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独身者の部屋宇宙──高円寺スタイル | 三浦展
The Universe of the Single Person's Room: Koenji Style | Atsushi Miura
掲載『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在, 1999年09月発行) pp.144-153

TOKYO STYLE

本誌No.5にも登場されたことのある編集者の都築響一氏の写真集「TOKYO STYLE」は、一九九三年に刊行されたものであるが、現在も版を重ね、書店でもいまだに平積みとなっている。本書をご存じない方のために簡単に説明すると、東京で暮らす人々の部屋の内部を撮影したものであり、CDで埋め尽くされた部屋、キャラクター商品が溢れる部屋、漫画が占領する部屋などなど、その部屋の住人が自分の好きなものに囲まれながら暮らしている様子が映し出されている。彼らの部屋は、インテリア雑誌に出てくるような小ぎれいな部屋ではない。むしろ雑然としており、趣味が良いとも言えない。しかし彼らは皆、東京という世界一安全で便利で、どんな文化でも揃っている怪物都市を一二〇パーセント活用して暮らしている。「TOKYO STYLE」というタイトルとは裏腹に、本書は、東京という都市での生活が、特定のスタイルを持つものではなく、東京に暮らす一人ひとりの個人が、彼と東京との関わりにおいて編み出していくものであることを明快に示しているのである。一体このような奇妙な写真集を買う人が、どのような人であるのか、俄には頭に浮かばないのであるが、おそらくは、二〇代の若者が中心であり、なかでも写真、デザイン、音楽、建築などに関心を持っている人たちなのであろう。だが本書は、そうした限られた人たちだけの関心を引きつけているわけではないように思える。もっと多くの人々が本書の映し出す世界に惹かれているのではないかという気がする。実際、本書が刊行された一九九三年以降、本書が映し出したようなスタイルが次第に現実のなかで増殖していることは間違いない〔実は私の仕事場もコOδδ。。一三日』の表紙の写真を再現したような部屋である)。
では、一体本書の何が時代を先取りしたのか?結論を先にいえば、郊外に生まれ育った世代の台頭が本書を支えているのではないか?本書は、郊外のニュータウン、新興住宅地で育った世代の抱える欠落感を埋めたのではないか?そんな気がする。

郊外の世代

一九九七年六月、神戸市郊外のニュータウンで中学生による小学生惨殺事件が起きた。通常、この種の犯罪の原因は家族や学校、教育の問題に帰せられることが多いが、この事件の場合は、ワイドショーのような番組ですら、郊外ニュータウンというものを事件の起こる土壌としてとらえていたのが印象的であった。多くの人々が、郊外ニュータウンの病理を感じ始めているようなのである。事実、この事件はまさに「郊外ニュータウンの世代」による「郊外ニュータウン的」な事件なのだ。オウム事件が起きたときも、私は直感的にオウムの信者は郊外の中流家庭の子弟が多いのではないかと思った。それを実証することはできないが、村上春樹がオウム信者をインタビューした「約束された場所で」を読むと、やはり多くが中流サラリーマン家庭の出身で、転勤族、団地族も目立つ。逆に下町や農村の出身者はいない。オウム事件とは郊外中流核家族で育った若者たちが引き起こした事件なのである。したがって、オウム事件の後、私は、郊外を舞台にしてもっと悲惨な事件が起こるのではないかと予感した。もっと明らかに郊外的な事件が起こるような気がしたのだ。果たして神戸の事件は起きた。以後、堰を切ったように中学生・高校生の事件が頻発したが、それらの事件の起きた土地に注目してみると、非常に多くの事件が東京の郊外で発生している。

