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「大地讃頌」事件について 前編 | 増田聡
A Case of 'Daich-Sansho' : The First Part | Satoshi Masuda
掲載『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法, 2004年12月発行) pp.27-28

現在、東京藝術大学作曲科教授である佐藤眞は一九六二年、二四歳でカンタータ『土の歌』を作曲した。「大地讃頌」はその第七楽章である。『土の歌』は日本ビクターの委嘱作品であり、ビクター専属の作詞家、大木惇夫の詞に作曲したもので、NHK交響楽団、東京混声合唱団の演奏、岩城宏之の指揮によって同年に初演された。その後、ピアノ伴奏のかたちに編曲を加えた版が六六年に出版され、この作品は広く合唱界で親しまれてゆく。
PE'Z(ペズ)のメンバーたちも、学校教育を通じて「大地讃頌」に出会い感銘を受けたという。PE'Zは二〇〇二年四月にデビューしたポップ・ジャズバンドで、二管編成(トランペット/サックス/ベース/ドラムス/キーボード)による五人組である。デビューアルバムを一〇万枚売り上げた彼らは、タイアップなどメディア露出にも積極的で、商業的にはJポップのひとつと見なしてもよいだろう。
前々よりライブのレパートリーとしてきた「大地讃頌」を、彼らは二〇〇三年一一月にシングルCDとしてリリースする。さらに一二月、アルバム『極月』にもこの曲は収録された。これら録音物のリリースにあたりPE'Z側は、この曲の著作権を管理しているJASRAC(日本音楽著作権協会)に録音使用料を支払い、適正な権利処理の手続きを行なったうえで、原曲の利用を行なっている。
佐藤によるオリジナルの作品と、PE'Zによるそのカヴァーの楽曲構成を比較すると、原曲の四分の四拍子が八分の一二拍子に変更されるとともに、各所で変奏的なパートが追加されているが、ジャズの演奏慣習から見るなら、比較的原曲に忠実な部類のカヴァーとみることができるだろう。
一方、作曲家(すなわち「大地讃頌」の著作権者)の佐藤は、このCDをリリースしたPE'Zが所属する東芝EMIに対し、PE'Zによる「大地讃頌」のカヴァーが、「著作権法上の編曲権と同一性保持権を侵害するものである」として、二〇〇四年二月、CDの販売停止と同曲の演奏禁止を求め、東京地裁に仮処分を申請した★一。
PE'Zが所属する東芝EMIは、一旦は仮処分に対して法的に争う姿勢を示したが、結局、PE'Zのメンバーの意思によって、佐藤の請求内容に全面的に同意することとなる。バンド側と東芝EMIはシングル「大地讃頌」とアルバム『極月』を三月二四日で出荷停止とし、今後の演奏停止を約束した謝罪文を発表★二。佐藤も訴えを取り下げることになった。

本件は、著作権法が前提する論理と文化実践の、あるいは美学的な理念と産業的な慣習との、多層に及ぶズレを示す興味深いケースといえる。現実の法は、多様な音楽実践をどのように切り分け区画し、所有者を指定しているのか。そのメカニズムを、本件を例に検討してみたい。
まずは現行著作権法の内在的な論理の中に本件を位置づける。結論としては、幾分微妙な点はあるにせよ、佐藤側の主張に正当性が認められることとなろう。佐藤が侵害を主張した編曲権、同一性保持権については、著作権法にはそれぞれ以下のように規定される。

[翻訳権、翻案権等]
第二七条 著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。

[同一性保持権]
第二〇条 著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。

つまり、「大地讃頌」の著作者である佐藤は、その著作物を編曲する権利を専有しており、利用者に対して(自らの)「意に反する」変更を禁じる権利を持っている。明らかに原曲とカヴァー曲には(原曲に忠実なカヴァーとはいえ)変更が存在しており、その変更について佐藤が「意に反する」という意思表示を(仮処分の申請という形で)行なっている以上、基本的には佐藤の主張は正当であると結論できるだろう。
ただ、この主張にはひとつ微妙な点がある。それは、同一性保持権の主張について、第二〇条二で置かれている制限規定に関連する。第二〇条二の条文は以下の通りである。

第二〇条の二 前項の規定は、次の各号のいずれかに該当する改変については、適用しない。
一.─三.(略)
四.前三号に掲げるもののほか、著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変

今回は取り下げという結果になったが、仮に裁判で争われた場合、PE'Zの「大地讃頌」が、この著作権法第二〇条二の四で規定される、許容される改変のケース、すなわち「著作物の性質並びにその利用の目的及び態様に照らしやむを得ないと認められる改変」に妥当するか否か、を争点のひとつとすることができるだろう。
この条文が該当するケースの例として、映画がテレビ放映される際、画面の隅がカットされるなどの技術的制約がしばしば挙げられる★三。しかし、楽譜そのままに演奏することが通例であるクラシック音楽の作品が、楽譜と演奏との間に差異を持ち込む演奏慣習を通例とするジャズ演奏によって「改変」されることが、この「やむを得ないと認められる改変」に該当するかどうかは、日本の裁判では争われたことはない。
本件について佐藤側支持者とPE'Z側支持者のいずれからも、音楽実践の現場の論理が法的なメカニズムの中でどのように扱われるのかについて、裁判ではっきり示して欲しかった、という声が挙がっていることは興味深い。

