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軽さ・速さ その二 | 日埜直彦
Lightness and Quickness Part 2 | Hino Naohiko
掲載『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体, 2006年03月発行) pp.24-25

つまり、今日のように高速の、しかもきわめて広範囲に伝達可能なその他のメディアが力を得て、一切のコミュニケーションを画一的で同質の外見のもとに平板なものに見せてしまう恐れのある時代においては、文学の機能は書記言語の固有の使命に従って、異なるもの同士の、まさにその差異を薄めたりすることのない、それどころか差異を強調し、差異を土台に置くコミュニケーションであるということです★一。


「速さ」と題された第二回講義においてカルヴィーノは、スピーディーなストーリー展開やゆったりとしたテンポの語り、しきりに逸脱する奔放な筆致や簡潔できびきびした叙述など、ストーリーテリングにおけるさまざまな「速さ」の有り様について古今の文学作品を引き合いに出しつつ論じた後、現代の文学が直面する高速の情報流通に目を向けている。
現代文学が現代社会の慌ただしさを背景として、それに適応して成立しているのはおそらく事実だろう。古典には古典なりのアクチュアリティがあるとはいうものの、悠々たる大文学などと言えば骨董品めいた古くささを嗅ぎ取るのが普通かもしれない。だがカルヴィーノは現代社会が強いる速度とはあくまで測定可能な物理的速度であって、文学における「速さ」とはまったく別物だと強調する。文学における「速さ」はあくまで精神的なスピードであって、速度のように計測することができない。そしてそのような速さと遅さをコントロールすることは文学固有の可能性だというわけだ。簡潔に凝集された俊敏な文体もあり、また脱線を繰り返しよどみ絡み合いながら成立する語り口もあり、どちらも現代の条件としての物理的速度と無関係ではないとはいえ、しかし単にその反映でもない。むしろそれに抗して文学独特の速さの世界を確立することができる。ボルヘスの短編『エル・アレフ』がいわば光より速く、たった一行で全宇宙を凝集し、包含してしまうように。

