キリストの生誕より2度目のミレニウムがあと数年で終わろうとしている。これは恣意的に決められた数字の節目でしかないのだが、すでに数えきれないほどの世界の終末が語られてきた。数々のカタストロフ、数々のハルマゲドン……、それらは前世紀末の退廃的な雰囲気よりもさらに悲壮感をおびている。が、今世紀の終わりは次なるミレニウムの始まりでもある。新しい時代へのカウントダウン。最初のミレニウムが終わる頃にも、終末的なヴィジョンが世をおおったが、それを過ぎてから新しい芸術が芽生えることになった。そして再び、われわれは奇妙な時間を生きている。終わりと始まりの時間。それゆえ、こうした時間の感覚をテーマに掲げて、様々なランドスケープの図像を収集することにした。これは、いわば誌上にて開かれる空想の展覧会であり、「終わりと始まりのランドスケープ展」とでも命名されるべき展覧会なのだ。全体は大きく分けて「始まりのランドスケープ」「終わりのランドスケープ」「再生のランドスケープ」の3部構成からなる。
再生の時に、終わりと始まりは溶け合う。そして時間は折り重なっていく。循環する彼岸のランドスケープのはてに。(I)
始まりのランドスケープ 山内彩子
ランドスケープを認識すること、それがこの世のはじまりであった。
自分という生命が位置する空と地面の間のヴォイドは、闇の空から放出される未知なる明るく白いものと、闇の大地から噴出される未知なる暗く黒いものによって相対化された。
ランドスケープを表現すること、それが庭のはじまりであった。
特定の領域と空間のヒエラルキーをつくりだす庭は、共同体のような集団の社会の表象や、或いは世界の意図的なシンボル化といった形で、多くのミクロコスモスを現出した。庭に一つの世界を表現すること、それがもう一つの世界のはじまりであった。
この世のモデルとして構成された庭は、その外側からこの世をより理想化するあまり、見たこともない楽園として、現実とは対峙して表現された。
1. J・マーティン「光の創造」(1824)
第1日、「光あれよ」と神が言い、生まれた原初のランドスケープ。闇を裂き、光があらわれた。
2. 立山の地獄谷
自然は古来人にとってはもっとも恐るべきものであった。山を神として祭り霊場をつくる例は、立山をはじめ恐山、御獄山、出羽三山、など多く見られ、とりわけ非情な風景をみせる硫黄谷や火山などは天からの光に対して地からの光として、地獄、死、あるいはこの世の終末を想起させるものとしてもっとも恐れられた。(撮影=菊地和男)
3. 大湯環状列石
直径50mほどの複数のストーンサークルは、縄文時代後期の集落の遺跡である。それらは、中心に立石が置かれ、墓であるとともにあらゆる祭祀の為の円形広場である。これを囲むように住居があったとされている。(撮影=世界文化フォト)
4. 「世界大相図」(1821)
上部が須弥山、下部が八熱地獄の宇宙模型図。
5. 北欧神話のユグドラシル(1847)
世界の象徴としての木。天空から地獄まで広がる樹木の枝と根。
6. J・ワラングラ「豪雨の話」
アボリジニの創世神話の一場面。同心円は浸水地を、曲がった線は稲妻を示す。
7. 漢代画像石「庭園」
8. 象形文字「」
中
国では、商代すでにという植物を囲む形の象形文字があったが、実際の庭園の起源は、殷代、皇帝が狩りのために広大な敷地の中で動物や植物を囲い込むものが
庭園の初形といわれている。ここに見る漢代の四川省の画像石に描かれている「庭園」は、住宅と動物、植物と一体となっている一例である。
脱世
9. ランブール兄弟「アダムとエヴァの誘惑と楽園追放」
象徴的に中央に噴泉をもち、円形に囲われた楽園エデン、そこから追放される人類(彼はその土から作られた)の行く手には荒野の山並が見える。追放は新たに人類を楽園へのたゆまない憧れへと導く。図版は『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』(1413-16)より。
10. 浄瑠璃寺庭園
園池を結界として本尊である薬師如来(現世)が阿弥陀如来(浄土)のある西岸と対面する形で配されている。景の構成そのものに当時流布していた浄土図の描き方から直接的な影響が見て取れる、しばしば浄土式庭園といわれるものの例である。