神戸市須磨

神戸市須磨

自己関与性のない空間

その原因は、一言でいえば、郊外の持つ独特の不安定性である。郊外は様々な意味で不安定だ。たとえば以下のような要因がすぐに思い浮かぶ。まず、新興住宅地であるため人口の流入が激しく、流動性が高い。次に、新規に流入してきた新住民ほど相対的に学歴が高いため、学歴の低い旧住民との関係が良好ではない。第三に、世帯が、都心につとめるサラリーマンの父親を世帯主とする核家族であるため、父親同士の付き合いはなく、地域の共同性が弱い。第四に、家族それぞれが、父親は仕事、母親は家事、子どもは勉強というように役割分業しているため、家族の共同性も弱い。同時に、父親、母親、子どものそれぞれが単一的な役割を演ずることに閉塞感を感じやすい。こうした要素は郊外の住宅地であればほぼ共通して持つ不安定性である。加えて、郊外ニュータウンの機能主義的空間構成が少年の心理的不安定性に拍車をかける。ニュータウンの街区構成は、戸建て住宅地、集合住宅地、商業地、学校、公園などのように、土地が機能別に区割りされ、ただの空き地のような曖昧な空間や、下町のように住居、商店、工場が混在した空間が存在しない。隙間がないのである。最近私はマーケ一万ングの仕事をするなかで、現代の消費のキーワードを「自己関与性」と「自己最適化」と考えている。すなわち、完成されたものではなく、ある程度使う側が関与できる余地を残したもので、かつ自分が関与することで自分にとって最適になりうるものが支持されるという仮説である。街や店、住居などの空間も同じことであり、ニュータウンや新築住宅はあまりに機能的であり完成されすぎていて、住み手が関与する余地がない。特に若者にとっては、与えられた空間を受け入れるしかないから、つまらない。少し古い町や住宅やビルの方が面白いという感覚が拡大している。

東京郊外

東京郊外

東京郊外

東京郊外

私有財産・郊外・監獄

たとえば、少年惨殺事件が起きた須磨ニュータウンの住宅地は、街並みは極めて整然としており、ごみひとつ落ちていない。しかし、歩いていると、その美しい街並みとは裏腹に、なにか居心地の悪い感覚におそわれる。つまりこういうことだ。郊外住宅地は私有財産の街だ。中流市民が労働の対価として得た最大の私有財産としてのマイホームの街だ。だから、よそ者が入り込む余地がない。その意味で郊外は街ではなく、一種の巨大な私物のかたまりだ。その私物の中にまたマイホームという小さな私物がある。その小さな私物である家の中にさらに小さな個室という私物がある。その個室の中にはまたまた霧しい数の私物が溢れ返っている。小さな小さな私物の世界の連続……。その私有の世界の中には、他者が入り込む余地がない。おそらくそのことが、その街を訪れた者を、そしてしばしばその街に住む少年を窒息させるのだ。
また、須磨ニュータウンを歩いて気になったのは、随分柵の多い街だなということである。柵とはすなわち財産と財産を分ける境界である。道路、公園、住宅、学校、歩道、資材置き場……ここではすべてが画然と柵で仕切られる。その柵は、まさにニュータウンが小さな無数の「私」の所有物の集合体であることを示している。家や車や家電や家具を一般大衆が私有財産として所有することが社会の目標とされてきたことが、その柵の多さに如実に表現されているのだ。また、事件のあった中学校の校門までの道は、一〇〇メートルほどの坂道で、各方面から来たすべての生徒がその坂道で合流するというつくりになっている。それは偶然なのか?おそらく意図的なのではないか?校門の直前の坂道で生徒をすべてひとつの流れに合流させた方が生徒を管理しやすい、そういういかにも「監獄の誕生」的な思想が、この街の設計思想のなかにあったのではないか。生徒が決められた以外の場所に紛れ込まないように設計されているのだ。決められた以外の場所に紛れ込まないということは、他者の私有財産の空間に入り込まないということである。各人の私有財産の空間に、他者が入り込むことをできるだけ排除する。つまり、機能主義的な空間構成と私有財産の保護という思想が見事に結びついているのである。それは、おそらく善意なのだ。誰でもわかりやすい街、誰もが安心してマイホーム・ライフを楽しめる街をつくろうとしただけなのだ。しかしそれは他方で、街を特定の視点から管理し、監視する思想につながっている。すべてが囲われている。すべてが画然と仕切られている。すべてが誰かの管理する土地であり、曖昧な土地、曖昧な空間、意味のない隙間がない。

