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建築と展覧会カタログ | 田中陽輔+山雄和真+岡部友彦+佐々木一晋
Architecture and Exhibition Catalogs | Tanaka Yosuke, Yamao Kazuma, Okabe Tomohiko, Sasaki Isshin
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること, 2005年04月発行) pp.146-149

カタログと建築|田中陽輔

建築展覧会という形式


建築展覧会という形式が存在する。そして、世界各地の近現代美術館の重要なコンテンツとして確立されている。ただし、ある性質において、それは美術展やデザイン展と決定的に異なる。通常、建築展はパヴィリオンという形式を除けば「なま」の建築の展示を意味するわけではなく、その表現を模型や図面、写真といったメディア(媒体)に託すという点である。言うまでもなく、建築自体はその表現・存在意義において、展覧会を前提としていない。
しかし、展覧会が建築の副次的な存在であるというわけではない。展覧会は今や建築界の論壇であり、競技場であり、編纂の場でもある。
建築と展覧会の親和の源流を、一九世紀末以降の世界各地の分離派運動にみることができる。「われわれのウィーンにとってこの展覧会は、何にもまして画期的な意味をもっていた。『分離派』は、もはや人々にとって分離的なものではなくなった」。この発言からわかるように、分離派運動にとって展覧会とは、アカデミズムと袂を分かち、大衆に対して開かれた芸術を主張するための最大の戦略であった。展覧会とその機関誌を通じ、その哲学はイタリアやロシア、そして日本へと影響を及ぼしたのである。さらに重要なことは、そのムーヴメントが美術・工芸・音楽を含めた総合芸術としてなされたことである。その一因子として建築が組み込まれることで、建築の展示にひとつの意志が盛り込まれた。建築は博物館的展示から美術館的なものへと脱皮を果たした。

1──分離派建築会『分離派建築会の作品』(岩波書店、1920)

1──分離派建築会『分離派建築会の作品』(岩波書店、1920)

2──『バーチャルアーキテクチャー——建築における「可能と不可能の差」』(東京大学総合文化研究科、1997)

2──『バーチャルアーキテクチャー——建築における「可能と不可能の差」』(東京大学総合文化研究科、1997)

プログラムからカタログへ

分離派の戦略の成功から、展覧会は建築のひとつの表現活動として重要視されていく。それと同時に展覧会カタログはプログラム的(事前的)役割よりも、事後的な宣伝的機能を期待されることとなった。そうした動向は一九一〇年代から三〇年代にかけて、宣言的なカタログが同時多発的に制作されたことからも窺える。日本の分離派はその最も直接的な事例であるし、ムテジウスはドイツ工作連盟内の規約にて、カタログの宣伝的効力を運動に不可欠なものと位置づけている。また、ベアトリス・コロミーナが指摘したように、ル・コルビュジエは『エスプリ・ヌーヴォー』誌上で、本物の工業製品カタログと自らの作品を並列し、暗示的な効果を狙った。
カタログの汎用性は、モダニズムのグローバルな波及と密接にリンクしており、その影響力は展覧会本体をも凌ぐものであった。カタログは、建築の理念を運ぶ伝書鳩として世界に放たれたのである。

カタログの現代

現代に目を移すと、展覧会カタログの一潮流として、博物学的なものへの回帰が見られる。リサーチ・プロジェクトを契機にしたステファノ・ボエリ(マルチプルシティ)やOMAとAMO、アトリエ・ワンの活動はその好例である。これらはカタログの作成自体を通して、社会を切断する自らの視点を表現している。一見受動的であるが、世界と自らの表現の適合性を証明する非常にマニフェスト性の強い運動である。
一方で、展覧会とカタログを基盤にする建築運動も多い。オブジェクティルやディラー&スコフィディオの活動は、メタな表現レヴェルで建築をベースとするものの、もはや美術との境界がなくなっている。彼らは建築そのものより、建築家という「主体」と「制作物」との関係を主眼に置いているように思われる。だからこそ、実建築と模型、ドローイングは等価なのであり、それを示しえる場として展覧会とカタログが必要なのである。
現在の展覧会カタログは、建築との従属関係を克服している。そして、建築のための、パラレルな表現の場として確立されている。九七年に行なわれた「バーチャルアーキテクチャー」展は、このような自由な世界で、新しい建築の姿を描いてみせようという日本での先駆的試みであった。しかし、そこで、監修の坂村健は、とどまることを知らないユニークな形態への指向に、警鐘を鳴らしている。建築の個体性と恒久性と戦い、社会に説明し続けるべきであると。
カタログは、建築の可能な姿をいくつも描いてみせる。そして、建築とは何かをわれわれに問いかけているのである。

