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拾い集めて都市と成す──泉麻人の街歩き | 成瀬厚
The City Constituted from the Pieces Collected: Asato Izumi's Town Walk | Atsushi Naruse
掲載『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために, 2002年09月30日発行) pp.117-126

町のなかを移動する者、つまり町の使用者(われわれすべてがこの者である)は一種の読者なのであって、おのれに課されたさまざまの義務や必要な移動に従って、言表のいくつかの断片を選び取り、それらを現働化するのである。  
                                          ロラン・バルト★一


地域モノグラフの作成に丹念なフィールドワークが不可欠なことは常識であるにしても、ベンヤミンが示唆した遊歩者と都市の生理学との結び付きを歴史的に解明することや論理的に説明することは容易でない。ここではこの問題に、現代日本の事例を用いて接近したい。
事例とするのは、東京生まれの自称「コラムニスト」、泉麻人の作品群である。このベンヤミン的主題に対して泉の作品が適しているのは、彼の作品群がベンヤミンの「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」★二に登場するいくつかの文化的特徴を含んでいるからである。まず、近年泉が「街歩きの達人」としてテレビ番組に登場するほどの遊歩者である(と認識されている)こと。作品としても『散歩のススメ』(一九九三、マガジンハウス)として発表されている。次に、泉は幼年時代からの蒐集家であるということ。そして最後に、初期の書き下ろし作品『東京二十三区物語』(一九八五、主婦と友社)がまさに東京の地誌学的作品、いわば一種の都市の生理学であるからである(ここで分析の対象とする作品は[図1])。