工場としての郊外

あるいはまた、郊外には居場所がないともいう。それは、前述したように、まず物理的に曖昧な空問がないためであり、さらに心理的にも過剰適応が求められる空間だからだ。適応が求められる反面、自分個人の居場所はない。そもそも郊外は、明るい理想の家族が住む場として設計されているからだ。ホワイトカラーの夫と専業主婦と勉強熱心な子供が住む街として設計されているのだ。失業した夫とフルタイムで働く妻と勉強嫌いの子供の街としては設計されていないのだ。それは郊外のイメージに適さないのである。
それに対して都市は人間の多様性を認める。都市ではそもそも隣人と自分は異なる価値基準で生きている可能性が高い。自分はサラリ!マンでも、隣人はフリーターかもしれないし、大金持ちかもしれないし、詐欺師かも知れないし、ヒモかもしれない。それが都市だ。都市には多様性があり、異なる価値観が混在し、個人が個人の信じる価値観で生きている。つまり都市には先ほどの「自己関与性」と「自己最適化」が可能であるが、郊外ではそれが難しいということである。郊外とは、中流階級という最大多数の幸福を実現するためにつくられた街である。だからそこには最大公約数的な文化が支配する。「普通」であることが規範となり、個性の希薄な文化が醸成される。こうしてみると、郊外は、その機能としては工場と等しい。郊外とは、工業製品化され、大量生産された街である。つまり、工場でつくられた街のようなものである。だからどこの地域の郊外も同じである。しかしそれだけではない。郊外はそれ自体が工場なのである。均質な、最大公約数的な人間を再生産する工場なのである。そうであれば、いまこそ、郊外を超えていくべきだ。近代化と工業化と核家族化と郊外化とが並行して進められた戦後の高度経済成長の時代の価値観を乗り越えて、新しい「生」を創造するためにも、われわれは郊外を超えていくべきだ。機能主義的すぎない、自由な、個人が自分なりに関与する余地がある、そんな街や住宅が必要だ。あまり徹底してはいけない。整理しすぎてはいけない。体系的ではいけない。穴があるくらいでよい。すこしくらい破綻していてよい。私有財産の展示場のような郊外ではない、新しい、ゆるやかな共同性を持った街、身軽で、風通しのいい、開かれた家。自由で、のびやかな家族……。そういうものが必要だ。

郊外を超えて

郊外で育った若者は、おのずとそのことを理解している。郊外に住んでいるからこそ、精神の安全弁として非郊外的なるものを求める。隙間がある、自分が関与する余地がある、あまり詰め込まない、あまりカッコをつけない、ちょっとほころびがある、欠けている。そういう感覚が、現在の若者の価値観として現われてきている。その価値観の変化をいち早く映像化してみせたのが、冒頭に挙げた「TOKYO STYLE」なのだ。
おそらく「TOKYO STYLE」は、同じように「東京」をテーマにした藤原新也の『東京漂流』〔一九八三)の延長線上に一本の補助線を加えることによって誕生した写真集である。『東京漂流』はアジアを放浪してきた藤原が持った現代日本の消費社会、特に郊外化していく日本の中流社会への強い違和感から生まれた。藤原は、一九八○年に起きた東京郊外中流家庭の最初の崩壊事件とも言うべき「金属バット両親殺人事件」の家を撮影し、われわれに平凡な家庭が平凡であるが故に孕む狂気を暴露して見せ、すべてが清潔で無臭になっていく文明に対して警鐘を鳴らし、異様な迫力をもつてわれわれ読者の心をとらえた。しかし藤原は、郊外一戸建て住宅という中流幻想に対してインドという極限的な価値しか対置しなかった。彼は、ガンジス川のほとりに横たわる死体や、死体を食う犬の写真を並べ、一方で、金属バット両親殺害事件のあった家を、あたかも「不動産広告」のように撮った。さらに藤原は『東京漂流』の次作『乳の海』(一九八六)で、金属バット事件の家を再び訪れ、その家がメルヘン的なショートケーキハウスに建て替えられている現場を再び不動産広告風に撮影する。インドの文化のなかに厳然と存在する生と死のリアリ一τを、それとは反対にますますリアリティを喪失していく(そして家や街までもが虚構化していく)日本に対置し、そのリアリ万喪失状況を表現するために無味乾燥で脳天気な不動産広告の手法を使ったのだ。だが、われわれはいかに『東京漂流』に共鳴しても、藤原の批評の視座がインドにある限りは、現実には何もできず、それまでどおりのマイホーム幻想と消費の快楽を生き続けるしかなかった。しかし、そういう消費主義に疑問を持った者のなかには、藤原のようにアジアを放浪しようとした者と、オウム的な世界に引き込まれる者がいた。その意味で、『東京漂流』とオウムの間に強い親和性があることは否定できない。『東京漂流」は現在まで三〇刷近く増刷されており、すでに現代日本文明論の古典と化している。それだけに、おそらくは皮肉にも藤原が嫌った松田聖子世代を中心とするであろう読者に対する影響力は相当大きい。小林紀晴の『アジアン・ジャパニーズ」なども藤原的世界観の延長線上にあると考えられる。それからちょうど一〇年後、都築は、東京都心の古いアパートの中で自分の好きなもの(そこにはキティちゃんもいる↓に囲まれて生きる人々の部屋を何の街いもなく撮影することによって、郊外一戸建て住宅の中のみせかけの幸福よりもハッピーで百己救済的で)リアルな生活があることを示した。都築は、インテリア雑誌に出ているような生活はどこにもない、それは嘘だと考えた。しかし彼は、嘘にインドを対置しなかった。神も仏も対置しなかった。大きな宇宙や自然を対置しなかった。彼はただ小さな現実を対置したのだ。実はコ「○目Oo。→K日』の巻頭には大規模集合住宅の写真が、巻末には戸建て住宅地の写真がある。藤原が批判するような中流的な空間を巻頭と巻末に置き、それにサンドイッチされる形で本題となる部屋の写真を並べてあるのだ。そこには藤原的な視座への批評が感じられると言っては穿ちすぎであろうか。都築は、インドとも修行とも無縁の人々の部屋それは同時に実に非広告的であるをひたすら陳列することで、東京にいたって中流幻想を捨てるのは簡単だ!と主張したのだ。その身軽さを私は好む。コロンブスの卵である。インドに行かなくても、自分の部屋を極楽にすればいいし、東京にある「日本のインド」に行けば救われるのだ。

