住宅における構造の現在
町田敦──技術、エンジニアリングの領野についての関心が最近、ますます高くなってきているようです。そういう時期なのですが、建築という分野において構造的なアイディアはすでに飽和しているかのように見えることがあります。構造設計者はその限界を感じているからこそ、自らの職能を開拓しているかのように思えるのです。それはもちろん批判的な意味ではなく、むしろ喜ばしい状況として捉えています。今回「実験住宅」という特集で、構造設計者の横山さんに、構造的な「実験」ということを軸にお話を伺いたいと思います。
横山太郎──今言われたとおり、建物全体のシステムはコンピュータで描ければどんなかたちでも解析できるようになりました。形状はCADで描いて、それを読み込んで解析するという方法をとっているので、データのキャパシティである程度の制限はありますが、モデリングの考え方さえきちんとしていれば、答えを見つけていくことは難しいことではありません。ただRCと鉄や木など、いろいろ混在してハイブリッドで設計を考えていこうとすると、それらの境界条件やジョイントの考え方をきちんとしておかないと、正しい答えに近づいていかないということはもちろんあります。
ですから、何かを作るときにはそうした境界条件に関わる部分的な実験をしています。例えば免震の建物だったら免震部分の機構の実験をしていますし、住宅について言えば、ジョイント部の性能は実験したいもののひとつです。実験をした結果、設計の自由度も広がるし、新しいこともできるからです。しかし、住宅をひとつの新しいシステムの提案として、つまり実験住宅として考えることは構造の場合ありません。住む人がどのような環境がほしいかという観点から考えると、実験住宅というのは構造よりも設備系が主ではないかなとも思います。
一九六〇、七〇年代の構造の試み
町田──建物をモデル化することと、そのモデルを成立させるための細部の条件があるということですね。先ほど構造的なアイディアが飽和していると言ったのは、二つのうちモデル化のほうで、さまざまなアイディアが出ているように思います。確かに住宅にひとつの新しい構造モデルを持ち込まれても、施主も困ってしまうでしょうね。そこまでしなくてもいい。住宅の場合、境界条件を変えることによって、全体に自由度を与えていくことができる。計画がより柔軟になるわけですね。このあたりは後ほど実作を通してうかがいたいと思います。
一九六〇、七〇年代以降に、木村俊彦さんや松井源吾さん、川口衞さんなど多くの構造家が活躍されていますが、その時期にさまざまな構造のモデルが提案されているといってよいと思います。横山さん自身この時期をどのように捉えていますか。
横山──僕は全体がひとつのシステムで作られていくのがおもしろいと思っていて、プレキャストをやられた木村俊彦さんや、木村さんの弟子で僕がいた構造設計集団SDGを主宰されていた渡辺邦夫さんに影響を受けました。つまりプレキャストあるいは鉄骨でもそうですけど、あるモジュールがあってそこから寸法が決まっていく、整理されるという考え方には影響を受けました。
町田──木村先生はどちらかというと適材適所というか、均質な空間を均質なシステムで立ち上げるのではなく、不均質なシステムで均質であるかのような空間を成立させてしまうという印象がありますが。
横山──木村先生は建築家と打ち合わせをして実現できるかどうかを直感的に決めていたようで、最初にこれでいけると、そのプロジェクトのルールを決めてしまうタイプの方で、自分があるいは建築家がどうしたいかということを非常に明快に提案しています。《世田谷区郷土資料館》(一九六四)ではプレキャストコンクリート板で壁も床も作ってしまうという、まさに実験をやっていますし、もちろんそうした大胆なモジュール化でない場合もあります。均質、不均質ということより、どのように作るかを考えられていたと思います。
横山太郎氏
作る側の論理、住む側の論理
町田──建築家が構造家に期待することは、どれくらいの単位で建築を分節するかということだろうと思います。部材の長さと断面の寸法を具体的に決めていくことが構造家の判断で、モジュール化もそのひとつだと思うのですが、その際に何か規範のようなものはありますか。
横山──それはその時代のあるいはその社会のもつ生産技術や立地条件が主になり、作れる範囲、運べる範囲、建てられる範囲のなかで部材の大きさが決まってしまう。鉄骨造にしても木造にしても、そういう条件は当然建築を作っていくうえで必要なもので、それを意匠として表現するかしないかは別にして、構造の考えとしてはそうあるべきだと思います。
町田──生産性の最適解としてモジュール化がある、ということですね。