1──対象とする泉麻人作品 筆者作成

1──対象とする泉麻人作品 筆者作成

蒐集癖

泉は幼少の頃から蒐集癖があったという。昆虫採集から切手収集、作品中にそのことを書き記すくらいだから、それが今日まで継続していると同時に、作品生産にも作用しているということを自ら認識している。しかし、幼年の蒐集物それ自体が成人してから価値を高めるような、「モノ」に固執する収集法ではない、ということは泉の特徴である。昆虫採集であれば、その生態に関する知識、また一九八六年から開始されたTBS系列の番組『テレビ探偵団』のなかで、ご意見番的出演者としての彼に求められたのは、過去のテレビ番組とその出演者に関するマニアックな知識である(時には懐かしい番組の貴重な関連グッズが彼自身の蒐集品のなかから登場するが)。泉の蒐集癖が培ったのは、好奇心と観察眼、そして観察の結果を知識として自らの記憶に体系立てて貯蔵することである。
一九五六(昭和三一)年生まれの泉は大学卒業後、出版社に入社し『週刊TVガイド』などの編集をするが、会社在籍中の八〇年からペンネーム「泉麻人」名義のコラムを、マガジンハウス(当時平凡出版)の雑誌を中心に掲載するようになる。泉自身、『泉麻人のコラム缶』で書いているように、田中康夫の『なんとなくクリスタル』や糸井重里の広告コピーのような雰囲気のなかで、執筆家としてのアイデンティティを確立していった★三。
泉が自ら作成してさまざまなメディアに散らばらせたコラム群はどのような意味を持つのだろうか。都市のなかを周遊するなかから集められた記述の断片。それをさまざまな雑誌の片隅に位置づけ、出版界という活字の宇宙のなかに「泉麻人」の名を散在させる★四。泉は元来蒐集家であるから、これをもう一度集めなければならない。この蒐集物はどんな形で世に出されるのか。八八年一〇月にマガジンハウスから出版されたコラム集第一弾は『泉麻人のコラム缶』と名付けられた。九一年の新潮文庫版表紙に用いられた写真はデルモンテのトマト缶を模したものであるが、本人の意識としてはむしろ、かつて森永製菓「チョコボール」の景品であった「玩具の缶詰」であろう★五。何が入っているかわからず、開けてみることが最大の悦びで、実際の内容物は他愛のないモノ。そんな内容物に自らのコラムを当てはめている。裏表紙には、「そんな彼の偉大なる足跡を集大成した本書は、コラム魂がぎゅーっと凝縮された、天然果汁一〇〇パーセントの雑文缶詰である」とある。
続いて同じくマガジンハウスから九一年七月に刊行されたコラム集は『コラム百貨店』と名付けられた。泉自身が『コラム缶』を「巷のトレンド評論」という八〇年代を意識したものであることを認識しているように、九〇年代に入ったコラム集は、それ以降の都市への執着を色濃く反映している★六。私はかつて『Hanako』の都市記述の分析を通して、都市の全体はその部分である街が、いわば商品としてそれぞれが差異と役割を持つことで、まとまりを与えられることを論じた★七。都市の部分が商品のようなモノとして独立した存在物として、消費社会の言説のなかで語られるとき、まとまりを与えられた都市は百貨店と同等なものと考えることで理解可能となる。百貨店に集められた商品は、さまざまなコンテクストを脱して陳列棚の空間を占有する。例えば、ブランドの靴がブティックの片隅から他ブランドのひしめくデパート靴売り場の一角へとやってくる。『コラム百貨店』に収められたコラム群も、元来は特定の雑誌の片隅の空間を占めていたものが集められる。もちろん、商品にはあるべき場所、絶対的なコンテクストなど存在しないように、さまざまなコラムや情報同士が関係性も持たないまま誌面空間を埋めているだけで、その場所に位置する必然性は存在しない。しかしながら、雑誌でいえば綴じられた紙の束、百貨店でいえば商店建築物という特定の空間を占める物質が、そして編集者や店主、建築家などの主体の関わりによって、ゆるやかな統一性を帯びることになる。それに対し、都市の統一性は誰によって、どのように与えられるのか。
九四年四月に王国社から刊行されたコラム集『天使の辞典』は、九七年九月に装いも新たに新潮文庫版『コラムダスcolumndas』というタイトルで刊行された。『imidas』からタイトルと辞典形式を借用している。とかく真面目な辞典をパロディ化しているだけでなく、『コラム缶』のように個々のコラムを何かの軸で整列させるのではなく、一見恣意性のない「あいうえお順」に並べるのは、一種のバルト的断章でもある。もちろんバルトほど深い意図をもつわけではないが、自らの個々のコラムがそれ自身で独立性を持つと同時に、このコラム集には意図的な秩序を与えない、あるいはコラムを書いた時点の自分に編集時点の自分が再び解釈を加えることを避ける、という意識があったのかもしれない。ともかく、その雑誌のコンテクストで、泉が想定する当該雑誌の読者層に向けての彼のメッセージとして書かれたそれぞれのコラムは、そのコンテクストから引き離され、蒐集され、新たな作品が生産される。そこには特定の主体の意図を超えた、コラムの記述対象となった都市内に散在する様々な事物や出来事が超越的な秩序を持つように、ある種の作品性を持つものと作者自身が期待していたのかもしれない。『コラムダス』の元本のタイトル『天使の辞典』はそんな神的超越性を含意しているのだろうか★八。
こうしたコラムは、マガジンハウス版『コラム缶』表紙にあるように、若者風俗、芸能、音楽、街、レトロ、テレビ、などを題材としている。泉にとって「街」も流行現象のネタとして利用されているのだ。八〇年のデビュー当時の『STUDIO VOICE』誌のコラムでは「東京の恥部を行く」というタイトルで、「真の都会人はもっと日の当たらない街に注目してあげようではないか」★九という。列挙されるのは、例えば地下鉄の終点で、西高島平、西馬込、北綾瀬、東大島などである。実際、多くのコラムではこの実践がなされ、「何のとりえもなさそうな町」武蔵小金井
★一〇、「荒削りな、水で薄めていない濃縮ジュースのような」横須賀★一一、錦糸町や金町の駅前のパチンコ屋★一二などが紹介される。また、日本の海水浴場を洋楽やサザンオールスターズ、松任谷由実などをBGMにして疑似アメリカ西海岸にするのではなく、泉得意のB級アイドルポップスをBGMにして「リアルな日本の海」★一三を感じることを薦める。また、あまりにも記述するべき対象を見出せない場合にも、それを逆説的なネタにする。「一応こういう街の取材ってのは、現地にきた瞬間に、なにか感じなくちゃいけない」★一四。
「蒐集するとは、個人の欲望を環境と歴史が織り合わせる織り合わせに織り込ませることである」★一五。小説家も無数に蒐集された生活の断片を利用して、想像上の世界での出来事を紡ぐが、物語のプロットは作者の構想力によるものであり、断片はその骨子に肉付けするものである。それに対し、泉のような執筆家には、この引用に示された蒐集文化の特徴が当てはまる。物質と観念、さまざまな形態をとった蒐集物の選択と配列、それが泉作品のプロットである。各々の事実が齟齬を来たさないように、作者自身の欲望を接着剤としてそれらを織り合せ、テクストは生産される。

