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距離のねじれを生む、ガラスのランドスケープ──妹島和世論 | 五十嵐太郎
Architecture and the City after the 1990s 20──Glass Landscape Forming Torsional Distance: Kazuyo Sejima | Igarashi Taro
掲載『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。, 2006年09月発行) pp.21-22

神殿ではないということ

東京から二時間半ほどのドライブで、過疎化が進む地方の小さな街につく。妹島和世は、世界的に活躍する日本の女性建築家だが、東京にはまだ主要な大型の作品がなく、こうした地方にいくつかの公共施設を手がけている。とくに鬼石町のような山岳部は、空爆を経験せず、また戦後の高度経済成長の影響もあまり受けなかったために、古い家屋が数多く残る。周囲にモダンな建物はない。ゆえに、《鬼石多目的ホール》(二〇〇五)[図1・2]は異質なものとして出現するのではないかと想像していた。だが、意外なことに、すぐそばに近づくまで、存在に気づかない。ガラス張りということで、威圧感を減らしていることも重要だが、まわりの低い建物にあわせて、全体の高さをおさえているからだ。通常、日本の公共施設は、街のシンボルとして高さを求められることが多い。実際、筆者もある地方都市の美術館コンペの審査に加わったとき、地元の関係者がみなデザインよりも高さを基準に選び、投票していた。ちなみに、《鬼石多目的ホール》の背後には鬼石小学校があり、こちらは遠くからでも目立つ。
《鬼石多目的ホール》は、体育館やホールなどの大きなヴォリュームを掘り下げることにより、全体を低くして、屋根をフラットにしている。その結果、機能性を要求される矩形の空間が半地下にあることで、地上レヴェルは機能の制約が少ない空間となり、外形が自由な輪郭を描くことになった。体育館やホールは、高さの差を利用して、一階が観客席にもなるという効果を生む。また、地上レヴェルで視線をさえぎる要素がなくなり、建築の周囲がすべてガラス張りという特徴を最大限に引きだす。ゆえに、地元産の杉と鉄のハイブリッド構造によって実現した大スパンの空間を、外からでも観察でき、どこからでもどこまでも見渡せる。管理棟と体育館やホールは別の棟だが、透明性ゆえに、人手を増やすことなく管理が可能になる。なるほど、こうした考え方は、グロピウスによる《バウハウス校舎》でも採用されていた。また、ミース・ファン・デル・ローエの《ベルリン国立美術館》やフィリップ・ジョンソンの《ガラスの家》も想起させるだろう。しかし、これらが厳格なガラスの神殿だとすれば、《鬼石多目的ホール》は柔軟なガラスのランドスケープである。

