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いまなぜ「ビヘイビオロロジー(ふるまい学)」なのですか? | 塚本由晴+南後由和 聞き手
Why "Behaviorology" Now? | Tsukamoto Yoshiharu, Yoshikazu Nango
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.84-89

アンリ・ルフェーヴルとの出会い、
空間の実践と主体の召還

南後──本日は、塚本さんが最近実践されている「ビヘイビオロロジー(ふるまい学)」について、そこに通底する意味を探っていきたいと思います。特にアンリ・ルフェーヴルの『空間の生産』との関わりについてもお話をお聞きしたいと思います。まずは、ルフェーヴルの空間論を摂取するようになった背景をお聞かせください。
塚本──二〇〇三年にアメリカのミネアポリスで「How Latitudes Become Forms」展が行なわれ、そこで知り合ったトルコの建築家から教わりました。彼のインスタレーションはアンカラ市内の若者のサブカルチャーに焦点を当てた映像作品だったのですが、会場の机には付箋とアンダーラインだらけの『空間の生産』が置いてあって、彼が作品との関係を一生懸命説明しているんですね。僕らがちょうど《メイド・イン・トーキョー》や《ペット・アーキテクチャー》を発表した頃だったのですが、彼はそれらについてもよく知っていて、熱心に話しかけてきたのです。それで、「ルフェーヴルを知っているか」という話になりました。帰国して翻訳書を読みはじめると、身体を使った「空間の実践」という話があり、これはまさに展覧会でやった《マンガ・ポッド》や《ファーニサイクル》に通じるところがあるなと感じました。
南後──建築の設計活動でいうと、いつ頃のことですか。
塚本──《ガエ・ハウス》の頃です。
南後──《ガエ・ハウス》では、ルフェーヴル的な語彙はそれこそどのように空間化されたのですか。
塚本──ルフェーヴルを空間化したということではないですが、施主の永江朗さんとのコラボレーションは大変刺激になりました。夫婦の生活習慣から生まれたある意味特殊解ともいうべきふるまいに、「建築」が反復可能な形式を与えることによって、普遍性すら感じられるようになる体験を通して空間的実践という概念をより深く理解できたと思います。本で占拠された空間とか、光が反射して時間ごとに表情が変わる空間には、領有とか感覚の空間といったルフェーヴル的な語彙があてはまると思います。僕にはそういうふうに無生物を擬人化して空間の主体のように扱うくせがもともとあったのです。
南後──ルフェーヴルの『空間の生産』を介することによって、今まで経験的に積み上げてきたものが理論的に整理され、その後の方向性を与えたということですよね。
塚本──そうですね。ルフェーヴルは「空間の生産」を〈空間的実践〉〈空間の表象〉〈表象の空間〉という三つの側面の相乗効果として理解しようとし、そのことが僕には新鮮でした。特に〈空間的実践〉は、まるで空間そのものが主体であり、生産の意思を持っているかのように捉える仮説的な視点を含んでいるところがいい。ほかの二つは主体がはっきりしています。〈空間の表象〉は計画者、〈表象の空間〉はユーザーが主体です。しかし〈空間的実践〉は、主体の位置にいろいろなものが召喚される。そしてそこには善悪がない。日常性がはらむイデオロギーの批評言語としてシャープだなと思うのです。
南後──なるほど。公共圏に関する議論などもありますが、従来の建築論でのルフェーヴルの読まれ方はどうしても、六〇年代的な使用価値の復権、空間の商品化などの話に偏りがちです。今日はそれらの先にあるであろう新たなルフェーヴル解釈の可能性を、「空間の生産」論や後で触れる「リズム分析」を踏まえながら提示できればと思っていましたので、新鮮です。『空間の生産』の最終章「開口部と結論」は、開口部についての説明が謎めいたままでした。空間をめぐる政治であることには変わりないかもしれませんが、従来の計画者とユーザーという二元論を超えて、主体を開いた状態にしておくこと、その状態を「開口部」として創造的に捉え直すことができるのではないか、ということですね。
塚本──主体の位置を開いておくということを強く意識しだしたのは、「マイクロ・パブリック・スペース」の提案をいくつかやってからですね。このときに、上海や妻有などそれぞれの場所のローカルな人々のふるまいに注目し、それらを増幅したり違う文脈とつなげることで、パブリック・スペースを領有する普段とは少し違うふるまいを引き出すことができました。その後、水戸芸術館で《植物の家》という作品を制作したのですが、そのときついに、主体が人でなくてもいいのではないかという考えが出てきました。まずは植物が家の中で生き生きと緑の葉を繁らせることができるようにリノベーションをして、その植物によって領有された家の空間に人が訪れる。つまり、人間は二番目の主体というわけです。さらにギャラリー・間で展示した《人形劇の家》では、「人形劇」というあまり強くないけれども、手弁当で続けられてきた活動がもつ強さ/弱さを空間化しようとしました。そのあたりで、建築の形式の向こう側にどのような主体を想像させるのか、あるいはどのような主体を召喚するのかということを考えるようになりました。