地下鉄──動くパサージュ

地下鉄車両はそれ自体動いてはいるが、その内部空間はまさしく通路(passage)であり、乗降客は次々と駅毎に移り代わり、その通路を通過していく。アーケードの商店街での人々が持っているような目的を、地下鉄という通路にいる人々は持っていない。当然、地下鉄の個々の路線はそれぞれ経由地と目的地を持っているから、特定の車両に特定の時間に乗り合わせた乗客たちは無作為な社会的標本にはならない。しかし、人々と次々とすれ違う商店街に対し、一定の時間お互いひとところに留まりゆっくりと他人を眺めることのできる地下鉄という、こんな人間観察に適した場を泉が見逃すはずがない。駅のキオスクなどで販売されるイメージを持つ『夕刊フジ』へのコラム連載ということもあり、読者に身近な話題、しかも地下鉄で一駅の間に読み終えるようなコラムを、という形で九一年二月から始まったのが「地下鉄の友」である。
連載初回は「地下鉄の視線」と題された。これから泉の視線が存分に多数の乗客に向けられていくのだが、この初回コラムでまず、その乗客の視線がどこにあるのかを考察する。
一、雑誌・新聞・文庫本、
二、車内吊り広告、
三、目を閉じる、
泉は大抵がこれらだといい、乗客たちはお互いに視線が合うことを避けるため、半ば演技でこれら三つの振る舞いに及んでいるという★一六。この文章だけ読むと、多くの乗客たちは他の乗客には目もくれず、泉のような観察者が特権的な視線を獲得しているように思える。しかし、この泉の説は独断ではなく、読者は大いに共感を得ることができる。乗客たちは他の乗客を見ていないようでいてよく観察しているからだ。このことは蛭子能収のイラストにも十分に示されている[図2]。「すべての言葉、すべての仕種は演技であり、その目的、効果との関係で理解しなければならないのであって、ただありのままの本心を表現、つまり外在化しようとするかのごとく、話し振舞っているその人間からだけ理解してはいけないのである」★一七。また、テレビ番組などにも出演している泉であるから、地下鉄車内という公共の場では見られる対象ともなる。泉の観察眼は決して特権的なものではなく、誰もがとりうる都市的眼差しであることにこの作品の魅力がある。

2──地下鉄の社会風景 出典=泉麻人『地下鉄の友』(講談社文庫、1995) イラスト:蛭子能収

2──地下鉄の社会風景
出典=泉麻人『地下鉄の友』(講談社文庫、1995)
イラスト:蛭子能収

「地下鉄の友」はそうした眼差しに基づく社会風景の描写である。顔の特徴からその人物の内面を判断する観相学とは異なるが、身なり(ナイロン素材の黒色透明靴下、新入社員の真新しいスーツ、耳の上の赤鉛筆、キュロットスカート、ループタイ)や仕種(端っこの席に座ること、傘でゴルフのスウィング)などから、階級意識に満ちた人物判断がなされる。しかし、それは価値観の上下軸を持った差別的なものではなく、他者への眼差しという深刻な問題をパロディ化し、笑い飛ばしている。自分を含めたすべての人が恥ずかしい部分を持っており、場合によってはそれを人前で披露してしまうような人間臭さを確認することで、都市生活者の横並びの差異を強調している。