横山──経済的な効率にしても考えざるをえなくて、お金がありあまるプロジェクトなどないわけで、経済的に考えて大きく割るか、小さく割るかはその場合毎に考えていきます。
町田──生産的な文脈で、例えば部材の運搬ということから一二メートルくらいで割っていかなければならないということがありますね。だけど建物が一二メートル角におさまってしまう住宅の場合は必ずしもそうではないわけです。その場合、生産的な効率とは別の文脈があるのではないですか。
横山──最近は建物の内側から決めていこうとしていますよね。佐藤淳さんがやっているような、鉄板で格子状の壁を作り、構造を本棚にしたら面白いという考えも内側から来ているような気がします。今までは外側からこういうモジュールがよいと決めていたのですが、最近は製作の現場にもコンピュータが用いられているので、モジュール、規格化の制限が取り払われてきていることがあるのかなと思います。ただやはり既製品の部材を使おうとすると寸法は決まっているので、そのあたりはせめぎ合っているところだと思います。
町田──なるほど。内側から考える。以前、多木浩二さんの話をうかがう機会があって、その時にこう言われていました。建築という概念の構築は西欧で組み立てられて来たものですが、その理論はいつも作る側、建築家や技術者の立場からの思考であったと。実際に使う側、内側から見た理論構築は建築家の人たちはやってこなかったのではないかと。
横山──現在はこれまでの技術的な制約が取り払われ、内側からの要請で作れるようになってきたのだと思います。少し以前には鉄骨にしても木造にしても工場で作っていたので、尺にしてもモジュールが決まっていてそれを用いざるをえなかったのですが、それが現在は融通がきくようになってきた。
町田──過去に、住宅という利用者と空間が密接に結びついた建築で、構造的な提案をしている例として、戦後の時期の広瀬鎌二の住宅があります。でもどちらかというと、生産という社会的な要請であって作る側の論理ですね。住宅のデザインの問題として構造的なものを積極的に採り入れた例として、少々強引にこのテーマに引き寄せて言えば、一九七七年に《貝島邸》や《林邸》で磯崎新さんがヴォールト屋根を用いています。同時期に篠原一男さんの《上原通りの家》(一九七七)では構造材であるRCの斜材を積極的に見せています。それ以前の住宅を見ますと、木造住宅の繊細な部材を除いて、住空間に現われるRCや鉄骨の構造部材は、建築家の作る住宅として恥ずべきことのような規範があったと言ってもよいかもしれません。だから篠原一男はレヴィ=ストロースの「野生」という言葉でこれを説明し、それが批評的に意味を持ったのだと思います。これ以降、住宅はずいぶん自由になっていったのではないでしょうか。
横山──例えばプレキャストコンクリートを用いて、構造=意匠という考え方で、リブ形式にしてそれを見せて、それで仕上げはお終いとする。それはどちらかというとコストの問題かもしれません。それと同様に、住宅で骨組みを見せるのか見せないかは構造からするとどちらでもよいのですが、一般的にみれば、きれいな骨組みにしていく方向にあると思います。それは木村さんたちの時代に提唱された構造の考えを住宅レベルで実践しているという流れもひとつあると思います。
それとは逆に建築家が新しいかたちを作れるかどうかという試みを小さな建築でやってから、それを大きな建築に応用する例もありますね。伊東豊雄さんも《シルバーハット》(一九八五)で構造的な試みをされていますが、それはその後の作品につながっています。だから構造をやっている者からすると、住宅のような小さな建物の中で少し新しいことをしてみよう、採り入れようという考えはあります。しかしそれが実際に住む人にとってよいのかどうかは別の問題だと思います。割と迷惑なときもありますよね(笑)。住宅というカテゴリーはほかの建物と比べると特殊だと思うのです。毎日そこで暮らす施主が、何の不自由もなく暮らしたいというのが住宅に対する一般的なニーズだと思うので、そこに構造的にやってみたいという考えを入れていいのかというのはたまに考えることではありますね。
町田──住宅は新しい世代の人たちが、新しい生活を切り開こうとして作るものです。そのときに現代に沿った空間を作ろうと、どういう可能性があるのかを考え、それを形式化して実現しようと考える。その際に構造というよりも架構の果たす役割は大きいですね。今までの構造=架構では可能性が限定されてしまうので、新しいことを考えるのでしょう。