11. ケルン派「天国の園」(1410頃)
15世紀キリスト教芸術の主題ホルトウス・コンクルスス(閉ざされし園)は、一つの世界、天上の楽園を表現。聖母マリアが中央に座し、囲いは処女性を示す。「ばら垣の聖母」「受胎告知」等の主題にも閉ざされし園は現われる。
12. 平安貴族の庭
池、島、遣り水、鳥籠、盆栽、動物と様々な花の咲く園といった、エデン的な要素が寝殿造の庭として描かれているが、その景は、住宅と庭が此岸と彼岸を表現しているかにも見える。
13. ヴァファー庭園の細密画
バーブル皇帝の回想録『バーブルナーマ』(1590)の中の細密画。イスラム庭園の基本言語チャハル・バーグ(水路によって四分される庭園)は『コーラン』に描かれる楽園の象徴/繰り返しである。中央の噴泉から湧き出る水は四つの水路を経て拡散する。
終わりのランドスケープ 1 森山学
最後のカリスマ小平が灰として地に帰した頃、〈人類お手製〉羊/猿が話題となった。われわれがこのニュースを不安をもって眺めるように──「われわれはクローン羊の夢を見るか?」──いつの時代も人々は終末の予感を抱いていた。予感は人間や世界の死、その果ての風景として表現され、そこには必ず何かが反映されてきた。うじ虫が喰らう屍体にはキリスト教的至福から隔たった生が。腐敗していく体に鞭打ち、暗殺された時の姿でパンテオンへと行進したマラーには革命への意志が。様々な墓地のかたちには時代の死生観が。
古代の都市の定位は一足先に成立したネクロポリス(死の都市)に大きく影響されたと、L・マンフォードが語る以上に、われわれは終わりに先行され、終わりと共に在り、終わりの中にこそ始まりを予感している。終わりとの境界に広がるこれらのランドスケープに立って、われわれは改めてそのことに気付くだろう。
終末の様々な風景
14. フェリシアン・ロップス
「毒麦の種を蒔くサタン」(1882)
象徴派の画家ロップスはボードレールとの出会いによって、死のテーマを追及した。エロティックな妄想に誘う5枚連作の1点。
15. レオナルド・ダ・ヴィンチ「世界の終わり」
この謎めいた絵は大洪水を描いているのだろうか。
16. パティニール
「ソドムとゴモラの滅亡の光景」
(1521〜)
神の罰を受けて、彼方の黒い都市が赤く燃えている。
17. ナチスの
ニュルンベルク党大会(1937)
日常的風景をもたないナチス党大会の舞台都市・ニュルンベルク。シュペーア設計のツェッペリン広場で繰り広げられる政治的儀式は、30万人を同時に包み込む無限に伸びる光の列柱によって終末的狂信世界を演出。
18. アルベルト・ブッリ
「クレット(旧ジベリーナ市計画)」
シチリア島西部を襲った1968年の地震でジベリーナ市は倒壊。ブッリは災害後の瓦礫の町を白いセメントで覆い、高さ1.6mの溝でかつての通りを再現することで、生活と破壊の記憶を刻み込み、終末の一瞬をとどめた痛々しい町の墓石とした。
地獄のイメージ
19. ウィンチェスター派
「地獄に落ちた人を見る天使」
キリスト教美術では地獄は巨大な海獣の口の中に描かれた。口の中には罪人と悪魔、外には天使が地獄に落ちた人を見ている。この絵は12世紀の『ウィンチェスター詩編』のもの。
20. 韓国の地獄図
21. バーン=ジョーンズ
「ステュクス川の魂」(1873頃)
この未完の作品は、ウェルギリウスの『アエネイス』の一場面、アイネイアスが父親に会いに冥界へ下る場面である。「彼らは百年この浜の、まわりをさ迷い飛びめぐる」。
22. 立山曼荼羅
立山への信仰と参詣を勧める布教を目的に、日本における山岳霊場の中でもとりわけ地獄が強調された立山の、山(自然)と谷(地獄)を対比させた地獄風景をより具体的かつ明快に描いたものである。
終わりのランドスケープ 2 五十嵐太郎
死を前にした美術
バロック的想像力、あるいは過剰なる死の表象
23. 「ダンス・マカーブル(死の舞踏)」
14世紀西欧のメメント・モリ(死を想え)の声が描き出した死の象徴。この図像は死に翻弄される生、死の前での平等を表現。パリのレ・ジノサン墓地に最古の記録が残るが、出版業者マルシャンによる1485年の出版物は世にこの主題を伝播した。