都市神話とアイロニー

「街のオキテ」は八四年から雑誌『ポパイ』に掲載された、泉にとって初期の連載コラムであるが、「地下鉄の友」で定性的に描写された社会風景が、ランキングの形式を装って定量的に示されている。この作品の試みは、いわば「都市神話」の蒐集といってもよい。都市神話といっても切り裂きジャックのような恐怖を呼び起すような非現実的なそれではなく、バルト的なもの、すなわち生活に身近でありながら日常的実践に制限を加える観念のことである。この作品のスタイルはアイロニーである。ランキング形式というのは当時八〇年代にテレビ番組や雑誌でよく採用された形式であり、また泉自身、本書を「シティマニュアル講座書」★一八と表現するように、やはり当時氾濫したハウ・トゥものの装いを呈している。しかし、根拠もない指数でランキング表を埋めることによって、根拠ある数字が多くの価値判断に力を貸すことに対する批判とする。また、「ゲロのカッコイイ吐き方」についての断定的なマニュアルを提示することで、多くのハウ・トゥものを暗に批判している。批判といっても、それは一九六〇年代的な政治的な深刻さはない。ここで批判の対象となっているのは類型的な都市生活へと導く、メディアが吹聴する消費社会イデオロギーであるが、資本主義社会そのものを批判するものではない。といっても、「地下鉄の友」にもみられる泉のイデオロギー批判は単なる「消費社会イデオロギー」、すなわち経済的利潤を目的とする人を欺くような虚偽意識に限定されない。都市生活を営むのに不可欠な価値判断でありながら、その価値観は特定の主体に帰属するものではなく、誰でもない想像の主体、大文字の他者の欲望に帰属するものである。「道を探し出せるような、ある種の想像的『地図』を提供するのがイデオロギーであり、このためにもイデオロギーは必要なのである」★一九。都市生活にとって、ある種の社会通念は必要であるが、それがイデオロギー的なものであることを認識しているか否かが大きな違いとなる。
そんな「街のオキテ」の連載初回は『東京二十三区物語』に共通する泉の都市感覚を反映した「東京二十三区の偉い順」ランキングである。このランキングはあくまでも泉の恣意的なものであるが、そこには泉が想定する『ポパイ』読者の価値観が組み込まれている。また、一般的常識も。「千代田、中央、新宿は、区分地図の前の方に掲載されているということで、潜在的に『偉い区だ!』と考えている人が多く」とある★二〇。八四年の連載当時から単行本化の八六年には市郡部ランキングの追加、文庫化の八八年には二十三区と市町村部を合わせた総合ランキングが追加されている。ここで歌謡曲ランキングと同様に、街は人間主体のように分割可能で成長するものと捉えられる。もちろん、建築物を建て、店舗を開き、買物に訪れ、メディアでその場所について語り、消費者同士が話題にするように、場所にはたらきかける人間主体の意識が、場所を疑似主体として捉える限り、このことは単なるアナロジーとして批判することはできない、ある種の真実である。「場所は自らを他の場所と差異化して資本投下を得ようとし、またそれを維持しようとして他の場所と競うようになるのである」★二一。
記述の内容と形式、それらをずらすことで微妙なスタンスを保ち、泉は自らのアイデンティティを確たるものにしている。このずらしがアイロニーであり、「それによって、我々がそのなかに陥りたくないと思う世界から、我が身を切り離すことができる、いやすくなくとも想像力のなかではそれができる」★二二。泉は都市について書くことで、大多数に屈しないことによる秘かな抵抗を試みてきたが、今となっては単なる多様な価値観のひとつなのかもしれない。

歩いて断片を採取する


重層的で構成的な現代社会の中で、目的を持ったり、持たなかったりして、人間は、自らの彷徨の欲求を満足させるために、障害に満ちた空間を移動しなければならない。何故なら、彼が出会いたいと思う事物、サーヴィス、個人は、同一の場所で見つけることができず、それらが、回廊、つまり、いくつもの通りによって結び付けられている都会という織物の中に、散開しているからである。
                                         モール+ロメル★二三


こうした日々の営みの基本形態、それは、歩く者たち(wandersmänner)であり、かれら歩行者たちの身体は、自分たちが読めないままに書きつづっている都市という「テクスト」の活字の太さ細さに沿って動いてゆく。
                                     ミシェル・ド・セルトー★二四


