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建築「ものづくり」技術の変遷とその影響──建築物の規模拡大を支える「ものづくり」技術 | 嘉納成男
Change in Building "Manufacturing" Technique and Its Effect: Building Scale Expansion Supported by Technique | Kanou Naruo
掲載『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える, 2007年03月発行) pp.200-208

建築物の大規模化

嘉納成男──今日お話するのは建築物の規模を大きくしようというニーズにどう対応してきたかということです。一九六三年に高さ制限がはずれ、一挙に超高層が建ってきましたが、ものつくりがどう変わってきたか、どのように建築をつくっているか、という話をしたいと思います。
規模を大きくしたいというニーズは意匠系からすると亜流という感じもするかもしれませんが、建物の規模を大きくすることには発注者のニーズがあります。特定の地域にいろいろ集中して建物を建てて街をつくる時代になっています。理由は便利さともうひとつはセキュリティの問題です。公道は一般道なので誰でも自由に立ち入れ、そこに座り込んだり、他の人に話しかけたりしてもコントロールすることはできません。しかし、私有地や建物内では、これらを所有者がコントロールすることができ、高いセキュリティが保たれます。だから広い敷地にいろいろな建物を集約し、さらにオープンスペースをつくるために高層なビルを建ててそのスペースを確保しなければいけません。しかし高層ビルをつくると工期が長くなってしまい、また値段も高くなり、これが大きな問題です。
建築の面積を増やす方法は三つあります。ひとつは複数棟に分けるというやり方です。前のワールドトレードセンターなどは二棟に分けてありました。複数棟に分けても地下や一階で繋げればひとつの建物として広い面積を確保できます。問題は複数棟だと隣の棟とのアクセスが若干悪くなることと敷地の利用効率が悪くなることです。複数棟なので棟と棟との間を空けるために無意味な空間もできます。同じ一〇、二〇万平米の建物ならば、二棟に分けるより一棟に建てたほうが敷地の利用効率はよくなるわけです。
それから基準階面積を増やすという方法もあります。基準階面積が大きければ、一〇階や二〇階程度であっても大きな建物ができます。このときの問題は、仕事机から窓までの距離が遠くなることです。また、事務所空間では柱がじゃまになります。どのくらい柱スパンを延ばせるかが課題です。敷地の大きさに制約されますが、基本的には窓からの距離と柱の間隔で建物の幅が決まり、おのずと基準階の広さは決まってきます。建物の幅は、両脇に一五メートル、真ん中に一五メートルのコアでだいたい四〇メートルから五〇メートルです。幅五〇メートルで長さ一〇〇メートルであれば五〇〇〇平米で、もうその辺が限界です。
もうひとつの方法は階数を増やす方法です。階数を増やせば、上に積み重ねていきますから、比較的楽に大規模なものがつくれます。容積制限のため、階数をどんどん上に足せば低層部分に庭などができます。しかし問題もあり、工期が長くなります。階数二〇階くらいの建物を五〇階にしようという話が出た時に工期が長くなるからやめようという意見が必ず出て、工期を長くしないために低層というニーズが出てきます。だから工期を短縮することを考えないと高層は成り立ちません。それから工事単価が増えます。一〇階建ての建物を積み重ねると二〇階の建物になるわけではなく、構造体費用の増加、エレベータシャフト等の面積が増えるためにレンタブル比の低下があります。単価が上がらない仕組み、工期が増えない仕組みを考えないかぎりは一五階や二〇階の建物に超高層建築は太刀打ちできない。ここでは、主に工期について解決して早くやる方法を紹介し、低層の建物と勝負できる超高層建築がつくれるという話をしたいと思います。