24. <a href="/publish/identity/v/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%B8" id="tagPos_482_0">ピラネージ</a>「アッピア街道のファンタジー」
古
代、死者は都市郊外に排除されていたが、郊外と言っても供養の容易さから街道沿いであった。それは名士達の自律した巨大墓群である。アッピア街道沿いの墓
廟を多く描いたピラネージの『ローマの古代遺跡』第2巻(1756)において、その壮麗な風景は再現された。
25. F・ルイシュによる骸骨の盆景
解剖学的なランドスケープ。
26. H・ヘッセン
「アルチンボルドに捧ぐ」
弔いの花によるアルチンボルド的な風景。
27. ローマの骸骨寺
壁から天井を覆い尽くす人骨。カプチン派教会の修道士は極貧の生活を送るが、死後その身は骨となって装飾に用いられる。
28. G・ドレ「自殺者の森」
ダンテの『神曲』に登場する不気味な風景。
29. 「パリの死体公示所」(1887)
スペクタクルとしての死。冷凍保存した身元不明の死者を展示し、観光名所と化す。
静寂なる死、そしてシュルレアリスムの夢想
30. P・デルヴォー「ポンペイ」(1970)
埋没した古代都市の夢。静かにマネキンのような裸婦たちが立つ。
31. Y・タンギー「恐れ」(1949)
無機的な風景は、死への恐れか?
32. ポンペイ─避難者たちの庭
千年以上もの時を経て、火山灰に埋もれた人間の部分が空洞化していたので、発掘途中で石膏を流して人間の像を象ったもの。それはあたかも最後の瞬間が凝固したかのようだ。これを小説のヒントとしたのが、T・ゴーティエの『ポンペイ夜話』である。
33. M・エルンスト「沈黙の目」(1943-44)
豊饒なる沈黙。
34. キリコあるいは
ドミンゲス
「街路の憂欝」(1924)
時計の針が5時46分を指す。これはあの震災が発生したのと、ほぼ同じ時刻である。
終 わ り の 島 と 島 の 終 わ り
35. A・ベックリン「死の島」(1890)
島に抱かれる糸杉が陰鬱さを強調する。フィレンツェ滞在中に描かれたもの。
36. サン・ミケーリ島
ヴェネツィアに浮かぶ「死の島」。糸杉の生える墓地だけの島である。
37. H・R・ギーガー「ベックリンへのオマージュ」(1977)
有機的な機械に変貌した「死の島」。未来の悪夢としての「死の島」。
38. クレリチ
「水のないヴェネツィア」(1951)
ヴェネツィアにつきまとう不安、すなわち洪水や水没への皮肉?
39. ルドヴィコ・デ・ルイジ
「プラットフォーム・ロンゲーナ」(1982)
水面よりはるか高く突き出てしまったヴェネツィアのロンゲーナ設計の教会。
40. S・マター
「エスカレータに向かう水上の男」(1984)
フォトモンタージュによって都市の不安を表現。
侵入する彼岸のランドスケープ
41. レーンドルフ「無題」(1978)
ボディペインティングによって風景化した人間。
42. 関野準一郎「墓とニューヨーク」(1960)
墓石(死)と摩天楼(生)が類似する。
43. アバカノヴィッチ「ガラスの家の中の石棺」(1989)
美術展示と化した屋外の石棺。
44. A・キーファー「イシスとオシリス」(1987-91)
粘土を薄塗りした書物だが、干からびた大地のようだ。
45. J・コーネル
「射撃場のための生息地群」(1943)
コラージュの箱庭。自然を閉じ込める。
46. ディ=マジオ「無題」(1993)
未来と過去が交錯する風景の裂け目。
終わりのランドスケープ 3 森山学
建築家と死のランドスケープ
地下世界への夢想、そして地下世界からの夢想
47. レオナルド・ダ・ヴィンチ
「ポリツィアーノ『オルフェオ』の舞台装置」(1506-8)の模型
「プルトーの楽園が開かれる時、地獄を思わせる声で唸る悪魔たちが……。ここには死、フュリズ、ケルベロス、悲しむ裸の子どもたちがいて、様々な色合いの火が踊りうごめく」。この模型はレオナルドの開閉する山と上下する機構のスケッチに基づく。
48. シンケル「『魔笛』の舞台装置」(1815)
