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バリアフリーとユニヴァーサル・デザイン | 北川卓+松本淳
Barrier-Free and Universal Design | Taku Kitagawa, Jun Matsumoto
掲載『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法, 2004年12月発行) pp.29-30

水平・垂直移動

東京メトロのホームページ★一にある見慣れた東京の地下鉄路線図で駅名をクリックすると「駅構内立体図」「駅構内のりかえ立体図」「駅出入口地図(出入口からの風景が三六〇度見渡せるムーヴィー付き)」を見ることができる。なかでも「駅構内のりかえ立体図」は面白い。地下鉄を利用する際には構内や通路に掲げられたサインを頼りに乗り換えをしたり、出口を探したりしているので地下の立体構造がどのようになっているのかをまったく認識できないが、これを見ると一目瞭然。線路が縦横無尽に地下を走り抜ける様子と、地下通路/階段/エスカレーター/エレヴェーター/スロープ/動く歩道が繋がれている様子が分かるようになっている。
普段、何の気なしに水平・垂直移動を繰り返し、ようやく目的地に辿り着けるわけだが、通い慣れた駅であれば、こちらのルートが近道で、重い荷物を運ぶときはそちらのルートというように自然と頭の中でシミュレーションをできるようになっているから不思議なものだ。一方で普段使わない駅で乗り換えたために予想以上に時間を取られ、待ち合わせに遅刻してしまったという経験は誰にでもあるはず。目の前にあるエレヴェーターがどこに通じているのかを知っているか知らないかで、移動ルートが近道になったり、かえって遠回りになったりもするので注意が必要となる。
このように段差なく移動できることと近道であることとは必ずしも一致しない。JR東京駅を例に挙げれば、地上一階改札口から成田行きの横須賀線・総武線ホーム(地下五階)まで行くときなどは通常であれば、ただ段差なく移動できることを理由に水平・垂直移動を繰り返し、途方もない距離を延々と重い荷物を引きずり歩かなくてはならない。実は横須賀線・総武快速線地下コンコース(地下一階)までは車椅子利用者のために業務用(荷物用)の通路とエレヴェーターが開放されており、そのような近道があることを一般の利用者は知る由もない。こんな時、鉄道を利用する乗客すべてに開放された通路やエレヴェーターであることも、高齢者や身体障害者にとって気兼ねなくそれらを利用できる条件なのではないだろうかと思えてくる。

バリアフリーとアクセシビリティ

最近よく見聞きするようになったバリアフリー(Barrier-Free:略してBFとも呼ばれる)という言葉はBarrier(障壁)とFree(自由な、開放された)を組み合わせた造語で、「障壁の取り除かれた」という意味に解釈されている。もともと建築用語で、建築物における動線の障害物の除去などの意味で使われていたものが、一九六〇年代以降、米国で身体障害者の物理的障壁を除去するという意味で広まり、現在ではより広義に、文化・情報面、心理面、制度面など様々な分野における障壁の除去という意味で用いられている。
国内でもようやく法の整備が進んできたが、高齢者や身体障害者が交通機関をより快適に利用しやすくするため、鉄道事業者に駅のエレヴェーター設置などを義務付ける「交通バリアフリー法」が、参議院において全会一致で成立したのが、平成一二年五月のことである。国土交通省のホームページによれば正式名称は、「高齢者・身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律」といい、一日当たりの平均利用者数が五〇〇〇人以上である鉄道駅及び軌道停留場に関し、平成二二年までに、エレヴェーター又はエスカレーターを高低差が五メートル以上の鉄道駅及び軌道停留場に設置することをはじめとした段差の解消、視覚障害者誘導用ブロックの整備、便所がある場合には身体障害者対応型便所の設置等の移動円滑化を原則として実施するとのことである。
また同省のホームページ上で現在の鉄軌道駅のバリアフリー化施設整備状況を閲覧できるようになっている★二。それによれば平成一四年度末までの集計では、一日当たりの平均利用者数が五〇〇〇人以上である鉄道駅及び軌道停留場二七三九駅のうち、高低差五メートル以上の駅数は二一五二駅で、そのうち段差を解消している(移動円滑化基準第四条に適合している)駅数は一八五五駅であるという。毎年着実にその割合が増加しつつあるし、普段使っている駅のほとんどにエレヴェーターやエスカレーターが設置されるようになったので、実感できてもいるが、今後はその設置割合よりも、移動時間と移動距離(アクセシビリティ)への配慮がなされた計画をしていかなくてはならない。「バリアフリーであること」を掲げることが企業イメージを上げるひとつの道具のように考えられているとしたら大きな間違いである。真のバリアフリーの実現が求められている。