1、2──妹島和世《鬼石多目的ホール》内観 筆者撮影

1、2──妹島和世《鬼石多目的ホール》内観
筆者撮影

二一世紀におけるガラスの空間

妹島は、モダニズムが好んだガラスの空間に回帰しつつも、単に透明さを追求するのではない。むしろ、透明性の操作にこだわり、多様な現象を演出する。すなわち、半透明の度合いを微妙に調整したり、幾何学的なパターンをつけて、オプ・アート的な効果を狙う。例えば、《横浜市六ツ川地域ケアプラザ》(二〇〇〇)では、ガラスのファサードの内外に異なるパターンをプリントして、モワレの現象を起こす。《ディオール表参道》(二〇〇三)は、ガラスの内側に設けたドレープ状のアクリル・スクリーンが、透明度のグラデーションによって、ゆらめくような錯覚を誘う。《鬼石多目的ホール》では、不定形な輪郭をもつために、アングルによっては内部と外部が幾度も複雑に重なりながら透けて見えるだけではなく、緑豊かなまわりの環境を歪みながら映し込む。つまり、アーティストのダン・グレアムによるガラスのパヴィリオンのような視覚効果が随所に発生する。また各棟のあいだには、ガラスの通路というべき場所が発生しているが、屋外でありながら、幅の狭さゆえに、空を天井とした屋内のような不思議な空間の質を獲得している。そこは外部と内部のあいだというべき場所だ。
二〇〇六年に完成した妹島と西沢立衛SANAAの《トレド美術館ガラスパヴィリオン》も、その特徴は公園のなかのガラス張りの建築だが、外壁だけではなく、室内の壁もほとんどがガラスになっている。つまり、ある展示室にいたとしても、閉ざされるわけではなく、透明なガラスの向こうに別の部屋が見えたり、緑の風景も感じられるのだ。それぞれの空間が独立性をもちながら、視覚的にはゆるやかに連続している。
ところで、一九九〇年代以降、日本では新しい建築のモデルとして、しばしばコンビニが言及されるようになった。単にモノを売るだけではなく、ネットワーク化された情報端末をそなえ、多機能をこなす新しい商業施設は、日本の隅々にまで展開した。建築的な特徴としては前面に大きなガラスのファサードをもつ。これは新しい日本人の生活を象徴するビルディングタイプである。モダニズムが理想とした単機能の工場ではなく、いろいろなことが起こりうるコンビニというガラスの空間へ。妹島和世は、伊東豊雄の事務所に在籍時、その新しい感覚ゆえに、「コンビニ少女」と呼ばれていたという。《鬼石多目的ホール》は、コンビニ以上に開放的なガラス張りの建築である。

ランドスケープとしての建築

通常、日本の住宅や公共施設はまわりを塀に囲まれている。また最近は犯罪を恐れて、過剰なセキュリティを追求し、空間を閉じる傾向が強い。だが、こうした状況に抗うかのように、《鬼石多目的ホール》は塀やフェンスをもたない。SANAAによる《金沢二一世紀美術館》(二〇〇四)と同様、敷地の外から施設の内部がよく見えるし、室内からも周囲の状況がよくわかる。全体がガラス張りになっているからだけではなく、敷地の境界線に視覚的かつ物理的な障害物がないからだ。内部と外部が浸透しあう、文字通り、開かれた空間は、公共性の意味を改めて示すだろう。隣の小学校に通う子供たちは、通学時と下校時、《鬼石多目的ホール》の敷地のなかを、ごく自然に通り抜けていく。また筆者の訪問時、三つの棟のすべての扉が開放されていた。ゆえに、あちこちを出たり入ったりという遊びも誘発する。
ここでは、建築とゆるやかに傾斜するランドスケープが別物ではなく、地続きのように連続していることも大きな効果を生む。《金沢二一世紀美術館》でも巧みな地形の操作を行なっている。敷地としては兼六園に向かって上昇しているのだが、美術館が大きくそびえて見えることを避けるために、もっとも低い側に小高い丘がつくられた。その結果、美術館の全体が沈んでいるような印象を与えている。《マルチメディア工房》も、なだらかにもりあがったランドスケープと深く沈んだ施設の屋根が凹んでいることによって、屋上から内部にアクセスするという形式を創造した。
現在の名称は「鬼石多目的ホール」だが、もともとコンペのときの「(仮称)おにし屋内広場」というタイトルから触発されたのが、今回のデザインだった。「屋内広場」という言葉のイメージから、妹島は室内と室外が霜降り状に混ざることを提案している。コンペ時の案と実現した建築は、やや形式を変えているが、自由なかたちの各棟が群島のように連なるという原則は同じだ。焼いてぐにゃぐにゃになったおもちのようなプラン。なるほど、ここを散策すると、外にいるのか、内にいるのか、ふとわからなくなる瞬間が訪れる。完成記念イヴェントとして、民謡、太極拳、書道展、コンサート、高齢者学級など各種の企画が催されているが、やはりあちこちに人が散らばっている状態が魅力的だろう。人がいることによって距離を具体的に確認することができ、新しい空間の形式がもつ不思議さがよく理解できるからだ。