これは「夜の女王の宮殿入口」の舞台であり、エジプト神殿がグロッタ内に設けられている。それ自体がフリーメーソンの三位階を示すとされる『魔笛』のために、シンケルはそのエジプト的雰囲気とフリーメーソン性を表現した。
49. イリア・ゴロゾフ「ペトログラードの火葬場計画案」(1920)
ロシアの革命期においてゴロゾフはロマン的古典主義と呼べる作品を手懸けた。その代表的作品であるこの計画案は、古典的神殿を半分以上地面に沈下させており、啓蒙期の、特にブレーの葬儀礼拝堂計画を想起させる。
50. ピラネージ「共同墓地」
ピ
ラネージは精確な考古学的復原と建築家としての創造力により壮麗な古代ローマを描写したが、当初の調査対象は墓廟が多く、1750年には『ローマ市内外に
現存する古代ローマ人の墓室』も出版。本図は『ローマの古代遺跡』第2巻(1756)のもの。カタコンベ風の室内が見える。
51. 52. ルドゥー「ショーの町の共同墓地」
(『芸術、風俗、法制との関係の下に考察された建築』、1804)
地下カタコンベ/地上と地獄/天国のイメージの重ね合わせ、両世界をつなぐ空虚な球体、球体内の火葬の煙を天へ、天の光を球体へと導く天窓、これは壮大な〈死‐生〉物語である。立面図と題される惑星のドローイングはより暗示的。
閉ざされし中世への追憶
53. ソーン「修道士の墓」(1824)
リンカーンズ・イン・フィールズにおける風変わりな遺物に捧げられた彼の自邸かつ博物館(1792)に、新たに修道士の庭を増築。アーチに囲まれたこの庭では「ああ! 哀れなファニー」と刻まれた修道士の墓のみが座す。
54. スカルパ「ブリオン家墓地」(1972)
ブリオン夫妻のための廟をはじめとした各施設、青々とした芝、豊かな水をもつこの囲われた墓地は、塀によって外界から充分に隔てられる。隣接する共同墓地からの入口にある双子円の開口は異界との窓となる。スカルパ自身もここに眠る。
光り放つ英雄の死
55. ガンディー「マーリンの墳墓」(1815)
ガンディーはソーンの設計のドローイングを描く傍ら、霊廟や墳墓を題材とする幻想的作品を描き続けた。奇異なモニュメントの散在するクリプト内でアーサー王伝説の高徳の魔法使いマーリンの石棺が青白い光を放つ。
56. ベルラーヘ「レーニン廟計画案」(1926)
1924年に訪ソしたベルラーヘは、同年に他界したレーニンのための霊廟を設計。実際はシチューセフが製作し、廟内に遺体を安置した。ベルラーヘもガンディー風の安置された石棺を描いた。
57. ヴィルヘルム・クライス「戦没者記念碑計画案」(1942)
ナチスドイツの、陰鬱な死のモニュメントの建築家クライスは英雄たちの荘厳な諸記念碑案を設計した。各地に配される諸案は単なる慰霊を超え、侵略(予定)地に建つ帝国の境界石、そのイデオロギーの視覚的現前となる。
休息の風景へ
58. ヴァンブラ「スラトの墓地」(18世紀初)
ヴァンブラは教会内の埋葬を非難したメモの中で、インド西部スラトのイギリス人墓地の外観想像図を描いた。そしてそのような壁に囲まれ、木々と自律する霊廟をもつ墓地を都市郊外に設けることの効果を語る。
59. ジャック・モリノ「休息の野」(1799)
セーヌ県知事カンブリィがモリノと提案したモンマルトルの旧石切場(当時、教会墓地の閉鎖後の遺体は石切場に移された)の墓地化計画。道がうねり様々な樹木と墓標が散在する楽園としての墓地は、象徴的に円に囲い込まれ中心にピラミッドが立つ。
60. ブロンニャール「ペール・ラシェーズ墓地第一次案」
(1812頃)
教会墓地の閉鎖に伴いパリ郊外に新たに墓地が設営された。ペール・ラシェーズ墓地に代表されるそれらは風景式庭園墓地であり、生と死に道徳的な触れ合いと快い休息をもたらすアルカディアとして考えられた。墓地は1804年に開設。
61. アスプルンド
「森の火葬場(南ストックホルム墓地)」(1940)
アスプルンドの建築活動の出発点でこのコンペに入選(1915)、彼の死の年に完成(1940)。ポンペイ風の墓の沿う道を森の中にうねらせた当選案は、実施段階で、ゆるやかな丘陵と広い空、その接点にある柱廊と巨大な十字架といった理想的風景へと変化した。
62. アアルト
「リングバイの墓地コンペ案」(1952)
