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都市連鎖研究体プロジェクト4:Fujiko──大阪湾埋立地改造計画 | 都市連鎖研究体
Catenated Design project 4: Fujiko: Landfill Reform Project in Osaka Bay | Laboratory for Catenated Cities
掲載『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法, 2004年12月発行) pp.132-137

課題:不要な機能の埋立地を取り壊すことによって海岸線の「復元」を行なう

条件:同一エリア内における廃棄物の再利用


何十年かぶりで助松に行ってみた。白砂青松の海辺も工場地帯に変わり、家も跡形もなくなっているのに涙がでそうになった。
山本富士子「海の思い出」(「私の履歴書」第三回、日本経済新聞、二〇〇二年一二月三日)


昭和の初め、大阪南部の海岸沿いは「白砂青松」の風景が広がっており、海水浴や観光を楽しむ客でにぎわっていた。だが、この風景は、戦後急速に造成された埋立地によって、とっくにその姿を消してしまった。今そこにあるのは埋立地という名のいつまでも居座る巨大な軍艦である。私たちはこれらの埋立地が周囲のコンテクストを抑圧し、その発展を疎外している元凶ではないかと考える。そしてさらに悪いことにそこに展開していた重工業種は現在では衰退しつつある。意味のない空き地がひろがりつつあるのだ。
このような埋立地は今こそ海に還すべきではないか。
私たちは、かつての海岸線の復元と今後の柔軟な発展を目指してここに新たな埋立型を提案する。

敷地分析

近代に造成された埋立地はミチによって東西方向に分断されている。また海によって南北方向の連絡もなく、一つひとつが孤立した状態である。
廃棄物棄却のため年々増設される埋立地に対して、埋立地を占領する重化学工業、特に石油系工場は衰退しつつある。

方針

ミチ型埋立地は、純粋漁村型を基本とすると亜種である。それは近代になって現われた。私たちはそれが周囲のコンテクストを抑圧し、都市の発展を疎外している元凶であると考えた。よって、ここに新たなる埋立型を提案する。また埋立地取り壊しによる廃棄物は全て同一エリア内で再利用することを条件とする。
海側:関西国際空港の滑走路の方向を基準とする軸線と船舶の大きさや波の向きを考慮したもの。
滑走路は飛行に最適な風向を基準に決定される(ウィンドローズ)。そのため、この軸線を考慮することによって効率的な風力発電が可能となる。
陸側:海岸沿いの鉄道・高速道路・川、および既存都市の存在を考慮した。特に川は砂嘴を形成する重要な要素のため流れを妨げぬよう整備する。

一、地盤の解体──都市の障壁を撤廃する
不要な埋立地は取り壊していく。各施設を、残さざるをえないもの(□)、取り壊すべきもの(×)、どちらでもよいもの(△)、望ましいもの(○)の四つに機能別に分け、取り壊すべきものは望ましいものへ誘導する。埋立材料には、主に海底土砂、山土等の陸上土砂、廃棄物があり、廃棄物には、建設廃材、建設発生土、一般廃棄物等がある。これらから有害物を取り除き、残りを再資源化する[表1]。

二、地盤の再構築──純粋砂浜を形成する
防波堤を上図のように配置し、一で生じたもののうち自然に再帰可能な土砂やガラを海中に流す。海流の作用により、防波堤の垂直方向に砂浜が形成される。人為的に手を加えるのではなく、自然の作用だけで形成される、まさに純粋砂浜である。砂浜が形成されるのを待って、建設をはじめる。土地が軟弱なため杭基礎とし、人間・軽移動物のみが移動できる[図1─3]。

三、ゾーニング──三つのゾーンを形成する
陸側から、高級住宅地、さらに別荘やホテルが並ぶリゾート地を開発する。関西国際空港から伸長された軸に挟まれるゾーンは、海外からのアクセスも容易であり、研究施設や国際会議場等の学術・国際交流のゾーンとする。リゾートゾーン、国際ゾーンへの行き来には積極的に船舶を用いる[図4]。

四、建築物の構築──廃棄物を利用する
端に変形を施した防波堤では端部で乱流を生じ、流れが剥離する。それは離岸流に影響を与え、砂嘴の変形を促す。既存都市からのビスタを考慮し、廃棄物から精製したマテリアルを用いて版築状の建物を構築する[図5]。建物は海底に直接構築されるため、海流の流れに微細な調整を加え、また純粋砂浜を護る役割も果たしうる。さらに、自然に漏出すると危険な物質に限っては、厳重に密閉し、地盤より浮かせて設置する。

泳ぐ時に、今でこそ笑われるかもしれないが、乾燥してカチカチになったソラマメを木綿の袋いっぱいに入れ、それを腰にぶら下げる。泳いでいるうちにソラマメが適当にふやけ、塩味が付いて大変おいしいので、それが楽しみだった。いつも母にそれをつくってもらい、食べながら泳いだものであった★。

助松の家は松林の中に建っていて、裏口を出ればもう松の浜というきれいな砂浜である。学校から帰るとすぐ飛び出して砂浜に行き、ごく自然に泳いでいた★。

夏から秋にかけてのことだったか、イワシの大群がやってきて海の色が変わる。その真っただ中で泳いだこともあった。海岸にいた父と母が「あんなところで犬が泳いでいる」と話していたら、それが犬でなく私だとわかって「こんな時期になぜ泳ぐの」としかられた★。

そんな毎日だったので、そのころの私は真っ黒に日焼けし、「目と歯だけが光っている」と言われていた。夜になると夜光虫が来て、海がキラキラ光りとてもきれいだった★。

本案によって、都市の障壁となっていた埋立地は撤廃され、都市は健全に発展する。そうして、Fujikoの思い出は残っていくのだ。しかし、この都市形態は個人の思い出だけでなく、普遍的かつ根源的なイメージを内在させている。
私たち都市連鎖研究体が提案するこの新しい埋立型と構成は、そのイメージのゆりかごとなる。

(担当:前川歩+川崎剛明+福島ちあき+岡田愛+松本宏喜)

★いずれも出典=山本富士子「海の思い出」(「私の履歴書」日本経済新聞、2002年12月3日)

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特集=先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法