歩くこと、それは視力を持った者にとっては、時間に伴って視点の空間的位置を変えることであり、同時に視線を変えることでもある。「歩くことで、一つの風景の中にゆっくりとリズムを刻むように入ってゆくと、その風景は異なったプロポーションをおびるものである」★二五。読書の場合も視点は変えないものの、視線を誌面空間上で連続的に変化させる。こうした行為の類似性から、「都市というテクスト」★二六の発想は生まれる。当然、この歩く行為も単なる受動的な行為ではない。認識し、解読した意味を記憶のなかに刻み込むのだ。特に、執筆を生業とする泉のような遊歩者は、歩くことは同時に書くこととなる。「ある場所を初めて訪れるということは、その場所を書きはじめることである」★二七。あるいは、「書くひとは読むひとと同一人である」★二八。また、古代ギリシア・ローマの語源を辿りクリステヴァが、「『読む』とはまた『集める』、『摘む』、『つけ狙う』、『跡を見つける』、『取る』、『盗む』であった」★二九といったように、都市解読と蒐集文化とは結び付く。
この歩行観察の行為は、どのような文章を生み出すのであろうか。第一に、視点と視線の移動に伴う連続的に移り変わる風景の記録がある。旅行記と共通する視覚映像の実況中継だ。次々と現われる事物の空間的な近さは、文章における単語間の距離に置き換えられ、文法的・論理的結合力と同等となる。第二に、観察者=作者の身体的行動の通時的記録である。第三には、都市のなかの事物と観察者とが視覚を媒介にしてカップリングしたことによって、観察者の頭に浮かぶ思考の記録。これらは、観察者の主体性を通過しているため、表現された文章の前後関係=文脈には意識下の論理性が存在しえる。第四は、観察者から作者へと移行する過程で追加される記述であり、これまでの観察記録から連想される作者個人の記憶、作者が収集した情報を用いた説明的論理に基づく記述の配列である。そもそも泉は地図好きであると同時に地誌好きである。作品中で用いられるものには、「手元にある『東京風土図』(教養文庫)」★三〇、「手元に昭和三二年、平凡社より発行された『日本文化地理大系』という写真集」★三一などがある。
八〇年代を通して単発的なコラムを集積していくと同時に、泉は「地下鉄の友」のように、連載もののコラムを生産しつづける。もちろん、泉はコラムニストであるから新聞の連載小説のように、次号へ筋が継続するような類の連載ではなく、一回毎の読み切りである。そうした、読み切りの連載として一九九〇年から二年間『ガリヴァー』に掲載されたのが『散歩のススメ』(マガジンハウス、一九九三)である。

近頃、頓に散歩が愉しい。
これといって名所旧跡でも、はたまたトレンディなストリートでもないような町を、ただふらふらとボケ老人の境地で歩く。そんなふらふら散歩の道すがら見つけた「情報誌」の範疇から外れたようなお店屋さん、妙な物件、あるいは人などについてたらたらと書く★三二。


このような冒頭言でこの連載は始まった。「散歩と言えば、まずは近所からだ」といいながら、第三回目では「僕は子供の頃から地図好きで、暇があると『東京都区分地図帖』などを読みふけっていた」といい、地図という表象から培われた自身のメンタルマップを基礎に、この連載の構成を考えはじめる。この「街歩き」という行為は、蒐集家泉にとっては当然蒐集物を獲得する手段でもある。先述したように、泉は知の蒐集家であり、モノの場合でも、オークションでしか手に入らないような希少物に興味はない。もちろん蒐集家である以上、希少物に関心を抱くのにはかわりないが、むしろ大多数の人が価値を見出さないような「物件」に執着する。「物件」とはモノでも看板でも風景でも飲食店でも人でもかまわない。何気なくそこに存在しているものを、散歩の道すがら偶然=自然に出会うことに泉は快楽を感じている。「町の狭間のこういう隠れ家が大好きだ」★三三。「こういったウネウネ迷路状態のほうが散歩者にとってはうれしい」★三四。「路地裏のこそっとしたところに旨いメシ屋はひっそりと存在しているような、そんな気がする」★三五。こんな語り口が作品中に散在する。
八〇年代のテンポの良い、アイロニーに満ちた文体のコラムから、この『散歩のススメ』、同様の企画で自転車を用いた『東京自転車日記』(一九九七、新潮社)に至っては、明らかに泉の加齢を感じさせる文体の変化がみられる。『散歩のススメ』の「あとがき」には、「坦々と散歩をしているときの速度で読めるような町歩きのエッセイを前々から書きたいと思っていた」とある。先述したように、『街のオキテ』などではメディアが吹聴するような大多数の価値観を笑い飛ばし、その支配的価値観の下では恥ずかしさが込み上げるような少数派の価値観を擁護していた。この価値観の対称性が、若者と中年のそれである場合も少なくなかったが、九〇年代に入って、都市のなかで泉が発掘する物件は時代的な希少価値を帯びているものが少なくなくなってきた。いつしか、希少性は都市、あるいは都市生活における歴史的残存物に求められることが多くなり、泉の文章はノスタルジーが色濃くなる★三六。

