1 事物の歴史
ここで扱いはじめようとしているのは、事物(=thing)とよばれる、複数の知覚を通じて存在を感じることのできる何かと私たち自身のことである。その性格の検討には主に建造物を用いる。それは建造物が事物の総合性を考えるには都合がいいからである。また扱う対象は、古今東西、さまざまな時代においてであり、特に有名なものであるとは限らない。このような枠組みが何かしらの現在的意義を持つのだとしたら、それは事物へ関心をもつことそのものがいまだ保持している希望に求められるだろう。
とりあえず、なぜ事物を単なるモノとしてではなく「存在を感じることのできる何かと私たち自身」などという細かい形容を加えたかについて、説明しておきたい。それは、事物史の基本的視座を提供した、美学者・建築史学者・考古学者であったGeorge Kubler (一九一二─九六)のひそみにならったからである。
「事物の歴史」という言い方をわたしがここで選んだのは、ちょっと遠回しな表現を使って、「物質文化」という扱いにくく厄介な言葉を言い換えるためだけではない。「物質文化」という用語は、人類学者たちによって、観念、つまり、「精神文化」を制作物から区別するために用いられている。しかし、「事物の歴史」という語がねらっているのは、むしろ、有形(visual forms)という名目のもとに、観念と物質とをもう一度結び合わせることである。
第一章「事物の歴史」『時のかたち──事物の歴史をめぐって』
The Shape of Time: Remarks on the History of Things, 1962.
第二次資料研究会による訳★一