平穏な風景に「ノイズ」をもたらすもの
ここでは都市計画上一般に障害物あるいは異物とみなされ、近代都市計画の中心的理念であるゾーニング制が志向、誘導する景観に「雑音」や「ほころび」をもたらしていると考えられる空間エレメントを「環境ノイズエレメント」と呼んでいる。
近年、神戸の連続児童殺傷事件をはじめ、ニュータウンを舞台として発生したさまざまな少年犯罪をきっかけとして、おもに社会学者の間からニュータウンの「感覚地理的寒さ」、すなわち計画的にゾーニングされた「違反のない街」に特有の、スケール感、形態、素材感といった空間の情報量の少なさに起因する風景の均質さが、人間心理の形成に与える悪影響について指摘する声がある。たとえば、宮台真司は著書『まぼろしの郊外』の全編を通じて、郊外幻想が自明でなくなった郊外において、平穏無事な「通常性」を守るために「非通常性」を隔離することが、結果的に社会の不透明性を上昇させることについて論じている★一。ここで言う「環境ノイズエレメント」とは、宮台の言う「非通常性」がフィジカルに空間化したものであると考えられる。建築や風景は、たとえ文化財的な価値を持たなくとも、個々の人にとっては記憶の器としての側面をもつ。記憶とは、脳内だけに存在するものというより、脳に残る痕跡と環境、身体といった外部装置との相互関係そのものである。場所の記憶があってはじめて「このまちが私のまちである」という感覚がもたらされる。だとすれば、その記憶をもたらすべき源泉である風景の均質化が、「私」の存在感の希薄化を招き寄せたとしてもおかしくはないだろう。
風景を形づくるさまざまなエレメントの中でも、特に地形といった自然物や土木構築物はその長寿命性ゆえに、場所のアイデンティティや都市のイメージアビリティと深く関係してくる。一般に構築的でありかつ統一感が高いとされる西洋の街並みであっても、一方で同時に歴史という深いノイズを引きずっている。一見いかに整然としていても、歴史都市として過去の都市計画の影響を色濃く反映して、現代という一断面で切れば純粋に計画的、統一的であるとはいい難い。例えば、しばしば中心市街地内にほとんど唐突に残る城壁は、現代の都市計画上は明らかに障害として存在しており、法的には「既存不適格」とでも言うべきものである。にもかかわらず、これを都市環境全体として見た時、たとえその文化財的価値を差し引いたとしても、なおも環境に厚みを増すことに寄与していると言えるだろう。あるいはまた、新大陸の計画的な植民都市を見ても、元々はインディアンの踏み分け道であったブロードウェイの微妙な角度の振れはグリッド都市マンハッタンに魅力を与えており、サンフランシスコの景観にはグリッド・パターンとは完全に独立した地形というレイヤーが有効に働いている。最初の定義にしたがえば、これらの事例は「環境ノイズエレメント」と呼ぶことが可能であるが、人工的であるか自然発生的であるかの違いはあっても、いずれも「複数の異なるフェーズの元で生成した空間が重層してひとつの空間環境が成立すること」(=空間の書き重ね)によって、オールマイティーな単一の計画では得難い風景の豊かさがもたらされる可能性を示唆している。
環境ノイズエレメントの条件
多くの場合まず直感によって選び取られた環境上の異物が、環境ノイズエレメントとして認定されるためには、一.「空間の書き重ねによって二次的にノイズが発生」し、その結果、二.「環境の作品化が成立」(五十嵐太郎)することが要件となる★二。作品化は異化と言い換えてもよい。次表はそのようにしてこれまでにサーヴェイを通して確認された一〇〇余りの環境ノイズエレメントについて、カテゴリー毎の特徴が最も顕著に現われるように分類軸の設定を試みたものである。ひとつは〈マテリアルの供給要因に基づく分類軸、 A.自然物(主に地形)、B.土木構築物(文化財系)、C.土木構築物(非文化財系)〉であり、いまひとつは〈ノイズの発生(異化)理由に基づく分類軸、1.無用化、2.トレース、3.切断〉である。