デライトフルネスと反復、街とのセッション

南後──ところで、ルフェーヴルの晩年の著作『リズム分析の諸要素』が言及されることは日本ではまだ少ないですが、『空間の生産』のなかでも「日常生活批判」から連なる「リズム分析」の構想への言及があります。彼はそこで、社会空間の最初の基盤や土台は自然であり、物理的な空間であって、そこに複数の主体(それが人間とは限らない)が時間差をはらみながら介入していくことにより、都市空間や建造環境が変容していく、という内容の話をしています。これは、中谷礼仁さんらの「先行デザイン宣言」や宮本佳明さんの「環境ノイズエレメント」にもつながる話だと思いますし、それらの研究を包括する見取図のようなものを、ルフェーヴルの「リズム分析」は提供しうるのではないかと考えています。
ルフェーヴルのリズムの定義のひとつに「ポリリズム(polyrhythmia)」があります。これは周期の異なるリズムの複合的な集まりで、生き生きとした集団や身体はポリリズムを持っているとルフェーヴルは言っています。また、「ユーリズム(eurhythmia)」という用語は、良好なリズム、調和のとれた比率のリズムといった意味で、異なったいくつかのリズムの結びつきが示唆、実感される状態について述べたものです。リズム分析の魅力は、「同時に記述的であり、分析的であり、統合的であるような認識の構想」★一であることや、先行するもの、すなわち自然的、地形的なリズムから社会的、経済的、政治的なリズムに至るまでを身体を介して可逆的に再構築し、「ユーリズム」への感度やその強度を促進させることにあると感じています。このあたりは、石川初さんや田中浩也さんらの「グラウンディング」にも通じる話ですね。また、リズム分析は、リズムを通して、無秩序とされるもののなかから新たな秩序を発見、生成していくことにも開かれていると思います。塚本さんがおっしゃっている「デライトフルネス(快適さ、楽しさ、喜び)」というものも、「ユーリズム」が成立している心地よさと結びついているのではないかと思っているのですが、そもそも「デライトフルネス」という言葉はどのような背景から誕生したのですか。
塚本──僕は博士論文で住宅建築の構成における修辞の問題を扱ったのですが、その方法は実際の建築を形式に還元して関係論的に捉えるものでした。しかしやりながらそうしたフォルマリズム(形式主義)のなかに位置づけられないものとして、楽しさ、心地よさのようなものがあると思っていました。フォルマリズムの思考は、自分の経験を超えてものをつくる「自由」を獲得するうえでたいへん重要であることはわかるのですが、それだけでは建築の楽しさ、豊かさが描けない。むしろ形式の自由を求めるばかりに痛々しい空間になってしまう場合もある。この自由や痛々しさはともにフォルマリズムが一旦建築を純粋にひとつの自立した体系として世界から切り離すからです。一方「デライトフルネス」というのはわれわれの身体がその周りにあるさまざまな環境と戯れることができている状態です。つまり、建築の外側の事象と身体の関係を建築が取り持つことになります。これをなんとかしたいという思いが「デライトフルネス」というキーワードとなっていったのだと思います。最初は「JOY」と言っていました。「デライトフルネス」なんて言うと「形式なんて忘れちゃいなよ」と言っているように思われがちですが、そうではなく、形式言語の保証する自由に相対するもう一方の建築の自然言語の価値を言いあてるのに「デライトフルネス」がある、ということなのです。これは二項対立の図式をつくろうとしているのではなく、あくまでも思考のバランスを探るなかで出てきた言葉です。一方が一方を凌駕してしまわないように、言語レヴェルでまず均衡を図ろうと思ったのです。
