槻橋修
彰国社、2006年12月、254ページ
ISBN=9784395240043
[図版構成]
身体劇場──形式と空間 演劇やダンス、パフォーマンスを総合して〈舞台芸術〉、あるいは〈パフォーミング・アーツ〉と呼ぶとき、それらの共通項として主題化されるのは、『身体と空間」であると言えるだろう。逆に言えば「身体と空間」について思考しようとするとき、くパフォーミング・アーツ〉は建築と並ぶ重要な領域を占めており、かつ「身...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.143-154
[論考]
離れ、散らばること 一九九七年五月発行の『10+1』No.9において、私の初めての論考「観測者のランドスケープ──離散性、あるいは不連続性と『形式』の問題」を寄稿してから一〇年が過ぎた。若くして他界したロックスターのごときランドスケープ・アーキテクト、イヴ・ブリュニエ。ポストモダン以降、乖離していた建築と都市との関係を...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.134-135
[批評]
1 風景の使用法 ランドスケープとは「風景」を示すが、そこには習慣的に「自然環境」あるいは単に「自然」との観念的な結びつきが前提とされている。「自然」への耽美的な感情からなのか、公園や庭園をデザインする行為としてランドスケープ・デザインは、「人々の眼を楽しませる贅沢なしつらえ」という以外にその社会的な役割や意味が問わ...
『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.100-111
[インタビュー]
〈もの〉ではなく、その効果 槻橋修──今回のインタビューにあたり、伊東さんの作品を言説を含め改めて見直したのですが、一九八四年の《シルバーハット》[図1]の頃から「建築を消したい」という発言が頻出するようになってきます。僕たちがこの「建築を消す」という言葉で想起するのはやはり「透明性」という概念です。これは伊東さんが翻...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.70-79
[日本]
「どうして?」の問い 建築に対し「どうしてこうなっているのか」と発せられる問い。それが建築と建築家のあいだにある唯一の結線である。この問いが「建築とは何か」という問いに対して常に先立っていることが、建築家の基底をなすのではないかと考える。 自作やポリシー、職能といった事柄が、すべて建築家と社会との境界づけに深くかかわっ...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[日本]
1962年生まれ。建築家。1986─92年、伊東豊雄建設設計事務所勤務。1993年、佐藤光彦建築設計事務所設立。日本大学、湘北短期大学非常勤講師。96年度東京建築士会住宅建築賞。 作品=《梅ヶ丘の住宅》《保土ヶ谷の住宅》《仙川の住宅》《大島の住宅》《上馬の住宅》など ミニマックスな平面 佐藤光彦がこれまでに実現してき...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.160-161