この墓地はクレーター状の渓谷に位置し、埋葬礼拝堂から各々の墓までの道はこの谷を象徴的に下る。しかし道に沿って流れる水路、開かれた空、緑、周到な動線計画が平和とプライヴァシーを保障する。
現代と死の協奏曲
63. ジョルジュ・ヴァダース「モハーチュの戦没者記念公園」(1976)
64. アルド・ロッシ「モデナ墓地」(1971)
65. エンリック・ミラーレス「イグアラーダ公園・墓地」平面図(1985-91)
66. マッシミリアーノ・フクサス「チヴィタ・カステラーナの墓地」(1989)
67. シレット&ウィルソン「ドゥーセット共同墓地」(1974)
68. <a href="/publish/identity/v/%E8%B1%A1%E8%A8%AD%E8%A8%88%E9%9B%86%E5%9B%A3" id="tagPos_482_1">象設計集団</a>「仙台広瀬河畔教会納骨記念碑」(1985)
69. <a href="/publish/identity/v/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A4%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%AF" id="tagPos_482_2">ジョン・ヘイダック</a>「自殺者の家/自殺者の母の家」(1990)
70. アーノルド・ポモドーロ「墓地のドローイング」(1973)
71. トレッサ・プリスブリー「ボトルの村」(1958-78)【3044】
<画像:3041>72. ボーダン・リトナンスキー「貝殻の庭」(1945以降?)
終わりのランドスケープ 4 五十嵐太郎
墓地の人類学
ペール・ラシェーズから火葬ガートまで
73. パリのペール・ラシェーズ墓地
(フランス)
ここは、さながら墓の博覧会場である。
74. ペール・ラシェーズの
ストーンヘンジ風墓
75. ペール・ラシェーズの東洋風墓
76. ペール・ラシェーズ納骨堂の地下
コインロッカー式?
77. ケルズのハイクロス(アイルランド)
8世紀のもの。
78. 廃墟化したダロウの教会(アイルランド)
とにかく、この国にはエンヤの曲が似合うような
廃墟が多い。
79. オスマンとオルハンの廟
(トルコ・ブルサ)
80. オールド・デリーの
キリスト教墓地(インド)
突如、異世界に迷い込んだかのよう。
81. ワット・サケットの墓地(タイ・バンコク)
丘の上の寺院にのぼる途中にある。
82. 廃墟のアユタヤ(タイ)
破壊され首を切られた仏像。
83. 九龍島の墓地(香港)
必ず墓石に写真が嵌め込まれている。
84. 横浜外人墓地(日本)
ケルト十字も見られる。
85. 北京の五塔寺(中国)
亀の上に墓石が乗る。
86. 少林寺の塔林(中国)
87. 秦始皇陵兵馬俑(中国)
皇帝の死後を守る人形の軍隊。
88. 廃墟の円明園(中国・北京)
89. ガンジス川1(インド・ヴァラナシ)
各地から死体が運びこまれ、
火葬の行なわれるガート。
90. ガンジス川2(インド・ヴァラナシ)
対岸は何もない、無の風景。
にぎやかなガートとは対照的。
91. 火葬ガート1(ネパール・カトマンドゥ)
ヒンドゥー教の聖地、パシュパティナート。
92. 火葬ガート2(ネパール・カトマンドゥ)
この川は下って、インドのガンジス川に合流する。
日 本 と 中 国
93. イサム・ノグチの墓
墓
標は、ノグチが晩年にアトリエをもった香川県牟礼に、手を加えないまま置かれていた自然石を二つ割にして中に遺骨を納めて接着したものである。これは、彼
の言葉によって実現したが、手を加えない石が美しいとした彫刻家が自ら石と化した究極の彫刻ともいえる。(撮影=野口ミチオ)
94. 中世の墓(『餓鬼草紙』)
平安時代末期頃に描かれた、身分、宗教などの違いによる様々な墓地の風景。石塚に垣を巡らしたもの、墓標としての3本の木、塔婆等当時の埋葬の風習とともに、庶民などの遺体放置の状況の混在をみてとれる。
95. 吉見百穴
丘陵の斜面を横に掘ってつくられた横穴と称される埋葬施設で、古墳時代末(7世紀)に見られるようになった。古いものは大きく家族墓で代々多人数を葬り、新しいものは小さく戸主墓で2〜3代までになっていく。一見住宅を思わせる墓である。