僕が特に「デライトフルネス」に関心がある理由のひとつは、それが「反復」というものに結びついているからだと思います。反復というものは、建築にとって、あるいは人間社会にとってものすごく大事なものであると思っています。日常行なわれる圧倒的な数の反復によって生み出されるパターンが、建築のランゲージにも定着していきます。ではなぜ、そもそもその行為が何度も反復されるのかというと、おそらく建築のランゲージのなかには、建築の周りにあるいろいろな事象、例えば土、風・水・雨・熱などと身体の戯れについてのさまざまな知恵が建築の要素として形式化されているからだと思うのです。歴史的な人間の経験としての「デライトフルネス」がそこにはすでに畳み込まれている。クリストファー・アレグザンダーのいう「無名の価値」もおそらくこのことでしょう。この領域をもっと開いていくことで、「デライトフルネス」と「自由」の均衡が保たれるのではないかと考えました。このバランスなくして現代の新しい「オーセンティシティ」はないと考えているのです。
南後──「デライトフルネス」という言葉を導入することによって、逆にフォルマリズムが持っている豊潤さが浮かび上がってもきますね。
塚本──そのとおりです。例えばコンピュータのように、短い歴史にものすごい技術躍進が詰まっているものとは違う価値を建築は語ることができます。建築も、都市の形態も、あるいは日々の暮らしも、必ず繰り返しのなかから出てきた環境を受け継いでいます。そういった時間軸のなかで自分たちの生活を位置づけていかないと、今も将来もないと思います。ヨーロッパ都市では、視覚的にも空間的にもその繰り返しが明瞭な形をもって定着されていますが、東京では急激なリズムの変調が歴史的に生じたため、その風景はある種のわかりにくさを伴っています。東京に生きることは、パリに生きるよりも、時間や空間のパースペクティヴのなかに自分の生活を位置づけるのが難しいのかもしれません。
建築をつくることとは、こうした現状に対して何らかの責任を持つ、あるいは少なくとも関わりを持つことだと思うのです。それは価値創造の問題ですからすごく面白い。そういった、東京での生活を時間的、空間的なパースペクティヴのなかに位置づける方法のひとつが《メイド・イン・トーキョー》でした。《メイド・イン・トーキョー》では、町場の無名の建物を、律儀なフォルマリズム、あるいは機能主義の視点から観て、その論理のやぶれが露わになることを楽しんでいた。しかしそれだけではやぶれていますというところまでしか言えず、現在の自分を位置づけ、次に向かって踏ん張る土台づくりにならないと感じ始め、「東京のタイポ・モルフォロジー」(『10+1』No.47)ではその位置づけを探るべく、ひとまず東京という都市がもともと住宅だけでできていたと仮定しています。そこから今のような複雑な光景が、地形、戦争、法律、経済などのいろいろなタイミングでの重なりによって生まれたということが言えるのではないかと。都市空間がどのような空間的実践によって成ったのかをパターンとして明らかにしようとしています。
南後──そのことに関連したルフェーヴルの印象的な言葉に「交響曲やオペラを聴くように家や通りや街を聴くことができる」★二というものがあります。オーケストラのコンダクター(指揮者)に建築家が喩えられることがありますが、事務所内の所員や建築生産をめぐる現場の人々との関係についてのものが多いですよね。でも、建築家が指揮すべき対象は組織だけではなく、都市・建築をめぐる多層的なリズムの構成因子だと考えたほうが刺激的です。
塚本──都市を聴くというルフェーヴルの視点は面白いですよね。このタイミングで打楽器が入ったり、このタイミングでブラスが入ってきたりという、音による場所の領有が、時間的変化を伴いながら重なっていく。設計はそのリズムに対して、自分たちの生活や建築がどうセッションするのかを考えることではないかと思っています。

