1950年生まれ。建築家。ザハ・ハディド建築事務所主宰、AAスクール講師。
http://www.zaha-hadid.com/
(最終更新:2009年3月31日)
[現代建築思潮]
...していたニューヨークの案件をイラク出身のザハ・ハディドがやったみたいに、東京オリンピックだか... ...ったように、ロンドンはfoa、ニューヨークはザハ・ハディドと、建築家を全面に押し出した提案がでて...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32
[建築を拓くメディア]
...伝説を生んだ、当時はまったくの無名だったザハ・ハディドの鮮烈なデビューに立ち会うことができた... ...、模型撮影=古舘克明2──《香港ピーク》ザハ・ハディド案、ドローイング3──《フランス国立図書館...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.111-113
[論考]
...ェーバー、シー・クリスティアンス、そしてザハ・ハディドによる作品を検証してみよう(このセレク... ...新しい息吹を吹き込むというものなのだ。 ザハ・ハディドがダーティ・リアリストであるならば、その...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.217-223
[批評]
...、彼らとゆるやかなつながりをもつ建築家(ザハ・ハディドやダニエル・リベスキンド、コープ・ヒン... ...らず同様の告発が可能である★二七。9──ザハ・ハディド《モンスーン・レストラン》札幌、199010──...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205
[現代建築思潮]
フォールディング・アーキテクチャー──その実践の系譜 ソフィア・ヴィゾヴィティ 日埜直彦|訳 Sophia Vizoviti, “Folding Archit...向については今回紹介しませんが、もちろんザハ・ハディドのようなスターもいるわけですし、けっし...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[建築の還元 3]
1 純粋さ、または他者という与件 おそらく多くの建築家や建築をなす者が問うてきたのと同じように、私もまた、「建築にとって何がもっとも重要か」ということを繰り返...この事態をもっともよく表出していたのは、ザハ・ハディドとダニエル・リベスキンドである。何故か...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.189-199
[リアリティについて 3]
つまり、今日のように高速の、しかもきわめて広範囲に伝達可能なその他のメディアが力を得て、一切のコミュニケーションを画一的で同質の外見のもとに平板なものに見せてし...にある程度の現実性を帯びつつある。例えばザハ・ハディドを見ても、独特のスピード感を感じさせる...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.24-25
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 3]
地震とディコンストラクション 一九九五年一月一七日未明、阪神地方をマグニチュード七・二の直下型地震が襲った。 筆者は当時、エディフィカーレの展覧会の準備に忙しく...・アイゼンマン、ダニエル・リベスキンド、ザハ・ハディドらが、魅力的なドローイングを発表しつつ...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.243-253
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
二人のチャールズ 一九七二年七月一五日午後三時三二分、アメリカのセントルイスでモダニズム建築は死亡した。 チャールズ・ジェンクスの著書『ポスト・モダニズムの建築...ンドンのAAスクールが、ピーター・クック、ザハ・ハディド、レム・コールハースらを講師に迎え、アヴ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[グローバリズム 1]
...ているイラク人女性建築家、いわずと知れたザハ・ハディドである。 受賞が決まった後に匿名だった名... ...たちは、上述のように世界中から集まっている。ザハのように、出自と活動の場が今度の戦争の両方の...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.209-216
[論考]
西洋の建築家と批評家たちは、現代の日本に長期間住み続けていない限り、藤森の作品を理解する際、間違いなくいくらかの戸惑いを感じるであろう。 西洋の批評家たちは、建...べては安定し、永遠である。しかし、例えばザハ・ハディドのような数名の建築家たちは、慣習を壊し...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.154-157
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わ...・コールハース、ピーター・アイゼンマン、ザハ・ハディド、コープ・ヒンメルブラウ、ベルナール・...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[批評]
...ばアンビルトのドローイングや理論で有名なザハ・ハディドやアイゼンマンのような建築家にも、実作... ...る』(角川書店、一九九七) 8──Z・ハディド「麻布十番ザハビル」(1988)模型 (『日経アーキテク...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.80-90
[翻訳論文]
...・コールハース、ピーター・アイゼンマン、ザハ・ハディド、コープ・ヒンメルブラウ、ベルナール・... ...築形態に類似しており、例えばタトリンの案とハディドの案、そしてロトチェンコの案とコープ・ヒン...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.129-144
[インタヴュー]
...つあって、例えばフランク・O・ゲーリーやザハ・ハディドのやっていることは消費の波に乗っているに... ...やザハ・ハディドのやっていることは消費の波に乗っているにすぎないのではないでしょうか。ザハの...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.82-93
[1990年代以降の建築・都市 2]
世界貿易センタービルの崩壊──二〇世紀建築の終わり 僕たちは下に降りて、外に出たんだ。それはアポカリプスの風景だった。原爆がどんなものかは知らないけれど、きっ...うな集合住宅群をもたらす。アイゼンマンやザハ・ハディドの作品も実現したが、刺激的なものではな...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.181-194