このうち、A1.自然物(主に地形)×無用化、B1.土木構築物(文化財系)×無用化、C1.土木構築物(非文化財系)×無用化いわゆる「トマソン」については本稿では意図的にリストから外している。厳密に言えば、これらも何らかのマテリアルに対して、外部環境の変化によって「無用化」という異化作用が働き作品化が成立している事例であり、広くは「環境ノイズエレメント」に含めることが可能である。しかし本稿では「加工性」に重点を置くために、あえてリストから外した。無用化→トレース→切断の順に加工の度合いは高まる。つまりここでは、より積極的にマテリアルそのものに直接的な形態的加工が生じていることを要件とする。第三の要件として三.「形態的加工が施されていること」が環境ノイズエレメントの要件に加わる。そういった意味では、タブラ・ラサからの計画とは、環境が元来備えていた素材性と加工性の二つともを放棄した計画であると言える。
環境ノイズエレメントのタイプ分類
ケーススタディ
本稿では東京周辺の事例を中心に紹介するが、東京周辺に限るとカテゴリー毎のサンプル数の分布に偏りが見られることに気付かされる。自然物(主に地形)と土木構築物(文化財系)をマテリアルとした事例が極端に少ない。そしてそれが、まさに東京という都市の特性であるとも言える。つまり非文化財系の土木構築物の加工によって成立している都市、それが東京である。
A2. 自然物(主に地形)×トレース
荒玉水道道路(杉並区—世田谷区)[図1]は多摩川べりの砧から高円寺付近まで、ほぼ真直ぐに続く直線道路である。興味深い点は起伏を全く無視して、地形の表面を断面的にトレースしているところである。通常なら道路は急勾配を避けて等高線に沿って徐々に高低差を稼ぐように計画されるものだが、出自が水道であるからサイフォン効果によって地形は積極的に無視される。その意味では、東京の事例ではないが神戸水道道ジェットコースター(宝塚市—西宮市)[図2]はより興味深い。神戸の背後にそびえる六甲山の裏側に建設された大規模ダムから、六甲山を大きく時計回りに迂回して神戸に水を運ぶ神戸水道は一九一七年に通水を始めたものであるが、その後水道の周辺は市街地化に伴って直上には「水道道」と呼ばれる直線状の管理道路が造られた。荒玉水道道路と同様の成立経緯であるが、決定的に違うのは丘(河岸段丘)と谷(氾濫原)を交互に乗り越えて、ジェットコースターのように上下動を繰り返しながら、地形をものともせず要所要所を階段でつなぎながらなおも直進していることである。
1──荒玉水道道路
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、溝口・成城・世田谷・中野 [写真]筆者撮影
2──神戸水道道ジェットコースター
出典=[地図]神戸市水道局、神戸市水道一般平面図 [写真]筆者撮影
A3. 自然物(主に地形)×切断
篠原修は「土木四代」という表現をしたが★三、駿河台峡谷(千代田区—文京区)[図3]は自己矛盾的なネーミングの通り不自然な峡谷である。一七世紀前半仙台の伊達に備えて駿河台という自然地形を開削してできた神田川の峡谷(外濠)を、明治になって一部埋め立てて甲武鉄道(現JR中央線)が開通し、さらに関東大震災後改めて峡谷を渡るためにかけられた聖橋と、さらに戦後未だ地下鉄が浅いところに掘られていた時代に思わず顔を出してしまった丸ノ内線、以上で「土木四代」の景となる。ふた昔前の東京を代表する重層的風景である。聖橋の架かっている両岸がひときわ高いが、旧中山道(現国道一七号線)が神田川をわたる地点に架けられたのが聖橋であり、そもそも街道は尾根筋の最も高い所につけるのが江戸時代の定石であったことからすると、これは必然であると言える。このようにこの事例は、さらに何重もの意味において「C3.土木構築物(非文化財系)×切断」にも該当することになる。
このカテゴリーのより顕著な例として、やはり東京ではないが連続児童殺傷事件で知られるようになったタンク山(神戸市須磨区)[図4]を挙げることができる。「山、海へ行く」と言われた徹底的かつ急速な地形改変により神戸の背山はフラットな須磨ニュータウンとして生まれ変わり、同時にポートアイランド他の人工島が生み出された★四。こうして造られた新しい地形の上に、まるで何事もなかったかのように、近隣住区理論を忠実に守った偏執狂的なまでのクルドサックで構成された須磨ニュータウンが建設されている。そして、そんな巨大な箱庭のような環境のなかに、タンク山だけが唯一残るオリジナルの地形としてぽっかりと浮かんでいる。名前が物語るように、ニュータウンの上水道のための配水タンクがあったためそこだけは切り崩せなかったのである。
