神話学者カール・ケレーニイによれば、一九世紀、古代に憧れてローマに旅する者は、ヴィッラ・ドリア・パンフィーリのコルンバリウム(納骨堂)を訪れたという。そこで霊感に満たされたのは、多くの美術史家や古典文献学者たちであった。そのひとりがヨハン・ヤーコプ・バハオーフェンである。バハオーフェンの名は、母権制の提唱者として、その主著『母権制』(一八六一)がモルガンの『古代社会』(一八七七)において受容され、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(一八八四)においても参照されたこともあり、日本でも古くからよく知られていよう。『母権制』(吉原達也+平田公夫+春山清純訳、白水社、一九九二/『母権論』岡道男+河上倫逸監訳、みすず書房、一九九一)の完訳もすでに出版されている。そしてもうひとつのバハオーフェンの主著が『古代墳墓象徴試論』(一八五九)であり、一八四二年のコルンバリウムへの最初の訪問以来、バハオーフェンをとらえていた霊感は、この書物においてこそ結実することになるのである。
ケレーニイによれば、このコルンバリウムにおいて研究者たちに深い印象を与えたのは、何よりも受苦するニオベと解放されるプロメテウスの一対の絵であった。古代以来、両者は原初的な男女の組として語られてきた(たとえばヴァルター・ベンヤミンの「暴力批判論」の読者は、神話的暴力の例としてニオベとプロメテウスの神話が参照されていたことを思い起こすことだろう)。しかし『古代墳墓象徴試論』の出発点となるのは、納骨堂に見出される別の二つの絵──それぞれ黒と白に塗り分けられた三つの卵の周りに集まる男たちが描かれた絵と休息するオクノスのとなりで縄を解く牝驢馬が描かれた絵──であり、この二つの絵画における象徴表現こそがバハオーフェンがこの書物において解明を目指すものである。
黒と白に塗り分けられた三つの密儀卵の解釈は、黒が死を、白が生を象徴しているという指摘から始まることになるが、以後堰を切ったようにギリシア・ローマのあらゆる文献が渉猟されることになる。注釈される象徴も三つの密儀卵に限られるわけではなく、星辰象徴、数象徴から色彩象徴にまで至る。図像としての象徴を、古代の宗教思想を参照しながら解明しようとする点で、この書物におけるバハオーフェンの試みは、ある種の図像学と呼びうるが、正確を期せば、それらの図像や象徴はすべて墓所、埋葬に関わるものであるがゆえに、むしろ「墓解釈学 Sepulkralhermeneutik」と呼ばれるべきものである。
卵はディオニュソス祭儀における重要な象徴であった。そしてバハオーフェンによればディオニュソス祭儀はその基盤を大地的・母性的原理に持つ。『古代墳墓象徴試論』の第一部において中心的な考察のひとつとなるのは、この大地的・母性的原理の法的性格の究明である。そもそもローマ法の専門家であったバハオーフェンは、古代ローマの法学者ウルピアヌスに見出される自然法の定義──自然法は人間と動物に共通する法である──に注目し、法の根源を大地的・母性的原理に求める。自然法とは本来大地の法であり、その根本思想は大地から受けたものは、大地に返さなければならないという原則にある。そうであるならば生もまた大地のものであろう。人間も動物も大地から生じ、養われ、そして最後には大地に還っていくからである。大地的・母性的原理からみれば、地上は生のつかのまの滞在地にすぎない。永遠の生は地下(=ハデス)にあり、その意味で生は死であり、死は生なのである。この認識を象徴するのが黒と白に塗り分けられた密儀卵にほかならない。卵の円形は死と生が調和的に安らい、完結していることを意味しているのである。
縄を綯う老人オクノスと縄を解く牝驢馬は、古代より無益な労働の象徴として解釈されてきた。しかしバハオーフェンは縄の象徴解釈からはじめて、これら対立する二つの象徴が、生と死、生成と消滅、男性的原理(形式)と女性的原理(質料)を示すことを明らかにしていく。その途上で語られるのが著名な沼の生殖の比喩である。人類の原初的段階(娼婦制)における生殖では、男は種を播くばかりであり、女は大地のごとくそれらを受け止める。沼地の豊穣性は、このような生殖形態を表わしている。そして縄は沼地の植物から作られるものであり、原初の生活段階を象徴しているとされる。もっとも『古代墳墓象徴試論』の第二部は、個々の象徴解釈のみならず、最終的には墳墓におけるオクノス像の図像的変転から、この墓碑象徴に与えられた思想的意味の変転を読みとることになる。
三つの密儀卵とオクノス像が墓象徴であることは、それが示す認識が墓所という場にふさわしいからである。これらの象徴は、生は死であり、死は生であるという認識を包含する。バハオーフェンは明示的に述べないものの、両者を媒介し、反転させる場こそ大地的・母性的原理にほかならない。その意味でこの原理は「コーラ・トポス・ロクス」でもあり、それは墓所でもあるだろう。生が死であり、死が生であることを示す象徴は、まさに墓所にかかげられるべきである。墳墓世界の象徴は、このような古代の宗教思想、バハオーフェンによれば人類最古の観念を、不変のまま統一的に保持しているからこそ解釈されねばならない。
