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デザイナーズ・ワンルーム | 西川祐子
A Designer's One-Room | Nishikawa Yuko
掲載『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション, 2000年12月発行) pp.47-48

数多くワンルームの設計を手がけている建築家である篠原聡子さん(空間研究所/日本女子大学)とその研究室が行なうワンルーム住人を対象とする聞き取り調査に参加するという、またとない機会を得た。
今回の調査対象である篠原聡子設計の五階建てワンルームマンションAPERTO(一九九八年三月竣工)はJR千葉駅北側の再開発地区にある。一階から四階までが二二戸の単身者用の賃貸住戸であり、五階はオーナーの三世代同居用の住宅となっている。建物は東西に開き、西側ファサードが駐車場をはさんで道路に接している。各階東の片側廊下には六つのワンルームが並ぶ。ひとつの占有面積は三五・二七平方メートル、室内は水回りが片方の壁面に寄せられ、東西に通っている筒型空間は折戸式障子、可動家具、間仕切り用レールで区分が可能となっている。ベランダに代わる西端のサンルーム=スペースBは障子折れ戸、アルミサッシのはめ殺し窓、外部アルミパンチングスクリーンの組み合わせにより、採光、視界選択、内部の表出をさまざまに行なうように仕組まれている。資料写真を眺めると、窓枠だけでなくファサード全体を覆うアルミパンチングメタルが光線をはじいて輝き、それが「新しさ」、「軽快さ」、「都市性」といった価値の表象となっているようにみえる。
住宅市場でデザイナーズ物件と呼ぶ場合のデザイナーとは、建築家を指す。建築が衣服にかぎりなく近づいているということでもあろう。建築家の名前が客をひきつけるのだから、建築家は設計のコンセプトをはっきりさせ、その表出をしなければならない。APERTOのキーワードは設計者自身により「接続と隔離」と打ち出されており、さらに「『隔離』の手段が確保されてはじめて可能な『接続』」(『住宅特集』二〇〇〇年六月号、新建築社)が強調されている。「開かれた」という意味のイタリア語APERTOには、個は他者との交流を望み、社会に対して窓を開く、というメッセージが読める。
日本の近代住宅設計は開放的な民家の伝統をいかに閉じ、いかに区切って分離するかがテーマであった。「いろり端のある家」モデルから「茶の間のある家」が分離したとき、「家庭」家族の析出があった。
 nLDKの「リビングのある家」から個室が「ワンルーム」として分離したとき、個人が析出される。「ワンルーム」は「閉じる」、「分離する」の方向の突き当たりであった。戦後五〇年を過ぎた現在、建築家たちはそこから反転して「閉じる」よりは「開く」を、「分離」よりは「融合」をめざすかのように、家族のための一室住宅をつくりはじめている。私は、建築家たちの試みが近代の先へ向かっているのか、それとも「近代の超克」が繰り返してきたように反近代あるいは先祖返りに向かうのか、知りたく思う。ワンルームの設計者である篠原聡子は先祖返りを目指すのではないであろう。「融合」ではなく「接続」がキーワードに選ばれているのだから。彼女の主張が隔離あっての接続であるなら、個は個として存在しながら連帯するはずである。私も個人主義者同士の協同性が欲しい。その具体的な仕掛けが見たかった。
千葉駅に到着したのは秋の日の午後六時半、暮れなずむ空を背景にした燈ともし頃であった。APERTOは予想したよりもずっとおだやかな発光体となっていた。ファサードは全面が窓のはずだが、住民の多くはまだ帰宅していない。ともっている明かりも障子越しである。エントランスには郵便受けと宅急便受け取り口が並んでいる。その奥のオートロックの扉を解錠してもらい、片側廊下を通りぬけるとき、各戸のいわば玄関空間にあたるスペースAに植木鉢、自転車の影があった。訪問先である住戸の鍵があき、引き戸が軽々と動いて、気持ちよく招き入れられた。可動家具は壁ぎわに寄せられており、低いベッドは生成りの白布でつつまれ、テーブルの代わりにフローリング床に黒く塗った一枚板が置かれている。単一空間として広々と使用する意図が見える。スペースB手前の折戸式障子も開かれているが、外窓内側の障子は閉じられている。開けると外から見られる気がするそうである。