大規模化の歴史

大手町ビル[図1]は幅がだいたい五六メートルです。どのような建物も事務所系は大きくても幅五〇メートル程度です。長さは二〇三メートルで、基準階面積は約一〇〇〇〇平米です。パレスサイドビル[図2]はお堀の横の余裕のある敷地にあり、これも幅が五一メートル、長さは二〇三メートルで偶然ですけれどほとんど大手町ビルと床面積は同じです。芝パークは大きくて七〇〇〇平米です。霞が関ビルは八三メートル×四二メートルで三五〇〇平米。長さからみると駅舎は長いです。東京駅は間口が三〇〇メートルか三五〇メートルくらいあります。
建物の基準階面積を増やすことには限界があるため、さらに規模を増やすには上に伸ばさなくてはならない。これは主要な超高層建築の竣工年の推移です[図3]。クライスラービルが一九三〇年に建ち、日本では六三年に高さ制限が外れていますから、それから五年後の六八年に霞が関ビルができました。新宿セントラルビルが二二〇メートル、横浜のランドマークタワーが約三〇〇メートルです。世界的に見ると上海のワールド・ファイナンシャル・センターが四〇〇メートルで、台北国際金融センターが約五〇〇メートルで一番高いです。一般的には、超高層建築では二五〇メートルくらいの建物が多い。歴史的に超高層建築を見ると少しずつではあるが高さが伸びています。構造的にはどこまでいくかわかりませんが、ニーズがあるかぎり伸びていきます。高層にすれば低層部に余裕ができますから、六本木ヒルズのように敷地が広いところはさらに高層化のメリットが生まれます。日本は三〇〇メートルあたりの建物が限界でしょう。地震国なので簡単には高くならない。

1──大手町ビル 引用出典=『建設画像』No.7「特集=大手町ビルジング」 (光元社、1958)

1──大手町ビル
引用出典=『建設画像』No.7「特集=大手町ビルジング」
(光元社、1958)

2──パレスサイド・ビル 引用出典=『パレスサイド・ビルディング建設史』 (株式会社パレスサイド・ビルディング、1980)

2──パレスサイド・ビル
引用出典=『パレスサイド・ビルディング建設史』
(株式会社パレスサイド・ビルディング、1980)

3──220m以上の建物の竣工年

3──220m以上の建物の竣工年

大規模化への対応

高層化の足かせは工期が長引くこととコストがどうしても割高になることで、その解決へのニーズは高い。地上階が増えると工期は比例してだいたい一階あたり平均一〇日から一二日くらい増えます。地下階はコストもかかって工期も増えます。最近は容積制限があり、地下をつくらなくても上に伸ばせる。しかし、基準階床面積は増えても工期には大きな影響はありません。このため、階数が同じであれば、細いペンシルビルも規模の大きいビルも工期的にはほとんど変わらず、工期は地上階と地下階の数で決まってしまいます。
建物をつくるには、まず準備工事、それから杭の工事、地下掘削の工事、地下の基礎・躯体の工事、地上の躯体、それから外装工事、内装下地・仕上げの順序です。それから、外構、植栽も含まれます。どのような建物もこのような過程でできるのです。それで工期についてですが、地上階数が増えると杭工事が増え、それから当然地上の躯体工事の工期も増えます。地下が増えると、地下を掘削する期間と地下の躯体をつくる期間が増えてきます。そういうことで地下や地上の階数が増えるとどうしても工期に影響が出てきます。
建物の高層化へのニーズが増加すると、当然技術開発も盛んになります。例えば明治時代と比べると現在の工期は当然早くなっています。明治から現在まででどのくらい技術進歩をしているのか。例えば、一九 六〇年の建物を、明治時代ではどのくらいかかってつくっていたかを統計のデータで推定したものがこのグラフです[図4]。例えば一九六〇年現在で三年かかった建物ならば、明治時代では約二・五倍、七年ほどかかります。明治時代から、六〇年間は結構早いスピードで工期時間が短くなっています。しかし、ここからはあまり急激には下がっていない。下がっていない理由は、現在では突貫工事や夜間工事が禁止されていて、また日曜日は働けないという制約もあり、工事をできる日数が少なくなっているためです。建築工事ができる日数は年間の六〇パーセントくらいです。明治時代は一年中工事をやっていて、日曜日がないところもありました。

4──事務所建築における工期指数の推移

4──事務所建築における工期指数の推移

繰り返しによる習熟効果

超高層の工事では同じ作業を繰り返し上階をつくっていける特徴があります。タクト工法や生産性を上げるための工法を生かすことができます。例えば一〇階建ての建物を複数棟でつくって、それを二倍の二〇階にすると構造的な費用がかかってきます。それを例えば五〇階の建物を一〇階の工事費の単価でやるためには、タクト工法で繰り返しをできるだけ多くする生産システムを組みます。繰り返しが多ければ習熟効果ということがあります。例えば一階、二階、三階の仕上げをするというように繰り返すと、例えば三階部分で作業者が一〇〇人かかったところが、三〇階部分では八〇人ですみます。つまり上階になると人件費は習熟効果で八〇パーセントですむわけです。人間の習熟効果によって単価を抑えることができる。

