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アンセスト・ド・トシロン | 安田昌弘
Ancestrale de TOSHI-RON | Yasuda Masahiro
掲載『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。, 2006年09月発行) pp.25-26

序に代えて

〈音響場〉あるいはアクースティック・フィールドという言葉は本来、録音スタジオやコンサート会場、あるいは個人のリスニングシステムにおける音の定位に関する術語である。音源、あるいはその代役であるスピーカーに対する耳、あるいはその代役であるマイクロフォンの位置取り。つまり、どこでどの音がどう聴こえるか(あるいは聴こえないか)に関する概念である。しかしこの概念を、閉じた空間における音の響きだけではなく、より広く社会空間のなかで捉えることはできないだろうか?  都市自体を、音の響く場所(あるいは響かない場所)として捉えることはできないだろうか?  そうすることによって、ともすれば意匠や表象の分析に終始しがちな都市論をもっと学際的に風通しのよいものにできるのではないか?  それがこの試論の狙いである。なお、今回の表題にそれ以上の意味はないので、笑って済ませていただきたい。

音の囲い込みと照明技術

今さら言うまでもないが、演奏家と聴衆が「音を発する役」と「音を受け止める役」にはっきり制度化されたのはそれほど昔のことではない。渡辺裕は『聴衆の誕生』において「純粋に音楽を聴きたい人の集まる」(一六頁)、「演奏会システム」(八─二二頁)の確立時期を一九世紀前半に位置づけているが、これは音楽が閉鎖された音響空間のなかに閉じ込められ、商品として流通するようになったことを示す。つまり、音源が壁と天井で囲い込まれ、より緻密に設計された響きを聴衆に提供する一方で、その空間の外側の人間からは聴取の機会を剥奪する技術・装置が、この頃確立したことを示す。こうした技術・装置が、音の響きをより効率よく聴衆に伝えるためのスタジオ音響技術、録音技術の通奏低音になっていることは想像に難くない。
しかし音の囲い込みはそれほど簡単なことではなかった。その原因は光である。というと少し唐突だが、照明技術のほとんどなかった時代、演奏会場には明かり採りが不可欠だったのである。ギリシア・ローマ時代の野外劇場はもちろん、中世以降の劇場も多くは無蓋であることが多く、完璧な音響場など望むべくもなかった。シェークスピアが本拠としていたロンドンのグローブ座(一五九九年開設)もそうした劇場のひとつであった。「地球座」の名前から想像される壮大なイメージとは裏腹に、舞台の幅は一二メートルほどしかない。それを取り巻くように観客席があり、数階に重なる観客席の上に屋根はなかった。興行は昼間行なわれ、例えば「ハムレット」の冒頭で、場面が深夜であることを表現するいささかわざとらしい台詞(「何者だ?(…中略…)お前こそ名を名乗れ」「今深夜零時の鐘が鳴ったからな」云々)が交わされるのは、白昼における舞台という制約を克服するための仕掛けだったのである。

