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石と鉤十字 | 平倉圭
Stones and Swastikas | Kei Hirakura
掲載『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960, 2008年03月30日発行) pp.35-37

「うさぎ─あひる図」のつづきを考えている。
「うさぎ─あひる図」は、「他人の痛み」というウィトゲンシュタイン『哲学探究』の主要問題から派生している。別の角度から切り取ろう。ウィトゲンシュタインは書いている。

生きている人間をオートマトン(自動機械)と見ることは、何らかの形象を他の形象の極限状態ないし変種と見ること、たとえば窓の十字棧を鉤十字と見ることに類似している★一。


他人は痛いのか。痛がっているだけのオートマトンなのか。わたしの横で泣いている子供をオートマトンであると見なすことは、窓枠のグリッドを鉤十字の組み合わせと見ることと同じように不自然なことだ[図1]。だがそれは「うさぎ─あひる図」が「うさぎ」にしか見えない人にとって、「あひる」と見なすことが不自然であるのと同じような意味で不自然であるにすぎない。
他人の「痛み」がわかるとはどういうことか。他人の「痛み」それ自体を感覚することはできない。もしわたしが他人の「痛み」を感覚できるのだとすれば、それはすでにわたしが感覚する「痛み」であって他人の「痛み」ではない。一方「痛み」を他人の特定の「ふるまい」を呼ぶ名にすぎないと考えればそこに感覚はなくてよく、しかしそのとき他人は、痛そうにふるまうだけのオートマトンから原理的に区別されない。
六九三節からなる『哲学探究』第一部は、四五〇節あたりまでは、他人の「痛み」という概念を特定のふるまい群(「イテテテ」と言う、顔をしかめる、ばたばたもがく、血を流す……)へと解消する方向へ進んでいく。「痛み」とはある感覚を指す言葉ではなく、特定のふるまいのネットワークを指す言葉なのだ。そのとき他人をオートマトンと見なすことは、その想定が不自然であることによって拒絶される。だが六六六節以降ウィトゲンシュタインの思考は、痛い「ふり」をする状況、さらには自分が痛い「ふり」をしたのかどうかを自分でも決定できないという奇妙な状況の想定によって、複雑な揺らぎをみせる。

「あなたは〈それがもうじき止むだろう〉と言った。──あなたは騒音のことを考えたのか、それとも自分の痛みのことか。」もしかれがいま「わたくしはピアノの調律のことを考えたのだ」と答えるとすれば──かれはそのような結びつきが成り立っていたことを確言しているのか、それともその結びつきをこのようなことばで打ち出しているのか。──わたくしにはその双方が言えないのか。もしかれの言ったことが本当であったとしたら、そこではその結びつきが成り立ってはいなかったのか★二


いま同じ部屋の中で、隣室から聞こえてくる「騒音」、かれの「痛み」、ピアノの「調律」の三つが、同時に止もうとしている。〈もうじき止むだろう〉というかれの言葉は、いったいそのどの宛先に向けられていたのか。もし、「痛み」が私秘的な感覚の名ではなく、ウィトゲンシュタインについての一般的解釈がわたしたちに教えるように、目に見えるふるまいの名にすぎないのだとすれば、〈もうじき止むだろう〉というかれの発話すなわちふるまいは、かれの「痛み」を直に指すことができない。なぜか。ふるまいは他者が知覚するものであり、知覚されるふるまいは同時に無限のコンテクストに開かれているからだ。「痛み」を構成すべきふるまい群のひとつである発話は、隣室の「騒音」、ピアノの「調律」と単に同期することによって、他のふるまい群の一部へと横滑りする。『哲学探究』第一部が最後にわたしたちを連れ出すのはこの場所だ。決定するのは他者の知覚である。わたしは、わたしの痛みを所有できない。わたしはわたしの固有性の場を確保できない。
ウィトゲンシュタインが、「頭部の素描」という問題を導入するのはこの次節である。Nの頭部を素描しているわたしの傍にあなた=他者がとつぜん現われて言う。「でも、それはかれに似ているようには見えない、むしろまだMに似ているように見える」★三。Nへ向けられたわたしの素描は、うさぎをあひると見なす他者のまなざしのなかで、MやXにたえず転送されてしまう。しかし素描そのもの、痛みそのもの、釘を打たれた藁人形の即物性の場所は、わたしやあなたたちから匿されて意のままに触れることができない。このときウィトゲンシュタインの思考は、いちどは不可能なものとして批判された「恐ろしい痛みを感じながらまったくそのようにふるまわない人」という想定を介して★四、「石が感覚する」という極限的な事例へ舞い戻るように見える。

事物、対象が何かを感じることができる、といった考えだけでもどこから生れてくるのか。
わたくしの[受けた]教育が、自分の中にあるその感じに注意を払うようにさせたから、そのような考えに導かれていったのであり、そして、いまやわたくしはその考えを自分の外にある諸対象へ転用しているのだ、というわけか。わたくしは、他人のことばの慣用に抵触することなく自分で「痛み」と呼びうるものが、ここに(わたくしの中に)何か存在していることを、認識しているわけなのか。──石とか植物とかに、わたくしは自分の考えを転用してなどいない。
わたくしには、自分が恐ろしい痛みを感じていて、それが持続している間は石になってしまう、と考えることができないのだろうか。そう、もし眼をとじているとしたら、わたくしは自分が石になってしまっていないのかどうか、どのようにして知るのだろう。──そして、いまそのようなことが起っているとしたら、どの程度その石は痛みを感ずるようになるのだろうか★五。


