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都市の水面 内郷村再訪 | 瀝青会+中谷礼仁+大高隆 写真
City Surface: Revisiting Uchigo-Mura | Rekiseikai, Nakatani Norihito, Takashi Otaka
掲載『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?, 2006年12月発行) pp.13-30

相模湖は神奈川県と東京の西端との境に位置する山間の湖である。その相模湖の南にある元内郷村・増原は今和次郎が『日本の民家』初版にその村落の全体配置図を掲載した村である[図1]。色付きの別綴一枚ものであったから、その調査は彼にとっても格別の意味を持ったものであったのだろう。
私たちが旧増原に訪れた初日のことである★一。訪問した家の主とともに、増原をつらぬく中央の道を歩いてみることになった。三方を山で囲まれている台地なのであるが、もう一方は川に向かって急に落ち込んでいるため、意外に広々とした印象がある。
緩やかに登る道を伝って村の際まで来た時に、その主が、いま伝ってきた道は、実は村を貫く小川に沿った道なのだと言う。昔、その川には村が共有する水車小屋が点在していて、よく麦を製粉していたのだと言う。その水車小屋のメカニズムを描いたスケッチを今が残していたことを思い出し、その在り処を訊いた[図2]。すると主は傍らにあった共同のゴミ捨て場を指さした。つまり昔は生産の重要な連結点であった水車小屋が、共同使用という目的だけを残して、いまでは消費の終端となったゴミ捨て場へと一八〇度変わっていたのであった。
そういえば川の姿が見えない。川はどこにあるのかとさらに尋ねると、三〇年も昔に暗渠化されたと言う。村の生活を支え動力の源であった川は完全にその機能を失っていた。
では畑の作物にはどうやって水を与えるのかとさらに訊く。主は「もちろん水道だよ」と笑って応えた。その景色はほとんど変化のないように見えたこの村だが、より深い部分でその基盤は変化してきたのかもしれない。それを意識したのはこの時からであった。
相模湖をはじめとしたこの村周辺の豊富な水系、その自然の景色に溶け込むような青い水面。しかしこの水が実はきわめて都会的な産物であったことに気づくのに、もう、そう長くはかからなかった。

1──内郷村増原の村落配置図(『日本の民家』初版より)

1──内郷村増原の村落配置図(『日本の民家』初版より)

2──旧増原の水車小屋のスケッチ。 今和次郎・見聞野帖2より。工学院大学図書館所蔵

2──旧増原の水車小屋のスケッチ。
今和次郎・見聞野帖2より。工学院大学図書館所蔵

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>中谷礼仁(ナカタニ・ノリヒト)

1965年生
早稲田大学創造理工学部准教授、編集出版組織体アセテート主宰。歴史工学家。

>大高隆(オオタカタカシ)

1964年生
多摩美術大学卒業/写真家/瀝青会メンバー。

>『10+1』 No.45

特集=都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?