湿式工法から乾式工法へ

昭和三五年頃は、仕上げはSRCの躯体工事の終わり頃から始まりました。昔のやり方では躯体をつくっている時は仕上げをしない。これが工期を長くする要因でした。昔は湿式工法を採用していました。本当は内装仕上も躯体工事に合わせて下階からつくっていきたいのですが、例えば五階で壁にモルタルを塗っていると、モルタルの水は五階の床に落ちます。コンクリートは水を通すのでその水が四階に落ちる。このため、四階は仕上げをできないことになります。モルタル塗りをするのであれば、五階のモルタルを塗って、次に四階のモルタルを塗ってと、上から仕上げていかないと湿式の場合はうまくいかない。
それをモデル化した場合です[図5・6]。躯体は一緒ですけれども、まず仕上げ、例えば壁紙を貼る時には屋上防水ができていないとだめです。それから外装ができていないといけない。躯体もできて、外装もできたらやっと水は通ってこないですよね。この期間はたいした仕上げはできないわけです。屋上の防水ができて、窓ガラスが全部入って、水が入ってこないようになると仕上げができる。仕上げに例えばエレベーター前にタイルを貼ると、タイルの下地を確保するのにコンクリートに水を撒きます。その水が下に落ちていきます。だから五階にタイルを貼ろうとすると下の階はたいした仕上げはできないんです。どうせ上からぽたぽた落ちてきますから。そういう面で仕上げは上からやっていくということになります。これが湿式工法を採用した場合工期を長くする要因になります。

5──昔の建築工程。 仕上工程は上階から下階への順

5──昔の建築工程。
仕上工程は上階から下階への順

6──仕上げ工事の湿式工法から乾式工法へ。 仕上工程は下階から上階への順に変化

6──仕上げ工事の湿式工法から乾式工法へ。
仕上工程は下階から上階への順に変化

止水工法

完成した建物は屋上防水があって雨が中に入ってこないわけです。しかし、工事中の建物の上部には何もないわけですから、雨水は下に落ちてきます。そうするとやはり一階の仕上げも基本的には屋上の防水がされないとできないことになる。天井ボードも貼りにくい。天井ボードを貼っても、台風が来て大雨が降ると、まだつくりかけのところから滝のように水が落ちてきます。一〇階建てであろうと二〇階建てであろうと雨水は一階まで届いてきます。まずエレベーターシャフトが全部滝のようになる。それから階段室も上から下まで突き抜けています。それから床にはパイプシャフト穴が開いていますから、そういうところから漏ってくる。
しかし、屋上防水が完成するまで待てないということで、止水工法が霞が関ビルをつくった頃から採用されています。仕上げは低層だとすぐに終わりますが高層にすると三〇何階まで待っていないといけないので、仕上げ工事の着手が遅くなります。屋上防水というのも止水ですが、途中で止水する止水階の設定というのがあります。止水するためには、まず外装の取り付けを早めにやる必要があります。最近の高層の建物の外装は鉄骨工事に従って上階のほうに一気に上がっていきます。鉄骨だけが上がっていくことはあまりないわけです。鉄骨が上がりだすと、外装もそれにあわせて付けていく。なぜ外装を付けるかというと、外装を付ければ横殴りの雨に耐えられるからです。つまり外装がついてないと中の仕上げができないのです。外装を付けて、なおかつ止水階を設けると仕上げができる。止水階を設けると内部は完成した建物と同じ条件になります。超高層であれば、止水階を三、四カ所に分割して、上階に止水階を設置し、その下階では仕上げができるところから始めています。
これは雨を防ぐために役立つ全天候施工です[図7]。全天候施工だと、夏は日差しを遮れるので作業者は働きやすい。図8の左が従来工法、右が全天候型です。支柱はタワークレーン用を使い、屋根部分を持ち上げるのに使っています。それから作業者は熱中症にもかからないため、そういう面でよい工法です。

7──全天候型施工システム(大林組)

7──全天候型施工システム(大林組)

8──全天候型施工システム(大林組)

8──全天候型施工システム(大林組)

