柄谷行人
、1983年3月1日、294ページ
ISBN=4062003651
[インタヴュー]
『解体』の輪郭執筆──六〇年代アートシーンの坩堝から 日埜直彦──今回は『建築の解体』についてうかがいたいと思います。この本は建築における六〇年代の終わりを象徴...えである程度役に立ったと思うんです。『隠喩としての建築』を書いた柄谷行人が、「あれを読んだか...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.190-205
[都市の傷痕とRe=publik 6]
...論調。こうした方々は、きっと柄谷行人『隠喩としての建築』(一九八一)の議論を半分しか読まなか... ...えず、『隠喩としての建築』と同じ背理に出くわすと述べていたのだが。 隠喩としての建築は、もはや...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.27-28
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間4]
...いての検討はなされていない。柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社、一九八三)を参照。 5 サイ... ...出は拙論「自覚的なプロセスと建築──『隠喩としての建築』の《移行》を発端として」(『國文學』...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.12-23
[建築家的読書術]
...、彰国社、一九七九)。 一一、柄谷行人『隠喩としての建築』(岩波書店、二〇〇四)。 一二、ヴァル... ...のは要チェックである。 2──柄谷行人『隠喩としての建築』五、磯崎新はたくさんの本を書いているが...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.86-88
[対談]
...提起されている。柄谷行人さんはかつて「隠喩としての建築」と言ったけれども、そこには「隠喩とし... ...成する都市について盛んに語られました。隠喩としての建築や空間を語る言説が、都市論や建築論に反...
『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.74-91
[現代住宅論 4]
最近、若い建築家や建築研究者がクリストファー・アレグザンダーのデザイン理論に注目している。大きな潮流になっているわけではないが、彼らの紹介を通じて、アレグザンダ...て、それに対する根本的な敵意がある。『隠喩としての建築』(『柄谷行人集』二、岩波書店、二〇〇...
『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.213-222
[セヴェラルネス:事物連鎖と人間 5]
大極殿の発見 奈良の平城京、とくに天皇による政(マツリゴト)の中心施設であった大極殿(ダイゴクデン)の位置同定には、もはや伝説とも言うべき逸話が存在する。 平城...は、拙論「自覚的なプロセスと建築──『隠喩としての建築』の《移行》を発端として」(『國文學解...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.13-25
[対談]
1 『ポスト・モダニズムの建築言語』の時代背景 日埜──今回の特集のテーマは「八〇年代建築を読み直す」としています。ポストモダンの建築に対する評価、あるいは距離...うか指針でした。あるいは、柄谷行人の『隠喩としての建築』はウィトゲンシュタインとゲーデルに触...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.62-77
[キーワード]
連続と切断の言語風景── 1990年代の都市と建築をめぐって 南泰裕 たったいま終わりを告げたばかりの、1990年代の都市と建築を切り出して、「何かが確実に変わ...版の「Writing Architecture」シリーズ(柄谷『隠喩としての建築』の英訳が出ている)を企画するなど、広範...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[論考]
1 なぜ八〇年代なのか リヴィジョニズム リヴィジョニズム=re-vision-ism、という言葉を聞いたことがあるだろうか。ちょっと耳慣れない言葉かもし...太の理論展開を行なった。一九八三年の『隠喩としての建築』(講談社、一九八三)はフランスの哲学...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.78-92
[建築の還元 1]
1 〈交通問題〉としての近代、および建築 ひとつの表現をなすことの、恐らくはきわめて現在的で共同了解的な認識であるに違いないのだが、長い間、私は自らを建築につい...波書店、一九九四)。 ★四──柄谷行人『隠喩としての建築』(講談社、一九八三)。 ★五──ポール...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.2-12