横山──以前は、よくわからないことを確認するということで実験をしていたのですが、結果を判断するまで、すごく時間がかかりました。現在だと解析技術も進歩し、解析も細かくできるようになってきたので、これで大丈夫ということが比較的簡単に確認できるようになってきました。だから解析技術の発展によって、実験的試みと解析のリンクする時間がすごく短くなってきています。いろいろな住宅が建てられ、いろいろな作品があるのですけれど、実験と解析を自由に、容易にやることができるようになってきたので、最近は見ていて面白い作品が増えていると思います。
町田──施主とのフィードバックも短期間でできる。結果が早く出せればそれだけ施主や建築家とのコミュニケーションもとり易くなるわけですね。それも内側からの生産性の問題(笑)。少し実作を見せていただきながらお話を伺いたいと思います。
町田敦氏
《材木座の家》《千歳船橋の家》の構造
横山──《材木座の家》(田井幹夫設計、二〇〇四)では木造のフレームを四五〇ミリピッチにして、どちらかというと本棚のようにしようとしたものです。鎌倉の山の斜面に建つ住宅で後ろに崖があり、それをプロテクトしなくてはいけないという条件があったので一階のRCの壁を擁壁代わりに作ったのです。それを耐震要素にして、地震力を負担させているので、その上の木造の細かいフレームが実現しています。また柱・梁材のS.P.F材の製造長さの制限が六メートル弱でしたので建物のスパン・高さの調整をしています。
町田──混構造ですね。
横山──混構造はそうしたほうがいいと思う場合が多いので、わりと好きですね。
町田──そのほうが素直ですよね、住宅の場合は。建物にはそれが建つ場所があり、囲まれている環境があるので、こちらの面は閉じたいのでRCの壁、こちら面は景色がよいので開きたいというようなことを、設計者は常に考えます。そうした条件を構造に反映させて、構造を選択することが仕上げの選択にもなるわけですね。そういうふうに住宅ができあがっていくのが素直ですね。
横山──そう作るべきだと思います。自然と混構造になってしまうことが多いですね。
《千歳船橋の家》(田井幹夫設計、二〇〇三)ではRCの壁の上にスチールのジョイントを載せて、木造の屋根を支持しています。この屋根と壁が取り合う部分をスリット状の開口にして光を入れています。敷地が狭くて、道路の取り付幅が狭いので、小さい部材を上で細かく組む方法を採用しました。木造の屋根をそのまま RC壁に載せなかったのは屋根材の組み上げ方を支点部分の考えにも取り入れるべきだと考えたからです。屋根材は木同士を合わせ梁にし、その合わせ梁のスリットにスチールプレートをはさみ込み支点としています。その考え方を建築家の田井幹夫さんに見せたところ、次の打ち合せでは開口として考えられていました。
町田──屋根を支えることと光を採り込むことが同時に処理されている。これが先ほどの境界条件の話に繋がってくるわけですね。建築とそれを成立させる技術がうまく調和したときの素晴らしさと言えば、イギリス・バロック期の建築に《セント・ステファン・ワルブルック教会》(一六八七)があります。この教会に訪れたときに、とてもすがすがしい空間に出会ったという印象がありました。矩形平面の中央にドームを掲げたとても単純な幾何学で建築が作られていて、たったそれだけなのにとても豊かな空間でした。バロック期に作られたもので、ゴシック教会の鋭い光ではなくて内部が現代建築のように均質で明るい。球や立方体という幾何学が当時の技術だとすれば、空間が技術の明快さのなかに立ち上がっているようでした。
横山──建築家の方と打ち合わせをするときに開口部はどこなのか、なぜそこに開けるのかということはすごく気になりますね。耐震要素をどこにとるかということに関わりますし、その開口部はなくせるのかどうか。小さな開口部か、大きな開口部か、なぜそこに開けるのか納得できる理由が欲しい。開口部は空間の質に関わるものなので、それが構造のシステムと合致することによってある説得力のようなものが生まれるのかもしれません。
《材木座の家》
写真提供=architect cafe
《材木座の家》
写真提供=architect cafe
《千歳船橋の家》
写真提供=architect cafe
《千歳船橋の家》
写真提供=architect cafe
《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》の構造について
町田──構造のシステムと空間の融合する最も大きな建築として、横山さんは《横浜港大さん橋国際客船ターミナル》(二〇〇二)を担当されていますね。形状が一見しただけではどうなっているかわからないという、粘土やCGで作ったような建築のかたち─「フリーフォーム」という呼び方をしているのですが─の代表的なものですね。そういうものをどのように解析して、空間に沿った解を見つけていくのか、少しうかがえればと思います。
