精神の再生、ショーという形式の再生
塚本由晴──去年(一九九九)の六月に行なわれた「二一世紀建築会議」にゲストとして招かれた際に、東京でのリサイクルの可能性について討議した成果としてガイドブックをつくったのが、今回の『10+1』の特集の発端です。最初は特集タイトルを「トーキョー・リサイクル・プロジェクト」にしようと考えていたんです。でも、中川さんに先を越されてしまったので、別のものを考えなければならなくなりました(笑)。
特集の内容はイエロー・ページとホワイト・ページ、リサイクリスト・インタヴューと論考に分かれています。イエロー・ページは、都市のリサイクルをコンセプトにしたアーティストや建築家のプロジェクトです。ホワイト・ページは、その名の通り白書で、こんなものが余っているとか、こんなものがもっと使えるのではないかというようなデータを集めたものです。いずれもプロジェクトとプロジェクトをやるためのネタ、まだことが起きる前のものです。そこで、すでに実践されている方ということで、中川さんにお話をうかがえればと思ったわけです。まずは、「東京リサイクル・プロジェクト」をはじめるきっかけをお話しいただけますか。
中川正博──では、まず「東京リサイクル・プロジェクト」Part1からお話しします。それまで考えていたことを去年の東京コレクションにぶつけてやってみたのがきっかけですが、具体的なプロジェクトの説明の前に、前提となる考え方をお話ししたいと思います。
一九九八─九九年に行なったコレクションでも登場している「VINYちゃん」というキャラクターがいるんです。「VINYちゃん」のほかに「ダッピ君」、「ぬけがら君」というキャラクターがいます[図1─3]。「VINYちゃん」は、自ら癒していく意志によってポジティヴになるキャラクターです。その「VINYちゃん」が脱皮したものが「ダッピ君」、最後に上級者として皮膚のような皮が取れると「ぬけがら君」になります。その「ぬけがら君」のコレクションからスタートしているのが「東京リサイクル・プロジェクト」Part1です。「ぬけがら道場」のマンガを見てもらうとわかりやすいと思います[図4]。彼は黒帯で上級者なんです。自分からニュートラルになれて再生に向かえる。「ダッピ君」を取ると輝く皮膚のようなものが残るんですが、それを再生して服をつくるというハード面での意味も含まれています。「ぬけがら君」の解剖図です[図5]。初めて都市に出てきたときの気持ち、絆とかいろいろないらないものを利用して自分から意志をもって進めることができる。残った自分の殻を服や電灯とか鞄などの日用品にも浸透させることができるというコンセプトなんです[図6・7]。
1──VINYちゃん
2──ダッピ君がデザインに組み込まれた服
3──ぬけがら君
4──ぬけがら道場
出典=『美術手帖』2000年6月号(美術出版社)
5──ぬけがら君の型紙 出典=同上
6──ぬけがら君を使ってつくった日用品
7──ぬけがら君を使ってつくったブーツ
貝島桃代──そこでは皮膚がどんどん変わっていくわけですよね。皮がどんどんめくれて循環するイメージがリサイクルとつながっていくんでしょうか?
中川──精神的なリサイクルというイメージが最初にありました。それをハードとしてどうやってファッションにしていくのかという問題がありました。ふつうのショーでは、自分から再生していくイメージを表わすために「VINYちゃん」というぬいぐるみをつけたんです。巨大型になって「VINYちゃん」は終わります。次は「VINYちゃん」が、さなぎのように成長して「ダッピ君」になる。それがぼろって取れて「ぬけがら君」からまた新たにスタートです。「ぬけがら君」は、ある種ニュートラルな状態で上級者です。皮膚が取れるので、自給自足ができるんです。
塚本──それは東京での生活がつくり出す心の中の状態に、ある程度対応しているということなんですか?
