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吉阪隆正のディテール──ことばから姿へ姿がことばに | 松原永季
Details/ Takamasa Yoshizaka/ Love and Peace: From Words to Forms, from Forms to Words | Matsubara Eiki
掲載『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義, 1999年03月発行) pp.172-174

吉阪隆正のディテールには、確信と不思議が満ちている。
それは、世界の全的な把握へ向けた貪欲な意識に裏打ちされ、その矛盾を呑み込み、提案へと結び付けようとする、彼の思考の道筋を正当に反映しているように見える。

建築の設計は、世界観、人生観にはじまる。それを形姿あるもので表現しなければならぬ★一。


この言葉通り、彼のディテールは間違いなく、彼の世界観、人生観に直接結び付いていた。つまり彼の思考は、「建築」という囲い込まれた領域ではなく、例えば次のような、言葉にすれば簡明な、しかし底深い問いかけに常に向けられていた。

「私はどこにいるのか?」この疑問こそ全ての出発点だ★二。


そして、吉阪隆正は悩んでいた。
「ディテール」に関し、充分に説明できないことに悩んでいた。
「建築におけるディテールの意味」★三において、彼はそこに実用的な面、表情の面があることを挙げ、そのあとに次のように述べる。

……もう一つがその奥にひそむ心である。(…中略…)思想そのものが問題なのだ★四。


その後、彼が説き起こすのは、「五万年くらい前に最初の石斧を造った原始人」であり、「木材と土石という二つの材料」が生み出すそれぞれ異なる世界への根源的な問いかけ、様式の形成過程と洗練について、さらには「農耕文化」から「工業文化」への移行にともなう時間と空間の切断の問題へと到る。そして結論がでないままに論考は終わる。

そこで私の知りたいのは、一つ一つの姿や形と私たちとはどういう関係にあるかということだ★五。


決して筋道が立たないわけではないが、字面だけを辿ってゆけば、その融通無碍に広がる話題と結末に、人は漠たる印象を受けるかもしれない。吉阪の論の広がりは常に、こうした傾向を帯びており、それは彼の評価に微妙な影響を与えているように思う。
しかし間違ってはいけない。彼においては、こうしたディテールに端を発する世界の全的な把握と、そこから生み出され、生み出す、ものの「形姿」こそが、極めて重要な課題であったのだ。ここでいう「形姿」は、「人工的な環境」のすべてが対象として想定されているが、では、具体的にディテールとそれにつながる形をどのように決めていったのか。

玄関の庇とか目玉の三角窓とか外部詳細が担当だった。一カ所一カ月の期間がある。楽でいいなあと思う。ところが、これは大変厳しいことだと分ってくる。一カ所一カ月もやっていると自分の持ち駒はもちろん、考えつくことは全部吐き出してしまうことになる★六。


われわれにとって、「求めているものはこれだ!」ときめつけることのできるのはいつも形そのものである★七。


私たちは現場の時期に徹底的に図面をかき、模型をつくる。(…
中略…)一応ディテールの追求という形式で進められるが、この作業は「部分の造形」や「納まり」を超えたものであるように思う。(…
中略…)まさに建築はここから始まる★八。


集団による数えきれないほどのオルタナティヴの提出と、それをもとにした議論、直感を通じた形の確認と揺り戻し。偶発性を引き受け、細部の小さな変更が全体の枠組みに影響を及ぼす。そこでは「ことばから姿へ 姿がことばに」★九が実践され、ことばと形は相互触発的に、実現される形へ向けた生成のプロセスに組み込まれている。
明快な図式や標準化された形は、こうしたプロセスを経た後の最終の決定以前には与えられていない。与件としての理念に形が追従し、その具象化を図るのではなく、思考と形は、常に相互に触発し、互いに変容しつつディテールへ、建築へ、そして新しい世界把握と提案へと向かう。「建築」という、個人でその作業を完遂することが甚だ難しい領域では、こうした態度はある意味では、そのプロセスに一般的に含まれているかもしれない。しかし吉阪を中心とした人々の集まりは、この点を徹底して実行した。その結果、あの不思議だが、確信に満ち満ちた造形が生み出されたのである。その形は、吉阪の次のような言葉に直接、結びつくように思える。