今となっては写真と言えばあたりまえのように一秒の何分の一かの瞬間の記録であって、それ自体速さと近しく思うかもしれないが、最初からそうだったわけではない。初期の写真は像を得るために長時間の露光を必要とし、ポートレート一枚を撮影するために数十分ものあいだ同じ姿勢を保つ苦痛に耐えることが必要だった。明るいレンズと感光材料の技術的発展によってようやく運動する被写体の姿を捉えることができるようになり、現在のように写真が瞬間を記録できるようになるのはようやく一九世紀後半のことである。
エドワード・マイブリッジの有名な走る馬の高速連続撮影はこうした技術的発展によって初めて可能になったものだ。疾駆する馬の前足と後ろ足は同時に地面から離れる瞬間があるか?というなんとも微笑ましい問題はレオナルド・ダ・ヴィンチ以来多くの画家や学者を悩ませた難問だった。いくら目を凝らしても確かめられないこの問いにマイブリッジのカメラは客観的で明白な答えを突きつける。カルヴィーノが言うところの物理的速度は機械的なカメラによって運動の認識にもたらされたと言っても良いだろう。
だがしかしマイブリッジの走る馬の写真はどことなく硬質な彫像のような静的な印象を与える。たしかに疾駆するサラブレッドの走るさまを正確に記録しているにちがいないのだが、躍動する生気を決定的に欠いている。高速撮影によって運動する姿を捉えることは可能になったが、運動そのものを写真に写しとるにはそれだけでは十分ではなかったということだろう★二。
むしろ軽やかな運動そのものを捉えた写真の例として、マイブリッジの少し後のジャック・アンリ・ラルティーグの写真を見てみたい。いわゆるプチ=ブル階級に属す裕福な家庭に育った彼は少年の頃からカメラを使い始め、いわゆる写真家による写真作品とは一風変わったごくプライヴェートな写真を残している。広い意味で社会的リアリズムに括られるような写真が大多数の当時において、醒めた目で見れば「いい気なもんだ」とでもいうようなハッピーな写真なのだが、それだけで割り切れないなにか特別な魅力がある。とりわけ彼の少年期の写真は好奇心にあふれた眼の瑞々しさを感じさせ、家族のおどけた仕草、ペットのじゃれあう姿、そんななにげない一瞬を大切に写しとっている。もちろん近代の訪れが彼と無縁だったわけではなく、例えば自動車レース、自転車遊び、飛行機と巨大な飛行船、こうしたモータリゼーションの産物を写した写真も多い。だがそんなものを撮る時にもどうやらその利便性などにはまったく興味はないようで、そのスピード、騒がしさがただただ楽しくて写真に撮ってみたという感じである。彼の猫ジジが紐にじゃれついてパッと飛び上がる一瞬の写真と、疾走するオートレースの車を撮る感覚はほとんど変わらず、そのすばやさ、速力がありありと感じられる。
写真はスチールとも言うように静止像を提供する。写真の像はすこしも動かないし、いかに速かったかを記録するわけでもない。だからマイブリッジの写真が動くものの一瞬一瞬の像を提供するだけで、ギャロップする馬の躍動が見失われるのも無理はない。だが写真はごく稀に速度の力動感とでもいうようなものに触れることがあって、それはおそらくカルヴィーノが言うところの精神のスピードの写真における現われと言うことができるだろう。
そういう意味では基本的に建築も速度と縁遠い。建築は地面に定着され、安定してそのカタチを保つ。建築の内や外で起こる人の動きなど、変化や運動に対して動と静のコントラストをもって対峙するのが建築の基本的なあり方だ。だがもちろん建築も近代的モータリゼーションを反映し、その姿を変えてきた。わかりやすい例で言えば、《サヴォア邸》のピロティレヴェルの弧を描くガラス面になるだろうか。馬車を迎える車寄せのネガのようなこのカタチは、この住宅を駆け上がっていく建築的プロムナードの起点となる。あるいは《ファンネレ工場》は機能動線に従う平面配置もさることながら、製品を倉庫へ移動するあのリフトなくしてあれほど魅力的にはなり得なかっただろう。
現代建築は運動をその軌跡、あるいは流れのような三次元的なイメージでとらえることでさらに踏み込もうとしている。ブロッブとかフォールディングと呼ばれる傾向はその代表と言えるだろう。機能的な結びつきが動線上の人や物の流れとして捉えられ、コントロールされた流れを定義することと形態を定めることが不即不離の関係となる。流れは不定形で変幻自在に形状を変えつつ連続していく。そういう形態はかつての建築のヴォキャブラリーには存在しなかったが、しだいにある程度の現実性を帯びつつある。例えばザハ・ハディドを見ても、独特のスピード感を感じさせるパースと現実の間にあからさまなギャップがあった当初の作品に比べると、形態の処理はしだいに洗練されコントロールする精度もずいぶん上がってきていると言っていいだろう。
スタティックな秩序を旨とした古典的建築からよりダイナミックな現代建築への発展は、少なくとも部分的には近代以来の人間の組織的な移動とモータリゼーションに促されたものだと言って過言ではない。実際には建築それ自体は微動だにしない。だが写真が速度を捉えうるのと同程度には建築も速度に対応しうるだろうし、実際それに相当するような試みも行なわれている。だとすれば問題は、カルヴィーノが文学の本性に照らして「差異を強調し、差異を土台に置くコミュニケーション」と抽出したのに対応しうるほどの、建築それ自体に本質的な可能性をそこに見出せるか、ということになるだろう。

ラルティーグ 《ビジョナード、パリ、1905》 引用図版=http://news.bbc.co.uk/1/hi/in_pictures/3809707.stm

ラルティーグ
《ビジョナード、パリ、1905》
引用図版=http://news.bbc.co.uk/1/hi/in_pictures/3809707.stm

Maxxi National Center of Contemporary Arts 引用図版=http://www.pritzkerprize.com/ 143/mono2004/Hadid_Part3.pdf

Maxxi National Center of
Contemporary Arts
引用図版=http://www.pritzkerprize.com/
143/mono2004/Hadid_Part3.pdf


★一──イタロ・カルヴィーノ『カルヴィーノの文学講義』(米川良夫訳、朝日新聞社、一九九九)七九頁。
★二──ちなみにずらりと並べた暗箱カメラによるマイブリッジの写真はその後発明家トーマス・エジソンの目に留まり、その後の映画の発明へと繋がっている。映画『マトリックス』で有名になったマシンガン撮影は多数のカメラを配置して得られた画像によるアニメーションであり、マイブリッジの手法と基本的に変わらない。

>日埜直彦(ヒノ・ナオヒコ)

1971年生
日埜建築設計事務所主宰。建築家。

>『10+1』 No.42

特集=グラウンディング──地図を描く身体

>サヴォア邸

パリ 住宅 1931年

>ザハ・ハディド

1950年 -
建築家。ザハ・ハディド建築事務所主宰、AAスクール講師。