カタログとテキスト|山雄和真


本来あるべき作品がつねにそこにはないというジレンマを抱えながら、展覧会という場において建築の表象は、模型や図面や写真によって担われる。その意味で建築にとっての展覧会は、そこで担われる作品の表象は、巷にあふれるさまざまなメディアと何ら変わることはない。ある限定された空間内に、あるテーマに沿った模型や図面、写真が並べられる。その風景はそれ自身極めてカタログ的だ。だから建築の展覧会のカタログは必然的に、カタログのカタログというトートロジカルな関係に終始することになる。ただ一点、展覧会という場において主役になりえないもの、それがテキストであるのだ。そのテキストが過度に膨張した結果、その内容のほとんどをテキストで埋め尽くしてしまったカタログが存在する。
テキストによって構成されたカタログと言えばまず思いつくのがMoMAにおける展覧会、例えば、フィリップ・ジョンソンとヘンリー・ヒッチコックによる「The International Style」やロバート・ヴェンチューリによる「Complexity and Contradiction in Architecture」がある。モダンとポストモダンの代弁者とも言える双方のテキストが建築界に及ぼした影響の大きさについてはいまさら述べるまでもないとして、カタログとテキストの関係性にだけ焦点を絞ると何が見えてくるだろうか。結論から言うと、これらのテキストが意図し成し遂げたのは、そこから後に立ち現われた建築が彼らの設定した枠組みに回収されていくことだった。カタログは、展覧会とは独立したそれ自体として、未来に向けて機能する。MoMAにとって、ジョンソンやヒッチコックやヴェンチューリにとって、そもそも展覧会のために集められた作品自体にさほど意味はなかった、と言えば言い過ぎであろうか。カタログの形式自体に彼らが意識的であったかどうかはわからない。だが結果として彼らの試みは、図版の集積ではなく論文の出版として表われた。未来の作品群を回収する装置としてのカタログ。この時、テキストこそが絶大な効力を発揮することになった。ヴェンチューリによれば、この論文の大部分が書かれたのは一九六二年のこと。展覧会自体の開催は一九六六年だから、実に四年も前に書かれている。展覧会というイヴェントと、それを再構成し記録する役割を持ったカタログとの本来の関係において、明らかな転倒が起こっている。後世に生きる筆者の目にはむしろ、テキストを世に出すためのきっかけとして、展覧会という場が用意されたとも映るのだ。
現代に目を移せば、四六〇頁に及ぶ大著のほとんどをテキストで埋め尽くした「Herzog & de Meuron: Archaeology of the Mind」展のカタログ『Natural History』や、ドローイング集とテキスト集の二分冊からなる磯崎新による『反建築史』、また同様の形式では、小論ではあるけれど原広司による「Discreet City」展のカタログ等が例に挙げられよう。従来のカタログ的形式にはおさまらない作家やキュレーターの意志が、単なる展覧会の記録にとどまりえない、テキストによるカタログという独特の体裁を要請している。
展覧会という時間的空間的拘束から解放されたカタログという場において、加速するテキストたち。もちろんあらゆるカタログにおいて、テキストは存在する。だがそれが加速した時、従来のカタログが持つ形式を揺さぶり、意味を飛躍させる、そんな、もはやカタログとも呼べないようなカタログが、確かに存在しているのだ。

3──Robert Venturi, Complexity and Contradiction in Architecture, MoMA, 1977.

3──Robert Venturi, Complexity and Contradiction in Architecture, MoMA, 1977.

