施工図設計
こちらでは方案設計とよばれる日本の基本計画レヴェルのスタディが終わると、施工図設計という段階になる。施工図、とはいっても実際は日本の実施設計レヴェルになっていれば十分で、見積もりが取れる程度の仕様指示さえされていれば、細かい納まりは現場で決めることが当たり前になっている。今回の場合僕は仕様に関わる部分はなるべく細かく図面を描いて、見積上の見落としが発生したり施工の費用が不足するようなことがないように心がけたけれど、一方で現場で指示できるものについては現場でもう一回考え直してその都度細かく指示すればいいやとも割り切っていた。つまり現場になるべくべったり張り付こうというつもりでいた。この段階で重要なのは細かい見積もりで項目の落としがないように、施工範囲を明確にして、材料などの仕様を(暫定的であれ)きちんと指定することだと認識していた。工事見積もりは一緒にコンペをした内装施工会社が作成したのだけれど、担当者と直接図面をみながら項目の取りこぼしがないように何度か一緒に拾っていった。
図面はまず膨大な量の書架の図面を作成し、内装工事とは別に入札を経て書店から直接家具製作業者に発注された。一般の書架まですべて特注で我々に設計させてくれるというのでいろいろ提案してみたのだけれど、さすがにずっと書架を作りつづけてきた施主だけあってこれについては非常に具体的かつ細かい要求がありなかなかたいへんだった。さらに彼らの仕事の仕方が、先にそうした仕様や要求をはっきり出すのではなく、こちらにまず図面を描かせてからそれについて何か言ったり、まず試作品を業者に作らせてから修正させたりと、応答型の指示で出てくるために時間も手間もかかった(かつ変更も多かった)。結局書架はすべて白色にしてなるべくシンプルな形にするというくらいが僕のできたことだった。入札説明会では僕が自分で描いた図面を説明し、各業者には試作品を提出させ、それを見ながら性能や詳細部の作り方について施主といっしょに吟味した。最終的にはあわせて出てきた見積もりを見ながら施主が業者を選定した。二、三、四階のそれぞれの売り場毎にわけて三業者に発注したのだが、彼らの間の契約内容で目立ったことといえば、製作は四五日以内に終わらせること、遅れたらペナルティが発生すること、ただし納入時期が遅れた場合は無償で製品を必要な日時まで保管すること、現場搬入は四八時間で済ませること、などの内容がもり込まれていたことだろうか。
納入時期の話が契約書のなかでそのように書かれていたのは、中国の工事では竣工が延びることはごく当たり前なのでそうめずらしくないことらしいが、実際にそれに近い事態が発生することになった。四月末ごろから本格化したSARS騒動がそれで、書店側も最初は気にしないでとにかく急いで着工と言っていたが、五月の第一週にスーパーの売り場からモノがなくなったあたりから雲行きがあやしくなり、着工も無期延期という感じになった。僕らと施主の間の設計契約は三月の末で、当初は二カ月で図面を描き、そのあと二カ月で施工という信じられないようなスピード日程だったのだがこれも延期。設計側には思いもよらぬ時間ができたことになり、内心だいぶほっとしたものである。この期間は僕も外出せず、職場から家にコンピュータを持ち帰って図面作成に没頭した。たまに書店の人に連れられてほかの営業中の新華書店に行きバックヤードを見せてもらったり、書架やオフィス家具など、施主から直接製作発注された業者の工場を見学して細かい打ち合わせをしたりした。北京では五月いっぱいがSARS騒動の山場だったけれども、今にして思うのはこの時期に帰国しないでじっと図面を描いていたのがかなり施主に好印象を与えたようだ。こちらにしてみれば設計の密度を上げるのに恵みの時間が降ってわいてきたように思っていたのだが、外国人のほとんどが帰国し、どの会社も仕事どころではなくなっていた時期に、少しずつ図面が進んでいくのを見て彼らも我々にだいぶ信頼を寄せるようになったのである。
建築本体との関係
この物件は新築中のビルに計画されており、内装コンペの時にはおおむねビルの建築工事は済んでいた。しかしこの「新築であること」がいろんな問題を引き起こすことになった。