風刺的都市地誌学

一九八五年一一月主婦の友社から刊行された『東京二十三区物語』は、泉本人の言葉によれば、「本書は、そのような二十三区の歴史を解説しつつ、そこに生活する人々の行動様式、そして彼らを収容する町々の姿を見つめていく、しごくまじめな社会学書です」という。形式をマス・メディア調にした『街のオキテ』に対し、『東京二十三区物語』では学術書のスタイルを採用する。やはり内容と形式の「異化」を謀るこの作品のスタイルはアイロニーである。ただし、学術書といっても学者が学者のためにだけ書くという意味での専門書ではなく、本文は「ですます」調で統一され、二〇〇一年の改訂版『新・東京二十三区物語』には、「原本のコンセプト——小学校の社会科教科書風のタッチ」★三七と記されている。

東京は狭い街です。しかし、観察をつぶさに行っていくと、各区各町ごとにさまざまな性格を持った異なった人種がそこに暮らしていることがわかりました。「東京人」と一言に言っても、二十三区内の西部と東部では、骨格、容貌、食生活、価値観、そして髪の毛質に至るまで、異なった趣があることを★三八。


『東京二十三区物語』の詳細目次を[図3]に示したように、本書の構成は地誌学的であるが、内容は社会学的・人類学的である。本人の言葉に「社会学書」とあるように、作者の基本的な関心は特徴的な風貌で特徴的な行動を行なう人物の描写である。本書での人物描写は彼の諸作品に共通する類型的なものである。多くの社会調査も多数の観察結果を集計し、因果的な関係はともかく統計的な妥当性を持って抽象的な類型的人物を創造する。本書の場合、実証的な論証の手続きは取らず、そうした類型的人物像を作り出す原理に土地=場所を利用している。例えば、「世田谷区」のなかの「成城の人々」には森富夫さん(五六歳)というフィクショナルな人物が登場する。中堅商社を退社し、自ら事業を起こし、会社が成長を遂げ、「戦後成金」として成城に移り住んだという。趣味はゴルフとカラオケで、ゴルフは厚木で、カラオケは演歌よりも洋楽ポップス、大学生の娘はコンパニオンのバイト、大学付属の受験に失敗し都立高校に通う息子、元宝塚でホームパーティ好きの夫人、アフガン犬のジェリー、バロック建築を模したプール付きの家、私用と公用のベンツ二台、夫人用のゴルフ一台というラインナップ。通常の社会調査では描くことの少ない具体性が、週刊誌のルポルタージュのように描かれている。
こうした階級を媒介とした場所志向的な社会類型は、東京の全体性を基礎としている。「東京の町は、西高東低(正確には南西がリッチで、北東がプア)の傾向がありますが」★三九といい、場所とそこに暮らす住民の社会階級とを結び付けて論じる「東京二十三区のサベツ遊び」★四〇に興じるのが本書である。巻末に「統計」として添付された社会地図は泉の東京メンタルマップを表象している。人間の容貌(パンチパーマ、コンパニオン、ガングロ)、景観要素(ホーローの看板)[図4]、商業施設(デニーズ、焼肉屋、サウナ、パチンコ、イタリア料理店、回転寿司、スターバックス・コーヒー)は特定の地域に特徴的に観察されることが主張される。それらの事物が地域を特徴づけ、また同時にそうした地域の環境がそこに特徴的な施設を生み出し、特徴的な人物を育む。本書の都市記述は環境決定論的な都市の生態学である。「パルコの発生以来、それまで普通の民家が軒を並べていた沿道に、雨後のタケノコの如く喫茶店やブティックが出現し」★四一というように、都市内に立地する施設は自然発生的なものと捉えられ、社会集団の排他性は生物の生存競争に喩えられる。「野性集団が町を支配するようになります。外来してきた西洋タンポポが、お上品な国産タンポポを押しのけて蔓延したように、どんな世界でも『外来種』は強い、という定説です」★四二。「山姥はやはり一種の『生物学的突然変異』」★四三。このことは、もちろんかつての人間生態学としての都市研究★四四を想起させるが、泉作品においてはあくまでもメタファーである。

3──『東京23区物語』の内容 筆者作成

3──『東京23区物語』の内容
筆者作成

4──社会統計地図。「水原弘・由美かおる看板残存率(80年5月調べ)」 出典=泉麻人『東京23区物語』(新潮文庫、1988)

4──社会統計地図。「水原弘・由美かおる看板残存率(80年5月調べ)」
出典=泉麻人『東京23区物語』(新潮文庫、1988)

