RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.49>ARTICLE

>
レム・コールハースはどこへ向かうのか?──OMA/AMOに見る、歴史と白紙との戯れ | 白井宏昌
Where is Rem Koolhaas Headed? At Play with OMA/AMO: On History and the Blank Sheet | Hiromasa Shirai
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.90-93

レム・コールハースは、この先どこへ向かうのか?」この質問の答えを探すのは容易でない。予測不能な彼の内面と、気まぐれな世界経済の動向を計るのは至難の業だからだ。ほとんど不可能といってもよいであろう。しかし、今日彼がどこにいるのか?  そして何と格闘しているのか(あるいは何と戯れているのか)?を考察することは、この先の彼の“旅先”を予測する楽しみをわれわれに与えてくれる。間違いなく彼の“今”は、“次”の布石となるのだから……レムは今どこにいるのだろうか?

矛盾

市場経済を計画経済の対と捉え「個人に属する物品とサービスの、(政府介入のない)個人による自由な生産と流通のシステム」と定義するならば、われわれは非常に矛盾に満ちた世界に生きていると言えるだろう。今日、世界の市場経済のなかで大きな発展を遂げている地域の「生産と流通」の“自由”は、非常に強力な政治的野心のもとに作り出されているからだ。そして建築もつねに資本を持った施主という存在に依存する以上、市場経済と、究極的にはそれをコントロールする政治的野心と、運命をともにすることになる。建築家が資本の集まるところに呼ばれ、時にその政治的野心に肩入れするのは歴史上なにも新しいことではない。しかし資本の集約地が世界規模で刻々と変化し、それに合わせて建築の集約地がめまぐるしく移り変わる今日は、歴史上最も極端な状況にあるといえるだろう。

都市と砂漠

二一世紀以降の世界の建築市場のなかで、建築家の野心を最も惹きつけたのは間違いなく中国とペルシャ湾に展開する中近東諸国の都市であろう。一九七八年より始まった改革開放政策、二〇〇〇年WTO(世界貿易機構)加入、さらには二〇〇八年北京オリンピック、二〇一〇年上海国際万博の開催に向けて、中国は歴史上最も極端な経済発展と都市再編を遂げている。そして世界中の建築家がさまざまな野心のもとに中国に集まり、“新しい”中国の構築に携わっている。一方、潤沢なオイルマネーを元に、ペルシャ湾の国々も、新たな“国家”あるいは“都市”像を構築するために、世界中の建築家(特にスターアーキテクトと呼ばれる面々)を召集し、約束の地を作り出そうと世界規模のマーケティングを展開している。当然のことながら、多くの建築家は中国とペルシャ湾の両者に携わることになり、九時間半の空のフライトで両都市を行き来することになる★一。
レム・コールハースも中国とペルシャ湾の両者に通う建築家のひとりであり、二〇〇一年以降、コールハース率いるOMA/AMOは中国そしてペルシャ湾で多くのプロジェクトに関わってきた(ここで二〇〇三年以降、中国とアラブ首長国連邦のGDP成長率は一〇パーセント前後という高い数値で安定しており[図1]、これと時期を同じくしてOMA/AMOが中国とドバイの両地域でプロジェクトを持つようになったのは注目してもよいだろう)。しかしながら、そこで建築家が向き合う状況はあまりにも対照的である。数千年の歴史を持つ都市と、ほとんど白紙の砂漠といった違いのなかで、いかに建築(家)を確立するかが求められる。そして重要なことは、この異なる葛藤がグローバル化した建築市場では、ひとりの建築家のなかで同時的に起こっているということである。

1──中国、UAE、日本、米国のGDP成長率 Source: International Monetary Fund,  World Economic Outlook Database, October 2007を元に筆者がグラフ化 (2007年以降はIMFの予測に基づく)

1──中国、UAE、日本、米国のGDP成長率
Source: International Monetary Fund,
World Economic Outlook Database, October 2007を元に筆者がグラフ化
(2007年以降はIMFの予測に基づく)