まず現場の現況図面がそろわない。確かにまだ完成していない建物に乗り込んでいって工事をするのだから、「竣工していない以上竣工図はまだない」と言えばそうなのだが、設計院が描いたもともとのビルの施工図と現状建物があまりに違うのには驚いた。ディヴェロッパーが自分の都合で工事中に設計変更をした結果らしいが、外壁位置が動いていたり、梁型が変更されていたり、非常階段に前室が付け加えられていたり、日本の感覚では「ちょっと現場で変えた」域を超えた変更内容である。設計サイドは一度施工図を渡したら現場とは関係が疎遠になる場合が中国では多いので、こういうことが起きてしまっているのだろう。結果として内装設計側としては、新築物件での工事なのにまるで改装をやっているような感じになってきた。ほとんどの断面を再実測し図面を起こし直したのである。
それから空調工事が終わっていないので天井工事にかかれないという問題もあった。空調は各階個別方式だったのだが、どこに室外機を置くのか着工してしばらくするまで誰もわからない状態(ディヴェロッパーの担当者と空調機器メーカー工事担当者で言うことが違う!)で、これでは設計ができない。この物件では空調工事は吹出口まですべてディヴェロッパー側の工事範囲で、空調工事が終わってからでないと店子である書店の天井仕上げ工事はできない。内装設計する我々のほうで希望する空調機と吹出口の位置を作図してディヴェロッパー経由で空調機メーカーに工事依頼がいくのだけれど、なかなかそのメーカーが決まらなくていつまでたっても細かい打ち合わせができない。こうなると我々設計サイドと施主が急いで着工したいと思ってもどうしようもない。
このディヴェロッパーはほかにも問題を抱えていて、建物全体の消防検査と各店子の内装工事とのスケジュールのすり合わせができていないのも問題になった。ディヴェロッパー側はまず建物全体の消防検査を済ませてから各店子が入り、彼らは個別に内装工事をして再度消防検査を受けると計画していたようだ。しかし実際は工事が遅れてきたのでしびれを切らした店子のいくつかが内装工事を始めてしまい、そうすると今度は各店子の内装工事がすべて終了しないと消防は検査をしてくれない、という状況に陥ってしまったのである。そんなわけでいつまでたっても竣工の区切りが来ない。ほかにも一部外壁が仕上っていないので内装仕上げができないとか、ディヴェロッパーが消防検査をクリアしようと作った防火壁が店子の内装計画とそぐわなくて壊したり(作ったばかりの壁を壊すような無駄は日本では想像できない)いろいろな問題があった。竣工間近の物件に入居することがこんなに面倒なことだとは正直言って想像していなかった。そういえば北京では新築工事ラッシュだけれど、外壁まで完成したビルがいつまでたってもオープンしないという物件をたくさん見かける。多かれ少なかれ最後の引渡しの段階でいろいろな問題を抱えてなかなか開業できないビルがたくさんあるということなんだろう。
設計を詰めていくなかでほかにも驚かされたことがあった。例えば床の耐荷重の問題。今回の現場の床は一般の商業スペースで計画されていたので、耐荷重は平米三五〇キロの設計だったが、書店ということでどう少なく見積もっても六〇〇キロ以上はいるだろうということがあとで話題になった。当然こういうことは不動産の売買のときに明確にするべき問題だったはずだが、誰も真剣に心配していなかったらしい。ディヴェロッパーが契約時に口約束で床補強すると言ったとかで誰がこの補強の金を出すかもめていたが、結局は必要なわけで、最後は書店とディヴェロッパーの間で費用を折半して追加工事をしていた。床スラブの下面にガラス繊維を格子状に熱着する工法だったが、結構な工事金額だったに違いない。聞くところによるとこのビジネスは結構北京では繁盛しているらしい、似たようなトラブルがきっと多いのだろう。
書店の主な垂直動線はエスカレーターだけれども、これはもともと一階から三階までしか計画されていなかったものを、書店が四階も売り場にしたいからというので無理やり上まで通すことにした。すると四階の床に新たに大きな開口を空けることになる。さらにすでに開いていた一階から三階の床開口も調べてみると大きさが不十分で拡大が必要なことがわかった。結局鉄骨補強をして躯体にかなり大きな穴を空けていたけれども、新築のできたばかりの構造体にこれだけ簡単に変更を加えるというのには驚かされた。もともと室外機置き場だった四階テラスを室内化して通路にしたいという要望にも驚かされたが、これもディヴェロッパーは空調機メーカーと調整して実現してしまった。
着工