中川──あるかもしれないですね。「VINYちゃん」のショーと同じ頃に、中に入って瞑想することでパワーをつける《中川装置一号》っていうマシーンを考えました[図8]。じつは、グレーのテーラード・ジャケットというよくサラリーマンが着ているコンクリート・スーツに、僕が服をつくり出したきっかけがあるんです。企業戦士たちの活力がすごく好きなんです。都市で働くサラリーマンが、出勤前にぱっとマシーンに入って自分の目標とか夢を瞑想する。つねにニュートラルなコンディションを保ってパワー・アップ、再生できるようにという意図です。大げさになってしまったんですけど(笑)。
ビジネスマン向けに服をつくってきたわけではないですが、テーマの根本にキーワードとしてつねにビジネスがありました。どのようにそのテーマをファッションにしていったらいいかという問題が毎シーズンのコレクションについてまわります。「VINYちゃん」、「ダッピ君」を使って二回ショーをやったんですが違和感があった。ファッションは、袖を通すという行為によって着る人にパワーが加わっていく作業ですが、それをどう伝えていくのか。つまり服による再生という「ぬけがら君」のコンセプトがショーという形式でうまく伝わっていくのかという疑問がありました。
じつはこれよりも前から、ショーとは別に「仕送り返し返しごっこ」をやりたかった(笑)。どういうことかと言うと、東京に上京してきて初めての給料で息子が母親に仕送りをする。それを母親は生活費にしなければならないという物語があったとします。それなのに母親は、「またがんばれよ息子」という意味を込めて、袋詰めのお菓子とか手編みのセーターとかを送り返してくる。そういう絆ごっこ(プロジェクト)をやりたかったんですね。
「VINYちゃん」の頃からすでに、ショーという形式とつくることが合致しなかった。ショーという形式を使ってリサイクルをテーマにしてファッション業界の構造に則って……というとすごくややこしいんです。それで、自分のもっているテーマで明確にお客さんとコミュニケーションをしていくことを考えたらええんちゃうかなと思ったとたんに「仕送り返し返しごっこ」とぱっと一致した。その結果、じゃあ場所ももたない、時間ももたない形式にしてしまえ。ふつうのファション・ショーであれば会場と時間の指定があるじゃないですか、それがない。「Your Place, Your Time」というインヴィテーションにしてしまった。「Re-BOX」っていうひとつの白い箱だけを通したコミュニケーションでファッション・ショーができたらコンセプトが一番伝わるんじゃないかと考えました。
8──《中川装置1号》
塚本──具体的にどういうところがショーではうまく伝わらないんですか?
中川──リサイクルという部分には、ハード面の再生がまずありますね。それからマインド面の再生もある。ファッション業界の──あんまり否定的なことを言ってはいけないんですけど(笑)──ピラミッド(ヒエラルキー)みたいなものに疑問があったんです。いまはこういう時代でちょうど景気も悪い。それやのにバブルの象徴のような華やかであでやか、きらびやかなイメージには、誰だって憧れます。僕だって憧れています。それは大事なんだけれども、はたして一から素材を開発すること──僕らもやっていました──が、正しいのか。お金をかけてショーをやることが、「ぬけがら君」のコンセプトをうまく伝えるフィットな方法ではないと思ったんですよ。ショーも大切やけど「いま」かなと思い、さてどうしようかなと。
そこで「仕送り返し返しごっこ」をして、カスタマーの服がコレクションになればいいじゃないかと考えたんです。それが「東京リサイクル・プロジェクト」Part1です。具体的には、ファッション業界の人、プレス、友だち関係というように知っている人に限定して、インヴィテーションと「Re-BOX」と手紙を送りました[図9]。「Re-BOX」にリサイクルさせたい服を入れてもらって手紙と一緒に送り返してもらう。箱を開けてみると肘だけすり減った服が出てきたりおもしろかった。記憶が生きてるんですね。服そのもののリサイクルもできるし、送り返してくれた人の「あたしの一年前とか、あたしの五年前とか、一〇年前のこんな思い出」というパーソナルな記憶、気持ちも再生できる。そうやって集まった服は、「ぬけがら君」を使ったりほかの服と組み合わせたりしてデザインし[図10]、持ち主に送り返すんです[図11]。一番フィットな方法でしたね。
塚本──中川さんの個人的な記憶が、デザインするときには当然重要になってくると思うんです。同時にこのプロジェクトだとカスタマーの記憶が被さってくる。
中川──そうです。娯楽も多いですし、友だちとかもいっぱいできて、都市へ出てきた初めての目的がなんやったかって忘れるじゃないですか。僕も忘れるんですよ。思い起こすためのきっかけとして服を送ってもらう。それが一年前に買ったものだろうがなんだろうが記憶がちょっと戻って、参加してもらうことでまた新しいワクワクドキドキが生まれればいいと。その二つを兼ねてます。
貝島──リサイクルという言葉は、どの段階で出てきたんですか。「ぬけがら君」からリサイクルへと変わる瞬間を聞かせてください。
中川──「VINYちゃん」から「ぬけがら君」というように変化する行為自体を人間リサイクルと呼んでいたんです。でも「東京リサイクル・プロジェクト」としたのは「仕送り返し返しごっこ」のときですね。最初は「VINY VINYパニック大作戦」って呼んでたんですよ(笑)。三部作にするのが大好きで、それの三回目が「東京リサイクル・プロジェクト」のPart1にあたるわけです。
貝島──実際につくるときに「ぬけがら君」を貼ったり入れたりしますが、どういう意味があるんですか?