建築物の資材揚重

建物の物量がどのくらいになるのかというと、概算でだいたい平米あたり〇・八立方米です。それだけの資材を上げる必要があります。超高層になればなるほどクレーンやエレベーターで揚重する量は多くなる。
建築工事では、鉄骨を建てる、大きな重量のものを揚重する必要があるのですが、どうやっているかという問題があります。大手町ビルではデリッキが使用されています[図9]。非常にシンプルな機械ですが、ホテルニューオータニもこれを使っていました。霞が関ビルはタワークレーンですが、タワークレーンが出てきたのは六三年頃です。エッフェル塔やエンパイアステートビルでもデリッキを使っています。これは非常によい揚重機で、霞が関ビルの前ぐらいまではこれを使っていました。これは非常に簡単で、下がピンになっていて、回せるようになっていて人が回していました。これは五トンから一〇トンのものが吊れます[図10]。
エンパイアステートビルの工事ではデリッキが四機使われました。これですべての鉄骨を揚げています。エンパイアステートビルの特徴は高いこともありますが、工期が極端に短い。一年三カ月から四カ月でできています。霞が関ビルは確か三年くらいかかっています。このようなデリッキを使っていてなぜ一年四カ月でできたのか未だ不思議で仕方ないのですが、工程表が示すように現実にこの短い工期で建てられています[図11]。デリッキを使って一階あたりが二日で上がっています。驚異的な早さで、日本では一階あたり二日ではちょっと無理で、今でも三日、四日はかかります。デリッキは安いから数多く設置することができたため工期が早くなったと考えられます。
ワールドトレードセンターは、一九七四年ぐらいに建ったのですが、この頃になるとタワ ークレーンが出てきましたが、アメリカもタワークレ ーンが使われるようになったのは遅いです。ワールドトレードセンターの特徴である外装の鉄骨が結構重いので、デリッキよりもタワークレーンのほうが有効になり、タワークレーン四機を使っています。これをカンガルークレーンとも言うらしい。建物を建てていくと、クレーンもその都度上に上がらなくてはいけません。そこであるところまで鉄骨を建てると、クレーン自体をジャッキで上げていくのです。これがジャンプ式で、ジャンプするからカンガルーで、カンガルークレーンと言われているという説もあります。また製造されたのがオーストラリアなのでカンガルークレーンと言うとの意見もある。
パレスサイドビルは建ったのは六六年ぐらいですが、タワークレーンがすでに使われています。霞が関ビルも同じ頃に工事をやりました[図12]。このタワークレーンの第一号機は輸入したようです。建築ではそれまでタワークレーンは使っていなかったのですが、この種のクレーンは昔から世界中の造船所や港にありました。タワークレーンと構造的には似ていて、二〇トン×二一メートルの約四〇〇トンメートル(クレーンの吊り上げ能力は吊り上げる重量とブームの長さを乗じたトンメートルで表現します)のクレーンなどがあり、一九五〇年から六〇年にはすでにありました。これを転用すればタワークレーンはすぐにできたわけです。ただ問題は足元の部分です。造船所などでは足元にはレールがあって横に動くようになっていて、上には伸びない。船を置くと横にレールがついているので左右に動きます。今使っているタワークレーンと造船所のクレーンとのどこが違うかというと、建築工事用はクレーン本体に大きな穴が開いていて支柱が貫通して上まで伸びるようになっています。タワークレーンはこの支柱を利用して上下できる。これが造船所のクレーンと違うところです。ちなみに造船の人たちはこのクレーンを塔型水平引込みジグと呼んでいます。塔型というところからタワークレーンという名前がつけられました。建物ができてくると、タワークレーンを上階に上げなければなりません。上げるための仕組みがタワークレーンの面白いところです。これはクライミング型クレーンと呼ばれ、これができたおかげで超高層は早く鉄骨による建て方ができるようになりました。
クレーンのリーチはだいたい三〇メートルから五〇メートルです。ほとんどの建物は幅が五〇メートルぐらいしかなく、建物の真ん中にこのクレーンを置けば両側の柱を吊ることができます。
横浜ランドマークタワーでは一五〇〇トンメートルのクレーンが使用されました。これは日本で最も能力があります。霞が関ビルでは一〇〇トンメートル、新宿の超高層が二〇〇トンメートルから四〇〇トンメートルが使われました。最近は九〇〇トンメートルがよく使われています。一五〇〇トンメートルあれば四階分の柱鉄骨を一気に吊ったりすることができます。クレーンで鉄骨を上げると時間がかかり、五〇階まで上げると一五分はかかります。そうすると、一日に三〇、四〇回ぐらいしか吊れない。だから鉄骨建て方のほとんどの時間が吊り上げに費やされているわけです。一台のクレーンで吊れるピースは一日四〇ピ ースほどで、重さは関係ないわけです。クレーンの吊り上げ速度を上げるのは技術的に難しいので、できるだけ大きいトンメートル能力のクレーンを使うことが工期の短縮になります。例えば五〇トンのものを一回吊れば五トンのものを一〇回吊ったのと同じです。そういう要求があるためクレーンは巨大化していきます。
クレーンは六三年頃に出てきて、一〇〇トンメートル、二〇〇トンメートル、三〇〇トンメートル、四〇〇トンメートル、九〇〇トンメートル、それから一五〇〇トンメートルと大きくなってきました[図13]。日本では一五〇〇トンメートル、最近では二〇〇〇トンメートルもできていると思います。九〇〇トンメートルなら半径五〇メートルのところに約二〇トンのものが吊れます。二〇トンのピースが吊れるということは大きなパネルを吊ったりできるわけです。
それからカーテンウォールを吊るとゆらゆら揺れます。吊り具にカーテンウォールを付けようとすると、ゆらゆら回転するので、クレーンに関する小さな要素技術としては、それを抑えるために最近はジャイロがあって、これが回転して向きを安定させます。風に吹かれても自由にコントロールできるので、どこでも角度を変えて使えるという優れものです。最近はカーテンウォールを付けるのはこういうジャイロ付きのものが多いです。ジャイロがついていないと、これは人が手を伸ばして引き寄せなくてはならない。