3──駿河台峡谷
出典=篠原修『土木造形家百年の仕事』(新潮社、1999)
4──タンク山
出典=[航空写真]兵庫県労働者住宅生活協同組合
[ほか写真+断面図]『あすへ友が丘』(北須磨団地自治会、1982)
B2. 土木構築物(文化財系)×トレース
新吉原遊廓クランク・遊廓断層(台東区)[図5]では、悪所への結界を示すクランクが平面的に残っているだけではなく、かつて廓の内外を隔てていた堀を埋め立てた跡には、内外の高低差がそのまま断層状に露出している。
5──新吉原遊廓クランク・遊廓断層【出典=[地図左]国土地理院(M42測量)、1/1万地形図、上野 [地図右]国土地理院、1/1万地形図、上野 [写真]筆者撮影
B3.土木構築物(文化財系)×切断
今のところ東京周辺には、このカテゴリーに属する顕著な事例が発見できていない。西日本であれば、古墳や条里制といった都市計画的遺構をマテリアルとした加工物がごく日常的に見られることと対照的であり、東京の歴史的背景自体を物語っているようで逆に興味深い。ここでは暫定的に西日本の事例を紹介することにする。
大阪府南部の藤井寺市と羽曳野市にまたがって、わずか東西三キロメートル南北四キロメートルの範囲におよそ一〇〇基の古墳がひしめく古市古墳群がある★五[図6]。この地域を通過する西名阪自動車道はルートの設定にあたって、古墳群なかでも特異な湾曲した一本の軸線上に大小七つの墳墓が連続する古墳列を横切らざるをえなかった。ルートは極力古墳列の弱点を突くように設定されてはいるが、それでも高さ三メートル余の小ぶりな古墳までは避け切れず、やむをえず橋脚の位置をずらしてスパン四八メートルを一挙に跳び越えて保全を図っている。赤面山古墳オーバークロス西名阪道(羽曳野市)[図7]と呼ぶ「環境ノイズエレメント」である。側道については簡便にシケインを設けて迂回している。したがってこのエリアでは、鉄道も神社の参道ぐらいであれば平気で直に横切る。仲津山古墳に付属した沢田八幡神社参道踏切(藤井寺市)[図8]は参道の途中に踏切があり、近鉄の電車が平然と走り抜けてゆく。
このエリアにはそれ以外にもB2.土木構築物(文化財系)×トレースに分類される好事例が数多く見られる。円墳を積極的に街路計画に取り込んで住宅地を計画した木塚古墳ロータリー(藤井寺市)[図9]や、市街地を延々三キロメートルにわたって横切る古市大溝という古代運河の遺構のうち、線形が直線的で幅員がたまたま一七メートルであったということから、イトーヨーカドーの対面式駐車場に使われている古市大溝パーキング(羽曳野市)[図10]などである。
6──古市古墳群周辺
7──赤面山古墳 オーバークロス西名阪道
8──沢田八幡神社
9──木塚古墳ロータリー
10──古市大溝パーキング
出典=[地図左]国土地理院、1/1万地形図、藤井寺 [地図右]大阪府、1/2500地域計画図 [航空写真]『藤井寺市文化財ガイドマップ』(藤井寺市教育委員会、1993) [写真]筆者撮影
C2. 土木構築物(非文化財系)×トレース
古代においては人工的に計画される幹線道路は、ローマのアッピア街道、日本の大道などいずれも地形等の障害を受けない限り、測量に基づき直線で建設されるのが常であった★六、七。一方現代では、例えば首都高は実は曲線定規だけで設計されている、と言われれば信じてしまうほど全線にわたって曲線が多用されている。特に神田橋あたりを夜中に本気でぶっ飛ばすと、スラロームというよりむしろウェーデルンをしているような気分になる。言うまでもなく江戸城内壕をトレースしているからだが、そこでは図式的には[堀→道路]というコンヴァージョンが成立している。長いものは長いまま転利用する。実に理に適ったコンヴァージョンの形式である。古代には直道の建設が可能であっても、いったん人類の歴史が始まってしまった以上は、新たな都市計画は必然的に過去の計画の影響を受けることになる★八。