歴史

コールハースと中国との関わりは、一九九六年より始まったハーヴァード大学での「パール・リヴァー・デルタ地域」の研究(二〇〇一年『Great Leap Forward』として出版)に端を発する。パール・リヴァー・デルタでコールハースが目撃したのは、圧倒的な量の建設とそのあまりにも早いスピード、そしてそれらを可能にする中国的建設術。そこには予期せぬ都市風景が生まれ、中国特有の都市現象として、その一つひとつにコピー・ライトを与えることとなる。しかしここではコールハースは都市の建設に加担する建築家としてではなく、その状況を俯瞰する観察者としての立場を貫くことになる。そして二〇〇二年、中国での初めての建築プロジェクトとしてCCTV(中国中央電視台)計画に携わるのを皮切りに、建築家レム・コールハースの活動の場は、北京へと移っていく。それは幾重にも積み重なった過去を持つ都市のなかで、“歴史”との葛藤を強いられる始まりでもある。特にCCTVと並行して関わることになった北京書店ビルコンペ(Beijing Book Building、二〇〇三)や、中国国家博物館コンペ(China National Museum、二〇〇四)は既存建築の増改築プロジェクトである。建築家は否応なしに“歴史”に向き合うことになる。
建築家はいかに“歴史”と向き合うことができるのだろう?  “歴史”なるものが倫理的なあるいは政治的な事象としてその保存対象が決められていくなかで、建築家という職能は何ができるのだろうか?  北京のような歴史的文脈の強い都市は、時に建築家にある種の疎外感をもたらす。その意味で二〇〇三年、コールハース/AMOが北京建設局に対して提案した「北京保存計画」[図2]には“歴史”と向き合う建築家の論理上の挑戦を見て取ることができる。その地に根を張らない建築家が、その都市の保存に関わるのは非常に稀である。しかしここで提案しているのはノスタルジックな意味での“歴史”の保存ではなく、都市に“新しさ”を組み込むための方策としての保存である。“回顧的(retrospective)から先見的(prospective)への大きなシフト”が大きな課題となっているのだ★二。

2──「北京保存計画」概念図 提供=OMA

2──「北京保存計画」概念図
提供=OMA

中心vs.周辺

歴史は時に必要以上に、頑なにその領域を守ろうとする。それゆえ都市の保存されるべき領域は、モニュメント→建築→地区……と果てしなく広がっていき、都市の周辺だけが建築家に残された“新しい場所”として提供される。この状況は北京では特に顕著である。紫禁城、天安門広場を持つ都市の中心部は不可触の“歴史”として守られ、新たな建築にはその周辺部だけが用意されている。そこには新と旧の交錯はなく、互いに独立して都市のなかに佇むことになる。「北京保存計画」ではその突破口として、“審美的な偏見なく、システマティックに”保存地区を定める新たなモデルを提案している★三。その結果、古いものが都市の中心を占め、新たなものがその周辺に作られるというクリシェから脱し、新しい建築は都市の周辺部だけでなく、都市の中心部にも積極的に関わることが可能となる。本質的に新しい建築が“歴史”と向き合うためには、まずその居場所を見つけることが必要となるのだ。そのためにはわれわれがごく普通に受け入れてしまっている“歴史”そのものの定義を一度分解し、“歴史”保存の問題を再構築する必要がある。この問題を政治的な判断に任せずに、積極的に建築家の職能の一部として捕らえること。それがコールハースの北京での大きな挑戦である。そして二〇〇六年九月にはハーヴァード大学で“Preservation of History(歴史の保存)”というテーマで講演をしていることからもわかるように、“歴史”との取り組みは、いまやコールハースのなかで現代都市への大きな課題となっている。

白紙

一方、ドバイを含むペルシャ湾の多くの都市には完璧なるタブラ・ラサが用意されている。ここでは歴史とは引き継ぐものではなく、新たに作り出すものとしてのみ定義される。では、どうやってそのような状況に関わることができるのだろうか?  そこに批判性はありえるのだろうか?  これが建築家レム・コールハース/OMAの建築的挑戦であり、都市研究者レム・コールハース/AMOが湾岸都市を見つめる視点である。“歴史”から開放された“白紙の”都市が作り出す狂乱と、そこへ(批判的に)関わることの困難さがここでは問題となる。彼らが湾岸都市で目撃したもの、それは“白紙”のなかに新たな都市を構築する最も容易な方法としての“現代都市が持つ都市プロトタイプの移植”である★四。ショッピング・モール、ゲーテッド・コミュニティ、スカイスクレーパー……のパッチワークでできあがる都市。そこに計画という概念は存在せず、ディヴェロッパーの野心だけが“白紙”の上に無秩序に重ね合わされる。都市は計画されるものでなく、結果として存在するようになる。インフラストラクチャーは都市の前提条件として考察されるべきものではなく、一連の出来事の後に辻褄を合わせるように作られる。最新の埋め立て技術の応用により、海岸線は人工的に作られ、理論上は無限の“白紙”を都市に提供する。現代都市プロトタイプの集合としての都市。その結果に不満を覚えるとしたら、それは現代建築・都市の終焉を意味するのであろうか?  それともそれは新たな建築・都市像を生み出す契機となるのだろうか?★五  これはコールハース/AMOの湾岸都市リサーチの結論でもあり、出発点でもある。