中川──送られてきた服のタグに「ぬけがら君」のスタンプを押してコンセプトを浸透させるというだけではなくて、ファッション・ショーの要素を兼ねているわけですからディテール的にも変化するほうがいいだろうということです。送り返された人もワクワクドキドキしますしね。
塚本──新しいシーズンに向けて服をつくり、披露し、お客さんにまで届けるといういわゆるファッション・ショーの仕組み、大きな流れ全体が、このプロジェクトでは問題になっています。新しいかたちのお客さんとの手のつなぎ方がはっきりと出ている。新素材を開発するのとは違う表現媒体を見つけだしたところがおもしろい。
中川──この方針をどこまでつづけるのかという問題もありますが、やっていきたいとは思ってます。ただ、ファッションは市場ができあがってますからね。
ファッションやアートは自由の産物で、わからない部分に突進していくような感じが自分のなかでは重要な瞬間なんです。このプロジェクトをはじめたきっかけはまさにそういう部分にあって、ピラミッドに対するアンチテーゼではないんです。いままでやったことのないことをやるときと同じテンションが、ショーをやるときにはつねにあります。特に、いわゆるファッション・ブランドからミクスチャー的なエンターテインメントに移行した頃からその傾向は強まりましたね。エンターテインメントは自分のなかですごく重要なコミュニケーション・ツールなんです。エンターテインメントを追求していくとどうしても規模が大きくなってしまうんですが、違うやり方もあるということで「VINYちゃん」、「ぬけがら君」とキャラクターを使ってプロジェクトを進めてきたんですね。
貝島──さきほどから気になっていたんですが、キャラクターがたくさんいますよね。それはなぜですか?
中川──いま、いっしょに20471120でデザインをやっているLICAに出会ったのが、ファッションの世界に入るきっかけでした。もともといろいろなジャンルに興味があったんです。だからいままでの自分の蓄積してきたものだとは思いますが、何かやっているうちにふとキャラクターが出てきてしまうんですよね。コンセプトが形になったものだと思うんです。ショーのために考えるのではなく先にキャラクターがある場合もあります。
9──Re-BOX
インヴィテーションと手紙を入れて関係者に送られた。
10──「BEFORE」、送られてきた服。
「AFTER」、リサイクルされた服
11──黒帯Re-BOX
リサイクルされた服は黒帯仕様のRe-BOXで持ち主に送り返される。
方法のソフトウェア化
塚本──「東京リサイクル・プロジェクト」が、1、2と進むにつれて、その過程で「方法」が整理されてきているような印象を受けます。プロジェクトを遂行するために全体の仕組みや作業の流れを図案化していますね[図12]。こういうことを考えるのは、建築的でおもしろいと思うんですよ[図13]。最終的なアウトプットというよりは、アウトプットを成立させるための下地づくりまでを自分でやろうということですよね。
中川──Part1のときは、二枚のパネルになっていましてアート・コンセプトを進めるNAKAGAWA SO_ CHIの作業とファッション・ブランドである20471120の作業を分けて示してあります。
Part2のときはワタリウム美術館で作業するという前提のものです。美術館にリサイクルさせたい服をもってきてもらって、その場でお客さんの話を聞いてからデザインするんです。ですからお客さんにわかりやすいようになっています。
やっているうちに自分でもわけがわからなくなってくるんですよ。アート・ワークを中心にやっていくNAKAGAWA SO_ CHIを去年立ち上げたんです。このプロジェクトはアートだって自分では意気込んでやるじゃないですか。そのときにチャンネルがぜんぜんわからなくなってしまった。考える優先順位や重要視する部分が、ファッションとはぜんぜん違う。ファッションはファッションとして大切な部分があってそれを活かさへんかったらファッションとしては成立できへんし。NAKAGAWA SO_ CHIはNAKAGAWA SO_ CHIで同じようにある。ここをちゃんとしていかないとドーンとした重い深い爆弾みたいなのにはならへんなと。スタッフに対してディレクションするには、チャンネルを切り換えなければならない。じゃあどうやったらええかなというときに、自分で自分を管理しようと思いました。そんで別々の表になったんです。
