いつか大学の同僚との会話のなかで、建築とファッションには共通するところが多いのだから、両方とも同じコースで教育すればいい、と利いた風な意見を述べたことがある。すると建築家でもある同僚は居ずまいを正して、いや自分はファッションと思ってものをつくったことはないし、建築とファッションは根本的に違う、ときっぱり応えたのであった。そのとき私は現代において流行と無関係にものを言ったりつくったりできるという信念のナイーヴさに驚きながら、建築とファッションの距離をあらためて考えさせられたのである。
建築・都市と衣服・ファッションの間にはさまざまな共通点と相違点がある。たしかに長い期間存続するはずの建築や都市と短期間で消え去るファッションとでは時間的スケールでのあり様は大きく異なるかもしれない。しかし、人間の身体を包み込む空間の文化的実践として、両者に異同はないとも言いうる。しかも高度資本主義の代謝スピードはことのほか速く、建築も都市も目まぐるしくスクラップ・アンド・ビルドされてしまう。建築とファッションとの境界はもはやそれほど分明ではないのではないだろうか。
本稿の目的は現在の都市でおこっている文化や事象をファッションや身体という視点から見ることである。都市がどのようにファッション化しているのか、ファッションは都市体験によってどう変容するのか、両者の曖昧な境界線を探りながら現場を歩いてみたい。
ファッションの建築
都市とファッションの今日的な関係がもっとも劇的に展開されているエリアのひとつが表参道を中心とした原宿・青山の一帯だろう。不況と言われて久しいというのに、この通りには欧米の有名ブランドの直営ショップがひきもきらず建設されており、その開店イヴェントにはつねに長い行列ができる。またこれら商業施設の設計は著名な建築家たちが手がけていることが多く、昨年完成した青木淳の《ルイ・ヴィトン表参道ビル》[図1]、今年六月にできたヘルツォーク&ド・ムーロンの《プラダ青山ビル》[図2]は建築デザインとしても大きな注目を集めている。この一年以内に伊東豊雄の「トッズ」、妹島和世+西澤立衛(SANAA)の「ディオール」、隈研吾の《ONE表参道》(LVMHグループの店舗が入る)が竣工予定であり、さらに建築中の安藤忠雄の《同潤会青山アパート》や黒川紀章の《日本看護協会ビル》にも商業スペースが設けられているので、表参道はさながらブランドと現代建築の一大ショールームと化すことになるだろう。
もちろんこうしたトレンドはこの地域に限ったことではない。欧米ブランドの直営ショップは銀座や渋谷や代官山をはじめほかの地方都市にも進出しており、ブランドの集積率や収益面で考えると銀座中央通り・並木通りは表参道をはるかにしのいでいるにちがいない。不況のため企業が撤退して空地ができ、そこに豊富な資金力のある外資系ブランドが高い賃料を引き受けて路面店を展開するというのが、昨今のブランド直営店ブームのひとつの事情となっている。しかし野放図に商業ビルが立ち並ぶダウンタウンは集客力はあっても、ブランドの個性は出しにくい。一方で表参道はけやき並木があって歩きやすいし、新規出店に一定の規制がかけられて美しい都市景観が保たれているため、このエリアはファッション・ブランドにとってイメージを発信したり顧客とコミュニケーションをするための拠点としては絶好の場所となる。ビジネスよりもイメージの街なのだ。有名建築家を起用するのもそのためである。
かくして表参道に出現しつつあるブランド建築には、二つの事態が絡み合いながら進行しているように見える。ひとつには都市がファッション・ブランドによって浸食されていることである。それは消費社会においてとくに目新しいものではないが、これまでブランドは建物そのものをメディアとしてつくり込むことはあまりしてこなかった。せいぜい広告やディスプレイ、インテリアに限られていたイメージ戦略が、いわば建物の構造や外見にも拡張したことになる。ファッションが衣服や装身具から室内空間へ、さらには建築や公共スペースへと流れ出し、ブランドが空間化していく様子が顕著となっている。
もうひとつはファッションの建築化というべき現象である。企業は表参道という舞台の上でもっとも効果的なイメージ戦略を展開するために、有名建築家の名前と創造性をいわば「ブランド」として利用する。「あの名だたる建築家がブランドの建物を手がけた」というわけである。それはブランドのステイタスやパブリシティを高めるだけではない。建築家たちに期待されているのは、ブランドの世界観を深く理解したうえで、それを体現するような独創的な造形表現を行なうことだ。彼らの建築はウィンドウ・ディスプレイのあるありきたりなモダン建築ではなく、建築物自体がメッセージをもつ空間として構想されるだろう。それはブランドにとって話題性という以上に、きわめて戦略的な意味をもっているのである。