幸か不幸か、顧みると私は何遍か人生を幼児の所からやり直しさせられた。(…中略…)だから世界をどうとらえてよいのか、いまだに原点にあって、洗練どころの騒ぎではないのである★一〇。


実際に具体化したさまざまなディテールは、いわゆる「洗練」からは遠く離れ、生身の肉体に基づいた、その場にしかありえぬものとして結実している。それは、論理に帰着することの安心感に基礎づけられた、「ことば」と「かたち」の一対一の「透明」な対応関係とは著しく対照をなしている。そこでは、各部位がある空間において、決定的に影響を及ぼす、ありうべき形をとろうとする、その可能性に満ちた原初の形が企図され、定着されようとしているのだった。そのことは同時に、彼の世界把握に対する姿勢にも、顕著に現われている。
吉阪隆正は、世界を理解するための図式を、いくつも描いた。それはなかなか理解の難しいものもあるが、注意すべきは、その図式を描く根本的な視線が、例えば「暑い」「寒い」といった感覚や、「嬉しい」「悲しい」といった感情などの、私たちの日常的に極めて親しい感覚に基づいている点にある。さらに、現に、そして過去にあったさまざまな事象をできる限り拾い上げ、そこから図式化へ向けた思考を出発させている点にある。「生命の綱の曼荼羅」★一一を例にとれば、その「胎動期」は次のように語られる。

目標の大小によって、安易にそれが達せられることもあろうが、どうやって解いてよいかわからず、難問にぶつかることもある。だっこして貰いたい小さい子が母親に叱られて、おしっこだと奇智を働かす類から、月に行きたいと駄々をこねるのまであるように。これを「胎動期」と呼ぼう★一二。


もちろん、「おしっこ」などの眼前の一事象を取り上げ、そこからのみ図式化への動機を抽き出そうとするのではない。数多ある事象を引き受けた上での図式なのだが、その時、彼は抽象化された言葉のみでは決して語らない。具体性を帯びた事象が必ず、テキストの内に含み込まされている。一読すればわかるように、彼の膨大な論述で数多くの言葉が費やされるのは、彼の該博な知識と体験に裏付けられた、時間的空間的に極めて幅広い、世界と人類の事物や事象についてであるのだ。さらに、こうした図式は、その論考とともに、吉阪においては、常に変動し、修正を加えられるべきものとして在った★一三。それは、幾多のものを捨象して、一足飛びに抽象化されたモデル(例えば「近代的自我」などといった)に行き着き、そこから演繹的に図式や形態を導こうとするのではなく、すべての要素を包含し、捨て去ることなく理解を深めようとする姿勢がある。そこには吉阪隆正という個人の体験を、例えば具体的な個人の集合としての人類という枠組みの体験にまで、押し広げようとする意志を感じる。
彼は決して「建築」に固有の論理で形を作り上げようとした人ではない。「建築」を含みこんだ「世界」や「人類」が常に思考の対象であり、同時にそれ自体に思考が包含されていた。そして発想の原点は「人類の平和」であり「博愛」であ
った。

「有形学」を考えた動機は、人類が平和に暮らせるようにとの願いだ★一四。


形の問題を直接「人類の平和」に結び付けることで、多くの人が感じるであろう違和感は、ここでは問わない★一五。むしろ、私たちの時代の思考がいかに矮小化してしまっているかを問うべきなのかもしれない。少なくとも吉阪の思考は、例えばある年代の特殊な都市の状況を前提としたような形式には囚われず、つねにそれが成り立つ、彼が把握しようとした世界全体を踏まえて語られている。それは、ディテールが決定されるに到るプロセスにおいても、まったく同様なのであった。そしてそこに、ディテールから「まちつくり」まで、同時に論ずることのできる「有形学」が構想されていた。それは一九六三年の「有形学の提案」にはじまり、幾つかの変遷を経て、一九八〇年に「『生活とかたち』(有形学)」というかたちで、一応のまとまりを見せている。しかし、「有形学」自体に関し、幾つかの議論や戸惑いがあるように★一六、その正当な継承が豊かに脈打っているかどうかは、幾つかの事例を除いては、いまのところ定かではないように思える。「形姿」は、すでに思考の道具に成り果ててしまったのだろうか?
唐突であるが、吉阪は孤独だったのではないか?★一七。それも尋常ではないくらいに。世界の孤独を、ただ独りで引き受けるかのように。
人を(それは人類や世界と同義だ)理解しようとして叶わず、それでも理解しようとして思考を続けた。そして他の人々とのつながりを明らかに感得する時。そこで果たす役割がまさに「形姿」のもつ意味の重要な一点だったのではないかと思える。そしてディテールは「触れる」という意味で、そのつながりが最も明確な部分だったのではなかったかと。

