RUN BY LIXIL Publishingheader patron logo deviderLIXIL Corporation LOGO

HOME>BACKNUMBER>『10+1』 No.41>ARTICLE

>
Renewal of Modernism──谷口吉生論 | 五十嵐太郎
Renewal of Modernism: Yoshio Taniguchi | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.41 (実験住宅, 2005年12月発行) pp.20-21

巨大なスケールと精巧なディテール

谷口吉生は特異な日本人建築家である。経歴を調べると、以下の二点が指摘できる。
第一に、ほとんど住宅作品がない。通常、日本の建築家は、自邸や狭小住宅を手がけてから、公共施設にステップアップしていく。だが、谷口は、アメリカで建築教育を受けた後、丹下事務所において海外の都市的な規模の仕事を担当していた。独立してからの作品も美術館を中心として公共施設ばかりである。商業施設さえ皆無に等しい。
第二に、コンペを好まないこと。驚くべきことに、《MoMA》が初めての設計競技の参加だった。しかも当初は参加の辞退も考えていたらしい。本人によれば、コンペでは相手を負かさないといけないから嫌だという。おそらく、そうした態度は、谷口の作品が一等を獲得するような奇抜なデザインにならないことと関係している。
谷口の建築には、両極端なスケール感が共存する。《豊田市美術館》(一九九五)の前面をおおう巨大なフレームは、ローマの大学都市など、イタリア合理主義の建築を連想させるだろう。こうしたスケールは、都市的なモニュメンタリティに対応する。やはり、《つくばカピオ》(一九九六)の門構えとなるキャノピーは八三メートル×一四メートル、《葛西臨海公園展望広場レストハウス》(一九九五)のヴォリュームは七五メートル×一一メートルという長大なスケール感をもつ。だが、一方で、恐ろしく精巧なディテールがある。例えば、《豊田市美術館》の外部階段の手すり。個人的な感想だが、谷口の建築展★において展示された模型よりも、実物のほうが狂気的なまでの精密さをもっているように思われた。規模が拡大すれば、一般的に粗くなりそうなものだが、はるかに正確な実寸の世界である。モダニズムに引きつけて言えば、工場のような大きさと、機械のような精密さというべきか。鈴木博之が指摘するように、そのハードエッジなディテールからは、谷口が機械工学を最初に学んでいたことを考慮すべきかもしれない(『谷口吉生のミュージアム』中日新聞社、二〇〇五)。

顔がない建築

建築を擬人化すれば、窓は目になり、玄関は口になるだろう。
しかし、谷口の建築には、そうした意味において顔が欠如している。《丸亀市猪熊弦一郎現代美術館》(一九九一)や《東京国立博物館法隆寺宝物館》(一九九九)は、正面に巨大なヴォイドがあり、その奥において層状の構成が展開する。大きな穴がぽっかりと空き、まるで顔がごっそりと消えたかのようだ。逆に《金沢市立図書館》(一九七八)や《東山魁夷せとうち美術館》(二〇〇四)の場合は、大きなスクリーンとしてのファサードがあるものの、無表情な壁が立ちはだかる。適当な高さの窓や、はっきりとした玄関はない。《広島市環境局中工場》(二〇〇四)は、都市軸から延長されたガラスのパサージュが大きな壁を貫く。安藤忠雄の《国際こども図書館》における近代建築へのガラスの挿入が、個性的な顔をつくるのに対し、谷口のファサードでは、またしても穴が穿たれている。
《資生堂アートハウス》(一九七八)は、円と正方形の組み合わせという明快な平面をもちながら、その幾何学を肉眼で確認することはできない。アプローチから見えるのは、半分が芝生に埋もれたヴォリュームである。そう、あたかも古墳のように出現するのだ。また彫刻の庭を歩くことができない。ゆえに、屋外から見る視線は限定され、むしろ内部から外部を見るための建築になっている。姿を消していくタイプの作品もある。《葛西臨海水族園》(一九八九)を遠方から見ると、ドームの骨組みしかわからない。そして階段をのぼって近づいても、建築の全貌がわからないまま、エスカレーターを降りて、内部に入っていく。屋上では、人工の水面がまわりの海に溶け込む。「日本国際博覧会政府館基本計画案」も、屋上に人工池を設けることによって、緑の環境と調和させつつ、その下に建築が隠れている。顔となるようなファサードが存在しない。