9──大手町ビル建設当時 引用出典=『建設画像』No.7「特集=大手町ビルジング」 (光元社、1958)

9──大手町ビル建設当時
引用出典=『建設画像』No.7「特集=大手町ビルジング」
(光元社、1958)

10──デリッキ 引用出典=Lewis W. Hine, The Empire State Building, Prestel-Verlag, 1998, pp. 42.

10──デリッキ
引用出典=Lewis W. Hine, The Empire State Building, Prestel-Verlag, 1998, pp. 42.

11──エンパアステートビルの工程表

11──エンパアステートビルの工程表

12──霞が関ビル建設当時 引用出典=『霞が関ビルディング』(三井不動産株式会社、1968)

12──霞が関ビル建設当時
引用出典=『霞が関ビルディング』(三井不動産株式会社、1968)

13──クレーン揚重能力の推移

13──クレーン揚重能力の推移

逆打ち工法

最後に逆打ち工法についてです。普通は地下工事は地下を掘り、地下躯体をつくって、その後から地上躯体を建てていきます。こういうことをやっている時間がないので、地下と地上で並行して進めるやり方を逆打ち工法と言います。逆打ちというのは通常、地下躯体は最も深い部分から順次上の方へ造っていくのですが、この逆打ち工法では先ず地下一階をつくり、次に地下二階をつくる「逆の」順序となっています。地下を掘りながら地下の躯体をつくり、同時に地上の鉄骨を建てていくやり方です[図14]。
逆打ち工法はパレスサイドビルでも使っていますのでそれほど新しいものではありません。その頃地下工事では地盤が崩れるという不安があったのですが、安全な方法として逆打ち工法が使われました。最近は工期を早めるためにほとんどの高層建物で逆打ち工法が使われています。
地下を掘りながら躯体を上げていきますが、躯体の重さをどこで支えるかというと、先に杭を固い地盤まで打ち込みます。つまり地下は杭だけをつくり地上階を建てていくのです。地下を掘っているときにはすでに杭はできていますから、掘っていくと杭が見えてきます。逆打ちのコンクリートの写真です[図15]。一階の床ですが、その下に予め設置した杭の鉄骨がむき出しになっていて、上部だけはコンクリート打設されています。ここにある柱が鋼真柱です。多くは三〇メートル程度あります。三〇メートルの長さの鉄骨を現場に持ってくることはできないので溶接しています。技術的には柱の歪みを数ミリで納めなければ地下を掘削していく途中で地下の柱の間に設置する梁の長さが変わってしまう問題が発生する。この精度管理が非常に重要です[図16]。