◆ 結果
発売元の東芝側は争う構えだったが、ペズが「作曲家への敬意を表したつもりが、逆に不愉快な気持ちを与えてしまったのなら……」と佐藤氏側の言い分を認め、出荷、演奏停止に至った。
しかし、結論が出た後にも「訴訟になって『音楽とは何か』をきちんと明文化できた方がよかったかもしれない」という声が「両派」に残った。
◆ 作曲家優位派
「ペズの場合、五〇小節が九〇小節になっていて同じ曲のわけがない。荘重な曲のイメージが軽薄になっている。近年、あまりにも作曲家の意思を無視した軽々しい編曲やルーズな使用が多過ぎる。レコード会社との関係から、作曲家がものを言いにくい環境があるが、佐藤氏は独立した位置にいるので、提訴にまで至った。本当は明確な判例にしてもらいたかった」という意見が一方にある。
◆ 演奏家優位派
「ペズの演奏は、ジャズとして適正なアレンジの範囲内にある。原曲のメロディーもイメージも分かる。ペズを聴いて原形の合唱曲のよさに気づいたという声もある。楽譜に書かれた状態が音楽の原形であるなら演奏家はいらないし、作曲家に隷属することになる。演奏家も芸術家であることを忘れてはならない。特にアドリブが属性のジャズにとっては危機だ」というのが片方の代表的な意見である★四。


仮にこの点を争って裁判となっていたならば、少なくとも、著作権法の一種抽象的な規定が、現実にどのような範囲で適用されるのかについて幾分かははっきりすることは確かだ。法は文化実践のすべての側面を規定するわけではなく、その細部には曖昧な余地を残している。そこには文化をめぐる言説闘争が、政治的次元と接続される契機が存在する。
だが現時点では、日本の裁判所で本件が裁判にまで発展したならば、著作者である佐藤の「一切の編曲を禁じている」旨の表明のほうが重視されることと思われる。JASRACは著作者との信託契約によって、作品の著作権を信託され、著作者に代わってその権利を行使する(ゆえにPE'Z側は、通常の商業音楽の手続きと同様、JASRAC経由の権利処理を行なうことによって正当に「大地讃頌」をカヴァーすることができると判断した)。しかし、同一性保持権をその中に含む著作者人格権は、一身尊属性(著作者のみが権利を保有し行使できる)を持っており、本件の場合佐藤が占有するものである。さらには、JASRACは著作権に含まれる編曲権を管理していない。そのため今回のケースでは、JASRACによるPE'Zへの演奏・録音の許可よりも、佐藤によるその差し止めの方が、法的には優先的に考慮されることになるだろう。
ゆえに、PE'Z側が今回の件を取り下げ争いを避けたのは、予想される裁定からすれば妥当な判断であったといえよう。法的な検討からは以上の結論が得られる。
しかし、著作権法が掲げる「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする」(第一条)というその目的は、「大地讃頌」事件を位置づける法の論理のなかに実現されたのだろうか。むしろ、文化のメカニズムと法の論理が、矛盾を孕みながら拮抗している現状を示すものとして、本件は眺められるべきではないだろうか。
[以下次号]

PE'Z「大地讃頌」(東芝EMI、2003)

PE'Z「大地讃頌」(東芝EMI、2003)


★一──朝日新聞二〇〇四年四月三日付夕刊記事「作曲者の権利か演奏者の自由か:『大地讃頌』カバー曲問題」(藤崎昭子)によると、佐藤はPE'Zの「大地讃頌」リリース直前の一一月、東芝EMIに販売を取りやめるよう通告していた。佐藤は自作品の編曲をこれまでも一貫して認めていない。
★二──声明文は三月二四日付で、東芝EMIとPE'Zが所属するプロダクション、ワールドアパートの連名で出されている。
★三──岡本薫『著作権の考え方』(岩波新書、二〇〇三)一一三頁。
★四──毎日新聞二〇〇四年四月一三日付夕刊記事。川崎浩「鳥瞰憂歓:クラシックはジャズにできない?   PE'Zの『合唱曲』演奏禁止」。

*この原稿は加筆訂正を施し、『聴衆をつくる──音楽批評の解体文法』として単行本化されています。

>増田聡(マスダ サトシ)

1971年生
大阪市立大学文学研究科。大阪市立大学大学院文学研究科准教授/メディア論・音楽学。

>『10+1』 No.37

特集=先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法