96. 漢太史公示司司馬遷墓塚
v97. 河南省宋代永昭陵神道の遺跡
宋
陵は初代宋太宗から哲宗まで八つとも河南省県境内に集中している。宋代は帝王が死後七カ月以内必ず下葬という規定によって、陵の規模はそれ以前の唐代に比
べると小さくなっていた。陵に至る道の両側は、大朝会を象徴する儀仗、宮女、文武官、外国の使臣などの石象生によって守られている。また、宋陵の地形はす
べて風水観念によるものである。それは、当時盛んだった「五音姓利」によって厳しく限定されていた。宋の「国性」趙は、「角」の音に属し、そのために、各
陵は必ず東南が高く、西北が低い地形で造られていた。
98. 『日本書紀』によると、
イザナミを葬ったとされる花乃窟
和歌山県熊野市。(撮影=渡辺良正)
99. マンション墓地(鎌倉霊園)
公園墓地は大正12年の多摩墓地の一部完成以来、大都市近郊に多くつくられたが、とりわけこれは、丘陵の斜面を段丘状に造成された墓地から成る、地形のランドスケープをみせる工夫がされた例である。
100. 羽化道士之墓塔
再生のランドスケープ 陳玲
生から死へ、また生へと永遠への願いは古代から現代まで、東西を問わず、種族、地域を超えて様々な形によって表現されてきた。中国道教には不老不死の「丹」、蓬莱島などの伝説がある。これは日本の浦島伝説の龍宮と一致し、東洋の楽園の原型となっている。一方、西洋でも、「錬金術」があり、ギリシャやローマから「理想郷」というような類型のものもあった。こうした再生への願いは永遠のしるしとしての自然と結びついて表現するものがもっとも多く見られている。また祭りなどのように儀式を行なうことによって死から脱出し、新しい生命が生まれて来ると信ずるところから世界各地に数多く再生の儀式が伝わっている。
自然のミニチュア1
人々は現世の生活を継続したいと永遠の生を願って、中国では古くから墓に生前と同じような宮殿、楼閣を造り、また、自然の循環
を再生の象徴として、さまざまな山水のミニチュアを副葬品として埋め、墓室の壁に花や植物を描いたり、あるいはレリーフに仕立てたりした。もちろん、言う
までもなく、このような死後の生命と安寧への希求は他の古代文明にも多くみられたところで、たとえば、インド、エジブト、ギリシャ、エトルスクなどの墳墓
にも無数に残されている。
v101. パドヴァの植物園(1545)
楽園の象徴である閉じられた四分割パターンは、探検や征服によって得た世界各地の自然を、再構成された世界として示すには適切な構図である。大学付属施設として作られたパドヴァの植物園はそういった植物園の最初期のものである。
自然のミニチュア2
山の奥深いところに「洞天福地」という永生の場所が存在すると中国では古くから信じられて来た。また、それを希求した文人たちは、庭園に仮山、洞窟、そして「透空」に富んだ怪石を神仙の住む「洞天」になぞらえ、そこに「長寿」、「永生」を託したのである。
102. 小有洞天(林有麟・中国明代) 机の上の小宇宙。
103. ブロンニャール「モーペルチュイの庭園のピラミッド」(1780頃)
モンテスキュー侯爵の庭園。内部がグロッタになっているこの廃墟のピラミッドは、風景式庭園の中心部に建つ。フリーメーソンの儀式の場として知られるが、その入会儀礼そのものが死/再生の過程である。
104. ひょうたん型の洞門(中国庭園)
105. 洞窟の入口(中国楊州・個園)
再生の儀式
再
生の儀式についでは、古代ギリシャのエレウシスの祭りが有名で、日本の天の岩戸神話と同様に太陽神デメテールが洞窟に隠れたため世界が闇となり、再び外に
出て世界が明るく再生する秘儀として伝えられている。そのほか、世界各地に数多くこのような死と再生の儀式は、民間伝説として広く伝って来ている。
106 . ローマ、ミトラ神殿
予
言者ザラトゥシュトラの伝説によれば、毎年12月25日に洞窟内で超自然的に再生するミトラース神は、ここで礼拝される。ミトラースは彼を創造した最高の
善神の命令をうけて高貴な牡牛を狩り出して捕まえ、そしてこの牡牛を洞窟で屠った。牡牛の血と脊髄と尾から新しい植物とたくさんの殻物の穗が出ることに
よって、死から新しい生命が生まれたのである。
107. 108. ニューグレンジの古墳
アイルラ