ヴォイド・メタボリズム、ビヘイビオロロジー

南後──六〇年代のメタボリズムも、思想レヴェルではそこに近づきつつあったと思います。当時は経済のリズムの変調に一気に流されたという印象がありますが。
塚本──「東京のタイポ・モルフォロジー」がある種の分析パートだとすると、それを制作に転じるパートが「ヴォイド・メタボリズム」です。なぜそんなことを言い始めたかというと、僕らをはじめ多くの建築家の友人たちは都内でいくつも住宅を個別に手がけているわけですが、このことを少し引いて全体を見ると、それぞれの建築家が結構なエネルギーをかけて、都市の細胞の一粒一粒の新陳代謝に手を貸しているわけです。その全体はまさにメタボリズムではないかと思うのです。
これが六〇年代の、特に菊竹清訓、黒川紀章のメタボリズムとまったく異なるのは、そこに設備と構造を兼ねた普遍要素としてのコアが存在しないということです。ライフラインと構造体の集約であるメガストラクチャーとしてのコアが成立すると当時の建築家が考えられたのは、都市建設における権力と資本の集中を漠然とイメージしていたからだと思うのですが、二〇〇七年のメタボリズムは、その権力と資本が分散することが前提になっている。そのことが「コア」と「ヴォイド」の違いとしてシンボライズされているのではないかと思うのです。
ここで僕が「ヴォイド」と呼んでいるのは建物と建物の隙間です。東京は戸建て住宅でできた都市なので、建てれば建てるほど建物の隙間が生まれます。ビルが建ち並んでいるところも同様です。現状はこのヴォイドに対して建物は背を向けているので、放置されているも同然なのですが、このヴォイドを含み込んだより大きな秩序のなかに生活を位置づけることができるのではないかと思うのです。それは建物の粒のほうを更新することによって隙間のほうも再定義することであり、発見的に隙間の意味を見出すことにより、建物側のあり方を変えるという「ヴォイド」と「マス」の相互依存的な関係をつくることです。この戦術は基本的には今の日本の都市に対する意識の高い建築家には共有されていると思っています。
じつは六〇年代にも、槇文彦、大高正人はコアに頼らない「グループフォーム」と呼ばれるメタボリズムを考えていました。ただし彼らはあくまでも面的な広がりを自分たち計画主体が取り扱うことを前提としていた。だから粒同士のつながり──彼らはそれを「リンケージ」と呼んでいますが──をあらかじめ粒の性質に組み込んでおく発想ができた。そうすることで、全体を統合するシステムをコアのようなものとして物象化する必要がなくなったわけです。これが「ヴォイド・メタボリズム」の第一世代です。その実例が《代官山ヒルサイドテラス》です。
その前提はこの計画内に複数棟が見込めることでした。計画者が自分で動かすことのできる駒が五個あればその「リンケージ」をシステムとして構想することができます。けれどもひとつの住宅を更新することしかできない場合、つまり駒が一個しかない場合にどうやって「リンケージ」をつくるのかというのが二〇〇七年の「ヴォイド・メタボリズム」が直面している問題です。ここでは物理的な隣接性だけではなくて、建築のランゲージが持っているパラダイムの隣接性にも頼らざるをえない。それはやはり建築のタイポロジーの問題であり、都市のモルフォロジーであろうと。
ここで大事になってくるのが現在の「ビヘイビア(ふるまい)」の見直しです。「デライトフル」な建築の自然言語の使用ができたとしても、それが単なる過去の再現であっては「今」が入る余地がなくなってしまうし、また現在から未来への投企もできなくなってしまう。そうしたときに、そもそも建築言語が何のどのようなふるまいとの対応のなかで反復され、定着されてきたのかということにさかのぼる想像力が必要になるのです。
例えば、光、風、雨といった建築の周囲にある物理的な自然要素のふるまいをコントロールするために、屋根勾配や窓庇や雨樋といった細部が生まれる。また、建物が似たものの反復のなかに置かれたときには、必ず周りとの同一性と差異が浮き上がり、そこにもふるまいと呼べるものが出てくる。これに、人のふるまいを加えた三つの次元のふるまいの取り扱いから、建築を捉え直し、それらを関係づけていく。そういう想像力が「ビヘイビオロロジー」ですね。
今ここで問題にしてきた建築周りのふるまいは、やはりかなり地域差、文化差があるものだし、時代によって変わりもする。その意味で生きたコミュニケーションの媒介になるものです。そのことに意識的に建築がつくられれば、街の風景は変わるはずです。まあそれは、教育のような過程を介さないと実現しようのない、ずいぶん息の長い話ですけれども。
南後──三つの次元のふるまいをアトリエ・ワンの活動と照らして整理すると、おそらく、人のふるまいにより照準を当てたのが「マイクロ・パブリック・スペース」で、自然などの物理現象が「フラックス・マネージメント」、建物のふるまいが「グローカル・デタッチド・ハウス」および「東京のタイポ・モルフォロジー」であり、それらを集約する概念として「ビヘイビオロロジー」が出てきたということでしょうか。
塚本──そうですね。この《ハウス&アトリエ・ワン》も、その三つの次元をひとつの建物で統合的に表現しようと思ったものでもあるのです。住まいと仕事場を一緒にするということも、やはりふるまいの問題だと思っていますし、熱的な環境や空気質の計画にも積極的に取り組んでいます。
南後──私もここに座っていて、例えば窓から眺められる、敷地外の坂の傾斜や起伏との連続性から心地よさ、今日の言葉でいう「デライトフルネス」を感じます。それはルフェーヴルの「リズム分析」に戻ると、この場所を取りまくリズムにうまく乗っているからと言えるかもしれませんね。
塚本──やはりセッションですから都市空間のリズムに乗らないと。自分だけ違うリズムを奏でても、楽しさは生まれてこないわけです。