SARSは六月に入ったら次第に収束に向かっていった。病院にまだ入院者はいたけれども、死者がなくなり新規患者数が減り、気の早い会社では従業員が出社するようになり、ニュースは交通渋滞が戻ってきたと伝えるようになった。市内の工事現場はSARS騒動中も患者が出ない限りペースを落として施工を続けているところも多かった(反応の早い一部の地方出身の現場作業者は病気を恐れて地方に戻ったが、やがて移動規制が厳しくなり北京に残る者も少なくなかった)が、新規着工は禁止されていた。施工図は結局三カ月近くかけて一応まとめることができた。何度か施主に内容を説明した後了承をとり、羅さんの会社に見積もりを作ってもらいながら修正を重ねて六月二〇日付けで施主の承認の判子を図面にもらった。新規着工は七月に入っても解禁されなかったけれども、書店は国営企業の利点を活かして市政府とのパイプを使って区の建設委員会に働きかけ、例外的に早い着工を承認させた。七月一五日に施工隊が現場に入って作業を始め、二一日には週一回のペースで現場施工定例会議が始まった。
あとでわかったことだが、この工事は市の重要工事のひとつに数えられていて、内装施工工事一式も入札にかけなければいけないことになっていたそうだ。着工直前の頃には当建設委員会のウェブサイトにも入札通知が公示されていたのを僕も見た。こちらでは一定金額を超える国営企業の事業は公開入札にしなければならない決まりになっているそうだが、今回施主は設計コンペのときに僕と羅さんの会社のペアを選んだので、最初から羅さんの会社が施工することはかなり濃厚だった。羅さんの会社に施工が決まってからも、工事費については厳しい査定が待っていて、中国の現場では第三者監理が当たり前なのだが、監理会社が内装工事の各項目について審査したし、さらに書店の取引銀行も内装工事の見積もり金額を査定するというダブルチェックがされていた。さらに事情は複雑で、書店から一括で内装工事契約が羅さんの会社と結ばれることはなく、ゼネコンはあくまで羅さんの会社になるのだけれど、ゼネコンが大口工事契約をほかのサブコンと結ぶ場合(例えば大面積の床工事や天井施工など)、その契約価格をいちいち施主が確認し、値段が高い場合はほかのサブコンを見つけるように口出ししたり、別の業者を紹介することすらあった。ゼネコンにしてみればすべての工事を一括で受けて、サブコンをたたいて利幅を得るということができにくいわけである。おそらく何らかの抜け道を作っているんだろうけれども、まあ水面下ではいろんなもみあいがあったようである。僕自身は工事の施工レヴェルのみを気にするようにして、お金の話はあまり首をつっこまないようにしていた。複雑怪奇すぎた……。
1──完成した書棚、一般の書棚は1.5mまで高さをおさえて店内の見通しを確保した(左)。壁沿いの書棚は3m高(右)。
2──入札時に作らせた書棚のサンプルをチェックする書店幹部。書棚は全部で15種類以上になったが、各社に違う種類の棚を作成させてその材料、ディテールの納まり、金物、塗装、色などをチェックした。塗装面を削って中の材木の品質を確認するなど、なかなかシヴィアなものだった。北京郊外の書店の物流センターにて。
3──書棚の書籍分類プレート詳細部。6ミリのグレーのアクリル板を書架背板2枚で挟んで固定する形にした。
4──1階から4階の店舗部分の天井詳細。木色のセメント板を使ったルーバー天井にした。幅が250あり隙間も250ある。隙間にあわせて吹出口をとり、口の幅もなるべく細長くということで特注対応してもらった。空調工事は内装工事範囲外だったので調整に時間がかかった。照明は二灯式の蛍光灯。2mおきに入って天井高3.3mで設計時の机上面照度が790ルクスだった。実際その程度の明るさが確保されている。竣工時は「北京で一番明るい書店」という報道もあった。
5──5階事務所部分の天井詳細。アルミ板を使ったルーバー天井。高速道路で使われる吸音板を使った。長穴の上に吸音材を敷いてある。
6──4階に新たに開けたエスカレーター用の
床開口。開口部の廻りは鉄骨の補強材が
まわされて耐火塗料が塗られた。
構造上の確認はしたと聞いたが、
簡単に開けてしまうので驚いた。
7──現場での会議の様子。こちら側が施主、施工監理、ゼネコン、向こう側が各サブコンの
担当者。毎週1回半日が会議にあてられた。
8──長城家具の製作風景。北京郊外の工場
2カ所に分けて発注された。塗装前に
視察すると製作物を工場の広い庭に出して
おいてくれた。このとき大きさなどを
だいぶ把握することができた。
9──初めて現場に本設の照明が入ったとき。
一筋の蛍光灯がついただけだが、このとき床、
ステンレスで覆われた柱、現場で塗装された
カウンターの組み合わせを見て、
現場の最終形をようやく確信することができた。
今までの連載原稿は
http://members.aol.com/Hmhd2001
でご覧になれます。