14──吊り上げ部材の方向を制御

14──吊り上げ部材の方向を制御

15──逆打ち工法による地下掘削

15──逆打ち工法による地下掘削

16──鋼真柱の溶接 特記以外、図版は筆者提供

16──鋼真柱の溶接
特記以外、図版は筆者提供

まとめ

建築物の規模を大きくしようとすると、工期やコストが重要な要素となってきます。特に高層化によって規模を大きくしようとする場合、工期の増加、構造的費用の増加など、低層の建築物に比較して不利な面が多い。「ものづくり」の技術は、規模拡大へのニーズに応えるべく数多くの施工法、工程計画の技術を編み出しています。現時点では、「ものづくり」の技術は設計側のニーズに追随するかたちで、施工方法や工程計画の技術を編み出していますが、「ものづくり」のしやすさや安くできる施工法を巧く活用する設計内容にしていけば、規模の拡大による工期の増加やコストの増加をさらに抑えることができます。

質疑応答

石山修武──大変興味深く聞いたのですけれども、例えば、東京都のゴミ清掃は人力を集めてゴミを収集するシステムで、先進諸外国と比べるとシステムが工業化されていない。それが雇用の問題として、工業化しないほうがよいと見直されています。総合システムとしたらたくさんの労働者を雇用でき、バランスがとれているという視点があるそうです。嘉納先生はより早く大きくということを前提にされているのですが、今後生産のシステムの研究に、もう少しゆっくり、しかも雇用数を増やすという視点が出てくる可能性はないのでしょうか。
嘉納──その視点はあまり考えていないのですが、アメリカに行って感心したのは、レンガがまだ使われていることです。地震がないからかもしれませんが、事務所の間仕切りにレンガを使っている。これほどレンガを使う理由は、レンガで間仕切りをつくっているかぎりは人だけでできるからです。間仕切りをコンクリートのパネルでやるとクレーンが必要になってきます。レンガだと、二〇、三〇人が現場に張りついていると一気に壁ができていきます。そういう面の生産性があるという気がします。例えば舗装もアスファルトを打って、コンクリートを打設して重機を持ってきてやるより、レンガを敷き並べるのならば一〇〇人で舗装ができ上がります。そういう良さもあると思います。
中川武──安く、早く、高層化、大規模化を実現するために技術が発達したということがあります。だけれどアメリカ的グローバリズムに属さずに、それに対してどういう方向性があるのか。大規模化が建築の表現の目的になったのは古代建築だと思います。だけれど古代建築は小さなものと大きなものが同時に存在できました。それから太い木割や表現としての大規模性であって、実体そのものとはまた別の問題である。そういうものが参考になると思います。それから大小規模の同時存在性,同一の価値があるとかそういう技術体系も有効かもしれません。質の問題と大規模化としての問題を同時に解決していくなかに新しい工法があるかもしれないという感想を持ちました。
嘉納──大規模化は容積制限で、どこかを大規模化すれば余ったところは小さいものをつくれるわけです。そうなると決まった敷地で、容積が決まっている場合は集中することによって、つまり建物を上に伸ばすことによって、地表にスペースがあきます。そういうことで社会が大規模な建物を要求していると思います。
鈴木博之──技術というものを考えたときに、最適とはどういうものを指すのでしょうか。ある技術を採用する、コストを判断するというときにはどういう要素で最終的に決めるのか、そのあたりについて教えてください。
嘉納──建築の工事設備の耐用年数はだいたい八年ぐらいです。ところが建築工事は二─三年ぐらいで終わってしまいますから、そういう意味で複数の工事で新しい設備が使えないと非常にリスキーです。土木技術の開発が進む理由は、開発した工事設備がひとつの工事のみで償却してしまうからです。逆に建築はひとつの工事だけでは償却できませんから、技術開発に消極的になる。開発しても後が続かないとペイできない場合が発生する。よい例が建設用ロボットで、工事を三つぐらいやらないと費用は償却できません。開発された建設ロボットは機能的には優れたものであったものの、景気が悪くなって償却をしない段階で没になってしまった。建築の多くの技術が最初は華々しかったけれど、それが使える工事が続かないために企業的には失敗したと言われることもあります。
[二〇〇四年六月一七日]

>嘉納成男(カノウ・ナルオ)

建築産業研究、工事計画・管理手法研究、建築生産性研究など。

>『10+1』 No.46

特集=特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える

>石山修武(イシヤマ・オサム)

1944年 -
建築家。早稲田大学理工学術院教授。

>中川武(ナカガワ・タケシ)

1944年 -
建築史。早稲田大学理工学研究科教授。

>鈴木博之(スズキ・ヒロユキ)

1945年 -
建築史。東京大学大学院名誉教授、青山学院大学教授。