今村創平
INAX出版、2005年10月、351ページ
ISBN=9784872751307
[現代建築思潮]
海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りました丸山真男『日本の思想』、吉本隆明『初期歌謡論』、柄谷行人『批評とポストモダン』からの抜粋についてです。これらでは日本では何かを構築しようとしても難しく、特に...
『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54
[現代建築思潮]
オリンピックによる都市改造──インフラ再整備・リノベーション | 今井公太郎 なぜわれわれはオリンピックをテーマにするのか 東京都は二〇一六年のオリンピックを招致することを決めました。もし、東京に決まれば東京大改造が行なわれることになるかもしれません。 かつて一九六四年の東京オリンピックのときには、環七、青山通り、六...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.26-32
[現代建築思潮]
コードとデ・コード 吉村靖孝 今日は「コードとデ・コード」と題して、ローレンス・レッシグの『Code──インターネットの合法・違法・プライバシー』(翔泳社、二〇〇一)という著作と、僕がすすめてきた「デ・コード」というフィールドワークとの関係について話したいと思います。 まず「デ・コード」ですが、これは法規をガイドとして...
『10+1』 No.34 (街路) | pp.47-54
[現代建築思潮]
セシル・バルモンドの『informal』を読む 今井──前回、オランダ建築の話をするなかで離散型に関する話題が出てきました。そして連続ではなく不連続、コンクリートでなくディスクリートなものにいったい何があるのか、どういった美学が潜んでいるのか、という興味が出てきたわけです。そこで、新しいディスクリートな建物の構造を、O...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.45-52
[現代建築思潮]
オランダ現代建築紀行 今村創平 オランダ人の友達がチューリップ畑を見たいかと聞いた。内心僕はチューリップ畑などまったく見たくなかった。赤、黄、白、紫といったたくさんのチューリップを見るのはうんざり、と思ったなどいくつか理由はある。とにかく、チューリップを見たいとは思わなかった。友達は一緒に行こうと強く誘った。彼がそう...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[現代建築思潮]
報告 I─吉村靖孝 吉村──今回の研究会はビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文藝春秋、二〇〇三)を取り上げたいと思います。以前僕の担当した回ではローレンス・レッシグの『CODE』を読みましたが、それがインターネットと規制の問題を扱った本であることにもまして、「限られたリソースをどうやって分配するか...
『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56
[現代建築思潮]
10+1──現代建築思潮研究会では、オリンピック招致によって都市改造が一気に巻き起こることを想像の視野に入れながら、この会独自の計画案を組み立てようとしています。前回バルセロナ・オリンピックに至るまでの都市の展開を研究したのも、われわれの計画案につながるソースを探すためでしたが、今回は場所を東京に移していきたいと思いま...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.37-44
[現代建築思潮]
山の手/下町/サード・ドメイン | 日埜直彦 クーベルタン男爵のコスモポリタニズムに始まったオリンピックが、反転してベルリン・オリンピックに象徴されるネーション・ステートの威信を競う「民族の祭典」となり、しだいにグローバリゼーションのなかで競い合う都市の再開発プロジェクトの色を濃くしていく。これは誇張でもなんでもなく、...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.48-56
[現代建築思潮]
東京都は二〇一六年のオリンピック開催招致に名乗りをあげている。現在東京都が進めようとしている計画は、晴海地区を主たる敷地としている。ここで提案する計画は、それに対するオルタナティヴとして、千駄ヶ谷の国立競技場から青山墓地ヘ至る、霞ヶ丘地区(およそ二・二キロ×〇・五キロのエリア)に、メインスタジアムを含む集約的な会場計画...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.41-56
[現代建築思潮]
ヘルツォーク&ド・ムーロン『Natural History』を読む 佐々木一晋+田中陽輔 佐々木──今日は「素材のコンテクスト」と題して、ヘルツォーク&ド・ムーロンの『Herzog & De Meuron: Natural History』(Lars M殕ler, 2002.)という著作と本年度から〈10+1web〉...
『10+1』 No.37 (先行デザイン宣言──都市のかたち/生成の手法) | pp.49-56
[現代建築思潮]
梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展をし、どのように計画されてきたかを概観する必要性を感じたことから、オリンピックと関連するひとつの都市を取り上げ、研究することになりました。 そこで、今回はバルセロ...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72
[現代建築思潮]
議論の新しいスタイル? 10+1──「現代建築思潮研究会」はこれから三年目に入りますが、月例で研究会を行なってきたこの二年間を振り返ってどんなことを考えますか。 今村──この会の立ち上げに当たって、僕は「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフを持っていましたし、日埜さんは「批評の体力みたいなものを鍛えていきた...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.24-28
[現代建築思潮]
「批評」は必要なのか? 今村──今度始めようとしている「現代建築思潮研究会」には、「建築を巡る言葉の力を取り戻したい」というモチーフがまずあります。そして、そこにはとりわけわれわれの世代は上の世代と比べて言葉が弱いのではないかという前提があります。したがって、『10+1』誌の他のページとの違いは、この研究会の主体は、周...