古アパート、吉祥寺

古アパート、吉祥寺

闇市のなかのカフェ、吉祥寺

闇市のなかのカフェ、吉祥寺

癒しのある街

みうらじゅんが「日本のインド」と命名したのは高円寺である。なぜ高円寺が日本のインドなのか、論理的には説明が難しいが、一部の若者が一度はくぐり抜ける文化が高円寺にはあるということだろうか。もちろん、インドなどアジア関係の雑貨屋や飲食店も多い。その高円寺は今若者向けの情報誌のアンケートで「住みたい街」の一〇位くらいに食い込む。すっかりメジャーな街になった。こんなことは一五年前は考えられなかった。一五年前に高円寺は『宝島」のような、当時のストリート系の雑誌にすら「住みたくない街」と言われていたのである。当時の価値観は、小ぎれいで小ざつぱりしたものを良しとするものだったからだ。では、この価値観の変化は何だろうか?高円寺の人気に気がついた私は、昨年友人とともに高円寺を調査し、高円寺に住む若者にインタビューした。そこには「癒しとしての高円寺」とも言うべき感覚が浮かびあがった。以下はその事例である。

*肩の力が抜けました(二〇歳代、男)
田舎(山口〕にいるときは雑誌を見て高円寺と下北沢がパンクな町だと思ってた。実際そうなんだけど、こっちに来てから肩の力が抜けた気がする。田舎にいるときはきれいなものとかかっこいいものが一番だと思っていたけど、こっちに来てからそれだけじゃないんだってことがわかった。本当にお金がない時は、近くに生えてる草を食べたこともある。そうしたら近所のおばさんがこれはおいしいわよとかいって食べられる葉っぱを教えてくれたりした。

*ここが私の求めていた街(十九歳、女)大磯にいるときは、何もないところでつまらなかったから、雑誌をよく読んでました。高二の時は『キューティー』とか『オリーブ』、『スマート』、高二になってからは『フリークアウト』とか『H』を読んで、岡画郎のことも知っていて、高円寺っておもしろそうなところだなあと思ってました。定時制の高校が神楽坂なんで、高円寺に住もうって物件を探しに来たときに、街の活気ある雰囲気を見て、私が求めてたのはここなんだ、ここが私の住む場所だって思っちゃいましたよ。高円寺大好きです。居心地いいですね。ごちゃごちゃしてて、汚いところがほっとするし、高円寺に集まってくる人みんなが、やりたいことを持っているのがいいと思う。