都市論としての東京論を見直す作業は数多くなされ、本誌一二号の特集「東京新論」では都市論ブームを踏まえた社会学的都市論である吉見俊哉都市のドラマトゥルギー』(弘文堂、一九八七)や写真家の東京を題材とする作品も批評の対象とする作業がなされた★四五。冒頭ではベンヤミン的主題と表現したが、ここで試みた泉作品の分析は、より大衆的な都市論を見直す作業でもある。人文・社会科学に携わる者にとっては特筆に価しないようでいて、多くの一般読者に支持されているテクスト群を詳細に分析してみることも必要であろう。
遊歩者としての特徴を持つ泉麻人の都市記述。詳細に分析する以前は、足で稼いだ些細な都市の断片が、どのように東京全体を読者に感じさせる作品を築き上げていくのか、という点に焦点を当てていたが、泉の頭のなかには常に東京の全体像があり、そのことが作品生産に大きく作用していることが確認できる。先述したように、泉の蒐集癖は特定のモノに愛着を持つような類のものではなく、モノであればモノの体系のなかで、知であれば知の体系のなかで、常にその蒐集物を位置づける特徴を持っている。昆虫採集であれば、採集してきた具体的な個体を図鑑と照らし合わせ、またそれが生息する環境=生態系のなかで理解する。街であれば、メディアが騒ぎ立てるトレンドを常に念頭に置きながらそこから外れるような街をこよなく愛す。ここでは初期の作品『東京二十三区物語』を分析の最後に持ってきたが、泉がこの作品を都市記述の最初に発表しているのは、必然的であったことが理解できる。


