ガソリン価格の急騰が続いている。その煽りを受けて、とうもろこしやサトウキビの需要が食料から燃料へシフトしているという記事を見てハッとした。人間の得る食料と車の得る燃料のエネルギー源がまったく同じだったという事実は衝撃的だった。食料と燃料が同じということは、いよいよ人類は機械までをも巻き込んだゼロサム・ゲーム(有限な分け前の分捕り合戦)を始めてしまったのだろうか。バイオマスエネルギーや新エネルギーなどエネルギーに関する新しい用語が飛び交うが、そもそもエネルギーという言葉自体が怪しく思えてくる。人間の感情までをも含めた生命力と機械の燃料が同じエネルギーという言葉で括られるというのはどうも腑に落ちない。イバン・イリイチは石油が政治問題化してはじめて、エネルギーが燃料の同義語になったと言った。また、物理学の「E」と経済学の「エネルギー」はまったく異なった概念であるにもかかわらず、社会が混同してしまっていることが問題だと指摘する。そして、「われわれの従っている原理が熱力学の法則である限り、われわれに出口はない」と続ける。彼の言葉を使えば、エネルギーはわれわれの時代にふさわしい象徴、つまり、豊富であるとともに稀少であるものの象徴である★一。
有限な化石燃料に代わって、無限に生産可能で環境負荷の少ない新しいエネルギーの開発に明るい未来が期待される。しかし、問題はそれほど簡単ではないようだ。食料から燃料への性急な転換は食品価格の高騰や食糧危機を助長してしまうばかりか、アマゾンの熱帯雨林を消滅させるなど、環境へのダメージも大きい。CO₂の削減を目指した結果、皮肉にも地球温暖化が促進されるという現象が、現実に起きてしまっている。このままでは食料危機と燃料危機を合わせた負の連鎖になりかねない。
その一方でエネルギーの円環的な使われ方の事例を見つけることもできる。NASAの開発した全翼航空体ヘリオスは、翼全面の太陽電池で発電し、直接プロペラモーターを回すと同時に余剰電力を水素に変えて貯蔵し、日射のない夜は、これで発電して飛行する無人航空機だ。エネルギーを奪い合うのではなく、補い合い使い回すというのがいい。車でもガソリンと電気を使ったハイブリッドカーはすでに一定の評価を得ている。建築では燃料電池や水素配管を取り入れた実験的集合住宅が試みられ、戸建住宅向けには家庭版コージェネレーションが商品化されるなど、エネルギーを基軸とした新たな取り組みが身近なものになりつつある。
これからの時代は、エネルギーをただ一方的に受け取ることを許さないようだ。もはや、私たち自身がエネルギーの供給者になりはじめている。とすれば、これまで以上に私たちはエネルギーについて自覚すべきである。そこには新たな可能性が垣間見えるかもしれない。
今回のテクノロジーロマンでは「エネルギーリテラシー」★二と題して、これからの私たちがエネルギーとどう向き合えばいいのか考察する。[SJ]
註
★一──イバン・イリイチ『生きる思想──反=教育/技術/生命』(桜井直文訳、藤原書店、一九九九)。
★二──近年のエネルギー関連情報の発展と多様化にともない、膨大なエネルギー情報のなかから、適切なエネルギー資源を抜き出し活用する知識および能力という意味の造語。マイペディアによるとリテラシーは「英語literacy〈読み書き能力〉と訳され、日本語の〈読み書き算盤〉にあたる。(…中略…)〈社会生活を正常に営むのにどうしても必要な最低限度の読み書く能力〉」とある。
エネルギーリテラシー論
エネルギーガバナンス
自然を制御し、管理し、治めることで、人はエネルギーを得てきた。しかしながら、エネルギーを人が単独で手に入れることは困難であった。人は集団化し、そこでの活動に参加することで、言い換えれば集団に囲い込まれることによって、必要とするエネルギーを手にしてきたのである。つまりエネルギーを生みだし消費することは、ガバナンス(管理・制御・支配・統治システム)と分けて語ることはできない。特に二〇世紀に入ってから、それまでは穏やかな上昇カーブを描いていた世界人口の急激な増加にともなって増大したエネルギー消費量をいかに確保するかはガバナー(支配者・統治者)にとって、極めて深刻な課題であった。それゆえに、エネルギー利用に関わる問題が多くの戦争の動機となってきた。そして今やエネルギーは、商品であることさえも超えて、貨幣と同格に捉えられている。外交政策上の無理がなく、投資と回収の良好なバランスが予測できた地域や地区には、国際的なキャッシュフローが集中的に発生し、それがそのまま逆方向のエネルギーフローとなる。その状況を見るかぎり、エネルギーはガバナンスとエコノミクスの産物と言わざるをえない。われわれはそれを当たり前のように受け取り消費しているが、そこには、取得したエネルギーを配分しているガバナーの姿がある。