横山──あれは最初にfoaが提案してきたカードボード構造、つまりスキンが上下にあって、それがうねっている構造が最初にあったのです。それを実現するのが僕ら構造サイドの仕事だと思っていたのですが、そのサンドウィッチにしている構造をどのように上下にうねうねさせるかということを三年くらいずっと考えていました。だけど実はアレハンドロ・ザエラ・ポロさんたちはそのことには全然こだわっていなかったのです。支える支点が大きく飛んでいて、局所的に力がかかってくる長い建物なので、それに対して直交グリッドで作るのはどう考えても不効率だと考えていました。やはり鉄板の中を二方向にしたり、あるいはいろいろな方向にリブを入れて作るべきだと考え、そういう構造の模型をたくさん作っていました。
あるとき中の骨組みが見えるように上下の鉄板をすけすけにして模型を作ったのです。その模型をポロさんが見て気に入り、そこからがらっと変わって内部空間から襞が見えるような作り方にしたいと言い出しました。計画がストップし、二〇〇二年のワールドカップに向けて急に再開したステージだったので、その時点ではすでに工期が短いという状況でした。だから三工区くらいに分けて、どこからでも作れるようにしないとできなかったのです。そうすると輪切りの構造はそれに合っているのです。そういうなかで内部から見える襞と施工レベルでの現実性からああいうかたちに収束していったのです。つまり、あのかたちは建築家が望んでできたわけで、コンペ案とはかなり違うという意味でちょっと驚きました。実際施工的な現実性もあり、工期が本当に短かったし、どこからでも作ることができるというのが魅力的だったので、最終的にああいう解になったわけです。
新しい空間を実現するための構造家の役割
町田──磯崎新さんの《大分県立中央図書館》(現アートプラザ、一九六六)を初めて訪れたときに、ひとつのシステムで全体を覆うことができる規模というものがあるのだと、この建築はその限界ぎりぎりのところで成立しているなという印象をもったことを覚えています。ボックスビームを架構としてそこが設備の配管スペースになるというひとつのシステムで全体を貫いていますが、図書館という制度=プログラムと重なったときにあれ以上の規模だと成立しないのではないか。逆に言えば工場のような建物を除いて、ここまで大きな文化施設をもひとつのシステムで貫けることに驚いたのです。確か四三〇〇平方メートルほどだったと思いますが、横浜の場合はそれより桁違いに大きい。土木的な規模でありながらなお建築として、つまり制度=プログラムのなかに留まろうとしているかのように見えます。お話を伺うと、そうした文化的な空間を残そうとする建築家の志向と工期や工程という現実的な問題の総合としてあの折板構造が最適解であったということですね。
横山──現代の建築はいろいろ事情が複雑に絡み合っていますが、今言われたような問題をどう解決するかということに関して言えば、構造的な解決の方法はどんどん増えています。例えば大きな空間と小さな空間をどのようにシームレスに構成していくかということに関しても、それをつなぐ構造、例えばひとつ大きなもので覆うのか、あるいはそれぞれの隙間を埋めていくのかといった異なる解決方法が多数考えられます。作ることに関しては施工的なレベルもアップしていて、その技術力は構造を設計している者にとっては便利なわけで、カードが増えています。施工レベルのコンピュータの使用によって、鉄骨工場での原寸検査などはほとんど意味をなさなくなっていますね。
町田──設計図─施工図→施工図チェックという設計者と施工者のフィードバックが最近では成立しなくなってきているということは、僕の経験でも実感しています。設計図のデータを渡すとそのまま施工図になって戻ってくる。そうすると設計者がチェックする意味がなくなってしまう。
横山──本当にそれでいいのかな、とは思います。現在は設計の場面が今までの流れと一気に変わってきているので、設計した内容と施工する内容にコミュニケーションが成立しづらくなっています。コンピュータに入っているデータそのままですと言われると本当にそれでできるのですか、と言いたくなります。それから何でも作ることができて、それでいいのかなとも思いますね。ただやはり作るということには、あるルールがあって効率的でなければならない。それとは別に建築家は新しい空間を作りたい。その橋渡しをするのが構造設計者の意味ある職能だと思います。そういう意味で施工や生産の問題よりもっと別の次元での総合的な判断が新しい実験(?)につながっていくという気がします。
[二〇〇五年一一月一一日、LOW FAT structureオフィスにて]