東京の都会にあこがれていた若者、郊外の静かな生活に退屈していた若者が、高円寺に感じたものはまさに癒しの感覚だ。高円寺は、特定の形を押しつけない、混沌を愛する、自分が自分らしくあることを是とする、自分を今のままでいいと肯定してくれる、焦る必要はないと教えてくれる、そういう街だ。だから癒される。それはおそらく郊外の対極にある。現在日本では全国的に郊外化が進んでいる。従来の鉄道駅周辺の中心市街地は事実上崩壊し、郊外の住宅地とショッピングセンターを軸とするモータリゼーション社会が主流となっている。そういう郊外化した環境の中で育った若い世代の目には、高円寺のような街が非常に新鮮に映るであろう。こんな街があるのか?という感覚である。全国どこでも同じ風景の郊外ニュータウンのプレハブ住宅に住み、全国チェーンのスーパーやレストランで、与えられた物を買い、与えられた味の物を食べるライフスタイルとはまったく別の世界が高円寺にはある。
いや、もちろん郊外でなくとも、われわれの生活はコンビニエンスストアの増加によってますます全国的に均質化している。ところが高円寺には、なぜか全国チェーンの店は、コンビニであれ喫茶店であれレストランであれ居酒屋であれ、奇跡的に少ないのだ。むしろ目立つのは、地元の店や非常にマニアックな店である。かつて貧しい学生向けと思しき定食屋があったところに、ニューヨーク帰りの若者が黒人音楽専門のレコード店を開く。彼に言わせれば、高円寺はニューヨークに近いから暮らしやすい。つまり多様性に対する許容度が極めて高い。外部からの異物を拒否しない。免疫力が高いとでもいうのか。しかも、単に多様な個性が互いに無関係に孤立しているのではない。互いの個性を認め合いながら、相互に関係しあい、つながりあい、影響し合うことができる。お決まりのジャンルはない。ジャンルを超えることが当然である。そして新しいジャンルをつくることができる。同じひとりの人間でも、ひとつのジャンルだけでなく、やりたいことなら何でもやってみることができる。ないものはつくることができる。与えられたものではない幸せがある。高円寺はそういう気分にさせてくれるのだ。

高円寺

高円寺

脱私有の時代

こうした価値観は、見方を変えると、郊外的な(あるいは戦後大衆消費社会的な)私有主義への拒否感の台頭と言えるのではないだろうか。土地、家、自動車、家電、家具、個室……すべてを私有できるということが郊外の(そして大衆消費社会の)機軸となる価値観である。私有財産の獲得は、借家住まいで銭湯通いでトイレ共同の生活をしていた貧しき庶民にとっての夢であった。だが、郊外の世代はその価値観から離脱しはじめている。私有しなくて済む物は私有しなくていいし、必要な物は必要なときだけ借りたりすればいい。もっといえば、「金で買えるものはいらない」。そういう価値観が拡大しているように見える。私有すること、私有財産の量を増やすこと、より大きな家に住むこと、より高級な車に乗ること、そういう価値観が力を失いつつある。高円寺あたりには、風呂なしトイレ共同の今にも朽ち果てそうなアパートで暮らしている若者がたくさんいる。郊外の二戸建て住宅とセットで戦後の「豊かな社会」のシンボルであった自動車も、今、郊外の世代の台頭によって大きな転換期を迎えている。自動車を前提とした郊外社会で育った若者は、自動車を「豊かさ」の記号としては見ず、単なる日常的な道具としか見ないからである。かつて自動車はアメリカの豊かさの強力な記号であり、家庭の豊かさの指標であった。だから、最初はカローラを買い、次にコロナを買い、そして「いつかはクラウン」に乗ることが大衆の目標になり得た。もっと通俗的に言えば、高級な車に乗れば「いい女」が引っかけられた〔セリカに乗った芸術家になりすました大久保清!)。
そうした価値観は一九八○年代までは確実に存在していた。しかし、いまや自動車を私有することは決してカッコイイこととは見なされない。それにはいくつかの理由があるが、本論の文脈で言えば、郊外の世代にとって(あるいは、あらかじめ「豊かな大衆消費社会」に育った世代にとって〕自動車は豊かさの記号ではなく、母親がスーパーにキャベツを買い出しに行くときに使った下駄にすぎない、つまり退屈な日常の記号にすぎないからだ。だから、今の若者は自動車に記号的な価値を認めない。車に乗るより自転車がいい。散歩がいい。カッコイイ車は不要であり、ただ使いやすい箱のようでいい。中古車でもいい。免許がなくてもいい。車が必要なときは持っている人間に借りたり、乗せてもらったりすればいい。そう考える若者が増えている。バイクもそば屋の出前に使われるような原付が若者に支持される(都築が『TOKYO STYLE』撮影時に使ったバイクもそうだ)。そこには、そもそも私有とか高級ということに価値を見出さない新しい世代の台頭がある。たとえ一億円あっても家を買ったりしない、四畳半に住み続ける、自分にとって快適なスタイルを崩さない、そういう価値観が生まれている。