日本ではウィーンのリンク[城壁→道路]ほどの大規模な転用例は珍しいが、やはりさまざまな水準で土木的規模の用途の転換がなされている。元競馬場(目黒区)[図11]は[走路→道路]、海軍行田無線基地跡リンク(船橋市)[図12]は[円形に一二本並んで建っていた電波塔→道路]というコンヴァージョンによって出現した円形道路である。ここでは、まるで列車が連結したように連続する一連の建物群をトレインハウスと呼んでいるが、実際に鉄道の廃線跡に出現することが多い。日立製作所専用引込線亀有工場線廃線敷トレインハウス(足立区)[図13][線路→宅地]★九、新京成柴又延長未成線トレインハウス(松戸市)[図14]★一〇[線路(予定地)→宅地]などが典型的な事例である。後者では松戸高校前駅予定地は比較的幅広く買収されていたため、それに対応して京成スーパーが立地している。旧東海道線廃線敷トレインアパート(横浜市西区)[図15][線路→宅地]★一一は、板状の集合住宅(JR東海社宅一〇棟と同東日本社宅一棟)が延々一キロメートル以上にわたって連続しており、デ・キリコの絵画を思わせるような抽象的な風景である。東京高速道路KK線(千代田区—中央区)[図16][掘→道路(一体建物)]もまた車両一両分の長さが随分長いがトレインハウスの一種だと言えるだろう。アトリエ・ワンが「ビテイコツ・ガイド」で取り上げていた、旧中川廃川敷に建つ財務省平井住宅(墨田区)[図17]★一二[河川→宅地]も、トレインアパートとしては上物の部類に入る。新宿サザンテラス(渋谷区)[図18]も字義通りの転用でこそないが、その細長さは直下の小田急線の線路形状を正確に反映したもの[線路→人工地盤]である。
11──元競馬場
出典=[地図上]国土地理院、1/1万地形図、品川・渋谷
[地図下]国土地理院(M42測量S4修正)、1/1万地形図、品川・碑文谷 [写真]筆者撮影
12──海軍行田無線基地跡リンク
出典=[地図左]国土地理院、1/1万地形図、中山 [地図右]国土地理院(S28測量)、1/1万地形図、船橋北部 [写真]筆者撮影
13──日立製作所専用引込線亀有工場線廃線敷トレインハウス
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、亀有 [写真]宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くVIII』(JTB、2001)
14──新京成柴又延長未成線トレインハウス
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、松戸 [写真]筆者撮影
15──旧東海道線廃線敷トレインアパート
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、保土ヶ谷 [写真]筆者撮影
16──東京高速道路KK線
出典=[地図左]国土地理院、1/1万地形図、日本橋・新橋
[地図右]『天保14年御江戸繪圖』(昭和礼文社)
17──財務省平井住宅
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、青戸 [写真]筆者撮影
18──新宿サザンテラス
出典=『新建築』1998年5月号(新建築社)
不自然にスラロームした線形の構築物は、当然何かしら先行する構築物の影響を受けていると考えるほうが自然である。例えば営団日比谷線一三〇R(渋谷区—港区—千代田区—中央区)[図19]である。日比谷線と聞いただけで、あのキーキーという軋み音が聞こえてきそうではないだろうか? 地下鉄はいくら地下を走るといっても、地上の土地所有権が地下に及ぶため、民地を避けて道路の下を走ることが多い。つまり近年ようやく法律が整備されて、公益性のある事業について大深度地下使用権の設定に可能になったGLマイナス四〇メートル以下でない限りルートの設定は[道路→線路]というトレース関係が前提となる。なかでも日比谷線の場合、地上の交差点の真下を自動車のように無理矢理右左折するという大変アクロバティックな計画で辛うじて路線が成立しているのが特徴的な点である。かつての都電の発想であろうか? その回転半径は主にR=一六三、厳しいところではR=一三〇が使われている。したがって中目黒駅での脱線事故は必然でもあったとも言える。