ンド最大の古墳ニューグレンジの入口の前に渦巻文様を刻んだ巨石が横たえられ(108)冬至の朝、一年中もっとも衰えた太陽の光がこの巨石の上に開けられ
た「小窓」から奥の祭壇まで届き(107)、そして、死から生への起点として生命力を再生するしかけとなっている。
109. 車田
佐渡島に残る車田の田植えは、3人の早乙女が中心から時計回りにみつ巴の形が描かれる。こうした田植えに伴う一連の儀礼は、新しい一年の繰り返しによる永遠回帰を視覚化することで、その年の豊穰を願うものとされる。
110. 南アフリカのバヴェンダ族の蛇踊り
豊年や雨のあと、若い女性たちは老女たちの周囲でリズミカルにピュトン(大蛇)の旋回運動をし、そして再び若返りつつ、女たちは自然の生命力のままに死と再生の四季の周期の中を生きている。
生、死の連続的表象
生
─死─再生に対して、宗教、文化の違いによって様々な表現が生まれている。中国南宋時代の画家李嵩「髏幻戯図」では、空間的にも時間的にも生と死は連続す
るという中国人の死生観が表われている。ここに貧しい旅芸人の夫婦がいる。男は生きている骸骨でありながら妻と子供を持っている。ここで、子供は時間のシ
ンボルとして子孫あれば不死であるという中国人の考え方を表わしている。一方、地上を意味する俗界に通ずる一つの道しかないというところから、樹上は洞窟
と似通った構造であると指摘する研究者もいる。
111. 「天使の園」(ペルシア・16世紀)
ここでは、一本の樹は地上から「浄めの域」なる天界に生えたものとして描かれている。
112. 李嵩「髏幻戯図」(中国・12世紀)
113. ウィリアム・ブレーク「ヤコブの梯子」(イギリス・1800年頃)
月は天界への扉である。「ヤコブの梯子」は月を通って天まで螺旋状に昇る天使たちを人間の魂の螺旋的上昇と、それに応じる光の下降のシンボルとして表わしたもので、すなわち、死と生の周期のリズムの表現にほかならない。
114. 乳海撹拌の図(パンジャブ高原・19世紀)
インドラの苦情をうけて、ヴィシュヌは宇宙秩序を維持する計画を立てた。悪魔と神々の群れが互いに宇宙の蛇セッシャを引っ張りあい、両者の引っ張りあいは中心の柱を回転させ、乳海をかきまぜ、不老不死の水アムリを作り出す。
復活
115. フラ・アンジェリコ「最後の審判」(1430頃)
フラ・アンジェリコの最初期の作の一つ。キリストが死者を蘇らせ全ての人々を天国と地獄に選別する。中央には開かれた墓、一方には楽園で喜び踊る人々、他方には悪魔によってグロッタの中へ導かれる人々。
図1──『ジョン・マーティン画集』トレヴィル、1995年
図2・22──『太陽』平凡社、1994年1月号
図3──『朝日百科:日本の歴史37』朝日新聞社、1986年
図4・98──『別冊太陽:地獄百景』平凡社、1988年
図5──J. Michell, The Earth Spirit, Thames and Hudosn, London, 1975.
図6──『アボリジニの美術』京都国立近代美術館、1992年
図7・8・96──『中国古代建築史』中国建築工出版社、1984年
図9──Les Tr峻 Riches Heures du Duc de Berry, Thames & Hudson, London, 1969.
図10・12──『朝日百科:日本の歴史19』朝日新聞社、1986年
図11──Madge Garland, The Small Garden in the City, The Architectural Press, London, 1973.
図13──John Brookes, Gardens of Paradise, Weidenfeld and Nicolson, London, 1987.
図14・21──『象徴派展』東京新聞、1996年
図15・26──ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』美術出版社、1987年
図16・37・38──谷川渥『死都』トレヴィル、1995年
図17──Daidalos, Bertelsmann Fachzeitschriften GmbH, G殳ersloh, 1985, 3.
