アーロン・ベツキィ, 岡田哲史, 小坂幹
、1992年、215ページ
ISBN=9784900211360
[批評]
建築批評という行為は、ともすれば歴史家や評論家と称される人々が発する言説によって行なわれるものと考えられがちであるが、現実にモノをつくる建築家によって提示される作品そのものが〈批評〉となりうることを忘れてはなるまい。このエッセイでは、とりわけ後者について概論し、そのあとで今日の建築デザインの動向とその批評性について検討...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.90-91
[論考]
第二次世界大戦後の建築と都市の歴史は、テクノクラートが居住する場所、余暇を過ごす場所、労働する場所をめぐって生まれた悪夢というに相応しく、アスファルト砂漠、粗末な街路、原子力廃棄物の墓場といったイメージを漂わせる。戦後の建築や都市は今や、非人間性、荒廃、破滅といったタームの同義語なのである。 しかし過去四○年間の建築の...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.217-223
[建築家的読書術]
これまで読んできた本のなかで深く感銘を覚えた建築書のひとつに、ピラネージの『建築に関する所感(Parere su l’Architettura)』がある。この書は知る人ぞ知る名著で、これまで邦訳されてこなかったのが不思議なくらいであったが、ようやく昨年、中谷礼仁氏の企画により『ピラネージ建築論 対話』(アセテート、二...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.104-105