塚本──この表がプロジェクトのソフトウェアになってるので、このデザインが変わってくれば、また少し結果も変わるかもしれないですよね。リサイクルでは成果物がどうであるということももちろんなんですが、全体の仕組みも重要だと思うんです。仕組みを考えないことにはなかなか続いていかないし、いろいろな人が参加できるかたちにはならない。例えば、ひとりだけできのう使っていた紙を裏返しにして再利用してもあまり効果はない。
中川──気持ちは大事ですけどね。
塚本──そうですね。だけど、みんなが入ってこれる仕組みを作らないとだめだと思うんですよ。
中川──それがポイントですよね。
12──「東京リサイクル・プロジェクト」Part1でのNAKAGAWA SO _ CHIの作業工程の図案化
(1)OPEN A BOX 1. 手紙をコピーして、裏にナンバリング 2. 衣類の左袖に豆札を付け、ナンバリング 3. 箱の側面にナンバリング (2)Move Up The Recycle Factory 1. ハンガーにかけ、ハンガービニールにかける 2. コピーした手紙を衣類に付ける (3)検品と仕上げ 1. 検針 2. アイロン (4)リサイクル済み衣類に手紙を添えラッピング (5)Return to Returnに入れるビジュアルの準備 1. マンガ本とヴィデオのラッピング 2. お詫び文とスペシャル・サンクスの印刷 3. 写真のラッピング (6)リサイクル・ボックスのセッティング 1. ナンバリングの照合 2. ヴィジュアル最終確認 (7)梱包、送り状貼り
13──「東京リサイクル・プロジェクト」Part1の実際の作業工程
1. Re-BOX Set→出荷
2. Re-BOX届く→Re-BOX Open→「BEFORE」撮影
3. リサイクル工房
4. 「AFTER」撮影
5. Re-BOX出荷(Return to Return)→Re-BOX Set→出荷
6. T-Shirts梱包
参加型エンターテインメント
塚本──Part2のときにワタリウムという公の場所で、プロジェクトをやったことによってソフトとしての側面がすごく強まったという印象をもちました。ご自身ではどうですか? 要するに「東京リサイクル・プロジェクト」というものが、中川さんだけのものというよりは、みんながどんどん参加できるような仕組みになっていったのではないでしょうか。
中川──それはありますね。
塚本──その発想は、通常のショーに疑問を感じて「Your Place, Your Time」という形式を採用したことと連続していると思うんです。参加型であることとリサイクルという手法を採った、それぞれのきっかけというのはありますか。
中川──参加型にしようと考えたのは一九九六年、木下サーカスといっしょにファッション・ショーをやりだす少し前です[図14]。
僕にとってはファッション自体がエンターテインメントでした。きらきらとして風に吹かれてすぐに去っていって「いま、いま、いま」じゃないですか。「いま」を映し出す重要なポイントがあって、そこに憧れてやりはじめたんです。二、三回コレクションをやったんですね。自分としては楽しいじゃないですか。初めてショーをやってコンセプトがここに入って、モデルさんが来て。でも、なんかちょっとちゃうなあと思いはじめたんですね。ちょうどそのころ身近な人が少しずつインターネットをやったり携帯電話をもったりしはじめたんですね。これっていったいなんやろなあと気になりはじめた。それで、世の中がもっともっと便利に合理的になって人は自分のためにお金や時間を使うやろなと単純に思ったんです。そしてまた瞬間瞬間を楽しみたいから合理的になっていくんだろうと思ったんです。そのときに自分で何ができるかっていったらやっぱりワクワクドキドキすること、それはエンターテインメントだと。20471120というブランドの服を通して人とコミュニケーションしていくにあたって、なんか楽しい小学生の自分に戻るような、違うスイッチを押されるようなものづくりを目指す方向にどんどんいきました。とにかくショーや店舗といった交流ができる空間は、つねにワクワクドキドキできるものにしようと思ったんです[図15]。
塚本──エンターテインメントだとおっしゃっている部分とニュートラルという言葉との関係はどうなんですか。ニュートラルなことが、もはやエンターテインメントになりうるということなんですか?