『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.32-42
[インタヴュー]
「アーキラボ」について 今村創平──マリ=アンジュさんは「アーキラボ」展に関連して多くのインタヴューを受けられ、すでに質問されることにはうんざりされていることとは思いますが、よろしくお願いします。これまでのインタヴューはみな、森美術館での展覧会についてのものだったかと思います。今日はそうではなく、「アーキラボ」という活...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.150-158
[ルポルタージュ]
藤森照信《高過庵》 多くの人たちと同じく、僕も《高過庵》をはじめて知ったのは建築雑誌によってであったが、こうした少し突飛な建物を実現する藤森照信という人に対して、またまたやられたという感嘆を禁じえなかったことを憶えている。これまでも藤森の建築には、屋根一面にニラが植わっていたりと、こんなことをほんとうにしてしまったのか...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.52-63
[インタヴュー]
建築の性能と耐久性の評価 今村創平──今号の『10+1』では、実験住宅という特集が組まれるのですが、日本では、五〇年代、六〇年代に、広瀬先生、池辺陽さん、増沢洵さん、清家清さんといった方々が、多くの実験住宅を作られ、その時期はある意味では、日本における実験住宅の青春期とも言えると思われます。それぞれの方が、明快な方法論...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.80-89
[自然─環境]
春もまだ始ったばかりの頃、東京大学の駒場リサーチキャンパスを訪れる。夕刻少し前、雲ひとつない空は蒼く高く抜けている。北側の正門から、右前方に少し進むと端正な佇まいの新しい建物が目に入る。六階建てのその建物は、ことさらその存在を主張することなく、ましてや大げさなこれ見よがしのパフォーマンスといった振舞いをせずに、しかしだ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.148-151
[素材─構造]
ヘルツォーク&ド・ムーロンは変わったのだろうか。 彼らが世界中から注目を浴びるようになった初期の頃、彼らの作品は、スイス・ミニマリズムといったグループとして認識されるような、シンプルで静謐なものだと理解されていた。例えば、初期の作品群のなかからいくつか見てみると、《ストーン・ハウス》(一九八八)、《ゲーツ・コレクション...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.100-103
[素材─構造]
「素材」と「物質」はよく似ているし、普段はあまり区別されずに使用されているが、実はその根本で微妙に違うように思う。その違いはマターとサブスタンスとマテリアルの違いともまたニュアンスが大分異なるように思われる。その違いをいうなら第一に、「物質」のほうは人間の理性や感覚では計りかねる「得体の知れなさ」がどこかにあり、いっぽ...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.96-99
[論考]
ここでは、アンビルトの実験住宅について見ていくのだが、そもそも実体を持つ建築というジャンルにおいては、アンビルトというあり方そのものが、きわめて矛盾をはらんだものであり、それだけで実験的であると言えてしまう。そこで、まずは住宅に限らず、建築全般におけるアンビルトについて考えてみる。 計画が頓挫してしまい実現しないという...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[インタヴュー]
表参道の景観の場合 今村創平──ここ数年のことですが、表参道ヒルズや六本木ヒルズ、あるいは汐サイトなどができたことに代表されるように、東京各所の風景が変わってきているようです。また昨年、景観法が施行されましたが、今日はそうした都市の景観をめぐるさまざまな動きについて、建築家隈研吾さんのお考えを伺いたいと思います。 例え...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.82-93
[現代建築思潮]
フォールディング・アーキテクチャー──その実践の系譜 ソフィア・ヴィゾヴィティ 日埜直彦|訳 Sophia Vizoviti, “Folding Architecture, Concise Genealogy of the Practice” 二〇世紀末におけるまったく新しい建築を求める議論からフォールディングは登場...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62
[現代建築思潮]
報告 今井公太郎 今井──前回、バシュラールの「形式的想像力」と「物質的想像力」について話をしました。建物でいうと「形式的想像力」というのはフォルムやプランといった幾何学的なことに対応し、「物質的想像力」は素材や物質そのものに対応する、という区分をしました。近代建築以降のさまざまな建築理論は、どちらかというと形式的想像...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.37-44
[現代建築思潮]
1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、国家、資本、大衆によってどのように建築家の有名性が欲望されてきたのか、あるいはされてこなかったのかということを明らかにできればと思います。その取っ掛かりとして、...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44
[対談]
ドバイ的情況 今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(アラブ首長国連邦)でも小さな国です。中近東は、石油産出国として経済的、政策的に日本ともとても関係が深いのですが、これまで一般的にはあまり馴染みがありませんでした。...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227
[論考]
なぜ建築を扱うのに言葉が必要なのかは、これまでにも繰り返し問われてきた。そして、このところ建築と言葉の仲は、うまくいっていないのではないかという問いは続けて発せられるであろう。しかし、このような両者の関係の不安定さは、そもそも解決しえない本来的なものなのか。そしてそれは、建築の側と言葉の側のどちらにその責があるのだろう...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.152-153
[鼎談]
なぜ「技法」なのか? 今村──今回の「建築の技法」という特集は、建築について語る時、建築家によるコンセプトにそのまま寄り掛かるのではなく、また建築の技術について語る時、その技術だけを取り出してきて客観的に記録にすることが目的ではありません。建築家の考えとそれを支える技術のつながりを、きちんと描写しようというのが趣旨です...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87