19──営団日比谷線130R
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、新宿・日本橋・新橋・渋谷 [写真右]筆者撮影 [写真左]http://members.tripod.com/~hakaba/index.html
新京成線もまた異様に蛇行した線形が目を引く。新京成線スーパー・ジャイアント・スラローム(松戸市—鎌ヶ谷市—船橋市—習志野市)[図20]と呼ぶものだが、その成立については[線路→線路]という珍しいコンヴァージョンの形式に理由がある。つまり終戦で不用になった鉄道聯隊の演習線の跡地を、戦後新京成電鉄が払い下げを受け、軌道を整備し直して旅客営業を開始したものである。戦争はさまざまなかたちで、後々考えると馬鹿げたモノを真剣に生み出したが、演習線とは要するにそこで線路をつくったり、物資輸送の訓練をしたり、ときには線路を爆破したりという「演習」を行なっていた線路のことである。線路の敷設演習では直線と同時に曲線をつくる訓練もしなければならない。だからグニョグニョなのである。ちなみに現状の蛇行した新京成線の線形はそれでもまだ、大迂回部分をショートカットするなどしてスムージングを施したものである。
20──新京成線スーパー・ジャイアント・スラローム
出典=[地図]国土地理院、1/2万5千地形図、松戸・白井・習志野 [写真]筆者撮影
21──池上電鉄大森線ゴースト・東急池上線池上ディトゥアー
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、島川・蒲田
22──東京山手急行電鉄ゴースト・京王井の頭線明大前クランク
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、中野・世田谷 [写真]筆者撮影 [図面]森口誠之『鉄道未成線を歩く』(JTB、2001)
ところで話が少しそれるが、篠原一男はここで言う「環境ノイズ」に相当するエレメントを最も意識的に建築に取り込んだ建築家として定位することができる。例えば《高圧線下の家》(一九八一)[図23]は空中の高圧線の建築規制曲面をトレースすることで形態が決定されている。《K2ビルディング》(一九九〇)[図24]の構造体は地下を走る二本の地下鉄のチューブの間隙を構造力学的にトレースしたものである。篠原の言い方では「
23──篠原一男《高圧線下の家》
出典=[図面]『新建築』1981年9月号 [写真]後藤洋介撮影
24──篠原一男《K2ビルディング》
出典=『新建築』1990年5月号
25──篠原一男《谷川さんの別荘》
出典=『新建築』1975年10月号
C3. 土木構築物(非文化財系)×切断
FIFAワールドカップに合わせて、曲がりなりにも成田空港暫定B滑走路(成田市)[図26]がオープンした★一四。完成が遅れた直接の原因は、四半世紀におよぶ空港建設反対闘争の末、一坪共有地を含む反対派農民の所有地が空港予定地内に残されたことである。今回当初の二五〇〇メートル滑走路の計画をいったん延期し、買収済みの用地を丁寧につなぎ合わせ、位置も八〇〇メートルずらし長さも二一八〇メートルと中途半端に短縮してようやく暫定滑走路の実現にこぎつけた。しかし、三里塚の開拓村のグリッドと滑走路の角度が微妙にズレていた。そのズレが迷路のような誘導路を生み出すことになった。未買収地を避けるために、誘導路にはシケインまで設けられている。これと少し似ているのが、一三〇〇年前に引かれた条里制のグリッドに対してほぼ対角に空港が設置されている条里制ダイアゴナル・大阪国際空港(伊丹市—豊中市)[図27]である。滑走路の周辺には直角三角形のヘタ地(形状が不整形な土地)が多数発生している。日本では冬の季節風の関係で北西—南東方向の滑走路が多いこと、一方で条里は東西南北グリッドが一般的であることを勘案すると、この事例は日本における空港と周辺環境との間の普遍的関係を示している可能性がある。
26──成田空港 暫定B滑走路