建築的アイコンの飽和

“白紙”の都市が現代都市のプロトタイプのコレクションとして成立していく一方、都市にはさまざまな建築的アイコンが乱立する[図3]。“白紙”から生まれる都市は建築的アイコンの収集に余念がない。特にドバイなどでは建築的アイコンが百花繚乱の状況を呈し、“建築的アイコンの究極的な民主化状態”が起こっている★六。ある建築的アイコンが他者との差異をつけるのが非常に困難な状況のなかで、レム・コールハースはこう述べている。

勝者はこの戦いから最も早く立ち去った者である……★七。


都市からの撤退である。この言葉は一九六〇年代末に磯崎新が「都市が見えなくなる」なかで、都市からの離脱を宣言したことを彷彿させる。しかしその時とは状況が大きく違う。一九七〇年代に磯崎新が撤退した都市には、建築家の居場所がなかった。だが、今日のドバイでは建築家の居場所がないのではない。逆に建築家の居場所がありすぎるのだ。それゆえの撤退である。これは北京という“歴史”システムのなかで、建築家が必死に居場所を探し出さなければならない状況とも相反する。
だが、現実にプロジェクトを抱える建築家は都市からは撤退しなかった。逆に“勝負をしないという勝負を仕掛ける”戦略を繰り広げた。それが最も顕著に現われたのがドバイ・ルネサンス・コンペ案(二〇〇六)である[図4]。このプロジェクトでは建築的アイコン飽和状態のドバイに対するアンチテーゼを示している。多くの建築がその形態の特異性を競う一方、単純極まりない矩形のヴォリュームがこの案の特徴である。そしてこの建築は、今日のドバイという都市状況のなかで“建築が否応なしに贅沢なもの(派手なもの)になることへの拒絶”というコールハースの態度を鮮明に描き出している★八。結果として、このコンペはザハ・ハディッドの「ダンシング・タワー」なる案が採用され、実現されることはなかったが、その後のOMAの湾岸での(あるいは他の都市においても)建築的戦略を決定づける大きな要因となったのである。

3──建築的アイコンの百花繚乱 提供=OMA

3──建築的アイコンの百花繚乱
提供=OMA

4──ドバイ・ルネッサンス 提供=OMA

4──ドバイ・ルネッサンス
提供=OMA

教訓

今日、レム・コールハースが同時に関わっている北京とドバイ。過激なまでの“歴史”と“白紙”という文脈のなかで、建築(建築家)が置かれた状況はある意味で特殊なことのようにも感じられる。しかしここで起こっていることは程度の差こそあれ、世界中の都市にも潜在的に存在する。中国と湾岸での現象は、われわれの都市に潜んでいる状況を過激なまでにあぶり出しているのだ。それゆえ、両者の都市観察は重要である。偶然にも(いやおそらく必然的に)コールハースが北京と湾岸都市について、同じように語っている。

[中国の]システムはまず自らを再構築した後、今や世界を再構築している……★九。


湾岸はそれ自体を再編するのではない、世界を再編するのだ……★一〇。


しかしながら、“歴史”が作り出す束縛と、“白紙”が作り出す狂乱という特殊な都市状況。時に建築はそのなかで身動きが取れなくなる。だがコールハースはこう宣言する。「どんな特定の状況にでも、それに対する策はいつでも存在する」★一一。そこで新たに生まれた策はまた、世界の都市への新たなる示唆となる。彼にとってはすべての特殊性は普遍性を考えるきっかけなのだ。世界にまだ特殊性がある限り、レム・コールハース/OMAMOの漂流は続いていく。新たな普遍性の発見を求めて……。


★一──北京──ドバイ間の直行便の飛行時間(エミレーツ航空による)。
★二──北京保存計画、プロジェクト概要(OMA、二〇〇三)。
”In a radical shift from the retrospective to the prospective, we will then have to decide what to preserve before we build”.
★三──Ibid.,”different models of preservation can be imagined: an infinite wedge could record, systematically and without esthetic bias”.
★四──Rem koolhaas/AMO, ”Frontline”, Al Manakh, 2007.
★五──Ibid.
★六──Ibid., ”The ultimate democratization of the icon”.
★七──Ibid., ”The winner will be the one who walks away from this battle first...”.
★八──”A refusal of obligatory extravagances” Markus Miesssen in Conversation with Rem Koolhaas, Cited in ”WITH/WITHOUT”.
★九──レム・コールハース「観察」(白井宏昌+アンドレ・シュミット『BIG BANG BEIJING』鹿島出版会、二〇〇七)。
★一〇──Rem koolhaas, “Last Chance?”, Al Manakh, 2007.
★一一──Markus Miesssen in Conversation with Rem Koolhaas, ”A refusal of obligatory extravagances”, WITH/WITHOUT, Bidoun Inc., 2007.

>白井宏昌(シライ・ヒロマサ)

1971年生
OMA北京事務所駐在。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。