「裏原宿」の価値観

こうした価値観の変化のなかで、空間の作り方も変わってきた。カフェバーやブティックに代表される一九八○年代の高度に洗練された高級志向・先端志向の空間デザインは拒否され、できるだけあり物を使い、低価格で内装をほどこした空間ほどカッコイイと見なされている。いわゆる「裏原宿系」である。裏原宿系の店舗デザインはもはや全国に波及している。緊張感のある空間づくりはもはやどこにも見られない。むしろ、脱力的で、カッコをつけず、「まったり」できる空間が求められている。店を出す場所も、青山などの高級な土地ではない。恵比寿や高円寺の古い商店街や吉祥寺の闇市の中にこそ、まったり系の店が登場する。その感覚を具体的に実感したければ、ふたたび高円寺のルック商店街を見るがよい。典型的な近隣地区向け商店街の中に、古びた商店をほとんどそのまま活用した古着屋が増え続け、関東一円から若者を集めている。そしてそれらの新しい店が、昔ながらの豆腐屋、惣菜屋、パン屋などと見事に馴染み、何とも言えぬ混在感と「まったり感」を生み出している。「真善美」という言葉があるが、戦後の高度経済成長期の価値観は「新善美」であった。新しくてパリッとした物が善いものであり、かつカッコよかった。古い物は悪い物であり、かつカッコ悪かった。しかしその価値観は崩れている。新しい物は必ずしも善い物ではないし、カッコよくもない。古い物でも善い物は多いし、今よりカッコいいものがたくさんある。かつてはカッコ悪かった物が今はカッコよく見えるし、その逆もまたある。少なくとも自分にとって善いと思える物は、必ずしも新しい物ではない。そう考える人が次第に増え、今では主流的な価値観になったように思える。そういう時代には、新しい物を追い続けるのではなく、古い物も新しい物も同じ平面に並べて自分なりに再編集していく手法が主流になる。いわゆる「リミックス」である。リミックスはクラブのDJだけでなく、今や若者全体の生き方の手法になっている。そしてリミックスとは、前述した自己関与性と自己最適化に関わる概念である。すなわち、無数の物と情報から自己にとって最適な状態を編み出していくための手法がリミックスである。その際、物や情報には自分が関与できる余地が必要だ。物や情報が、作り手側のコードにしたがって消費されるのではなく、使う側の関与によって組み換えられ、再編されていくのである。作り手側の意図が不明になった古着、中古品はリミックスしやすい。だから、若者は好んで古着や中古品を買い、フリーマーケットに行き、古いアパートに住む。そこにはつくられた流行がない。つくられたコードにそって物を使う必要がない。だから楽なのである。