〈石が痛みを感ずる〉とは、混乱した、誤った言語ゲームである。日常的に生きられる「痛み」概念は無限の適用可能性をもたない。「人間のようにふるまうものについてのみ、ひとは、それが痛みを感じている、と言うことができる」★六。だが本当の問題はその先にある。人間のようなふるまいを欠くにもかかわらず、「石」が感覚しうるなどということを、なぜわたしはそもそも想定しえたのか。目の前の石が感覚をもっていると考えてみよ。あるいは、痛みで眼を閉じるあいだわたしは石になると考えてみよ。外からは見ることも触れることもできぬその痛みは、しかし、「他人の痛み」というものへの最初の直観に触れている。あらゆるふるまいから隔絶されて宙に浮かぶ、この感覚は何なのか。
世界は即物的には無限に複雑な「うさぎ─あひる図」として現われる。そこではわたし以外のすべての生物をオートマトンと見なすことが論理的につねに可能であるのと正確に同じ程度に、すべての事物が本当は魂をもち、感覚していると見なすことが可能である。「植物がわずかに葉ずれの音をたてているところにさえ、つねにその嘆きが共鳴している」★七。そしてもはや葉ずれさえ聞こえないのだとすれば、その沈黙を翻訳するのは作品である、というのは芸術をめぐる極端な思考のひとつである。
二〇〇七年末、東京国立近代美術館で開かれた「日本彫刻の近代」展で橋本平八の《石に就て》(一九二八)[図2]を初めて見た。自然石を約一・五倍に拡大して台とともに正確に木彫したこの作品について橋本は、実弟のモダニズム詩人、北園克衛の手で一九四二年に出版された遺稿集『純粋彫刻論』のなかで次のように書いている。「石に就て 数年来の研究の発表であって仙を表現するものであるが専門的には裸形少年像の制作に因って体得するところをより精緻に導くものである。自分はこの作品に依って遂に絶望を感じたのである」★八。この「仙」という言葉を、石の感覚、ないし石の秘められた魂を指すものとして考えてみよう。もの言わぬ石がただの石以上でありうることを、彫られた木偶がただの木偶以上になりうることによって写し取ろうとする橋本の思考は、言うまでもなく、彫刻の根本問題に触れている。すなわち、魂を制作すること。
しかし《猫》や《裸形少年像》のような明白な傑作群と比べて、《石に就て》の現われ方は不明確だ。なぜなら石には理解可能なふるまいが欠けており、そこで表現されているという「仙」がいったい何であるのか、見るわたしにはよくわからないからだ。仙の伝達不可能性は、そのままそこに仙を見てしまう橋本の、固有のアスペクトの伝達不可能性ないし存立不可能性とパラレルである。いかなる彫刻も、それを彫る者の固有のアスペクトを保存することはできない。そして保存できないとすればいったいそれをいかにして彫りうるのか。『純粋彫刻論』のなかで橋本は、この「仙」を埴輪以前の「日本美術」に現われる「純粋精神」と言い換えて実体化し★九、ナショナリズム─プリミティヴィズムの回路に呑み込まれることで、むしろ自らの固有性の場から引き離されているように見える。
わたしたちはほとんど、自らの固有性などもってはいない。言い換えればわたしたちは、自らを根拠づけるような古さを、自らの内にもっていない。その空白を、亡霊のように埋め尽くしにくる無数の歴史=物語がある。窓の棧が「鉤十字」に見えるとは、そういうことでもあるだろう。わたしたちより古いと主張する歴史と共同体が、生と知覚をたえず乗っ取り、食い荒らしていく。近代の日本に限られた話ではない。他者の言語のなかで自らに固有の言葉を獲得しなければならない者には必ず起きることだ。そして美術は、誰にとっても他者の言語として現われる。橋本は『純粋彫刻論』に収められた日記のある箇所で自らの彫刻を水が大地を削り取ることになぞらえ、自然史という他者の極限的な古さによって、諸々の他者の言語を一挙に突き破ろうとしている★一〇。だがそれは比喩に過ぎない。突き破ることなどできない。重要なことは、わたしには決して触れることのできぬ過程によって、わたしの固有性を開こうとすることだ。石でなくてもいい。石ではないほうがいい。[了]

1──ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン 《ストンボロー邸》(1928) 引用出典=『ウィトゲンシュタインの建築』 (バーナード・レイトナー編、青土社、1996)

1──ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
《ストンボロー邸》(1928)
引用出典=『ウィトゲンシュタインの建築』
(バーナード・レイトナー編、青土社、1996)

2──橋本平八《石に就て》(1928) 引用出典=『日本彫刻の近代』 (淡交社、2007)

2──橋本平八《石に就て》(1928)
引用出典=『日本彫刻の近代』
(淡交社、2007)


★一──『ウィトゲンシュタイン全集8 哲学探究』(藤本隆志訳、大修館書店、一九七六)二五〇頁。ただしSwastikaの訳語は「まんじ」ではなく「鉤十字」とした。『哲学探究』第一部が執筆されたのは一九三六から四五年にかけてのことである。傍点引用者。
★二──前掲書、三四〇頁。
★三──前掲書、三四〇頁。
★四──前掲書、二三七頁。
★五──前掲書、一九四頁。
★六──前掲書、一九五頁。
★七──ヴァルター・ベンヤミン「言語一般および人間の言語について」(『ベンヤミン・コレクション1 近代の意味』浅井健二郎編訳、ちくま学芸文庫、一九九五、三三頁)。
★八──橋本平八『純粋彫刻論』(昭森社、一九 四二)二二頁。
★九──前掲書、二八─二九頁、六〇頁など。
★一〇──前掲書、六一─六二頁。

>平倉圭(ヒラクラ・ケイ)

1977年生
横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程講師。芸術論、知覚論。

>『10+1』 No.50

特集=Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。