エネルギーネットワーク
エネルギーはガバナンスにより、生産→輸送→備蓄→消費という過程を移動していく。その過程におけるロスの発生は現状では避けがたい。供給量に対して、最終消費量との差をロスとするのだが、日本ではおよそ三〇パーセントのエネルギーをロスしている(資源エネルギー庁「エネルギー・資源を取り巻く情勢──国際エネルギー動向」http://www.enecho.meti.go.jp/energy/index_energy12.htmより二〇〇二年)。驚くべきは、中国やアメリカのロスである。それらは日本の最終エネルギー消費量をはるかに上回っている。それどころか日本の国内供給量に匹敵、あるいは上回ってさえいるのだ。仮にアメリカでのロスをすべて集めることができれば、日本の消費分を十分にまかなえてしまうのだ。ロスを減らす最も簡単な方法は、生産と消費の地理的距離を縮めることである。そこで今、メガインフラストラクチャーに代わる小規模な分散型エネルギーネットワークが検討され始めている。分散型電源を消費地に隣接配置することで送電ロスを低減するとともに、複数のシステムを相互接続することでピークカットによるさらなる効率化を計ろうとするものである。適正規模の住戸単位ごとに発電設備が設置され、各住戸は相互に接続され、エネルギーを融通しあうことになる。住設も住宅という枠を超えて接続され、連携し、相互補完的に稼働する。インターネットが地縁性に縛られない不可視なものであるのに比べ、分散型エネルギーネットワークは、地縁性に縛られ実空間をともなうリアルなものである。したがって今後の分散型エネルギーネットワークの広がりは、建物と建物の関係、さらには都市空間さえも変える可能性を持っていると言えよう。
日本におけるエネルギーバランス表(2002)[SN]
参考URL=http://www.enecho.meti.go.jp/topics/hakusho/2006EnergyHTML/html/i2210000.html
エネルギーフラワーズ
エネルギーネットワークに接続された端末としての住宅の姿を思い描いた時、残念ながら住宅自体の外観や形態が劇的に変わる要因は見当たらない。しかしながら、ハイブリッドカーのインジケーターが、刻一刻と変化するドライヴ状況に応じた蓄電池の放電/充電状況や瞬間燃費値を可視化することで、運転者に教育的効果をもたらしたように、端末としての住宅においても、エネルギーネットワークの可視化によるその最適運用についての住人の知識と意識の向上が求められるべきだろう。つまり住宅形態の問題ではなく住人意識の問題なのである。自分は誰かと繋がっているということ、言い換えれば、自身の日常生活のローカリティは他人の日常生活と相互補完性を持つというグローバルな意識が求められるのだ。
そのような意識によって支えられた相互補完的連携体を、地に根を張り、咲き誇る花々に譬えて「エネルギーフラワーズ」と呼ぼう。個々のフラワーは、まるで農耕地のような、風向きや日照時間などの固有の気候、地形、風土に最も適した独自の小型エネルギー生産設備を共有する。しかしながら個々の住宅は、特定のエネルギー生産設備に依存するわけではなく、ほかのフラワーが有する複数の生産設備とも重層的に接続されているのだ。住人たちは個人であるいは集団で、好みのエネルギー生産設備を選び、参加することができる。そしてその見返りに、余剰エネルギー売買制度による利益の配当を享受するのである。
エネルギーフラワーズ/相互補完的連携体[TO]
★1──http://www.bund.org/opinion/20050615-2.htm