★一——ロラン・バルト「記号学と都市の理論」(篠田浩一郎訳、『現代思想』三—一〇、青土社、一九七五、一一一頁)。
★二——ヴァルター・ベンヤミン「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」(野村修訳、『ボードレール 新編増補』晶文社、一九七五、三五—一六一頁)。
★三——こうした雰囲気については、批評家、加藤典洋が論じている。マガジンハウスの雑誌群については、加藤典洋「『大』・『新』・『高』」(『日本風景論』、講談社、一九九〇、二〇三—二五四頁)。一九七〇年代前後の日本文学については、加藤典洋「『なんとなく、クリスタル』から「現代文学の倫理」へ」(『「アメリカ」の影』、河出書房新社、一九八五、七—三八頁)。
★四——泉自身、『コラム缶』の「あとがき」で初期の頃のコラム執筆について、「何か〈泉麻人〉という商品を売りたいというような意識」だったと書いている。
★五——マガジンハウス版の表紙はツナ缶のような背の低い缶がイラストで描かれている。ちなみに、帯には以下のように示されている。
内容成分(四〇三g中)
真   実 九五g
ノスタルジー八九g
おちゃらけ 四七g
アイロニー 四四g
ネ ク ラ 三八g
  愛   二四g
そ の 他 六六g
●合成保存料は含まれておりません。なるべくお早めにお召し上がりください。
★六——テレビ出演においても、一九八〇年代後半の『テレビ探偵団』から九五年に放映が開始されたテレビ東京『出没!アド街ック天国』へと都市への傾向がみられる。
★七——拙稿「『Hanako』の地理的記述に表象される「東京女性」のアイデンティティ」(『地理科学』五一巻、一九九六、二一九—二三六頁)。
★八——もちろん、アルファベット順やあいうえお順が、そのまま作者の恣意性を回避することにはつながらない。場合によっては安易な秩序を作り出す。英国における写真家集団による田園風景の記録という実践については以下を参照。J. Taylor, "The Alphabetic Universe: Photography and the Picturesque Landscape", Pugh, S. ed., Reading Landscape: Country-City-Capital, Manchester University Press, 1990, pp.177-196.
★九——泉麻人『泉麻人のコラム缶』(マガジンハウス、一九八八)六九頁。
★一〇——同書、二九頁。
★一一——同書、三二頁。
★一二——同書、五一頁。
★一三——同書、三七頁。
★一四——同書、六八頁。
★一五——ロジャー・カーディナル「蒐集とコラージュ制作——クルト・シュヴィッタース」(ジョン・エルスナー+ロジャー・カーディナル編著『蒐集』[高山宏+富島美子+浜口稔訳、研究社出版、一九九八]収録、八五頁)。
★一六——ミラン・クンデラが『不滅』(菅野昭正訳、集英社、一九九二)一一頁で、「この世には、個人の数より仕草の数のほうが少ないことは明白である」と書いていたことを思い出そう。
★一七——アンリ・ルフェーブル『日常生活批判序説』(田中仁彦訳、現代思潮社、一九七八)六三頁。
★一八——泉麻人『街のオキテ』(新潮文庫、一九八八)一二頁。
★一九——テリー・イーグルトン『イデオロギーとは何か』(大橋洋一訳、平凡社、一九九六)二六二頁。
★二〇——泉麻人『街のオキテ』、一六頁。
★二一——デイヴィッド・ハーヴェイ「空間から場所へ、そして場所から空間へ」(加藤茂生訳、『10+1』No.11、INAX出版、一九九七)八八頁。より具体的には、英国の地方自治体による企業誘致戦略を分析した以下を参照されたい。J. A. Burgess, "Selling Places: Environmental Images for the Executive", Regional Studies 16, 1982, pp.1-17.
★二二——ノースラップ・フライ『教養のための想像力』(江川徹+前田昌彦訳、太陽社、一九七九)三七頁。
★二三——アブラアム・A・モール+エリザベト・ロメル『生きものの迷路』(古田幸男訳、法政大学出版局、一九九二)一〇九—一一〇頁。
★二四——ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』(山田登世子訳、国文社、一九八七)二〇二頁。
★二五——ロラン・バルト『偶景』(沢崎浩平+萩原芳子訳、みすず書房、一九八九)一五頁。
★二六——同「記号学と都市の理論」、前掲、一〇九頁。
★二七——同『表徴の帝国』(宗左近訳、新潮社、一九七四)四九頁。
★二八——ジュリア・クリステヴァ『記号の解体学——セメイオチケ1』(原田邦夫訳、せりか書房、一九八三)九八頁。
★二九——同書、一一八頁。
★三〇——泉麻人『散歩のススメ』(新潮文庫、一九九六)七五頁。
★三一——同書、一七五頁。
★三二——同書、九頁。
★三三——同書、二四頁。
★三四——同書、七六頁。
★三五——同書、一〇二頁。
★三六——こうした意味においては、評論家、川本三郎の東京論に近づいているといえるかもしれない。実際、『東京二十三区物語』の新潮文庫版には「クールな『地域差別』」と題する解説を、『散歩のススメ』の新潮文庫版には「大きな町の小さな町歩き」と題する文章を寄せている。
★三七——泉麻人『新・東京二十三区物語』(新潮文庫、二〇〇一)七頁。
★三八——泉麻人『東京二十三区物語』(新潮文庫、一九八八)九頁。
★三九——泉『新・東京二十三区物語』一二頁。
★四〇——泉『東京二十三区物語』一四頁。
★四一——泉『新・東京二十三区物語』一七〇頁。
★四二——同書、一七四頁。
★四三——同書、一七六頁。
★四四——R・D・マッケンジー「ヒューマン・コミュニティ研究への生態学的接近」(ロバート・E・パーク+E・W・バーゼスほか『都市』[大道安次郎訳、鹿島出版会、一九七二]、六五—八〇頁)を参照。
★四五——中筋直哉「東京論の断層——「見えない都市」の十有余年」(『10+1』No.12、INAX出版、一九九八、一六八—一七七頁)。毛利嘉孝「東京はいまいかに記述されるべきなのか?——「ポリス」の概念を中心とした都市論の試み」(『10+1』No.12、INAX出版、一九九八、一四四—一五五頁)も参照されたい。

>成瀬厚(ナルセアツシ)

1970年生
東京経済大学非常勤講師。地理学。

>『10+1』 No.29

特集=新・東京の地誌学 都市を発見するために

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...

>吉見俊哉(ヨシミ・シュンヤ)

1957年 -
都市論、文化社会学。東京大学大学院学際情報学府学際情報学教授。

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>加藤茂生(カトウ・シゲオ)

1967年 -
科学史、科学論。早稲田大学人間科学学術院 専任講師。

>中筋直哉(ナカスジナオヤ)

1966年 -
法政大学社会学部教授/都市社会学、歴史社会学。法政大学社会学部。

>毛利嘉孝(モウリ・ヨシタカ)

1963年 -
カルチュラル・スタディーズ/メディア&コミュニケーション論。。