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「この人を見よ」建築篇 | 丸山洋志
"Ecce Homo", An Architectural Canto | Maruyama Hiroshi
掲載『10+1』 No.28 (現代住宅の条件, 2002年06月発行) pp.25-27

前回は、建築空間の「観念性」といったテーマのもとに、命題化どころか単なる迷走をそのまま記述してしまう結果になってしまったが別段反省もしていない。述べたかったのは、建築空間なるものが「真理」に基礎づけられているにせよ、事物の諸性質あるいは「生」の力といったものを中性化しながら、秩序ある「現前」の枠組みに隷属せしめようとする合理的な「遠近法」の啓蒙装置としてあるということだ。あるいは、「真の」みせかけを現実化したものであると言って差し支えないだろう。建築は二〇世紀初頭から透視図法的世界観に決別したかのように振る舞ってきた。しかし、その内実としての合理的・科学的遠近法はますます威力を発揮していると指摘せざるをえない。われわれ個人の内的多様性を抽象的な同等性と合法的な統一性のもとに見透せる処理──つまり、解りやすさと軽さ。今ほど建築にこのことが求められている時代はないであろう。しかし、そのような要求自体、「真理」が飽和した現実において、何人も矛盾を解決できないままに人間関係や諸事物との関係に折り合いをつけるという自己閉塞と表裏一体をなす精神状況なのだ。この合理的遠近法こそが何事も解決できないままに、「自分や自分の仲間の利益を他人の損得のなかで探す」(ニーチェ)がごとくに視界の絶えざる転移へと向かっている。すなわちイメージの消費に奔走しているのである。そして、若い建築家たちの作品見学会に充満する「大衆の侮蔑」の基礎をなしていると言ってよい。

もとより、設計者としての私自身はこれまで曲がりなりにも建築のイメージ性なり媒介性なりを取り上げてきたように、アリストテレス的な実体の主導者として「主観」を措定しているわけではなく、また先験的な論理を根拠に対象に構成的指令を下す近代的主観をめざしているわけでもなく、判断基準が関係論的・関数論的自然科学に剥奪されていくなかでの「判断の場」(=自由の死守)を建築という実体に求めようとしている。透視画法的世界の「みせかけ」にたいして、諸部分どうしの科学的な結びつきを達成することによって真なる資格を付与することが建築家の伝統的な役割──アルベルティの規定──であったとするならば、むしろその「見せかけ」と「真である」ことの自然的結びつきを断ち切り、対象(オブジェクト)の自由と、理性なるものの再─構築を企てようとする古臭いマニエリスム的な枠組みのなかにいると述べたほうがはるかにわかりやすい。

そんな私の建築観を一笑に附す人物=荒川修作氏のことを今回は取り上げようと思う。最近、私はある公開の場で荒川氏と討論をするはめになったのだが、正直に述べると、私自身事前にその討論会のための準備を一切することなくただひたすら、なぜ荒川氏との(建築の)議論においていつも私がこっぴどく打ちまかされてきたのか、そのことだけを真剣に考えたのであった。

美術家荒川修作氏は日本においても、《養老天命反転地》や奈義町現代美術館の「偏在の場・なぎの龍安寺・建築的身体」というランドスケープ的・インスタレーション的構築物や現実離れした「臨海副都心の新東京建設」案でさまざまな論議──もっとも、それは一部の思想界・美術界に限られたことであり、建築プロパーのあいだでは無視されている──をよんだが、今回は彼の作品を身体─哲学の、あるいは実験心理学の用語をもって個別的に言及していくつもりはない。上述したように、私はこれまでけっこう長い期間にわたって、私的に荒川氏と建築の議論をかわしてきた。そして、常に打ちまかされてきている事実がある。もちろん、みずからの実績、能力を顧みるなら当たり前のことであるにせよ、譬え自分が格段に理知的であり、弁論術にたけていたとしても、建築に対する私なりの問題設定──私なりといっても、その多くはピーター・アイゼンマンを経由してコーリン・ロウから引き継いだにすぎない──では彼に勝てないのではないかとしばしば感じてきた。なぜ、「建築の議論において彼に勝てないか」。そんな至近距離の問題を冷静に見つめなおすと、観念的な迷走から離れ少しはポスト構造主義の建築なるものに接近できるのはないかというのが、今回の目論見である。