1──標準案内図記号 提供=交通エコロジー・モビリティ財団

1──標準案内図記号
提供=交通エコロジー・モビリティ財団

避難所生活におけるバリアフリー

二〇〇四年一〇月二三日一七時五六分、マグニチュード六・八(震度七)の地震が新潟県中越地方を襲った。強い余震が続く中、緊急車両と夜間長距離バスのみの通行しか許されていなかった関越自動車道が時速五〇キロメートルの制限速度付きでの全面開通となり、早速、建築を学ぶ学生らとともに現地へ車で向かった。関越自動車道は、震災のひどかった川口町や小千谷市付近を通過していく。少し離れたところには瓦屋根の滑落部分を覆うブルーシートが、道路に面した斜面には土砂崩れを防ぐための土嚢袋が置かれ、地震による生々しい被害状況が垣間見られた。関越自動車道の路面は仮復旧がなされたものの、所々に段差や褶曲があり、その度に車がはねてドスンと鈍い音を立てて硬いアスファルトに着地した。長岡ICで高速を下り、山古志村の村民の避難所へと向かった。今回、長岡市内東側は地震の被害も少なかったが、全村民避難となった山古志村の村民が生活している避難所の中は様子が違っていた。硬い体育館の床の上に毛布を何重にも敷き、自分の荷物を枕元に置きながらの雑魚寝状態である。プライヴァシーのない、暖房の効かない大空間で、強い余震に怯えながらの生活を余儀なくされている。毛布や荷物が置かれた足場の悪い大空間には手摺もなく、よたよたとよろめきながら歩く高齢者の姿が特に印象に残っている。
ところで震災直後、山古志村の災害対策本部のホームページには村民から一通の救援メッセージが書き込まれていた。「体育館の床が冷え込んで老人が苦痛を訴えております。断熱マットが有りましたら是非提供してください。必要数は約一〇〇〇人分です」と。その後、相当数の畳などが避難所に寄付されたという話を聞き、ひとまず安堵して避難所に向かったのだが、現実は異なっていた。すべての避難住民に行き渡らない以上、それらを敷くことはできないという判断で善意は見送られ、どこかの倉庫にそのまま置かれているということだった。村のコミュニティが強く、ある限られた村民だけが優遇されると、その後に村八分になりかねないというのだ。心理面でのバリアフリーはこうした危機的状況ではなかなか難しいのかもしれない。

2──避難所となった長岡明徳高校の体育館 筆者撮影

2──避難所となった長岡明徳高校の体育館
筆者撮影

ユニヴァーサル・デザイン

ユニヴァーサル・デザイン(Universal Design:略してUDとも呼ばれる)という言葉がバリアフリーと混同して使われることも多い。バリアフリー・デザインの考え方が主に高齢者や身体障害者などの生活を不自由にしている障害を取り除こうとするものであるのに対し、ユニヴァーサル・デザインの考え方は、年齢/性別/身体/国籍など人々が持つ様々な特性や違いを越えて、万人が利用しやすいように、プロダクト/建築/環境などをデザインしていこうとするものである。プロダクトデザイナーや建築家、エンジニアなどがまとめた「ユニヴァーサル・デザインの7原則」というのがあるので列挙してみると、1.誰でも公平に利用できること、2.使う上で自由度が高いこと、3.使い方が簡単ですぐわかること、4.必要な情報がすぐに理解できること、5.うっかりミスや危険につながらないデザインであること、6.無理な姿勢をとることなく、少ない力でも楽に使用できること、7.アクセスしやすいスペースと大きさを確保することとある。この原則に目を通すと、デザイン性を重視したがために不自由を強要してしまう場合が意外に多いことに改めて気が付く。現在のバリアフリー・デザインはデザイナーの目/デザインの視点からするとかなり強いバリアがあると感じずにはいられないし、またある特定のクライアントのためにデザインする機会の多い建築家にとって、ユニヴァーサル・デザインであることは没個性へと向かっていく危機感を覚えなくもない。

まとめ

日本政府は、二〇一五年には国民の四人に一人が六五歳以上の高齢者になると予測している。こうした社会的状況の中で高齢者層をターゲットにした携帯電話など、機能を単純化したプロダクトが生産されるようにもなってきている。誤解を恐れずに言えば、建築家としてこれから設計していく建物を〈バリアフリー・デザイン〉にすべきであるとは考えてはいない。今後はデザイン性にも富んだ〈ユニヴァーサル・デザイン〉が望まれてくるに違いない。法の整備が進みつつある現在の国内の状況をあくまで過渡期と捉え、成熟期のデザインに向けて、それらの製品(プロダクトや建材)の開発段階から積極的にデザイナーが介入していく必要があるのではないだろうか。また同時にバリアフリーやユニヴァーサル・デザインという言葉だけが社会で一人歩きすることなく、中身の伴ったものとして計画されることを望みたい。ノーマライゼイションという言葉が社会福祉の分野ではよく取り沙汰されるが、価値観の異なるいかなる少数者もお互いに違うことに誇りをもち、相互に尊重し、多様性こそを認め合い共生しうる社会を築いていけるようにすることこそがこれからのデザイナーに問われている気がしてならない。

3──フィンランドの陶器メーカー「アラビア」社のエントランスのスロープ 筆者撮影

3──フィンランドの陶器メーカー「アラビア」社のエントランスのスロープ
筆者撮影


★一──URL=http://www.tokyometro.jp/eki/map/
★二──URL=http://www.mlit.go.jp/tetudo/barrier/05_14_a.html

>北川卓(キタガワタク)

1971年生
フレームデザイン株式会社。建築家。

>松本淳(マツモトジュン)

1974年生
キタガワ+マツモト スタジオ[km2]共同主宰。慶應義塾大学院政策・メディア研究科助手。建築家。

>『10+1』 No.37

特集=先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法