フィールドワークという言葉が輝くときがある。現地調査が新たな科学的方法として待望された一九三〇年代、全共闘運動の敗北から
いわゆる「新京都学派」の周辺でも、フランス革命研究で知られる西洋史家・河野健二による漁村調査、雲岡石窟の発掘で名高い考古学者・水野清一による灘の酒造民俗調査など、多くのフィールド調査が実施された。そして、今西錦司『村と人間』(一九五二)も特筆に価するかもしれない★一。ヒマラヤ登山やアフリカ類人猿研究で著名な生態学者・今西錦司が、日本国内の人間社会に取り組んだ唯一のモノグラフだからだ。
農村に行けば、米も食えるし、酒も飲める。登山でつき合いのあった農学者・渡辺兵力から農村調査に誘われたとき、今西にはそんな打算が働いたという★二。その結果、渡辺、井野隆一ら農業総合研究所員と、梅棹忠夫、川喜田二郎、吉良龍夫、原田直彦、和崎洋一(宣宏)ら京都生態学研究会員とのタッグにより、一九四七年、奈良県磯城郡平野村の合同調査が実施される(後に補足調査で藤岡喜愛が参加)。筆頭格の今西と渡辺を除けばいずれも二〇代後半の若き学徒たち。エネルギッシュな調査の成果は原稿用紙一五〇〇枚分の報告書にまとめられる。
ところが、その膨大さゆえ出版先が見つからず、原稿は長らく宙に浮くこととなった。この状況を打開すべく今西が執筆したダイジェスト版が『村と人間』である。一章「村」(渡辺・川喜田)、二章「部落」(川喜田・吉良)、三章「生活水準」(和崎・川喜田・原田)、四章「グループ」(梅棹・井野)、五章「人間」(梅棹・藤岡)の五章構成(括弧内は原著者)、これに今西による「序」と「あとがき」が附されている。ちなみに、オリジナルの報告書は結局出版されず、原稿も現在行方不明のままだ。
さて、本書の第一の特徴は「農村クライマックス」という視点である。都市と農村の関係を考えるとき、都市を進歩的・近代的なもの、農村を停滞的・前近代的なものととらえる図式にしばしばとらわれがちになる。しかし、起源として都市が農村より新しいにせよ、都市は農村の機能分化により生じたものであり、都市を生じさせたことにより農村それ自体もかつてとは異なる機能や様相が生じているはずである。だとすれば、農村はすべからく近代化して都市化するという想定は見込み違いも甚だしい。それは、すべてのサルが進化して人間になると考えるようなものだ。農村には農村独自の近代化があり、その「農村としてのクライマックスclimax」(同書四頁)をとらえることがなによりも重要なのではないか。そう『村と人間』は問いかける。
ここに『生物の世界』(一九四一)で提唱された「棲み分け」理論に基づく今西独特の進化論的世界観が底流していることは容易に看取されるだろう★三。こうして、辺鄙な田舎ではなく都市近郊農村がターゲットとされ、奈良盆地のほぼ中央に位置する平野村(現・田原本町)がフィールドとして選ばれる。大きな河川がなく恒常的な水不足に苛まれる奈良盆地において、用水や井戸をめぐる錯綜した権利関係が村の社会に与える規定性を詳述した第二章は、生態学徒たちの面目躍如といえるだろう。
だが、本書の特徴はそればかりではない。村落生活の具体相に迫り、近代化の度合いを見定めるべく、きわめて独創的な数値化が試みられていることも重要だ。第三章では、都市、農村を問わず利用可能な尺度として消費生活が取り上げられる。ラジオ、自転車、体温計、ミシンといった生活用具、投票所に現われる男女のかぶりもの、衣服、履物などが丹念に数え上げられ、近代化との関連が考察される。とりわけ興味深いのは、味噌、醤油、ソース、バターなど二二種の調味料をメルクマールとして、その所有数を嗜好の多様化=近代化の指標とした点である。飽くなき数値化への執念といえようか。
もとより、「知りたいこと」と「数えられるもの」とのあいだにはつねにズレがつきまとい、数値化の過信は禁物だ。とはいえ、数値化の努力そのものを放棄してしまっては元も子もない。「知りたいこと」と「数えられるもの」の差異に慎重であり、なおかつ対象をあぶり出す数値を大胆に模索する『村と人間』のアプローチはきわめてアグレッシヴだ。
とはいうものの、本書の白眉は生態学的視点や数値分析そのものではない。それに裏付けられた村人の政治的連帯をめぐる第四章の記述こそが真骨頂である、と思う。
いまとなっては隔世の感はなはだしいが、共産革命の可能性が本気で語られた敗戦直後、日本社会の進歩を妨げる要因が資本家、とりわけ「封建的遺制」たる農村地主に求められ、資本家と労働者の全面対決のみがその解決方法であると頑なに信じられた。しかし、そのような図式が机上の空論に過ぎないことを今西たちは具体的事実をもって明らかにする。
平野村に土地や資産の格差がないわけではない。だが、それがストレートに階級対立へとスライドするわけでもない。上位の家が家格に適った
本書をめぐっては、研究史の軽視や概念の誤用が批判されており★四、また、半世紀後の追跡調査によって「農村クライマックス」という見通しの甘さや「近代化」概念の不首尾が指摘されている(もとより、高度成長や減反政策やWTOなど、その後の農村に押し寄せた激変を彼らが知るよしもない)★五。そして、今西自身もやはり国内農村調査に飽き足らなかったようで、やがてその目標をヒマラヤやアフリカへと移行させ、他のメンバーもそれぞれのフィールドで活躍していくこととなる。「農村クライマックス」を通じて近代化の行方を占った本書が、ある意味、尻切れトンボとなったことは事実だろう。
だが、そのことで荒削りながらユニークな知見が散りばめられた『村と人間』の魅力が損なわれるわけではない。むしろ、その喚起力は時とともに増しているのかもしれない。
四章の末尾では以下の挿話が紹介されている。B氏の腐敗政治に終止符を打つべく立ち上がったA氏が村長に当選、村政の改革に乗り出すも、村議会で猛攻を受けて解散、選挙となり結果はB派の勝利、A氏は辞職を余儀なくされ、再度の村長選でB氏が当選、B派が政権を完全に奪還した、と。どこかで聞いたような話ではないだろうか。
一通りの近代的制度は整ったかに見えても、下は家族、職場から上は官界、政界まで、さまざまなリーソスをめぐる交渉が陰に陽に錯綜し、一筋縄ではいかない不可視の関係性が張りめぐらされた今日の日本、私たちは果たしてどの程度「近代」を実現し、そしてそれはいかなる指標によって確認されるのだろうか。『村と人間』の問いかけは、いまなお私たちを拘泥し続けている。
註
★一──今西錦司『村と人間』(新評論社、一九五二、『今西錦司全集6』[講談社、一九七五]再録)。
★二──斎藤清明『今西錦司──自然を求めて』(松籟社、一九八九)一五三頁。
★三──今西錦司『生物の世界』(弘文堂書房、一九四一、『今西錦司全集1』[講談社、一九七四]再録)。
★四──中野卓「書評:今西錦司著『村と人間』」(『民族学研究』一七/三[一九五三]所収)。
★五──千田稔「五〇年後の平野村を歩く──今西錦司編『村と人間』その後の風景」(千田稔編『風景の文化史1──都市・田舎・文学』[古今書院、一九九八])。野間晴雄「奈良盆地農村のクライマックスと都市化をめぐる諸検討──『村と人間』のフィールド・旧平野村の五〇年」『人間文化研究科年報15』(二〇〇〇)。