オーセンティシティと量、フラックス・マネージメント

南後──OMA/AMOのレニエ・デ・グラーフと塚本さんによる今年の七月のセミナー(六本木アカデミーヒルズ)では、「ビッグネス」や「量」が現代の「オーセンティシティ」との関わりで話題に上がっていましたね。塚本さんはレム・コールハース、OMA/AMOの活動をどう見ておられますか。
塚本──彼らのやり方は一面でコンヴェンショナルな建築的秩序を破壊するものとして捉えられているけれども、じつはその背景に極めて西洋的な建築の「オーセンティシティ」に対する理解があると思います。この前も、建築の歴史が培ってきた「オーセンティシティ」に抵抗できるだけのものを今つくり出せるとすれば、どういう条件が必要かと聞いたんですね。そうしたら「量」の話になった。
世界遺産認定の議論におけるオーセンティシティは「本物」であること、つまり「昔のものがそのままある」ということなんですね。伊勢神宮は世界遺産に登録されていませんが、それは二〇年に一度行なわれる式年遷宮という文化がこのことに反するからでしょう。でもそのオーセンティシティは、やはり石の文化の考え方であって、日本の文化には当てはまりにくい。そこからオリジナルという意味だけではない「オーセンティシティ」があるのではないかと考えはじめました。それが、現代が「オーセンティシティ」をつくり出せるとすればその条件は何かという問いのかたちになった。その答えのひとつとして、「量」はありうると思うんです。「量」は必ず「フラックス(流動、変化)」を持ち、それなりのふるまいを要求してきます。例えばホテルを考えてみると、どの部屋も眺め、日照、アクセシビリティなど多くの権利を主張するはずで、そのことがある扱いを要求してくる。ひとつ、二つなら個別の対応ですみますが、それが量になったときに、不変の条件になってくるわけです。僕は、そこで何が不変の条件になりえるかということに対する建築側からの批評的判断と解答のストレートさが建築の「オーセンティシティ」につながると思っている。だから「オーセンティシティ」は、ひとつは歴史との対応において、もうひとつは量の扱いのなかで動かしがたい摂理のようなものになる「フラックス・マネージメント」だと思うのです。
南後──以前、「空間の領有」という話を出しながら、コールハースもルフェーヴル的だとおっしゃっていましたね。
塚本──『錯乱のニューヨーク』がまさにそうでしょう。ニューヨークという変異体を語ることができる主体が実際にはどこにもいない、それこそゴーストライターにしか語れないというところが最高に面白い。つまり主体が開かれているということです。ですから、ニューヨークの形成をシナリオとして提示するということは、まさに「空間の生産」的だと言わざるをえない。コンダクターがいない状態を皆がうまく乗り切っていくということはすなわち、空間のテンプレートのようなものが人を魅了し、社会をドライヴさせ、そこにさらに人を召喚していくということなのです。それが実際の「空間の生産」に繋がっていく。この仕組みが非常にうまく書けているし、マンハッタン島に橋が何本も架かり、中が碁盤目に仕切られ、超高層が建てられるというテンプレートは、たいへんな熱気を生み出すものだったのだと思います。
南後──「マイクロ・パブリック・スペース」の文脈からくる「ビヘイビオロロジー」はわかりやすいと思うのですが、例えば六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどの大規模な再開発のような次元にも、「ビヘイビオロロジー」は展開可能なものとして開かれているのでしょうか。
塚本──もしあのようなタワー型開発において「ビヘイビオロロジー」が語りえるとすれば、それはタワーが反復されるものとして十分に見えてきたときだと思います。東京にはこの七年間で二〇〇棟くらいの超高層が建ったそうですが、いよいよそういう段階に入ったのかもしれません。その反復のなかから、つねに守られているものやある種の逸脱をつかみ取り、リズム分析することはできると思います。
今年の前半に金沢でリサーチをして『アトリエ・ワンと歩く 金沢、町屋、新陳代謝』を出版したのですが、そこでは金沢の町屋を、第一世代から第四世代に分類し、それらがどういう連続性のなかに位置づけられるか、またどのような環境圧が関わっているのかを示した地図をつくりました。特に法規は町屋が新陳代謝する際の明らかな強制力です。このリサーチをやっていて、僕はすぐにでも町屋をデザインできる気になってきた。今なら相当面白いランゲージがつくれますよ。
[二〇〇七年一〇月二三日、ハウス&アトリエ・ワンにて]