中川──ニュートラルになれるっていうことは、なんか楽しいってことですよね。ここでニュートラルになれてここで飯が食えたら、それは僕らにとってエンターテインメントですよ。嫌な人がいたり嫌なことがあったりしてきょう見えている茶碗がきのうとは同じように見えなかったりするのは、エンターテインメントじゃないですね。
貝島──エンターテインメントというのは、ある場所で人々がコミュニケーションしている状態ということですか?
中川──そうですね。どちらかというと瞬間的なことです。だから参加型にしたいんですね。僕もそうですけど若い人たちはマンガやアニメを観て育っています。アニメの主人公に自分を投影して、「きょうの僕はこう」というように変われるじゃないですか。お寺に入ったら、何も知らない外人もすり足になるとか(笑)。知らないうちになんか影響ってあるでしょ。みんなに役があってみんなが参加できる。そういう沸き上がるエネルギーが、新しいきっかけ、ジェネレーションが爆発するような誰も知らない新しいパワーが生まれるきっかけになるんじゃないかと思うんです。
14──木下サーカスとのショー
15──20471120 P-001
東京、原宿にあるショップ
時間/歴史/記憶
塚本──もうひとつは、なぜリサイクルという方向にきたのかという質問でした。ファッションは「いま、いま、いま」という感じだとおしゃっていましたね。「Re-BOX」に入れられた服の思い出や記憶は必ずしも「いま」ではないんですが、逆に言えば現在も服として存在しているから「いま」のなかの何パーセントかはそういった思い出なのかもしれない。ある程度時間を含んだものをファッションに入れることとリサイクルとがうまく連動しているように思えるんです。
中川──そうですね。Recycuture COLLEC-TION(「東京リサイクル・プロジェクト」Part3)ではうまく連動したと思っています。
貝島──Part1での記憶の話がPart3になると、一九〇〇年から二〇〇〇年まで一〇年ごとに古着でモードを再現するという歴史的な展開になりますね。
中川──Part1でのプロジェクトをほぼ踏襲してPart2ではオープン・アトリエという形式を採用しました。次にPart3ではファッション・ショーという形式で会場に来てくれた人たちに、やはりPart1、2と同じように何らかの「リサイクル・プロジェクト」に参加している気持ちになってほしいと思いました。
ファッション・ショーで毎シーズンごとにモードを発信するわけですが、反応が返ってくるまでに時間がかかるんです。発信してそのシーズンのコレクションが展示会になりました。数カ月後に商品になって、それをお客さんが買ってくれて、次のシーズンのショーにその服を着て会場に来てくれました。それぐらいのコミュニケーションなんです。もちろんそれが悪いということではないですが、間接的ですし時間がかかる。この「リサイクル・プロジェクト」でやりたいのは、記憶を媒介にしてもっと直接的な反応を得ることです。もともとファッションが好きで集まってファッションという共通言語を通して同じ場にいるわけですから、ファッションを通して世の中に影響を与えられることをしたかった。ファッションの歴史、デザイン史を断片的にデザインに入れていくんです。
ニュールック、ヴィヴィアン・ウエストウッドのパンク、マルタン・マルジェラのジェネレーションX、フィフティーズだったらフレア・スカート、シャネルがジャージ素材を使ったとか、ポール・ポワレが女性をコルセットから解放したとか……。服を知らない人でも、シルエットが時代を反映してることはある程度わかると思うんです。ファッションの記憶を通じて、お客さんの気持ちがその時代に戻ることができたら、その瞬間だけで僕たちとお客さんのあいだのひとつ共通の言語になる。そこでLICAちゃんとミーティングをして僕たちの独断と偏見でこれならばある程度わかるだろうとか、自分たちがリスペクトしている部分で一〇年ごとの分け方を決めました。
