チームX(チーム・テン)。CIAMのメンバー、アリソン&ピーター・スミッソン 夫妻を中心とした若い世代の建築家グループ。CIAMの「アテネ憲章」以降、より機能主義的になる建築や都市計画を批判、機能主義を乗り越えるために、動的な建築・都市計画を提唱し1956年、CIAMを事実上解体させた。建築グループ・アーキグラムなどにも影響を与えた。主なメンバーにアルド・ファンアイク、ジョセフ・バーケマ、ジャンカルロ・デ・カルロ、ジョージ・キャンディリスなどがいる。
[インタヴュー]
...スはそろそろ引退だと思っていました。だからチームXができたわけです。CIAMも戦後第一回目まではいろ... ...いろやったけれども、次をやろうというときにチームXが出てきたので、ル・コルビュジエたちは「おま...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.187-197
[インタヴュー]
『解体』の輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいたいと思います。この本は建築における六〇年代の終わりを象徴...最初だと思います。前川さんとCIAM、丹下さんとチームXの関係はまったく違うでしょう。前者は学ぶ相手...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[論考]
...内部から変革するべくつくられたセクトであるチームXが、結局のところとどめをさしてしまった。それ... ...引退しはじめることによって、自壊していく。チームXは次世代を担うはずだったが、攻撃目標が消えた...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.25-32
[連載 7]
...らに後にたどった跡をカトリーヌ・ブランの「チームX、フランスのコンテクスト」と題した論文を参照... ...こなかったチームXと戦後のCIAMについての見直しとして書かれている。彼女はこれまでチームXは、CIAMな...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190
[連載 10]
...よって主導権をとられたCIAMおよびその後身たるチームXにおいて、プロスト的・啓蒙主義的なモダニズム... ...ル・コルビュジエが描いた有名なCIAMの肩の上にチームXが載っているスケッチはこの意味で描かれたので...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.176-192
[翻訳]
...くの建築家への警鐘ともなり[…]」★三五。 チームXはCIAMの中核的なヴィジョン/モデルを人間化し... ...期的に持続する秩序を維持することである」。 チームXのように、槇もまた結合にこだわっている。マ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.173-197
[インタヴュー]
...もともとチームXのアリソン&ピーター・スミッソンたちが言い出した概念でしたが、チームXには丹下さ...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[論考]
...崎にとってはそれは現代都市の不確定性というチームX以来のテーマに対する解答のひとつであり、松平... ...が実践を通して空間化されるというテーゼは、チームXの人々が先行するCIAMの幾何学主義(カルテ...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.16-28
[グローバリズム 1]
...「プレース」という認識は、むしろ更に遡ったチームXなどの主導概念である)にも関わらず、建築関係... ...り「プレース」という認識は、むしろ更に遡ったチームXなどの主導概念である)にも関わらず、建築関... ...として、市内(及び他の都市でも)のあちこちにテンポラリーでもち運び可能なイヴェント施設ephemeral s...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[千年王国論(六)]
...都市(デザイン)論においても、敵対的並存(チームX)とか、お祭り広場で試みられていたような不確... ...万博の事務総長でもあった)によって率いられたチームによる意気込みは、六〇年代というアヴァンギ... ...の都市(デザイン)論においても、敵対的並存(チームX)とか、お祭り広場で試みられていたような不...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.216-226
[ポストモダニズムと建築 8]
...、基本的には六〇年代から七〇年代初頭までのチームXの世代の建築家の作品にこうした新しいタイポロ... ...り、基本的には六〇年代から七〇年代初頭までのチームXの世代の建築家の作品にこうした新しいタイポ...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.41-43
[連載 9]
...また更に後のCIAMグリッドでとりあげられたり、チームXなどに影響を与えるが(次回参照)、ともあれ、... ...これだけが例外だった。しかし、あくまで企画はテンポラリーな建物であり予算もそれに準じていたに...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.182-199
[対談]
...。それにはかつてのジェーン・ジェイコブスやチームXのようなヒューマニスティックなアプローチで... ...で働いている人々もすべて移民ですから、彼らもテンポラリーに動いている。だとすると、ここにはわ... ...る。それにはかつてのジェーン・ジェイコブスやチームXのようなヒューマニスティックなアプローチ...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[対談]
...市があって、もう古典だと思うんですけれど、チームXのジャンカルロ・デ・カルロが活性化したんです... ...都市があって、もう古典だと思うんですけれど、チームXのジャンカルロ・デ・カルロが活性化したんで...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.58-72
[論考]
...作用であり、ひとつの重大な徴候なのである。チームXのメンバーである建築家アルド・ヴァン・アイ... ...のスプーンやボウルのように切り詰められたセンテンスに結晶している。その言葉に打たれたものは、... ...の作用であり、ひとつの重大な徴候なのである。チームXのメンバーである建築家アルド・ヴァン・ア...
『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.74-84
[千年王国論(三)]
...ヨーロッパの建築家・都市計画家のグループ、チームX(テン)のキャッチフレーズのひとつは「スペー... ...ピュリスト的な)によっていたのだが、結局丹下チームの大阪万博での未来主義的な志向と同様な結果... ...ーロッパの建築家・都市計画家のグループ、チームX(テン)のキャッチフレーズのひとつは「スペース...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.169-175
[万博という問題系1]
...のがハンス・ホライン。これが長年の因縁でチーム・テンのパリのローエモン会議で僕が最初に出席し... ...して、会議もやってますね。 黒川——そう、「チーム東京」っていう名前で一度だけやりました。これ...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.64-79
[対談]
...けられないわけです。ペデストリアンデッキはチームXに発するもので一時熱狂的に指示されました。つ... ...避けられないわけです。ペデストリアンデッキはチームXに発するもので一時熱狂的に指示されました。...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.54-65
[対談]
...エルネスト・ロジャース、カルロ・スカルパ、チームXのジャン・カルロ・デ・カルロ、そして、僕のジ... ...構成的表現を捨てて、容量的表現を採った。カーテンウォールなどへと連なる生産主義、あるいは機械... ...のエルネスト・ロジャース、カルロ・スカルパ、チームXのジャン・カルロ・デ・カルロ、そして、僕の...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[論考]
...れていた。公式的近代建築を牽引してきたCIAMがチームXにより解散に追い込まれて以来、一九六一年以降... ...え子から派生し国内各地で設計に取り組んでいたチームZOO、あるいは伊東豊雄・坂本一成・長谷川逸子...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[グローバリズム 5]
...の不可視的領域に移行すること」──要するにペテンと言い換えてもいい)は結局香港、マカオのステ... ...に馴れ親しんだはずの、そして自身メフィスト・チームの一員であるはずのヤンキー娘をモラリストに...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.190-206