ねじれた距離の感覚

《鬼石多目的ホール》では、目の前に人が見えるけれども、ガラスの壁の向こうに隔離されている、あるいは遠くに見えるけれども、同じ室内の側にいるといった、視覚と距離の興味深いねじれが発生する。屋外にいるはずなのに室内にいるような雰囲気。逆に室内にいても外界とつながっていること。透明なガラスの迷宮。訪問時、ホールでは、中年の男女が集い、社交ダンスの練習が始まった。そして不思議な音の響きかたをしていることに気づいた。ねじれた形状ゆえに、ガラスの向こうからホールを見ても音は聞こえない。しかし、ホールが見えないエントランスでは音が聞こえる。近くて遠いこと。あるいは、遠いのに近いこと。距離がねじれるガラスのランドスケープが広がっている。
こうした建築は、情報化社会における空間意識の変化を反映しているのではないか。情報化といっても、映像スクリーンのある壁面をもつという意味ではない。ケータイやインターネットが普及し、隣にいても別の世界にいたり、離れているのに接続しているという感覚である。藤本壮介の安中環境アートフォーラムのコンペ(二〇〇三)でも、ワークショップによって変形可能な、ぐにゃぐにゃの輪郭をもつ空間を提案した。離れているけど、同時につながっているような場である。これはやはり審査のとき、インターネット的な空間であると指摘された。筆者が企画したKPOキリンプラザ大阪の「ニュージオメトリーの建築」展(二〇〇六)において彼が制作した《K-house》[図3]は、発泡スチロールの壁が一筆書きで連続し、二重のリングが絡むような平面をもつ。壁の交差点は、それぞれの上下に大きな開口をとり、ねじれた腸のような空間のところどころに、ショートカットを発生させている。
妹島和世の《梅林の家》(二〇〇三)[図4]は、わずか一六ミリの厚さの鉄板によって小さな部屋に仕切られている。建築のスケールとは思えない、異常に薄い壁。室内には閉じるためのドアや窓がまったくない。開口があるだけだ。したがって、多くの部屋が存在しながら、同時にすべてが空間としていつもつながっている。《鬼石多目的ホール》と同様、顔は見えなくとも、音だけが聞こえてくる。多様に細分化されたワンルーム。その結果、各部屋はまるで引き出しのような場所であっても、ゆったりとしている。また開口部を通して見える向こうの風景は、壁の薄さゆえに、どこか現実離れしたものになってしまう。隣の部屋なのに、彼方の映像のように思えるのだ。ここでも距離の感覚が飛んでいる。

3──藤本壮介《K-house》 筆者撮影

3──藤本壮介《K-house》
筆者撮影

4──妹島和世《梅林の家》 筆者撮影

4──妹島和世《梅林の家》
筆者撮影


本稿は、イタリアの建築雑誌『domus』に寄稿したテキストを加筆修正したものである。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>『10+1』 No.44

特集=藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。

>妹島和世(セジマ・カズヨ)

1956年 -
建築家。慶應義塾大学理工学部客員教授、SANAA共同主宰。

>バウハウス

1919年、ドイツのワイマール市に開校された、芸術学校。初代校長は建築家のW・グ...

>ミース・ファン・デル・ローエ

1886年 - 1969年
建築家。

>フィリップ・ジョンソン

1906年 - 2005年
建築家。

>ディオール表参道

東京都渋谷区 商業施設 2003年

>西沢立衛(ニシザワ・リュウエ)

1966年 -
建築家。西沢立衛建築設計事務所主宰。SANAA共同主宰。横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA准教授。

>SANAA(サナー)

建築設計事務所。

>伊東豊雄(イトウ・トヨオ)

1941年 -
建築家。伊東豊雄建築設計事務所代表。

>藤本壮介(フジモト・ソウスケ)

1971年 -
建築家。京都大学非常勤講師、東京理科大学非常勤講師、昭和女子大学非常勤講師。

>梅林の家

東京都世田谷区 住宅 2003年