そもそも欧米のファッション・ブランドといえどもさして強固な基盤の上に存立しているわけではない。老舗といわれるブランドにしても一〇〇年以上の歴史をもつものはまれである。ブランドの多くは成立の過程において、貴族やブルジョワ御用達のファッションとなることで、特権的な地位を獲得してきた。すなわち階級性という記号こそがこれらのブランドのアイデンティティであった。ところが現在のブランド・ブームは単なるヨーロッパ上流階級への憧れではなく、消費者の曖昧な欲望と時代の不安定な空気の上に成立している。したがって、近年日本・アジアに展開しているブランドは伝統を参照しつつも、あらゆるマーケティングを駆使して現代にあわせたブランド・イメージをつねに模索しなければならない。ルイ・ヴィトンが現代美術作家の村上隆とコラボレーションしたのもまさにその一環であった。ブランドにとって、直営店舗は建築をとおしたブランド・アイデンティティの創造的な再定義の試みとなりつつあり、それは新しい世界観を発見し構築するメディアとして活用されるのである。
1──ルイ・ヴィトン表参道ビル
写真協力=ルイ・ヴィトン ジャパン
2──プラダ ジャパン青山店
写真協力=プラダ ジャパン
触覚的消費空間
このような建築とファッションの新たな状況が象徴的に表現されているのが、さきの《ルイ・ヴィトン表参道ビル》と《プラダ青山ビル》であろう。それはメディアとしての建築の可能性を高い次元で追求したものとなっている。これらのビルにおいて共通しているのは、空間の視覚的・触覚的な体験をとおしてブランドの世界観に近づくことができるように、建物がデザインされていることである。
まず気がつくのは、この二つの建築は外見がブランドを象徴する商品をイメージしてつくられていることだ。ルイ・ヴィトン表参道店の外見はかつて船旅の時代に重用されたトランクを積み重ねたものとしてデザインされ、さらに皮革のざらっとしたテクスチャーを再現するためにメタルメッシュによって外壁がおおわれている(ヴィトンは他店舗のファサードもバッグの素材や模様をモチーフにしてデザインしている)。さらに店内の内装もトランクの裏地というコンセプトのもとにつくられている。プラダ青山店はあからさまに特定の商品をモチーフにしていないが、多くの菱形がはめこまれたガラス壁をもつその建物を俯瞰すると、ビニール製のバッグが想起されるだろう。この建物はまた商品を陳列する什器やガラスケースのようにも見える。
建物が独自のテクスチャーをもっていることも両者に共通する特徴である。ヴィトンはトランクの皮革や木を模した建築素材を新たに開発したが、一方のプラダの菱形ガラスも微妙な曲面を描いているため、ビニールやプラスチックのような柔らかなテクスチャーとなっている。このガラスは建物の外側と内側を奇妙に歪曲した世界として見るインターフェイスであるとともに、思わず手で肌理のなめらかさを確かめたくなるような質感をもっている。またビルの中庭の壁はコケむしているような表面処理がされているが、これも触感を味わいたくなる誘惑にかられる。
この建物は内装もまた触覚を重視したデザインとなっている。プラダ・ビルの内部は床には毛足の長いカーペットが敷きつめられ、天井・壁は白く、什器も白いファイバー性で、独特のソフトな印象を受ける(内装や什器も建築チームがデザインした)。それはバッグの内側にシルクやベロアが張られているのに似ている。建築家たちはこの場所に入ることで消費者に新しい知覚体験がうまれるような有機体としてビルを設計したと言う。
ここで建物はファッションそのものへと変容している。消費者はブランド化した空間の中で商品を買うという倒錯したショッピング体験をするのだ。ベンヤミンは、建築は視覚的かつ触覚的に受容されるべきであり、新しい知覚経験は見ることだけではなく、それに触れたり使うことで獲得されると言うが、これらの建物はブランドの本質を触覚的に認知させ、私たちに新しい消費体験を受容させるであろう。
すなわちファッションの建築化とは、建物の構造、ファサード、内装に商品の構造やブランドの物語性を重ね合わせ、空間そのものをブランド・アイデンティティとして組み立てることなのである。ヴィトンもプラダも、伝統を強調するような過去の建築様式を引用したり重厚な建材を使ったりするのではなく(もちろんそうすることは可能だったが)、ショップを訪れる人々の身体性に直接アピールするような、より実験的なアプローチを選択したのだった。これは消費空間における新たな身体経験を構築する試みなのである。
ブティックとは商品を鑑賞したり購入したりする体験をとおして、人々の経験を再編する場所であり、モノをとおして身体を規律化し消費化する空間にほかならない。ヴィトンが店舗デザインや建築家とのプロジェクトのための設計チームをもち、プラダがレム・コールハースとコラボレーションを行なっているのも、こうした空間のポリティクスにきわめて自覚的であるためであろう。
ファッションを精緻に分析し新しい消費体験を組織化させる建築家とのコラボレーションが、これからのファッションをどう変えるのか。建築のファッション化は都市にどんな影響を与えるのか。この新しい関係もまた資本主義の奔流の中で一過性で終わるしかないのか。この行方はもうしばらく見守る必要があるようだ。
参考文献
「ロジック/ヴィジュエル──ルイ・ヴィトンの建築」ルイ・ヴィトン ジャパン
Prada Aoyama Tokyo Herzog & de Meuron, Fondazione Prada, 2003.