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ホテル・クロニクルズ

ホテル・クロニクルズ

青山真治
講談社、2005年3月15日、231ページ
ISBN=4062126516

> 10+1 DATABASE内「ホテル・クロニクルズ」検索結果 (8件)

[映画の地理学 8]

田村正毅試論 | 青山真治

On Masaki Tamura | Aoyama Shinji

例えば俳優に台詞を渡し、それを初見で声を出して読んでもらうとする。俳優が意味を考えず、書いてある台詞を字句通りの音として読むことのみに専念させる。それを撮影し、録音する。たぶんそれは、他人の理解を通過することのない生硬な音と映像に留まるだろう。次に俳優がその台詞の意味を考える時間を取り、その台詞に付帯すると想像しうる感...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.27-29

[映画の地理学 5]

実感について 2 | 青山真治

On Realization 2 | Aoyama Shinji

私のいう〈実感〉について知り合いから、それは「リアル」または「物自体」と言われているものだろう、と言われた。「リアル」はラカンのいう「現実界」、「物自体」はカント的な哲学用語として知られている。それについては私も考えていたが、若干の違和感を感じてもいる。私は〈実感〉を、あくまで映像上の問題として考えているのであり、精神...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.50-51

[映画の地理学 4]

実感について(1) | 青山真治

On Realization 1 | Aoyama Shinji

この連載の最初に〈実感〉という言葉を使った。しかしこの〈実感〉とは何か、私はいまだに明確に概念化できてはいない。映画にとってその本来の具象性とは無縁だが、しかしその誕生以来、映画は〈実感〉の呪縛から解放されたためしはなく、というよりそれが宿るのは映画や建築や音楽といった表象の場だけであり、さらに言うなら作り手の側がそれ...

『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.39-40

[映画の地理学 7]

実感について(4) | 青山真治

On Realization 4 | Aoyama Shinji

前々回、ボリス・バルネットの『青い青い海』を見た時の音の印象について書いたが、それを再考するなら、そこで私が聞いた真珠玉の音はバルネットによってのみ作られたのではなく、私が「自分の音」として想像の範囲内でそこに音を付与したという行為によって、バルネットと私の間で〈分有〉される。それは私の「自分の音」であるのみならず、バ...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.36-37

[映画の地理学 6]

実感について(3) | 青山真治

On Realization 3 | Aoyama Shinji

別の場所に『フルスタリョフ、車を!』について書いた文章の中で、私は〈種の目〉という言葉を用いた。 「種の目」は、象徴的であるにもかかわらず何も代表しない。というか、それ自体すでに全体として代表である。それはすべてを視界に取込みつつ、そのことで語り手である自己を含む全体を均一化してしまうような「目」である。(…中略…)...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.41-42

[映画の地理学 2]

交通について | 青山真治

On Traffic | Aoyama Shinji

例えばレオス・カラックス『ポーラX』(一九九九)のトンネルが物語の囲いから抜け出し、我々が身近に知るトンネルと親しげな微笑みを交わし始めるとしたら、それはカラックスの才能だけによるのではなく、トンネルという建築そのものの形状とその内部を豊かに彩る闇の存在が元来、映画にとってこの上なく現前性の高い舞台装置だからではないか...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.34-36

[映画の地理学 3]

構図について | 青山真治

On Composition | Aoyama Shinji

映画から構図主義が消えてしまったのはおそらく「世界のたががはずれてしまった」からだ。「世界のたががはずれてしまった」というのは、もちろん『ポーラX』の冒頭で引用されたハムレットの台詞だ。レオス・カラックス自身、それまではどちらかと言えば審美的な構図を用いて復古的なモチーフを新鮮に描く男だったが、『ポーラX』では終幕に近...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.42-44

[映画の地理学 1]

「ここ」について | 青山真治

On "Hereness" | Aoyama Shinji

スタンリー・キューブリックの死は、我々にある終焉を期待させる。 彼は「視覚的フェティシズム」の人だった。誰もがその画面の持つ独特な等質性を知っている。モノクロ期の巨匠たちならその陰影によって「触覚」として提示した光と影を、彼は過剰に厳密な構図主義によって均等に配すことで画面から深さを排除していく。また彼の映画を最も印象...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.37-39