エネルギーリテラシー
従来の生産→輸送→備蓄→消費という過程は、「エネルギーフラワーズ」においては瞬時に逆転し、また時には消費しながら同時に生産するといったことまで起こりえる。そのように立ち現われるエネルギーの新しい様態は、われわれに新しい認識をもたらす。その認識によって生じる能力を「エネルギーリテラシー」と呼びたい。それは、自然科学的視点からエネルギーの原理や仕組みを理解し、社会科学的視点からエネルギーの価値や意味を理解し、自らもガバナーとなりえる相互補完的ネットワークを正しく運用するための能力である。
人の営みのなかで、自然を資源と見なしたことからエネルギーは生まれた。その生産消費のために多くのテクノロジーが動員された。「エネルギーリテラシー」から誘導されるエネルギー生産/消費ネットワークモデルのイメージを、野に咲く花々に重ねることに違和感はない。ネットワークという茎に咲くテクノロジーの花々。「エネルギーフラワーズ」が時間と空間を共有する様は、新しくあると同時に初源的なコミュニケーションの姿かもしれない。エネルギーに対する新しい向かいあい方が見えてきたように思える。[MY]
プロダクト
球状シリコン太陽電池
太陽電池とは、光起電力効果を利用して、光エネルギーを直接電力に変換する電力機器のことをいう。太陽電池と聞けば、いわゆる平板状の角張った形をして、南を向いた大きな屋根に取付く姿を想像するだろう。だが、ここ数年の間で認識を大きく変えるテクノロジーの進化を見せている。
これまでの平板状の太陽電池では、原料のポリシリコンをインゴットと呼ばれる塊に結晶化させ、一〇─一五センチメートルの角柱のブロックに切断した後、板状にスライスしてウエハを作製し、セル化するというものだった。その製造過程では、シリコンの切りしろや削りかすなど多くの材料ロスが発生するという問題があった。このロスを大きくカットできると注目されているのが「球状シリコン太陽電池」である。その特徴は製造方法にある。まずシリコンをルツボ内で溶解し、加圧によってノズルから滴下させる。表面張力によって球状化したものが、自由落下しながら凝固し、セル化するというものだ。
一方、ひとつのセルでいかに多くの太陽光を吸収できるかで、太陽電池の集光能力が決まる。球状をしているため、これまでの平板とは違い、三六〇度どこからでも太陽光を吸収できるのだ。さらに、一方向からの太陽光に対し、直接入射するものはプラスの電極をもつセルで受け、それ以外はマイナスの電極をもつ基盤を実装させた反射鏡で反射させ、すべての太陽光をもれなく吸収しようという「集光型球状シリコン太陽電池」まで現われた。しかも、一つひとつの球状シリコンをアルミ箔で連ねていくことで、ぐねぐねと湾曲させることができるのだ。
セルの球状化は、私たちにある種の自由度を与えてくれる。すでにガラス一体型やLED一体型など太陽電池が建材として利用されはじめているが、さらに「球状シリコン太陽電池」が普及すれば、太陽の向きや角度に制約されることなく、屋根でも壁でも太陽の光さえ届くところであればエネルギーを生産できてしまう。将来、住宅のあらゆる表皮が発電面へと変わっていくのかもしれない。[MO]
球状セルの拡大写真
引用出典=http://www.cv21.co.jp/Tech.InfoPP.html
集光型球状セルの基本構造
引用出典=http://www.fujipream.
co.jp/top/img/20051208_
syukoteikei.pdf
集光型球状セルの拡大写真
引用出典=http://techon.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20070115/126452/
湾曲する集光型球状シリコン太陽電池
引用出典=http://techon.nikkeibp.co.jp/art
icle/NEWS/20051208/111483/
湾曲する集光型球状シリコン太陽電池
引用出典=http://techon.nikkeibp.co.jp/art
icle/NEWS/20051208/111483/
ドーム型モジュール
引用出典=http://www.