もう一度皆が一つになるため、かつて人々を結びつけたことばがあったように、それに変るべきものを見出さねばならない。(…中略…)今度皆を結ぶものは、形や姿のあるものではなかろうか?★一八。
(傍点引用者)


そして、その孤独は、「吉阪隆正」という希有の人物のみならず、今や私たちすらをも押し包もうとしているように感ずる。

1──《日仏会館》手摺のディテール

1──《日仏会館》手摺のディテール


2──《生駒山・宇宙科学館》小窓のディテール

2──《生駒山・宇宙科学館》小窓のディテール

3──同、エスキース

3──同、エスキース


4──《大学セミナー・ハウス》ディテール

4──《大学セミナー・ハウス》ディテール

5──《大学セミナー・ハウス》ディテール 以上すべて『DISCOUNT:不連続一致体』

5──《大学セミナー・ハウス》ディテール
以上すべて『DISCOUNT:不連続一致体』


★一──吉阪隆正「パノラみる展挨拶文」(吉阪隆正+U研究室『DISCONT:不連続統一体』アルキテクト編、丸善、一九九八、七頁)。
★二──吉阪隆正「『生活とかたち』(有形学)」(『有形学へ  吉阪隆正集13』勁草書房、一九八五、一七九頁)。
★三──吉阪隆正「建築におけるディテールの意味」(『建築の発想  吉阪隆正集7』勁草書房、一九八六、二〇七頁)。
★四──同、二〇八頁。
★五──同、二二二頁。
★六──大竹康市「詳細からのスタート」(『これが建築なのだ──大竹康市番外地講座』OJ会編、TOTO出版、一九九五、七三頁)。
★七──『DISCONT:不連続統一体』四
七八頁。
★八──吉阪隆正「生駒山・宇宙科学館」(『建築の発想 吉阪隆正集7』一五二頁)。
★九──同、一七二頁。
★一〇──『建築の発想  吉阪隆正集7』二一九頁。
★一一──吉阪隆正「人口増加と人工環境と」(『不連続統一体を  吉阪隆正集11』勁草書房、一九八四、一〇二頁)。
★一二──同、一〇一頁。
★一三──例えば、引用した「生命の綱の曼荼羅」についても、吉阪は、その死に向かう床の上ですら別なものを考えており、「曼荼羅の最後は雲散霧消しない。必ず原点に回帰するのだ」と述べたと言われている。藤井敏信「解説2  完結しない構図」(『不連続統一体を  吉阪隆正集11』二
二九頁)。
★一四──『有形学へ  吉阪隆正集13』一
七六頁。
★一五──「平和」へ向けた吉阪の志向は、その生い立ちによって説明されることも
多い。戸沼幸市「不連続統一という言葉など」(『不連続統一体を  吉阪隆正集11』
一九九頁)。
★一六──例えばそれを、「有形学」に対する川添登の理解と、それに対する重村力の応答に見ることができる。川添登「解説  有形学は可能か」(『有形学へ  吉阪隆正集13』二七六頁)。および、重村力「解説  環境—生活—形姿という構図」(『環境と造形  吉阪隆正集5』勁草書房、一九八四、二八四頁)。
★一七──この一文は、向井志郎氏から伺ったエピソードに強く示唆されている。
★一八──吉阪隆正「形姿の大切さを見
直そう」(『環境と造形  吉阪隆正集5』二八一頁)。

>松原永季(マツバラ・エイキ)

1965年生
スタヂオ・カタリスト代表。建築家/まちづくりコンサルタント。

>『10+1』 No.16

特集=ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義