『アトリエ・ワンと歩く 金沢、町屋、新陳代謝』

『アトリエ・ワンと歩く 金沢、町屋、新陳代謝』


★一──アンリ・ルフェーヴル『空間の生産』(斎藤日出治訳、青木書店、二〇〇〇)五七七──五七八頁。
★二──Henri Lefebvre and Catherine Régulier,  “Attempt at the Rhythmanalysis of Mediterranean Cities”, in Henri Lefebvre, Rhythmanalysis: Space, Time and Everyday Life, trans. Stuart Elden and Gerald Moore, Continuum, 2004, p.87.

参考文献
●塚本由晴+南後由和「ビヘイビオロジーへ向けて──マイクロ・パブリック・スペースから学ぶこと」(『住宅特集』二〇〇七年九月号、新建築社)。

>塚本由晴(ツカモト・ヨシハル)

1965年生
アトリエ・ワン共同主宰、東京工業大学大学院准教授、UCLA客員准教授。建築家。

>南後由和(ナンゴ・ヨシカズ)

1979年生
東京大学大学院。東京大学大学院情報学環助教/社会学、都市・建築論。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>ガエ・ハウス

東京都世田谷区 住宅 2003年

>永江朗(ナガエ・アキラ)

1958年 -
フリーライター。

>中谷礼仁(ナカタニ・ノリヒト)

1965年 -
歴史工学家。早稲田大学創造理工学部准教授、編集出版組織体アセテート主宰。

>宮本佳明(ミヤモト・カツヒロ)

1961年 -
建築家。宮本佳明建築設計事務所主宰、大阪市立大学大学院建築都市系専攻兼都市研究プラザ教授。

>石川初(イシカワ・ハジメ)

1964年 -
ランドスケープデザイナー。株式会社ランドスケープデザイン勤務、登録ランドスケープアーキテクト(RLA)、関東学院非常勤講師。

>田中浩也(タナカ・ヒロヤ)

1975年 -
デザインエンジニア。慶応義塾大学環境情報学部准教授、国際メディア研究財団非常勤研究員、tEnt共同主宰。

>クリストファー・アレグザンダー

1936年 -
都市計画家、建築家。環境構造センター主宰。

>メタボリズム

「新陳代謝(metabolism)」を理念として1960年代に展開された建築運動...

>黒川紀章(クロカワ・キショウ)

1934年 - 2007年
建築家。黒川紀章建築都市設計事務所。

>槇文彦(マキ・フミヒコ)

1928年 -
建築家。槇総合計画事務所代表取締役。

>代官山ヒルサイドテラス

東京都渋谷区 集合住宅 1969年

>アトリエ・ワン

1991年 -
建築設計事務所。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>錯乱のニューヨーク

1995年10月1日