kyosemi.co.jp/product/data/ja2/dome_type_spphelar.html
参考URL
「株式会社クリーンベンチャー21」(http://www.cv21.co.jp/)
「株式会社フジプレアム」(http://www.fujipream.co.jp/)
「京セミ株式会社」(http://www.kyosemi.co.jp/)
「Tech-On!」(http://techon.nikkeibp.co.jp/)
超電導電力貯蔵装置
超電導★一を使った電力貯蔵が注目されている。超電導とは、電流を電気抵抗ゼロで流せる現象である。一般に銅線など金属には電気抵抗があるため、電流を流すと熱が発生しエネルギーを損失するが、電気抵抗ゼロにより電気を損失ゼロで送ることができる。
電気エネルギーを磁気エネルギーに変換する電力貯蔵装置としてSMES(Superconducting Magnetic Energy Storage)がある。NEDO(技術開発機構)によれば、SMESの特徴は「電気を直接貯蔵することで、高い貯蔵効率で大電力を素早く供給することができる」ことにある。SMESは超電導コイルを冷却する冷却システム、冷却された超電導コイルを保存するクライオスタット(魔法瓶)および交直変換器から構成され、電力の貯蔵と供給を、永久電流スイッチを開閉することで可能とする。超電導コイルに一度電気を流して、永久電流スイッチを閉じれば永久的に直流電流が流れ電力を蓄え、永久電流スイッチを開けば超電導コイルに蓄えられた直流電流を交直変換器で交流電流に変換して電力を供給するといった仕組みだ。
風力発電や太陽光発電などの新エネルギーは、環境によい発電方式であるが、気候などの条件により電力を安定して供給することができない。SMESが実用化すれば、効率的に電力の供給が可能となる。しかし、現状では大きな装置が必要であり、コストもかかる。これら欠点を克服すべく、NEDOと企業が共同し、高温超電導等の研究が進められている。高温超電導が可能となれば、コストの低減、装置の小型化が実現可能となるとのことだ。SMESの小型化が進めばひとつのSMESをシェアする共同体の形成も考えられよう。かつて井戸は、人々に水を供給するための貯蔵設備であると同時に、まちの象徴として生活の中心にあった。SMESを井戸に譬えるならば、近い将来、SMESが人々のエネルギーを貯蔵すると同時に新たなまちの象徴、都市のアイコンとしての役割を担うこととなるだろう。[KK]
SMES
引用出典=http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/egy/ey10/index.html
SMESの基本構成 筆者作成
参考URL=http://app2.infoc.nedo.go.jp/kaisetsu/egy/ey10/index.html
註
★一──超伝導:絶対零度近くの極低温で、ある種の単体金属、多くの合金・金属間化合物で電気抵抗が消失する現象。一九一一年カマリング=オネスが水銀で発見。その後、超伝導状態では完全反磁性を示すことが判明。八六─八七年液体窒素温度で超伝導を示す高温超伝導体がセラミックスで多数発見された。超電導。(広辞苑)
参考URL
「NEDO技術開発機構」(http://www.nedo.go.jp/)
keyword
脱階層化
例えばテレビや新聞のネットワークは、マスプロダクターから一方向に物事が供給される階層モデルである。現在においてもこの階層モデルは健在だが、一方で多中心型、双方向型モデルの出現を認めることもできる。物事の流れる方向は一方向ではなくなり、需要・供給や発信・受信、生産・消費のあり方も自ずと姿を変えはじめている。インターネットにおけるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、ブログ、ファイル交換ソフト等は最近よく耳にする言葉だが、エネルギーの生産・消費ネットワークでも双方向化、小規模化、多様化が進行している。この変化は、われわれの認識を単一的・一義的なものから、より多層的かつ多義的なものへとシフトさせる。このようなネットワークの構造的変化を「脱階層化」と呼ぼう。そもそもテクノロジーは構造化を伴うものであった。脱階層化はその構造から逃れるためのテクノロジーの進化を手助けするものとなるであろう。[SI]