九〇年代は、レディースがマルジェラでメンズがW<ふうなんですが──いろいろな意見があるんですけど──モード史として一番フィットしたと思っています(笑)。二〇〇〇年、これは自分でもわからない。みんなが模索しているでしょ。でも、新しいものではない。ということで、目に映るハードウェアではなくメンタルな背景から新しい意志をもって立っていこう。それを表現していくのにPart1同様にやはり「Re-BOX」を通してやろうと思いました。そこで「Re-BOX MAN」というキャラクターをつくりました[図16]。スタイリングはわからない。でもコンセプトは伝わったと思うので、「Re-BOX MAN」がここで出てくるのがショーとして一番フィットしましたね。
最後は、二〇〇一年以降のニュートラルに戻った再生されたファッションへ。いかにもその時代その時代の空気をもったモデルが大きな「Re-BOX」に入って、出てくると再生するというストーリーをつくりました。比較するなら「Re-BOX」にモデルが入っていくところが、Part1でのカスタマーが服を「Re-BOX」に詰めて送るところですね。ショーというもので「リサイクル」を伝えたかった。
16──Re-BOX MAN
貝島──モデルさんが、コルセットを取ったり、いろいろなものをはずして再生するところを見せましたね[図17]。それが、デザインするプロセスを表現していました。記憶をどうやってリサイクルしたらいいのかがショーを通して目に見えてきた。あれがないと二〇〇一年になるときに飛んじゃうと思うんですね。パーツを取って再生していくプロセスが見えると、そうかこうすればいいのかってイメージできるところがあります。二〇〇一年にいっしょに行ける感じがありました。
塚本──Part3で使っている古着というのは……。
中川──Part2まではパーソナルなものだったのですが、Part3は規模が大きいので古着を仕入れました。それは年代物の特別なものではなくて、いわゆるふつうのユーズドのものです。その印象なんかも、LICAちゃんの言葉ではっと気づいたのですが、まるで死体でした。Part2までは、個人の記憶がまだ生きているからそういう印象はないのですが、倉庫にドーンとある古着はだいぶ違いましたね。
17──古着からリサイクルさせた1900年代ふうのファッションを着るモデルのコルセットをはずすと2001年へ向けたニュートラルなファッションへと再生される
クリエイティヴなリサイクル
塚本──最近はそうではないですが「東京リサイクル・プロジェクト」をはじめられた一九九八年頃は、リサイクルという言葉は、まだそんなにかっこいいものではなかった。特にデザイナーの立場からすると、日本では貧乏くさいイメージがどうしてもついてまわってしまうのはつらい。ファッション・デザイナーが表だってリサイクルと言える感じではなかったのではないでしょうか。リサイクルという言葉に対してはどういう印象をおもちでしたか?
中川──やっぱり最初は少し抵抗がありました。リメイクやリサイクルという言葉自体は出回ってましたけど、新しくはないと思ってましたね。いわゆるペットボトルなどのリサイクルも大事ですが、それとはちょっと違う意味でリサイクルを宣言していきたいと思いました。新しいものをつくっているつもりが、リヴァイヴァル/リミックスでしかないということはよくあると思うんです。リサイクルというのは、過去の時代のものをデザインに採り入れていくことでもあるんです。言い換えれば、「デザインしないことをデザインする」みたいなことだと思うんです。
塚本──リメイクとリサイクルでは服に対する価値観が異なる感じがします。リメイクというのはある価値観にあわせて細工する。リサイクルはそれ自身が独特の価値観をもっている。
中川──リメイクというのは、内部とか根本的なところまではいかないでテクニック的な部分で解決していくものだという印象をもっています。リサイクルというのは、メンタルな部分や行動を変えていける。個々人がニュートラルであることの基準を決めていけるスタートであると考えています。
貝島──新しい素材を開発したくないというのは、あえて開発しなくてもほかにもたくさんの素材があるからですか?