4──磯崎新『反建築史』(TOTO出版、2001)

4──磯崎新『反建築史』(TOTO出版、2001)

カタログとカタログ|岡部友彦


展覧会カタログという情報媒体は、展覧会とともにその展示内容を外部へと発信していく役割のほかに、展示内容やカタログの根底に存在する隠された主題の発信もまた、役割のひとつと言える。
その根底に存在する主題には、さまざまなストラテジーが存在するものの、提案、否定、対立など現行の潮流に対するリアクションが多いのではないだろうか。
そのような示唆的とも言えるカタログに焦点をあて、カタログと主題の関係について、以下二つの展覧会カタログをもって見ていきたい。

マニフェストをカタログする

運動や宣言など、各主体を時代へと認知、定着させることを図るツールとして、展覧会カタログの流通性を利用したものがいくつか存在する。一九一九年にドイツで行なわれた「無名建築家」展はまさにそのような存在である。芸術労働評議会により開催された最初の展覧会であり、当時無名ではあるが前衛的な活動を行なう建築家たちの作品を集めて開催されたものであった。
そこで刊行された展覧会カタログは、わずか四頁からなる薄い体裁をなし、表紙にはタイトルもなければ、展覧会の内容自体を示す図版等の情報さえ存在しない。当時、労働評議会の主導者であったワルターグロピウス、ブルーノ・タウト、アドルフ・ベーネンの三人による、それぞれの新しい建築に向けての思想を語る文章のみで構成されたものであった。
ここに評議会の示す主題が色濃くでているのではないだろうか。この展覧会は、無名建築家の発掘に焦点が当てられていたわけではないと言ってよいだろう。そうではなく、評議会のマニフェストの発信、または、同年発足したバウハウスにおけるバウハウス宣言に相応する発言が、宣言以前にすでに展覧会カタログという流通性のよい媒体を通じて意図的に発信されているという点において、非常に戦略的な姿勢がみえるのではないだろうか。

リアルをカタログする

宣言や主張のなかには、その当時の主流に対する否定や異議申し立てを意図したものが多く存在する。一九六七年にMoMAで開催された、ニューヨークの都市計画プロジェクトを紹介した「The New City: Architecture and Urban Renewal」展もその一種とみなすことができる。現在においても「世界都市」展(六本木ヒルズ、二〇〇三)のように都市や都市計画に関する展覧会はしばしば行なわれてはいるが、そのテーマは都市や都市計画の現在や未来のヴィジョンを示すもの、あるいは都市のさまざまな様態の比較などが多いようだ。
しかし、「The New City」展のテーマは、ニューヨークの都市計画のヴィジョンといったことだけにとどまらなかった。周知のように、当時の建築的、都市計画の主潮流は、アーキグラムのようにユートピア的なそれが支配的であった。そこに欠落していたのは現実社会への視点であった。「The New City」展は、マクロなユートピア的都市計画と単独の建築計画との中間のスケールとしての都市空間に焦点を当てることで、タブラ・ラサなユートピア計画を否定し、より具現的な都市ヴィジョンへと潮流を誘導する目論見を持っていた。そのため、この展覧会カタログには、ユートピア的都市計画は掲載されず、より現実的な都市計画・プロジェクトが掲載され、後半部分では、展覧会で展示されたニューヨークにおける都市計画構想が掲載されたのである。

このような二面的な表情をもちうる展覧会では、そのカタログにおいてもひと味違った趣向をもちえていると言えるだろう。時代潮流の狭間に位置するときこそ、その表情は鮮明に映るのかもしれない。

5──The New City: Architecture and Urban Renewal, MoMA, 1967.

5──The New City: Architecture and Urban Renewal, MoMA, 1967.

6──「世界都市」展カタログ(森ビル、2003)

6──「世界都市」展カタログ(森ビル、2003)

参考文献
・The New City:Architecture and Urban Renewal, MoMA, 1967.
・Another Chance for Housing Low-Rise Alternatives, MoMA, 1973.
・ウルリヒ・コンラーツ編『世界建築宣言文集』(阿部公正訳、彰国社、一九七〇)。