谷口吉生《東京国立博物館法隆寺宝物館》 著者撮影

谷口吉生《東京国立博物館法隆寺宝物館》
著者撮影

谷口吉生《葛西臨海水族園》 著者撮影

谷口吉生《葛西臨海水族園》
著者撮影

フェノメナルな映像性

続いて、谷口における映像性を考察する。
コーリン・ロウによる透明性の議論にならって、建築におけるリテラルな映像性とフェノメナルな映像性と二つに分類しよう。リテラルな映像性とは、文字通りに映像を映しだすこと。例えば、《シャネル銀座》や、NOXによる《淡水のパヴィリオン》である。フェノメナルな映像性とは、現象として発生するものだ。例えば、青木淳の《ルイ・ヴィトン名古屋》や、ダン・グレアムの《パヴィリオン》のごとき、妹島和世の《鬼石多目的ホール》。いずれもモワレ、風景の反射、像の重なりなどによって、映像的な現象が発生する。
谷口の《資生堂アートハウス》は、線路のすぐ近くに位置し、頻繁に行き交う新幹線が横長の窓に映り込むことが計算されている。また人工池などを配し、建築の姿を映したり、水面から反射する光と影によって、映像的な効果を与える作品も少なくない。例えば、《土門拳記念館》(一九八三)、《長野県信濃美術館東山魁夷館》(一九八九)、東京と京都の国立博物館である。水も光も昔から活用される空間の要素だが、リテラルな映像が可能になった現在、映像という文脈から再考できるのではないか。現在、《豊田市美術館》では、ダニエル・ビュレンによる鏡のパヴィリオンが設置されている。周囲の風景を乱反射しており、アーティストによって建築の映像性がさらに増幅されたとみなすことができるだろう。
谷口は、「観客動線を変化する視覚の連鎖としてとらえること」の重要性を述べている(『新建築』一九九六年一一月号)。実際、設計の際は、周囲の敷地をよく観察し、建築からどのような風景が見えるのかをいつも意識しているという。テレンス・ライリーも、日本の伝統的な空間に引きつけて、谷口の作品に対し、借景的な手法を指摘している(『谷口吉生のミュージアム』)。《MoMA》は、展示室のあいだに多くの隙間をもち、映画のワンシーンのように、都市の映像を生き生きと切りとる。ちなみに、《MoMA》のコンペでは、映画的な建築論で知られるチュミ案も残っていたが、禅野靖司が示唆したように、谷口のほうが映像的な空間を実現したといえるかもしれない。

谷口吉生《土門拳記念館》 著者撮影

谷口吉生《土門拳記念館》
著者撮影

新生《MoMA》と《金沢21世紀美術館》

締めくくりとして、二〇〇四年の終わりにオープンした日本人建築家による、二つの話題の美術館、谷口吉生の《MoMA》と、SANAAの《金沢21世紀美術館》を比較しよう。
まずは類似点から確認する。いずれも郊外ではなく、都心に位置し、全体の姿を一望できる視点がない。またフランク・ゲーリーの《ビルバオ・グッゲンハイム美術館》のようなぐにゃぐにゃとした不定形ではなく、円や矩形など、根源的な幾何学形態のみで構成されている。そしてホワイト・キューブに隙間をつくり、内部と外部の風景を相互浸透させる、開かれた美術館であること。
こうした共通性をもちながらも、その違いを考察すると興味深い。SANAAが水平/平面に空間を展開させているのに対し、谷口は垂直/断面を工夫している。宇宙から舞い降りた円盤のような《金沢21世紀美術館》に対し、新しい《MoMA》は、あたかも最初からそこに存在していたかのようである。正直言って、筆者も最初にこのプロジェクトを見たとき、どこを設計しているのかすぐにはよくわからなかった。なるほど、他の建築家のコンペ案に比べて、マンハッタンの都市的な文脈とMoMAの歴史を熟考したうえで、あたりまえの要素によって風景をつくることに主眼を置いている。谷口は、モダニズムの語法を活用しながら、部分的に過去の空間を復元し、既存の高層棟の存在を再認識させた。すなわち、ごく自然になじんでいることこそが、新生《MoMA》の真価であり、本当にすごいところなのである。
一方、《金沢21世紀美術館》は、別の場所でも成立しうるデザインであり、むしろ他のビルディングタイプにも応用可能な空間の形式を発明したことが最大の成果だろう。以前、筆者が監修したTNプローブの連続シンポジウムにおいて、こうした傾向を「オルタナティブ・モダン」、すなわちもうひとつの近代と命名した。円や矩形、ガラスの透明性も、すでにモダニズムにおいて使われた要素である。しかし、SANAAはそれらを大胆に組み換え、ありえたかもしれない近代を出現させた。では、谷口の《MoMA》は何であろうか。例えば、ダイハード・モダニズム? もっとも、彼は施主の要求を柔軟に聞くという。だから、頑固というニュアンスは似合わないかもしれない。では、《MoMA》がそもそもモダニズムの殿堂だったことを想起して、その増改築ゆえに、「リニューアル・オブ・モダニズム」と呼んでみるのはどうだろう。つまり、更新/再生された近代である。


★──「谷口吉生のミュージアム」、東京オペラシティアートギャラリー、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、豊田市美術館を巡回。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>『10+1』 No.41

特集=実験住宅

>谷口吉生(タニグチ・ヨシオ)

1937年 -
建築家。谷口建築設計研究所主宰、東京藝術大学美術学部建築学科客員教授。

>狭小住宅

日本の都市の特殊な敷地条件によって余儀なくされた狭小住宅や建築物。切り売りされ細...

>葛西臨海公園展望広場レストハウス

東京都江戸川区 展示施設 1995年

>鈴木博之(スズキ・ヒロユキ)

1945年 -
建築史。東京大学大学院名誉教授、青山学院大学教授。

>パサージュ

Passages。路地や横丁、街路、小路など表わすフランス語。「通過」する「以降...

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>コーリン・ロウ

1920年 - 1999年
建築批評。コーネル大学教授。

>青木淳(アオキ・ジュン)

1956年 -
建築家。青木淳建築計画事務所主宰。

>妹島和世(セジマ・カズヨ)

1956年 -
建築家。慶應義塾大学理工学部客員教授、SANAA共同主宰。

>SANAA(サナー)

建築設計事務所。