回生化
ハイブリッドカーや電車で用いられている回生ブレーキのしくみは、減速する際にモーターを逆回転させて発電機として用い、運動エネルギーを電気エネルギーに変換し、結果的に運動エネルギーを減らすことで速度を落とす、というものである。運動エネルギーから変換された電気エネルギーはある時は蓄電池に充電され、またある時は架線を通じてほかの車両に受け渡され、新たな仕事を与えられる。このようなテクノロジーは、エネルギーがどこか遠くで生産され、輸送され、消費されるものだという認識を根本から捉え直すものである。エネルギーはつねにそこにあり、形を変えてさまざまな仕事をする。ここで扱われているのは「いかに埋蔵資源を見つけるか」「新たなエネルギー源を獲得するか」等の生産を軸とした問題でも、「いかに効率を上げ無駄をなくすか」といった類いの消費を軸とした問題でもない。作ることと使うことを別のものとして捉えるのではなく、二つの認識を統合する発想だといえる。このように、生産、消費という既成の流れに新たな視座を与え、そこにある物体につねに最適な状態を与え有効に作
用させることに対する指向を「回生化」として捉えたい。ある事象を複眼的に捉え、今まで見落としてしまっていたものに新しい価値を与えていくためのテクノロジーの進化の系譜であるといえよう。[SI]
用語説明
分散型エネルギーシステム
小型のエネルギー生産設備を需要地域の近辺に配し、ローカライズされた生産・供給網を形成するオンサイト型のエネルギーシステム。アメリカで考案されたマイクログリッドはその一例であり、エネルギー生産設備として風力、太陽光発電や燃料電池、バイオマス等、新エネルギーを積極利用している。これらの生産設備と電力貯蔵装置、それをコントロールする制御システムから構成され、環境問題への対応、防災対策、新産業の創造、経済性の向上などを目的として研究が進められている。現段階では大規模発電網との共存を前提としているが、最終的にはそこから独立して運営可能なエネルギーネットワークの形成を目指している。日本では、愛知、京都、八戸で実証実験が行なわれている。[SI]
参考URL
「Oak Ridge National Laboratory」(http://www.ornl.gov/)
燃料電池
電気的な化学反応によって電力を取り出す装置。さまざまな種類があるが、一般的なのは水の電気分解の逆反応を利用するものである(2H₂+0₂→2H₂0)。水素などの燃料を酸素と反応させることで、水と電気を取り出す仕組みである。燃料から電気を取り出す際に、熱エネルギーや運動エネルギーを必要としないので効率的に優れており、有害物質の排出もない。大阪ガスの実験集合住宅「NEXT21」で水素燃料電池を中心としたコージェネレーションシステムが導入されているほか、実証実験段階ではあるが、家庭用の燃料電池システム(東京ガスの「ライフエル」)なども研究が進んでおり、これらのシステムでは都市ガスから水素を取り出す方法が採用されている。[SI]
筆者作成
参考URL=http://www.tokyo-gas.co.jp/pefc/what-fc_23.html
エピローグ
五回にわたって連載された「テクノロジーロマン」は、今回をもって終了する。身の回りにさまざまな種類の住設(住宅設備)が溢れ、建築家はいつのまにか分厚いカタログから製品を選び出して、住宅の中にその置き場所を与える役割になってしまっている。住設は進化しているが、それらは本当に必要な進化なのだろうか。住宅で身の回りを見渡すと、正体のわからないものに囲まれながらも、無意識にそれらに馴化させられていくような不気味さを感じてしまう。一方で、テクノロジーは私たちにとって魅力的な存在でもある。自分たちの生活が人間の叡智と創意によって変わっていくことに、素直にわくわくするような気持ちを覚えるのも確かだ。