バハオーフェンにとって象徴は、けっして言語には尽くすことのできない宗教的観念の秘儀的な統一を眼前にあらわにするものである。そうであるなら、象徴があらわにする意味は体得されこそすれ、言語化すればその本来の威力を失ってしまうのではないだろうか。バハオーフェンは、とりわけ象徴の理論に関して、ベンヤミンが自らのアレゴリー論の出発点として参照したことでも知られるロマン派の神話学者フリードリヒ・クロイツァーの主著『古代民族とりわけギリシア人の象徴と神話』(第二版、一八一九─二一)を、批判的に継承していることで知られている。クロイツァーの象徴神話論の根本的対立である象徴と神話は、「直観的 intuitiv」なものと「論証的 diskursiv」なものの対立、イメージと言語の対立でもある。象徴がそのあらわれにおいて瞬間的に表現するものは、無媒介的に直観され理解されるのに対して、神話は象徴の統一を分割し、言語によって線的に展開されたものである。だからこそバッハオーフェンにおいて、神話は象徴の「解釈」と定義されることになる。
クロイツァーにおいて象徴的なものは、余すところなく神話へと、言語へと展開される。なぜならクロイツァーにとって、イメージと言語は根源的には同根であるからである。それに対してバハオーフェンに見出されるのは、象徴が統一的に表わすものは、言語の展開によって尽くされることはないという認識であり、諦念である。バハオーフェンにとって、イメージと言語は根本的に異質なままにとどまるのである。このことをつとに強調しているのは日本の代表的なバハオーフェン研究者のひとり臼井隆一郎である。このイメージと言語の解消不可能な齟齬の認識は、二〇世紀においてたとえばフロイトやベンヤミンなどに受け継がれることになるだろう。
『古代墳墓象徴試論』の受容はドイツ思想史における重要な一齣となっており、その後史に触れないわけにはいかない。この書物がドイツの知識人のあいだで歓迎されることになるのは、ミュンヘン宇宙論派の主要メンバーであり、生の哲学者として知られるルートヴィヒ・クラーゲスによるところが大きい。クラーゲスはバハオーフェンを生の哲学の立場から、より正確に言えば彼固有のイメージ論の立場から解釈することによって、新たな受容を開いた。実際この書物の第二版はクラーゲスとカール・アルブレヒト・ベルヌーイの序文が付され、一九二五年に出版されている。ベルヌーイは、その書評がベンヤミンによって書かれている『バハオーフェンと自然象徴』(一九二四)という書物によって、バハオーフェン受容をクラーゲスとともに準備した学者であり、二〇年代中頃には彼自身が編んだバハオーフェン選集を含めて三つの選集が相次いで出版されることになる。バハオーフェンは多くの読者を獲得することになるのである(ベルヌーイの選集はレクラム文庫から三巻本で出版されており、ベンヤミンはカフカ論を書く際にこの選集を参照している)。
その選集のひとつが、シェリング全集の編者でもあるマンフレート・シュレーターによって編まれた『東洋と西洋の神話』(一九二六)である。この選集の冒頭に置かれた、後にナチスのイデオローグとなるアルフレート・ボイムラーの浩瀚な序文もまたバハオーフェン受容にとって決定的な役割を果たすことになる。ハイデガーに賞賛され、トーマス・マンの『ヨセフとその兄弟』(一九三三─四三)の神話についての認識の視座を提供し、アカデミックなバハオーフェン受容の先鞭をつけたこの序文は(バハオーフェン全集の編者である二〇世紀最も重要な宗教学者のひとりカール・モイリは、この序文なしにバハオーフェン全集が可能になる環境は生じなかっただろうとボイムラー夫人に書き送っている)、クラーゲスのバハオーフェン受容とは対照的に、バハオーフェンを後期ロマン派以来の伝統の頂点とみなし、彼の思想をドイツ精神史に位置づけたうえで、その神話把握を歴史哲学として解釈する。歴史以前=先史は神話によってのみ与えられている。歴史の進展の必然性は、この根源としての神話と歴史の連関の洞察なしには、理解されないことになるだろう。しかしそれは神話を歴史(資料)としてみることではない。むしろ根源としての神話から発する展開として解釈される歴史とは、運命としての歴史と言ってよいものであり、ボイムラーによれば、ここで生じているのは歴史の神話化なのである。
戦後モイリによって開始されたバハオーフェン全集はいまだ完結していない。その受容は最早生産的なものではなくなっているのだ(『幼年期と歴史』におけるジョルジョ・アガンベンや『パラテルミナリア』[近刊]におけるトーマス・シェスタクはバハオーフェンを参照し、論ずる例外的な哲学者、文献学者である)。しかしこの書物を繙いた者は、バハオーフェンのめくるめく連想、その独創的な象徴解釈、収集された素材の豊穣さに圧倒され、当惑するに違いない。二一世紀におけるバハオーフェン読解の可能性はこの当惑からこそ生まれるだろう。『古代墳墓象徴試論』の読解可能性は、日本においてもこの画期的な翻訳によって、開かれることになったのである。
1──J・J・バハオーフェン『古代墳墓象徴試論』
(平田公夫+吉原達也訳、上山安敏解説、
作品社、2004)
2──黒と白に塗り分けられた三つの卵の周りに集まる男たち
3──休息するオクノスと縄を解く牝驢馬
出典=J・J・バハオーフェン『古代墳墓象徴試論』