箱庭療法としてのマイルーム改造

こうしたリミックス現象は、最近若者向けの雑誌で流行している「マイルーム大改造」ムーブメントにも見られる。たとえば『asayan』別冊『マイルームを大改造しよう!』、『ポパイ』別冊『マイルーム改造最強マニュアル』、そして少女向けでは『CUTiE』『Zipper』などがそうだ。これらの雑誌が提案している「マイルーム改造」は、模様替えとか改装ではなく、まさに「改造」というところがミソであり、ただ壁紙を張り替えて、小ぎれいな家具を置くといったレヴェルのものではない。ある女性デザイナーはパソコンを二〇台以上並べている。同じものを二個以上並べないと彼女は気が済まないという。ある男性は、街のガード下のようなウォールペイントを部屋中に施している。またある女性はサイケデリック調の柄の布を壁や天井、そしてテレビにまで張り付けている。その他、数十個のサングラスが壁にτスプレイされた部屋、おびただしい数の写真が壁という壁に張られた部屋、無数の人形を置き、ベッドの上にニメートルの宇宙人の人形を横たえた部屋などが紹介されている。『TOKYO STYLE』がさらに進化した形とも言える。そして、これまで述べてきたことの文脈で言えば、これらの部屋は、彼らを取り囲む郊外的な環境に対する批評である。大量生産され均質化された郊外生活に対する、まさにマクドナルダイゼーションの最高の形態としての郊外に対する拒否である。改造されたマイルームは、郊外的な均質化と画一化に対して、彼ら一人ひとりが個人の心の内側を、心の宇宙をそのまま表現した結果なのだ。その意味で、マイルームの改造は一種の箱庭療法のようなものである。だから正確には、それは改造というより、自分が一体何ものであるか、何がしたいのか、何が欲しいのかを確認するための作業なのかも知れない。

意志ある空間

さらに『DJ'S ROOM』(白夜書房)という本も、空間に対する願望の新しい局面を感じさせる。これも『TOKYO STYLE』の流れを汲んだと言えるもので、クラブのDJの部屋を撮影した本だ。ここで紹介されている部屋を見ていて、私はこれは画期的な空間だなと思った。DJの部屋だから、当然部屋中をLPやCDが埋め尽くし、ターンテーブルが二台置かれている。これは彼らにとっては一種の仕事場なのだ。彼らは仕事場で食べて寝ているのだ。しかし寝る部屋が趣味のグッズで埋め尽くされたのとは少しニュアンスが違う。まず彼らの仕事があり、仕事に必要な空間があり、そこに生活の必要としての寝食が付いてきたのである。かといって、建築設計事務所やソフト会社などにありがちな、忙しいから仕事場の床で寝ているという世界とも違う。DJたちの部屋では、仕事も遊びも寝食も等価であり、さらにいえば仕事と遊びと寝食が混ざり合い、あらかじめ有機的なひとつの世界を形成しているのだ(都築は『TOKYO STYLE』で「有機的混沌」という言葉を使っている)。こういう空間をわれわれは久しく見てこなかった。われわれの住む家もオフィスも、もちろん雑誌で紹介される部屋も、こんな風ではない。それに対してDJたちの部屋は、その昔、大工が卓祇台のある長屋の土間でカンナを削っている光景を思い出させる。戦後の住宅政策は、寝食分離の思想に基づいて住空間の近代化を推進してきた。都市構造的にも、仕事は都心業務地、生活は郊外住宅地、遊びは繁華街という分離が進んだ。そのため、われわれの家や部屋の内部は事実上空洞化したのだ。そこにはダイニングテーブルとソファとテレビとベッドがある以外、大したものがない。仕事の道具は会杜にある。遊びの道具はクロゼットの中にしまわれている。仕事も遊びも、その空間は住居から遠く離れた都心の業務地や山の中のキャンプ場で行なわれる。仕事と遊びと生活が空間的にも時間的にも遠く分離している。だから現代には、仕事と遊びと寝食を貫く思想も道徳も価値観もない。仕事はシステムエンジニアで、遊びはアウトドアで、自宅ではソファに座つてビデオを見ている。そういう生活には一貫した価値観がないし、有機的な一体性がない。だからそういう人の部屋を撮影しても、なんだか無個性で空疎な風景にしかならない。要するに不動産広告にしかならない。だからこそ藤原新也は事件の家を不動産広告のように撮ったのだ。ホンマタカシの撮る郊外が生気のない死んだ空間に見えるのも、上述のように、郊外の生活からは仕事と遊びが遊離し、生活に有機性がなく、生活が空洞化しているからだ。そこには「生きる意志」というものがないように見える。ところがDJの部屋には、彼らの仕事と遊びと生活と人生のすべてがある。意志がある。彼らの宇宙がそこにある。そういう小さな宇宙をわれわれは今欲している。

*この原稿は加筆訂正を施し、『マイホームレス・チャイルド──今どきの若者を理解するための23の視点』として単行本化されています。

>三浦展(ミウラ・アツシ)

1958年生
カルチャースタディーズ研究所主宰。現代文化批評、マーケティング・アナリスト。

>『10+1』 No.18

特集=住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...