ニューヨークの荒川氏の仕事場では、ほとんど連日のようにさまざまな分野の人(最近なくなったスティーヴン・J・グールドもそのひとりであった)が集まっては議論をかわしているが、七〇年代後半からは、彼の建築的言説の聞き役として建築プロパーが集まってきていた。古くはレイモンド・アブラハムやスティーブン・ホール、最近ではかってIAUS(アイゼンマンがニューヨークに設立した建築都市研究所)で活躍したアンドリュー・マックネイヤーやコロンビア大学のハニー・ラシッドが挙げられるだろう。私が荒川氏との議論に勝てないといっても、何らかの公式な場での討論でのことではなく八〇年代のアメリカ在住時代、このような場の末席にいた経験のことである。荒川氏の建築観は基本的に、

一、建築はルネサンス以来理性を中心にした還元主義的所作を行使することによって「精神の器」を志向してきたにすぎない、その極北ともいえるものがミース・ファン・デル・ローエの「ガラスの箱」である。
二、建築は精神──「死への意思」の裏返し──に奉仕するものではなく、むしろ身体を中心とした「生」に開かれるものでなければいけない。建築的生であるから、当然のことながら「日常的な生活」が射程になる。

といった二つの主張からなるであろう。ある意味で真っ当な近代主義批判であり、素朴な「世界」観に浸ることを夢見る者からは圧倒的に支持されるであろう。実際、彼を支持する多くの者はこのレヴェルにある。荒川氏が単にこの二つだけを主張するならば、還元主義の批判として登場してくる経験主義、そこから導き出される感覚的実体がもたらす相対主義を批判すれば済む。あるいは、生活なるものが「世界」に対する無意識的な行為の連関、すなわち「世界」に纏わる慣習であって、根源的「生」からほど遠いものであると逆に批判することもできよう。ところが荒川氏の作品は一、二を素直に受け取る者にとっても「異様」であり、一、二に近代的懐疑をもってあくまで抵抗しようとする者にとっても「現実離れ」したものなのだ。建築家としての私から言うならば、荒川氏はやはりとんでもないことを構想している。荒川氏自身、例えばミースに代表されるであろう近代的な「還元主義」を痛烈に批判するにせよ、そのプロセスにおける原理的方法論、機能的目的論の「役割」そのものを否定しているわけではない。すなわち、精神に奉仕するのとは「別な」やり方でより原理的に、より機能的に建築を再構築しようとする極めてプログラム化されたプロセスによって旧来の建築概念を払拭しようとしているのだ。また、個体としての特殊性と類的全体性とがそれこそ「生」の存続を賭けて攻めぎあう緊張感を「生活」なるものの基本においているふしがある。こんな言い方はいやだが、理性が果たしてきた超越論的な役割を「身体」に課すことによって、そこから「生」の原理・原則を周到に導き出そうとする半ばニーチェ的な「遠近法」のもとに建築を構築しようとしている。

私が「とんでもないことを構想している」と表現したのは、「ごりっぱなご説」であっても、そんなアプローチを(建築は)「知らない」ことに由来している。あるいは、そんなアプローチを徹底的に排除してきたのが建築の「歴史」「構築」であるからだ。それなのに、荒川氏自身は自信たっぷりなのだ。

