るでもなく、もちろん「空間」や「形」で説明されることも厭われ、「イメージ」や「感覚」や「流行」で語られる部分が現われてきているのである。
ワトキンは古典主義、ゴシックという絶対的様式の崩壊が人々のなかでの造形的基盤を失わせ、それゆえ倫理などの建築外言語への依存を生み出したと分析した。一方現代において、建築説明言語はさらに建築外への依存を強める傾向を持つ。これはワトキンの批判に倣えば、未だに普遍的造形基盤を持ち合わせていない現代建築状況の言語的表われと理解することも可能ではある。しかしこのところはむしろ、ワトキンの批判とは裏腹にモダニズム期に確立された造形原理がもはや普遍的とさえなってしまった現状への潜在的な批判の表われと見るべきであろうと考える。それゆえ、こうした言語変化のベクトルが、総体として新たな建築の進路を示唆する可能性を持ち、むしろフォーティーが列挙したようなモダニズム建築言語は徐々に建築創造を誘導する力を喪失させていく運命をたどるように思われるのである。


★一──D・ワトキン『モラリティと建築──ゴシック・リヴァイヴァルから近代建築運動に至るまでの、建築史学と建築理論における主題の展開』(榎本弘之訳、SD選書、一九八一、原著一九七七)。
★二──Geoffrey Scott, The Architecture of Humanism: A Study in the History of Taste, Norton, 1974 (1914).
★三──ワトキンは一九八〇年版の前記スコットの書(The Architectural Press, 1980)に序文を記し、本書の意義を次の四点にまとめている。(1)三つのfallaciesの否定、(2)感情移入理論の紹介、(3)バロックへの正当な理解、(4)ドイツ美学を継承した建築空間への感受性。
★四──★三参照。D・ワトキン『モラリティと建築』の訳者榎本氏はあとがきにおいて、ワトキンの視点は初出ではないとしてジョン・サマーソン、ヴィンセント・スカーリー、そしてジョフリー・スコットらの名前を挙げている。またそれ以外にも、モダニズムの説明ではないがヴェルフリンの弟子であるパウル・フランクルによる『建築史の基礎概念──ルネサンスから新古典主義まで』(香山壽夫ほか訳、鹿島出版会、二〇〇五、原著一九一四)は空間を主眼においた一九世紀建築の分析である。
★五──ヘンリーラッセル・ヒッチコック+フィリップ・ジョンソン『インターナショナル・スタイル』(武沢秀一訳、SD選書、一九七八、原著一九三二)。
★六──エイドリアン・フォーティー『言葉と建築──語彙体系としてのモダニズム』(坂牛卓+邊見浩久監訳、鹿島出版会、二〇〇六、原著二〇〇〇)。
★七──高橋伸幸+坂牛卓「建築意匠設計における建築雑誌の役割に関する研究──建築一般誌と建築専門誌の作品説明文から読み取れる両誌の特質分析」(日本建築学会二〇〇七年度大会学術講演)。

>坂牛卓(サカウシ・タク)

1959年生
信州大学工学部建築学科教授、O.F.D.A.associates共同主宰。建築家。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>フィリップ・ジョンソン

1906年 - 2005年
建築家。

>言葉と建築

2005年

>高橋伸幸(タカハシ ノブユキ)

1974年 -
ドイツ語学、ドイツ文学。北海道大学大学院文学研究科 准教授。