出典=[地図上][表]ともにhttp://www.narita-airport.or.jp
[地図下]国土地理院(S37測量)、1/2万、成田 [写真]『朝日新聞』2002年4月12日
27──条里制ダイアゴナル・大阪国際空港
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、伊丹・豊中 [写真]筆者撮影
環八と有楽町線が交差する平和台駅東側のかなり広いエリアに、不規則な八角形の街路パターンの卓越が見られる。地元の人に聞くと「地元民でも散歩しているとよく迷う」という★一五。氷川台、平和台オクタゴン(練馬区)[図28]と呼んでいるが、実はこれもまた新旧のグリッドのズレに起因したものである。元々の農道は不明瞭ではあるが、ほぼ東西南北方向に走っていたことがわかっている。そこにいきなり川越街道(西北西—東南東)と富士街道(現環八西南西—東北東)に平行して都合三本の幹線街路が引かれることになった。それによって角度の異なる二つのグリッドのレイヤーが重層した状態が生まれるはずであった。ところがこの事例が面白いのは、だれかがそのグリッドのズレを容認せず、二つのグリッド交点の角を取ろうと妙な気を利かせて強引に古いほうの道を折り曲げて新しい道に直角に接続させたことにある。その結果がこのオクタゴン(八角形)の群れである。そうして確かに四五度は回避されたが、代わりに町中には一三五度が溢れることになった。しかもやはり建物の敷地は矩形が好まれるので、一三五度マイナス九〇度=四五度で結局四五度もまた町中に氾濫することになった。例えば氷川台さくら公園はそのようにしてできた典型的な三角公園であるが、これを鋭角式公園と呼んでいる。もちろんエリア内では鋭角式住宅も多数観察されるが、ほかにも鋭角式パーキング、鋭角式テラス、鋭角式ポーチ、鋭角式植込みなどが大量に存在する。つまりはここにはヘタ地の山が築かれている。
28──氷川台、平和台オクタゴン
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、高島平・練馬 [写真]筆者撮影
細長のプロポーションを持つ巨大構築物には、当然ながら短手方向に切断の圧力が加わる。一般に鉄道車庫や貨物ターミナルは市街地内で細長くかつ広大な敷地を占めることが多いため、その下に横断地下道が設けられることがよくある。なかでも田町電車区横断地下道(東京都港区)[図29]は、身長一五〇センチメートル以上の人は真直ぐ立って歩けない地下道として有名である。
29──田町電車区横断地下道
出典=[地図]国土地理院、1/1万地形図、渋谷 [写真]筆者撮影
既存の街区のスケールを超えたより大規模な構築物の建設に伴って、ネガティヴに発生あるいは残存する道路をヘタ道と呼んでいる。丸ノ内線小石川車庫ヘタ道ジャンクション(文京区)[図30]は、狭い茗荷谷にあたかも蓋をするように丸ノ内線の車庫を建設したものだが、既存の複雑な道路網を整理再編することなく、そのまま上部に車庫を被せた。そのため、ガード下ではさまざまなヘタ道がからみ合い、珍しい光景をつくりだしている。JR大井町—大崎ジャンクション(品川区)[図31]の周辺にも同様のヘタ道ジャンクションが観察されるが、同時にここは鉄道ヘタ地の宝庫でもある。線路の分岐点の周辺には曲線半径の制約に伴って、歪んだ三角形のヘタ地が生まれやすい。ケヴィン・リンチが指摘するように「三角形の土地」とは「廃棄された土地」であることが多い★一六。ヘルツォーク&ド・ムーロン《SBBスイス連邦鉄道バーゼル機関車車庫》[図32]は、そんなトライアングル・ジャンクションを巧妙な配置計画によって上手く有効利用したものであると言える。
30──丸ノ内線小石川車庫ヘタ道ジャンクション
出典=[地図左]国土地理院、1/1万地形図、池袋 [地図右]国土地理院(M42測量S12修正)、1/1万地形図、早稲田 [写真]筆者撮影
31──JR大井町—大崎ジャンクション
出典=国土地理院、1/1万地形図、品川
32──ヘルツォーク&ド・ムーロン
《SBBスイス連邦鉄道バーゼル機関車車庫》
出典=ともに『EL CROQUIS 84』EL CROQUIS, 1997.