最近復元されたグローブ座。 天井がぽっかり空いている 撮影=John Tramper

最近復元されたグローブ座。
天井がぽっかり空いている
撮影=John Tramper

音響場としての社会空間

かくして、音響・照明技術の進歩に伴い、音は〈演奏〉、やがては〈録音物〉として、周囲の空間から切り離され、商品化されることになった。音は本来的に空気(あるいはその他の媒体)があれば伝わる。隣家のステレオやピアノの音が漏れ聴こえてくるのは日常茶飯事であり、われわれはそれに対して親近感や不快感を感じたりしている。また漏れ聴こえる音は、ベルリンの壁崩壊につながった旧東独の非合法ロック・ラジオのように世界を変革する可能性ももつ。つまり、音の漏れを制御する技術は、不協和を抑え込もうとする政治的な意思とも接合してきたのである。近代の都市計画も、そうした音響管理に関する権力の意思を媒介してきた。その論理を把握するためには、一旦演奏会場を出て、都市のなかで耳を澄ましてみる必要がある。
近代の都市計画と音楽施設の空間的再分配については、オスマン男爵によるパリ改造がわかりやすい出発点となろう。オスマンのパリ改造が、パリ市自体をパノプティコンのような権力装置とすることを目的としたものであると看破したのはかのベンヤミンであるが、富裕層が下階に住み、貧困層が上階に住むという「垂直方向の貧富の差」が、富裕層が西側に住み、貧困層が東側に住むという「水平方向の隔離」に取って代わったことも一九世紀のパリ改造のもうひとつの側面として指摘されている(Marchand, 1993: 88)。音を囲い込む装置についても同様であった。象徴的な動きとして、オペラ座がこの時期に五〇〇メートルほど西に移築されたことが指摘できる(現在のガルニエ座)。ほぼ時を同じくしてパリ中心部にシャトレ劇場および市立劇場も建設された。アンバサダーやアルカザールなど民間のカフェ・コンセールがシャンゼリゼ大通りに店を構えたのもこの時期だ。こうした動きはやがて、交響楽を聴くために当時の音響学の粋を集めて設計されたサル・プレイエルに集大成されてゆく(シャンゼリゼ大通りのほど近くに建てられたサル・プレイエルは、同社製ピアノのショーケースでもあった)。その一方、取り壊された旧オペラ座からバスティーユ広場にいたる歓楽街にあった大衆劇場や見世物小屋は、その一帯が都市犯罪の温床と看做されていたこともあり、体系的に取り壊された。行き場を失った芸人たちは、モンマルトルやベルヴィルなどの周縁地区に活動の場を移してゆく(一八六〇年にパリ市境が拡大され、現在のかたちとなる)。この頃から一九世紀末に至るいわゆる「ベル・エポック」においてモンマルトル界隈が大衆文化の中心となってゆくのは偶然ではない。
このように、一九世紀中期以降、ブルジョワ化に拍車のかかったパリ西部で音の〈囲い込み〉が進む一方、そうした囲い込みを受け入れられなかった層が、北部あるいは東部に排除され集結していったという構図が見て取れる。囲い込まれることは、そのままプロとしての成功を意味してもいたわけで、大衆音楽家らがイデオロギー上の抵抗として意識的にパリの中心部から遠ざかっていったケースはむしろ少なかったはずだ。ただ、中心部に残留することへの対価は高かった。歌詞の検閲や興行許可の取得に加え、既存のレパートリー使用に関しては、音楽出版社および楽譜店の許可が必要だったのである。むしろここで大切なのは、①大衆音楽のトポスは文化的というよりもむしろ物質的制約により形成されたこと、②ブルジョワ的な音の〈囲い込み〉は大衆的なものをも誘い込むような動きとして現象していたこと、③そして最後に、ブルジョワ的な音の〈囲い込み〉がすべての音を囲い込むことは実際にはありえなかったことである。

漏れ聴こえる音

さて、オスマンによるパリ大改造に焦点を当て、ブルジョワ的な囲い込まれた音の響きと、主に経済的な理由からそこから漏れざるをえなかった大衆的な音の響きが、都市空間において再分配(隔離)される様子を、非常に大雑把にではあるが俯瞰した。本試論にとって有意義なのは、近代化に伴う音の〈囲い込み〉も、ついにはそこから漏れ出す音を完全に制御することはできなかったということである。これには、二方向の意義があると考えられる。ひとつは、同じような現象がロンドンやベルリン、東京などの都市で共時的に発生していたということ。もうひとつは、この弁別が、一九世紀にとどまらず、二〇世紀、ひいては二一世紀にまで通時的に再生産されているということである。そのひとつの例として、五〇年代末のパリにもたらされたロックンロールに対するモラルパニックの記述が挙げられるかもしれない。

[一九六三年六月の]晩、Europe 1[民放ラジオ局]の番組「サリュ・レ・コパン」は、若いリスナーたちにナシオン広場で開かれる野外コンサートに集結するよう呼びかけた。ジョニー・アリデー、シルヴィ・ヴァルタン、リシャール・アントニーの出演が予告された。(…中略…)主催者側は二万人程度の観客を見込んでいたが、実際には一〇万人が詰めかけた。若者たちはひしめき合い、街灯や街路樹によじ上り、近くに駐車してあった車の屋根をへこませた。暴力的な事件を引き起こす若者もいた。新聞記者たちはこの無秩序に衝撃を受け、これを「新種の野蛮人」として話題にした(Joannis-Deberne, 1999: 184)。


ここで興味深いのは、ナシオン広場がパリ東部にあるという事実もさることながら、この〈無秩序〉がラジオという新しい音響技術を媒介として現象したことかもしれない。次回は、聴きたくなくても聴こえてくる音が、メディア技術を通し如何にして〈漏れ〉てきたかについて注目してみたい。

参考文献
•H. Joannis-deberne, Danser en Société : Bals et Danses D’hier et D’aujourd’hui, Christine Bonneton Éditeur, 1999.
•B. Marchand, Paris, Histoire d’une Ville : XIXe - XXe Siècle, Editions du Seuil, 1993.
•渡辺裕『聴衆の誕生──ポストモダン時代の音楽文化』(春秋社、一九八九)。

>安田昌弘(ヤスダ・マサヒロ)

1967年生
ポピュラー音楽研究、グローバライゼーションとローカライゼーション、音楽と場所、都市空間とメディア空間の相関。

>『10+1』 No.44

特集=藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。