そんな相反するような思いが同時に存在するのが、今のテクノロジーと私たちの関係ではないだろうか。一つひとつのテクノロジーは難しくなりすぎたし、インターフェイスが工夫されすぎたことで、私たちとテクノロジーを結びつける大事なつなぎのような部分が抜け落ちてしまっているようにも思える。きれいなパッケージの中に隠れてしまっていて、住設の中身に手が届かなくなっているのだ。私たちは住設でどのようなことが起きているかをよく知らないし、それらを語る言葉もほとんど持ち合わせていない。だから、もっとテクノロジーを身近に引き寄せて、ポジティヴな未来を描きたいと思った。そんな問題意識を共有する者が集まり研究会をつくり、この連載を執筆した。
プロダクトからの視点
私たちは毎回、テーマを決めて身の回りのプロダクト(製品)を調べた。ひとつのプロダクトがどんな意図でどのような技術を使って開発されたのか、その背景にはどんな社会認識があるのかなどを研究した。そして、複数のプロダクトを横断的に見ることによって、機能や形態の相違を超えた類縁性のようなものを見出し、それに言葉を与えようとした。「ユニバーサリズムのオブセッション」「リモコンな快楽」「感応空間」「象徴装置」「エネルギーリテラシー」というテーマを設けた五回の連載では、既存の枠組みから離れて、ボルヘスの『シナの百科事典』のように、相互に異なる切り口から住設を見、主題に沿ってそれらを並び替えていくような作業をした。そうやって住設を見ることで、普段なら別々に考える住設が隣り合って論じられたり、意外なもの同士が微細な部分で結びついたり、形而上的な連関性を見つけられたりすることを知った。私たちは新しいテクノロジーを開発することはできないが、テクノロジーを見る新しい眼を生み出すことはできるのだ。
進化の豊穣さと住設への構え
ここで連載を通して見えてきたことを二つ挙げたい。ひとつはテクノロジーの進化のヴェクトルに見られる「豊穣さ」である。万人が使用できる方向で進化するものもあれば、近年のキッチンのように、個体差や嗜好性の違いを細かく映し出すような方向で進化するものもある。プロダクトと人間の距離を縮めるように進化をするリモコンのようなツールも、単に楽になるという目的だけで進化が進んでいるわけではない。このことがテクノロジーの進化の枝葉を豊かにし、一面的な価値では図れないユニークな住設を生み出しているのだ。
もうひとつは、住設と向き合うときの私たちの「構え」である。住設の進化は必ずしも視覚化される建築空間の変化によって評価をするべきでない。建築様式や建築空間が直接変わるのではなくとも、空間認識や生活様式に内在する倫理観や価値観が変わることによって、間接的にあるいは不可視のレヴェルで建築を変えうる力を持つ進化もある。例えば、「感応空間」で取り上げたセンシングテクノロジーの進化は、建築のデザインではなく、感知される人間の行動様式を変え、その結果、住宅のあり方を変えていく可能性を持っている。今回取り上げたエネルギーも同じだ。これらのテクノロジーの進化に対しては、可能世界をより豊かに想像していく力を、私たちはもっと身につけるべきだろう。
テクノロジーロマンの行方
テクノロジーを相手にする場合は、観察しているそばから相手が変わっていってしまうことを受け入れなければならない。移ろいゆく実像を見定めないとテクノロジーの未来は見えてこない。たとえ砂上の楼閣のような作業であっても、ものに即して語らなければ、ものを語るうえでの説得力を持てないのだ。しかし、それを見ることによって生まれる〈言語〉は、流通する商品と同じように消費されるものではない。私たちは「自浄化」「メトノミー(換喩)化」「オートノミー(自律)化」「回生化」「エフォートレス化」など、いくつかのキーワードをつくった。テクノロジーの進化の類型を示すこれらの〈言語〉には、住設の枠を超える論理的な広がりが内在している。変化していくものの儚さを超えて、これらの〈言語〉が新しい物語を紡ぎ始めていくことを期待したい。
建築家にとってテクノロジーは興味の尽きない魅力的な鉱脈だ。テクノロジーが進化し続けるように、私たちが思い描くテクノロジーロマンもまだまだ進化していくことだろう。この連載では、その入り口にかろうじて立てたということかもしれない。[SY]