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スカイライン/サーフェイス 都市の線、都市の面 | 白井宏昌
Skyline/Surface: City Lines and City Planes | Hiromasa Shirai
掲載『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?, 2006年07月10日発行) pp.142-143

中国、北京

歴史上類を見ないほどの速度と規模で変容が繰り広げられる都市、中国、北京市。二〇〇八年のオリンピックを控え、GDP成長率八・五パーセントという経済成長に支えられたこの都市には、その富を享受する者のエゴイズムが驚くほど素直に表われ、その競争が一極集中する富と、途方もなく膨大で安価な人的資源を糧に果てしなく展開する。ここでは圧倒的な富の競争によって作り変えられていく「都市の頂部=スカイライン」と新しくできつつある建築と既存の建築との葛藤の場である「都市の面=サーフェイス」について考察する。北京という巨大都市はわれわれに何を語りかけているのだろうか?

競争

二四時間絶え間なく進められる建設現場。ひとつの建築が新しく聳え立ったと思うと、隣の敷地ではすでに別の地下工事が始まっている。そうやっていとも簡単に高層建築が次から次へと立ち上がっていく。そして街中には新しくできた、あるいはできつつある建築の広告が乱舞する。北京で見られる都市のスカイラインとは富持つ者の飽くなき競争の産物である。競争である以上そこには彼らなりの勝ち(価値)基準が存在する。彼らは何を競っているのであろうか?
中国では新たに建築・都市が計画される際、その完成予想図が必ず存在する。多少の誇張をこめて……。その多くはコンピュータ・レンダリングで劇画調に描かれ、新しく出現する建築・都市を大いにアピールし、そこに少しでも多くの富を惹きつけようとする。いわゆる「マネーショット」と言われるものである。それらのレンダリングを注意深く眺めていると、彼らが何をもって都市の競争に勝とうとしているのかが朧気ながらに伝わってくる。そう、彼らが競っているのは、まさにその建築の高さとその頂部のちょっとした差異の違いにおいてであり、それはもっとも手っ取り早く「個性を持った」スカイスクレーパーを作り出す手法である。建物の大方を占める部分はカーテンウォールで覆われた基準階の繰り返し、それをちょっとでも高く作り上げ、その頂部で大きく勝負に出る。これは経済的に最も効率よく「違い」を作り出す手法でもある。
街に乱立する超高層建築に目を移すと、なるほど、各々の建築はその高さを競い合い、その頂部には伝統的な中国様式の屋根、未来的な幾何学デザイン等々が取ってつけたようにちょこんと載っている。建物の頂部に現われるそのさまざまなデザインは建物を所有するクライントの個人的な趣味を反映したものである。そんな富を持つ者の個人的な趣味が北京の都市のスカイラインを作り上げていくのである。

平的凸的

都市のスカイラインが高さとその頂部の特異性の競争の場である一方、都市の面=サーフェイスをめぐる葛藤はそこに新しくできる建築と既存の建築とのせめぎ合いと捉えることができる。というのも北京にはいまだ多く、一九七〇年代以降に建てられた中高層の建築が多く残っており、それらは新たに都市に出現しつつある建築とは異なる様式をもっているからである。当然、これらの建物は都市のスカイラインの競争には加われない。しかし都市のサーフェイスに注目すると、そこではいまだに大きな役割を演じているのである。
市内にできつつある新しい建築の多くが都市に提供するのは、カーテンウォールという手法ですべてを何事もなかったように包み込んでしまうツルッとした平らな面である。このツルッとした面を持つ建築は世界中どんな都市にでも出没する。その一方、北京の既存の建築の外壁に見られるのは張り出したガラス張りのリビングルーム、エアコンディショニングの室外機などが作り出す凹凸の面である。ツルッとした平らな面と凸状の面、この二つの異なる面が北京という都市ではせめぎ合っている。それはすべてを隠してしまおうとする近代建築と内部の行動をすべてさらけ出す北京の既存建築とのスタイルの葛藤でもある。

繰り返しの鉄則

高層建築のファサードに必ず必要とされるのが繰り返しのパターンという手法である。少なからず経済原理の拘束に縛られるが故、繰り返しという手法を用いない限り、建設コストは膨れ上がるし、それを設計する建築家の作業量・コストだって途方もないものになってしまう。いったん法則を決めてしまえば、その法則があまねく建物を覆いつくす、その効率が建築にはいやおうなしに求められる。まして莫大な量を信じられないスピードでこなさねばならない中国ではことの他、「繰り返し」という手法が絶対となる。言い方を変えれば「繰り返し」という手法を用いない限りここでは建築を作っていくことはできない。この手法により、広大な平的なガラスの面と、際限なく続く凸面が作り出される。繰り返される平的なあるいは凸的なパターンのパッチワーク、それが北京という都市の面である。

欲望/結末

二〇世紀初頭、アメリカで繰り広げられた超高層建築の競争、その後半世紀を経てアジア、中東で繰り広げられた高さ世界一への飽くなき探求は都市が絶えず人々の欲望の表現の場であることをわれわれに示してきた。そこでは人々の欲望が都市のスカイラインを築き上げていく一方で、その下では「新しくできたもの」と「古くからあるもの」という異なる様式の葛藤が、主に都市のサーフェイスをめぐって繰り広げられてきたことも見逃してはならないであろう。そして北京という街はその過激さゆえ、新たな都市を作り出そうとする欲望と、その結末としての「都市景観」をわれわれにプリミティヴにそして力強く示してくれる。常に人々の注目を浴びる都市のスカイラインと同時に都市のサーフェイスを考察すること、それは結果としての現代都市に積極的に関わろうとすることでもある。

1─3──北京に見られる 建築の頂部のデザイン 写真提供=OMA

1─3──北京に見られる
建築の頂部のデザイン
写真提供=OMA


4──北京の典型的な凸的ファサード 写真提供=OMA

4──北京の典型的な凸的ファサード
写真提供=OMA

5──ガラスの平的ファサード 筆者撮影

5──ガラスの平的ファサード
筆者撮影

>白井宏昌(シライ・ヒロマサ)

1971年生
OMA北京事務所駐在。

>『10+1』 No.43

特集=都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?