図18──『SD』鹿島出版会、1994年10月号
図19──『キリスト教美術図典』吉川弘文館、1990年
図20──金萬煕『韓国 地獄図』1990年
図23──『ヨーロッパのキリスト教美術』岩波書店、1997年
図24──John Wilton-Ely, Piranesi as Architect and Designer, The Pierpont Morgan Library, N. Y. /Yale University Press, New Haven and London, 1993.
図25──Sources du Fantastique, Galerie J. C. Gaubert, 1973.
図27──絵葉書より
図28──A. K. Turner, The History of Hell, Harcourt Brace & Company, 1993.
図29・35・44──『死にいたる美術──メメント・モリ』町田市立国際版画美術館、1994年
図30──『朝日新聞』1997年2月5日
図31──絵葉書より。Whitney Museum of Art, 1991.
図32・36・68・73〜92・108──五十嵐太郎撮影
図33──U. Bischoff, Max Ernst 1891-1976, Benedikt Taschen, 1991.
図34──『ヨーロッパの近代都市と芸術』東京都現代美術館、1996年
図39──Ludovico De Luigi, Silvana Editoriale, 1983.
図40──『FP』学習研究社、1990年1月号
図41──V. Lehndorff, H. Tr殕zsch, Veruschka, Thames and Hudson, London, 1986.
図42──『朝日百科:世界の美術137』朝日新聞社、1980年
図43──『アバカノヴィッチ展』朝日新聞社、1991年
図45──『朝日百科:世界の美術77』朝日新聞社、1979年
図46──絵葉書より
図47──Carlo Pedretti, Leonardo Architect, Gruppo Editoriale Electa, Milan, 1981.
図48──Mario Zadow, Karl Friedrich Schinkel, Rembrandt VerlagGmbH Berlin West, 1980.
図49──『a+u』エー・アンド・ユー、1991年3月号
図50──Jonathan Scott, Piranesi, Academy Editions, London/ St. Martin’s Press, N.Y., 1975.
図51・52──『ルドゥー「建築論」註解II』中央公論美術出版、1994年
図53──Emil Kaufmann, Architecture in the Age of Reason, Dover Publications, N.Y., 1968.
図54──『a+u』エー・アンド・ユー、1985年10月号
図55──John Summerson, The Unromantic Castle, Thames and Hudson, London, 1990.
図56──Disegni Tekeningen Hendrik Petrus Berlage, Biennale di Venezia, 1986.
図57──Daidalos, Bertelsmann Fachzeitschriften GmbH, G殳ersloh, 1990, 12.
図58──Kerry Downes, Vanbrugh, A. Zwemmer Ltd, London, 1977.
図59・60・103──Richard A. Etlin, The Architecture of Death, MIT Press, 1984.
図61──Asplund, Rizzoli International Publications, N.Y., 1986.
図62──Alvar Aalto, Editions Girsberger, Z殲ich, 1963.
図63──『a+u』エー・アンド・ユー、1990年3月号
図64──Aldo Rossi, Buildings and Projects, Rizzoli International Publications, N.Y., 1985.
図65──『SD』鹿島出版会、1993年3月号
図66──『SD』鹿島出版会、1991年6月号
図67──『a+u』エー・アンド・ユー、1977年10月号
図69──『a+u』エー・アンド・ユー、1991年1月号
図70──ジョン・バーズレイ、三谷徹訳『アースワークの地平 環境芸術から都市空間まで』鹿島出版会、1993年
図71・72──Marcus Schubert, ArT RANDOM, Outsider Art II Visionary Environments, Kyoto Shoin International, 1991.
図93・99──『芸術新潮:墓巡礼』新潮社、1989年8月号
図94──『朝日百科:日本の歴史別冊 歴史の読み方9』朝日新聞社、1989年
図95──『朝日百科:日本の歴史43』朝日新聞社、1986年
図100──『洞天勝境』中国道教協会、1987年
図101──Georgina Masson, Italian Gardens, Antique Collectors' Club, Woodbridge, 1987.
図102──岩佐亮二『盆栽文化史』八坂書房、1976年
図104・111・112──中野美代子『奇景の図像学』角川春樹事務所、1996年
図106──スピロ・コストフ、鈴木博之監訳『建築全史』住まいの図書館出版局、1990年
図107──『FRONT』(財)リバーフロント整備センター、1995年2月号
図109──山内彩子撮影
図110・113・114──『イメージの博物誌7 螺旋の神秘』平凡社、1978年
図115──The Art of Florence, Cross River Press, Ltd., 1988.