住人Mさんは二〇歳の女性、大学生である。金髪、赤いTシャツ、グレイの七分丈パンツ、ワンポイントは幅広の皮ベルトである。コンクリート打ち放しの間仕切り壁と天井に囲まれたモノトーン空間に映える強い色彩が三つだけ選ばれている。挨拶もそこそこに質問用紙が配られ、日本女子大学住居学科の大学院生による質問がはじまった。このワンルームを選んだ理由が問われている。
Mさんにとっては独り暮らしをはじめてから二番目のワンルームである。最初の古いタイプのワンルームは壁をペンキで多色に塗ったので、退出のとき、原状にもどす出費がかさんだ。部屋いっぱいにあったおもちゃは実家にもっていった。おもちゃのスーパーで今もバイトをしているが、色彩過剰はもう「卒業」したのだそうである。髪の毛の色もピンクから金髪へ変えた。不動産屋でこんどはデザイナーズ系の新築物件を、という条件をだしたところAPERTOをすすめられ、コンクリート打ち放し壁と和風障子のギャップが一目で気に入り、決定。駅から徒歩二分の立地条件も自分にとり最適であった、と語る。
Mさんの日常生活エリアは四つある。千葉駅からさらに西へ電車で約四〇分のところに位置する大学、居所とバイト先のある千葉駅周辺、週末には必ずゆく東京、一月に一度は帰る栃木県の実家である。私は彼女の日常の行動範囲が二県一都を覆って広いことに驚いた。居所であるワンルームはその中心にあり、それぞれのエリアがここから時間的には等距離にある。毎日どこへ出かけ、誰に働きかけるかを選び、そこからの反射光が一点に結ばれて自分像が浮き上がる場所が、このワンルームなのであろう。
栃木県の実家には季節外の衣服が置いてある。ワンルームと実家の二重所属である。父親の車が荷物と人間の送り迎えをしてくれ、家族の行き来もある。客の招待は月に二、三回。宿泊客は家族、バイト先の同僚、大学の同級生たちで、宿泊の最大数は四人。お客をするときもふだんも、主に床座を選択。天井の高さ二・五メートルを床面積にふさわしく使おうとすると床座になるらしい。客がきてもキッチンはあまり使わない。できあいの食物をとりあわせよく買ってくる。小さな冷蔵庫は飲み物用か。外部との交信は携帯電話、情報源はテレビとパソコン、床に山積みされている雑誌である。なるほど選択した受信発信がなされている。隔離あっての接続という設計を選んだ人らしい。
機密性の高い全体を単一空間に使いこなしながらも、Mさんはインタヴューのあいだに四、五回、この中にさらに秘密の場所、「隠れ家っぽい空間」が欲しいとくりかえす。秋の日の午後、障子を閉めてサンルームに閉じこもれば繭のなかの蛹になりそうだ。蛹の心象世界はどんな色彩を帯びているのだろう。Mさんは次に探すならメゾネットと言うかと思えば、トイレが共用でもいいから昔風の貧乏な暮らしもしてみたい、外国暮らしもいいと言う。とりとめないようだが、自己表現も自己分析も的確である。時空にひろがる混沌たる異文化体験への渇望は、ニュータウン生まれの世代に共通する。大都市だけでなく中核都市の周辺にまでひろがっているニュータウンと親たちの家庭の整然たる秩序から解放されて、自主的なネットワークを編み上げたいのであろう。ただ情報に導かれた選択のネットワークには思いがけない偶然をとり込んだり、時間をかけて偶然を必然に育てるといった余裕が少なそうなのが気がかりである。
Mさんが、同じマンションの他の部屋はどんな住み方がされているか知りたいな、と言ったのが面白かった。マンションの住人は二〇歳代、三〇歳代であり、管理費をふくむ賃貸料が月額約九万円である点からも、かなりの同質集団のはずだが、住人同士の交流は少ない。設計者が意図した洗練された自己表出装置はまだ十分に使いこなされていないのではなかろうか。
帰り際にもう一度APERTO全景を眺めながら、ふと、もしすべての窓がパフォーマンスをたくらむイヴェントの日があったら、すぐそこの駅のプラットホームから乗客はさまざまなメッセージを読むことができるかもしれない、と考えた。

APERTO、および2・3・4階平面図 写真提供=空間研究所

APERTO、および2・3・4階平面図
写真提供=空間研究所

>西川祐子(ニシカワ・ユウコ)

1937年生
ジェンダー研究、日本とフランスの近・現代文学の研究、伝記作家。

>『10+1』 No.22

特集=建築2001──40のナビゲーション