風景の補助線、環境の補助線
ここで紹介した事例はいずれも組織的なサーヴェイによって得られた成果ではなく、筆者が個人的に建築設計者というつくり手の立場から街や地図を見た時に「自然に見えてしまったものたち」を集めたものである。いわば職業的「シックス・センス」を通して発見されている。隠れたノイズを顕在化させるためには、あるコツのようなものが必要である。たとえて言えば、難しい幾何学の問題がたった一本の補助線によって途端に糸がほぐれるように理解される感じ、とでも言えばよいだろうか。「環境ノイズエレメント」に出会うためには、そんな有効性を持った風景の補助線、環境の補助線を発見することが重要である。そうすることによって単一の風景の中から、必ず複数のレイヤーが浮かび上がって見えてくるはずである。
「環境ノイズエレメント」を探し出す目つきに何らかの計画的な有効性があるとしたら、おそらくそれは意図的に計画の限界を定めること、つまり「計画し残すこと」によって、既存の風景を加工してより情報量の多い多層な風景をつくりだす可能性においてであろう。
註
★一——宮台真司『まぼろしの郊外』(一九九七、朝日文庫)。
★二——みかんぐみと筆者との対談のなかで、司会をつとめた五十嵐太郎のコメント。ギャラリー・間『空間から状況へ——10 City Profiles from 10 Young Architects』(TOTO出版、二〇〇一)に収録。
★三——篠原修『土木造形家百年の仕事』(新潮社、一九九九)。
★四——拙稿「須磨ニュータウン——全地球上で最も抽象的な都市」(『建築MAP大阪/神戸』、TOTO出版、一九九九)。
★五——拙稿「古市古墳群——生活のなかの遺跡群」(『建築MAP大阪/神戸』、TOTO出版、一九九九)。
★六——足利健亮『人間大学——風景から歴史を読む』(日本放送出版協会、一九九七)。
★七——塩野七生『すべての道はローマに通ず——ローマ人の物語X』(新潮社、二〇〇一)。
★八——中谷礼仁「歴史の中のコンバージョン——コンバージョナブルなデザインのために」(大阪市立大学工学研究科建築デザイン分野中谷ゼミナール、二〇〇二)。
★九——宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTB、二〇〇一)。
★一〇——森口誠之『鉄道未成線を歩く〈私鉄編〉』(JTB、二〇〇一)。
★一一——宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTB、一九九七)。
★一二——アトリエ・ワン「ビテイコツ・ガイド」(『MUTATIONS』、TNプローブ、二〇〇一)。
★一三——拙稿「床——谷川さんの別荘」(『ヴィジュアル版建築入門 V 建築の言語』、彰国社、二〇〇二)。
★一四——拙稿「時評:ブリコルール(器用人)のエアポート」(『新建築住宅特集』二〇〇二年七月号)。
★一五——『新建築』編集長、橋本純の談。
★一六——ケヴィン・リンチ『廃棄の文化誌』(有岡孝+駒川義隆訳、工作舎、一九九四)。