カタログとデザイン|佐々木一晋


建築の展覧会カタログは「読書」という行為を通じてのみ受容されるものであろうか。カタログの役割が展覧会の内容(本文、文章だけではなく図像や記号を含んだ媒体)を伝達するだけなら、そう言えるのかもしれない。しかし、現代の建築展覧会カタログの楽しみ方は「読書」という行為を通じてのみ達成されるものではないということは、展覧会に足を運びカタログを見た人、皆が感じていることだろう。
二〇世紀の初め、カタログはひとつのアートとして意識されはじめ、印刷技術の発展、市民生活の成熟、情報メディアの多様化などさまざまな要因により、今までにない数々のカタログづくりが試行された時代であった。写真製版とカラー印刷の発展によって、個人による造本作業が可能となり、本はアートの自由な表現の場となっていた。例えば、美術工芸品とも言える「美しい本」を作ったウィリアム・モリスや挿絵を描いた巨匠と呼ばれるアーティストたち、自らの建築思想や活動を伝える手段としてカタログを用いたアヴァンギャルドな建築家等々。こうして本というメディアに関心をもったアーティストや建築家たちによって作られた固有な書物は後にリーヴィル・ダルティスト(美術家の本)というジャンルを形成していった。
二〇〇一年に開催された展覧会「東京建築」展のカタログ『東京—建築・都市伝説』は、アーティスト・生意気がデザイン参加した現代版のリーヴィル・ダルティストといえるだろう。本書はブックデザインの造形的・技術的効果を最大限に活用したポップアップ式のピクチャー・ブックであり、カタログ元来の読書行為に加えて、紙をめくる、折る、伸ばす、ずらす、引くといったカタログ本編に操作を加えることで一一の建築様相が体現されている。書物のもつ知の領域と物語性が二次元の本に造形的に落とし込まれ、言葉を超えて、読書という機能をもたないオブジェとして成立している。このように表紙、ケース、カバー、目次、本文、挿絵、小口等というような外形的なデザイン要素は一定の形式性を越えて、印刷・製本を伴う作業・流通工程を経て多種多様に当時の技術力や時代性を投影する役割を担っている。
一方、一九九四年のMoMAでの展覧会以来、一〇年ぶりとなるOMAの展覧会「Content」のカタログは九七年に出版された『S,M,L,XL』の重厚な外形とは一変した雑誌仕立ての体裁となっている。ここでは企業の経済原理によって活性化するフリーペーパーや一般雑誌が現代性を表徴するように、本カタログのデザインは雑誌という一般情報誌の装丁を転借することで鮮烈な都市論が付言されている。また、二〇〇〇年秋からフランス・ボルドーで開催された展覧会「MUTATIONS」の東京展カタログは、全体の概要を示したブックレットと映像・音楽のCDが同梱された語学教材のようであり、付属のCDには現代都市の不可視的要素である「音」や「噂」など、現象しつづける都市様相の断片がサンプリングされている。本展覧会カタログは虚構の媒体ではなく、近代の技術革新により本という物質性を超えた動態でさえ再現を試みている。近年、こうした情報化する社会に応じて、コミュニケーション・ツールとしてのカタログが帯びてきたこのデザインは視覚的な効果だけではなく五感を通じて感応される物質性に一層効果を加えている。

7──AMOMA & Rem Koolhaas, et al., Content, Taschen, 2004.

7──AMOMA & Rem Koolhaas, et al., Content, Taschen, 2004.

8──江戸東京博物館+江戸東京たてもの園編『東京—建築・都市伝説』(TOTO出版、2001)

8──江戸東京博物館+江戸東京たてもの園編『東京—建築・都市伝説』(TOTO出版、2001)

>田中陽輔(タナカ・ヨウスケ)

1979年生
東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程所属。建築・都市形態学。

>山雄和真(ヤマオ・カズマ)

1978年生
CAt勤務。建築家。

>岡部友彦(オカベ・トモヒコ)

1977年生
コトラボ合同会社代表。建築家。

>佐々木一晋(ササキ・イッシン)

1977年生
東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程。建築意匠、環境情報科学。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること

>田中陽輔(タナカ・ヨウスケ)

1979年 -
建築・都市形態学。東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程所属。

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>アトリエ・ワン

1991年 -
建築設計事務所。

>山雄和真(ヤマオ・カズマ)

1978年 -
建築家。CAt勤務。

>フィリップ・ジョンソン

1906年 - 2005年
建築家。

>インターナショナル・スタイル

International Style=国際様式。1920年代、国際的に展開され...

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>UNBUILT/反建築史

2001年2月1日

>原広司(ハラ・ヒロシ)

1936年 -
建築家。原広司+アトリエファイ建築研究所主宰。

>岡部友彦(オカベ・トモヒコ)

1977年 -
建築家。コトラボ合同会社代表。。

>ブルーノ・タウト

1880年 - 1938年
建築家、都市計画家。シャルロッテンブルグ工科大学教授。

>バウハウス

1919年、ドイツのワイマール市に開校された、芸術学校。初代校長は建築家のW・グ...

>アーキグラム

イギリスの建築家集団。

>佐々木一晋(ササキ・イッシン)

1977年 -
建築意匠、環境情報科学。東京大学工学系研究科建築学専攻博士課程。