中川──すでに素材としては溢れている状態だから、それをなんとかせなあかんっていうことです。
塚本──「材料」というのは使い方を示さないと材料にならないですよね。新しい使い方を見せると改めていい材料になってくる。使い方を示していくというのもクリエイティヴィティのあり方としておもしろいのではないかと思っているんです。最終的にどういったフォルムになるのかといったことばかりがクリエイティヴィティの問題ではなくて、何がどう使えるのかを示していくのはやはり同じようにクリエイティヴな作業ですよね。リサイクルというとそこにはあまりクリエイティヴィティがない、オリジナリティを重視していないというように思われがちなんだけど、実際はクリエイティヴィティやオリジナリティをすごく発揮できる場所だと思うんです。
中川──そうですね。わかります。クリエイティヴという考え方自体がゼロから何かを生み出していくことに価値があるというように思われがちですよね。多くの人がそこは更地だと思っているんだけれども、じつは違うということはよくあると思います。
塚本──Part3のコレクション用の服を見ているとやっぱり「いま」を感じます。例えば、いまちょうどここにある服なんてほんとうにわけがわからない[図18]。どこを見ていいのかわからない(笑)。すごくかっこいい。通常の服であれば慣れているから「これはこのあたりだろう」と見ている位置とディテールの対応関係がある程度できあがっている。でも、この服などはポケットの位置が独特で胸を見ているのか、膝を見ているのかわからない。これを着ている人間そのものがシャッフルされるのではないかと思うんですよ。これは商品化されるんですよね?
中川──そうです。服づくりに関して言えば仕入れのルートがまったく変わりましたね。以前は生地の産地が重要だったりしたんですが、いまはいかにユーズドを仕入れるかということですからね。洗って除菌して、次にどうカットしていくかを考えるわけです。
貝島──古着は、仕入れてきて見てみないとデザインをイメージできないですよね。それとも、ある程度具体的にこういうものを仕入れようと決めているんですか。
中川──スタジャン系とかデニムとかシャツというようには決まっています。一つひとつの価値判断は別です。リーヴァイスとかではなくてふつうの古着ですからね。中身を選ぶことはできないです。
貝島──では、もってきたときに初めてどうデザインするかを決めるんでしょうか?
中川──もう二回やっていますので、服のタイプによってどうデザインすればかっこよくなるのか、ある程度はわかっています。
塚本──つきあう業者も変わってくるでしょうから、そういった新しいものと遭遇することで中川さんご自身のデザインが、さらに活性化される可能性もありますね。
中川──この先はどうなっていくかわからないですけどね(笑)。僕の場合はモードを中心に、そこからいろいろなものに派生させて影響させていきたい。同じ形式で発展させることは「いま」じゃない。いろいろなコードをつくりたいということがあります。
18──スタジャンからつくったスカート
東京から東京へ
塚本──いままでのお話をうかがっていると、ハードとしてこういった服が出てくるのは当然です。重要なのは──プロジェクト名に「東京」とついていることからもわかりますが──東京のような都市で生活する人々がつくりだす文化、そしてメンタリティを相手にデザインしていこうとなさっている点です。
中川──先進都市の問題には共通の部分があると思うんです。そのなかでも東京はすごく大きい。一言では東京を表わせない。ハード面での規模や量の大きさもありますが、人の気持ちを再生させていこうとするようなアートであるとかファッション、いろいろなクリエイションというメンタルに作用していくものも溢れすぎていて、混乱しているのではないかなと思っています。
塚本──いまある東京をすべて壊してもう一回やり直す気はないですよね。
中川──どこを見るか、日々をどうすごすかということだと思うんですよね。豊かになってモノが溢れてくるとやっぱりぬるま湯に浸かって満足してしまうし。
貝島──ポテンシャルが高いし物量も多いですから、東京を目の前にして「疲れちゃった、もうだめだ」って思う人もいるじゃないですか。でも、その物量の多さに希望をもっていらっしゃるんですよね。
中川──そうですね。モノにかぎらず、いい意味でも悪い意味でもいろいろな面で入ってきやすい街だと思うんですよね。大阪から初めて出てきたときに街のリズムに自分がとけ込めなかった。そのときにイヌイットの家族の写真を見て、すんげえあったかいと思えて、実際にイヌイットの家族を求めてアラスカまで行ってきたんです。そのときは別の場所に行きたくなったのだから一見するとネガティヴにも思えますが、いまは東京に戻ってきてこうしてデザインをしている。東京の街にはそういう作用があるんですよね。東京からまた新しい東京が生まれていく。
[二〇〇〇年七月一四日東京にて]