誤解を恐れずに述べるならば、荒川修作氏は建築なるものを新たに「偽造」しようとしている。この場合の偽造とは、あくまでも客観的真理なり、科学的真理といった理性にとっての理想を尺度にして使用している。ここでは、そのような「真理」の絶対性を媒介に「世界」なるものを受け入れること自体、生の退縮すなわち「隠された死への意思」であるといったニーチェめいた言説に泥拘するのはよそう。単純に、われわれ職業建築家は伝統的「真理」に反抗して何らかの「仮象」に荷担したくとも、独立した諸部分の結びつき=組み立てとして建築組織を吟味せざるを得ないと述べよう。それが平面図、立面図、断面図などを駆使して「形の結合を整えていく」(アルベルティ)ことなのだ。ところが、荒川氏のさまざまなプロジェクトを吟味するかぎり、氏自身独立した諸部分の結びつきなど眼中になく、常にある有機的全体に向かって仮象を仮象のまま操り続けていることが了解できる。常識的な建築行為、あるいは構築作業を念頭に置くかぎり、彼のデザイン所作は現実においてさまざまな部分の齟齬・矛盾に突き当たるであろうし、それゆえに単なる「見せかけ」であると指摘できないこともない──それが職業建築家の見識でもあろう。だが、そんな矛盾や齟齬との直接的・行為的対決を持続させるかぎり、そこには建築が伝統的に隷属してきた遠近法的枠組みとは異なる別な遠近法が開示され得ることも確かだ。くりかえすが、彼は曖昧模糊とした感情とか意思によって矛盾・齟齬と対決することを提案しているのではなく、身体を基本に極めて周到に目的論化・機能論化されたプログラムを「でっちあげる」ことによって処理=行為していくことを提案しているのである──このことは《養老天命反転地》の使用法の索引なり、かつての《意味のメカニズム》からもあきらかであろう。「みせかけ」とか「でっちあげ」とか悪意ある表現を用いたが、ミースの「ガラスの箱」が「世界」であることをどんなに高尚に説明したところで「みせかけ」でしかないこと、客観的な事実に基づいたどんなプログラムも「でっちあげ」でしかないことを知るならば、けっして否定的な表現として用いているわけではないことを解ってもらえるはずだ。「偽造」を「真」に向かってたてなおすこと、「仮象」を仮象として無限に追求していくことに「生」の意味を見出すこと。客観的真理というあらかじめの「シェルター」のなかで死を全うする(伝統的建築)か、生という根源的真理に賭ける無限の行為(荒川氏の考える建築)に踏み出すか。荒川氏の建築的「偽造」はこのことを問い質してくるのだ。

これだけ述べれば、私がなぜ荒川氏との建築の議論において勝てないのか、理解されるであろう。もっとも、議論において勝つとか負けるとかなど本当はどうでもよいことである。それにもかかわらず、私がなぜこんなことを考えたかに関しては次回に述べたいと思う。
現在、荒川修作氏は、アメリカ・イーストハンプトンにあるフランク・ロイド・ライト設計のローコスト住宅のとなりに住宅を建設中である(今秋には竣工する予定)。またいくつかの集合住宅を基本とした都市構想案が実現に向かっているときく。

最後に、実際の討論会であるが、ひたすらこんなことだけを考えていたせいなのか、建築における理性の限界を「自白」する役回りに終始させられたとだけ述べておく。……情けない。

荒川修作「Bioscleave House」1999─ 透視図、ニューヨーク、イーストハンプトン

荒川修作「Bioscleave House」1999─
透視図、ニューヨーク、イーストハンプトン

>丸山洋志(マルヤマ・ヒロシ)

1951年生
丸山アトリエ主宰、国士舘大学非常勤講師。建築家。

>『10+1』 No.28

特集=現代住宅の条件

>荒川修作(アラカワ シュウサク)

1936年 -
美術家、建築家。

>奈義町現代美術館

岡山県奈義町 美術館 1994年

>コーリン・ロウ

1920年 - 1999年
建築批評。コーネル大学教授。

>ルネサンス

14世紀 - 16世紀にイタリアを中心に西欧で興った古典古代の文化を復興しようと...

>ミース・ファン・デル・ローエ

1886年 - 1969年
建築家。

>フランク・ロイド・ライト

1867年 - 1959年
建築家。