ミース・ファン・デル・ローエ
住宅|1950年
[論考]
序─低い声 四本の柱が立ち、そこに屋根を架けた小屋は住宅の原型なのだろうか? [〈それ〉溝は作動している]あるいは、一本の柱が太古の平野に立てられた瞬間に構築が...《ガラスの家》(一九四九)、ミースの《ファンズワース邸》(一九五〇)や丹下建三の自邸(一九五...
『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145
[論考]
私の指の上には彼の指がのっていた。 私の手はざらざらとした紙の上を動き回った。 それは生まれてこのかた味わったことのない気持ちだった。 ──R・カーヴァー「大聖...最近「白日の闇」というタイトルでミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パヴィリオンに則し...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.18-31
[批評]
...ョンソンの《グラスハウス》とミースの《ファンズワース邸》[図2]。ともに鉄骨とガラスによる箱形... ...全体を構成してしまっているのに対し、《ファンズワース邸》はそのディテールの力によって硬直的な...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.110-112
[論考]
... 26──ミース・ファン・デル・ローエと《ファンズワース邸》 イリノイ、プラノ、1951頃水平的な視界を... ...存させることだったのである。 建造中の《ファンズワース邸》の写真には、ミースがひとりカメラに背...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.166-181
[技術と歴史 1]
...ァン・デル・ローエは《ファンズワース邸》を作っている。《ファンズワース邸》というのは高級の極...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.180-193
[オルタナティヴ・スペース 3]
問題。テラーニやル・コルビュジエにあって、ミースに無いものなんだ? ……答えは屋上。 九八年水戸芸術館において行なわれた「ジュゼッペ・テラーニ」展★一で、彼の建...りも見当たらないしパラペットもない。《ファンズワース邸》断面詳細図で、床と屋根スラブがほぼ同...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.32-34
[CONCEPTUAL 日本建築 8]
43 JAPONISME──「近代」に向かってめくられた最後の頁 Last pages towards the MODERN, which western so...ネスをミースは見逃さなかった。 たとえばファンズワース邸(一九四九─五二)では、むしろ審美的な...
『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.222-237
[論考]
1 ミース・ファン・デル・ローエの作品を美術のミニマリズムと関連づけて論じることはしばしば行なわれてきた。ロザリンド・クラウスによると、古典的なミニマリズム理解...の女医のためにデザインされた最高傑作「ファンズワース邸」に関して、ミースの次女マリアンネの息...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.191-200
[現代住宅論 7]
前回の「建築的無意識」では、ヴァルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」からヒントを得て、建築空間が身体化・無意識化され、さらに、それが形による働きかけを...ドライブ・アパート(一九五一)[図3]、ファンズワース邸(一九五一)、IITクラウンホール(一九五...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.277-285
[インタヴュー]
東工大清家研究室 石崎──今日はご自身の作品を語っていただくというよりは、先生が戦後、どのような時代背景のなかにおられたかということを中心にお話をうかがえればと...べてミース的ではないと言うんですよ。《ファンズワース邸》にしても彼の意識はガラス・ボックスで...
『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.166-180
[日本]
「どうして?」の問い 建築に対し「どうしてこうなっているのか」と発せられる問い。それが建築と建築家のあいだにある唯一の結線である。この問いが「建築とは何か」とい...を更新していくといったケースが多い。《ファンズワース邸》の光壁と他の要素とのあいだの関係を分...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180
[素材─構造]
強化ガラスはアルミと同程度の強度と剛性を持つ材料である。透明性という優れた特性を兼ね備える、エンジニアとアーキテクトたちにとって非常に魅力的な材料である。自由に...ン》をミース・ファン・デル・ローエの《ファンズワース邸》(一九五〇)やほかの透明度の高い事例...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.108-111
[論考]
「それらには何か或るものが共有されていなくてはならない。さもないと、それらは「ゲーム」と呼ばれないから」などと言ってはならない。──そうではなく、それら全てに何...」にとってより過酷なものだ。ミースの《ファンズワース邸》(一九五〇)がガラスの透明性をもって...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.111-120
[千葉]
最近、私たち日本工業大学小川次郎研究室+黒田潤三のチームは、二つの都市/建築およびアート系プロジェクトに参加する機会をもった。それらは二〇〇二年八─九月に千葉県...コ〉は、《サヴォア邸》、《落水荘》、《ファンズワース邸》など、世界の名住宅作品を再現したもの...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.102-111
[現代住宅研究 5-3]
安藤忠雄による《住吉の長屋》は、木造長屋にコンクリート打放しの箱が挿入されたものである。裸の構造体であるコンクリート打放しの壁によって、周辺環境の影響を蒙らない...は、敏感に外部に反応しすぎるわけで、《ファンズワース邸》のように広大な敷地の中で絶景を前提に...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.39-43
[リアリティについて 6]
「諸体系の体系」、つまりそのなかでは、それぞれが他のすべての体系を条件づけ、同時にまた他のすべての体系から条件づけられているという、そういう一つの体系★一 こ...である限り、いかなる選択も任意である。 ファンズワース邸現場写真 引用図版=八束はじめ『ミースと...
『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.46-48
[現代住宅研究 8-1]
果汁一〇〇%、ビーフ一〇〇%など、食品には一〇〇%という表示がよく見られる。純粋な材料から混ぜ物を作ることは容易だが、混ぜ物から純粋な材料を抽出するのは難しいか...が以前建てた《ガラスの家》とともに、《ファンズワース邸》、《ジョンソン邸》が参照されている。...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.12-15
[論考]
アルゴリズムとは時系列を伴った決定ルールの連なりである。このアルゴリズムによって私たちはまったく新しい空間構成の方法論を手にすることができる。それは建築の構成を...テレス型の求心空間、もうひとつはミース・ファン・デル・ローエの提出した均質空間である。前者は...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.100-101
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 2]
二〇世紀最大のトラウマとして記憶される第二次世界大戦では、アメリカも未曾有の国家総力戦を体験したが、その終結後、戦時中に発展した多くのテクノロジーを解放すること...層ビルのプロトタイプを根づかせたミース・ファン・デル・ローエも、同じく、一九六九年に他界して...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.249-260
[アート・レヴュー 1]
今年も現代美術の祭典であるヴェネツィア・ビエンナーレがオープンした。二年に一回開催されるこの国際美術展は、今年で四八回目である。同様の国際美術展にドイツのカッセ...のシカゴ万博のパヴィリオン群や、ミース・ファン・デル・ローエの記念碑的なバルセロナ・パヴィリ...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.41-42
[論考]
1 空間とは物質により規定されるものではなく、感覚と情報が連結される可変的な場である。それゆえ空間と視覚と精神は常にダイナミックな流動状態のなかで相互に浸透し、...イヤー、モホリ=ナギ、バイヤー、ミース・ファン・デル・ローエとバウハウスの主要なメンバーが次...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.205-216
[都市表象分析 17]
1 ポリス成立のディアレクティカ 西洋における「政治」の成立は古代ギリシアにおける都市国家(ポリス)の創建と深く関わっている。文字通り『政治の成立』と題された木...呼応する共同体観や─種の古典性をミース・ファン・デル・ローエの建築に認めていた★九。たとえば...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.2-11
[インタヴュー]
1 伽藍とバザール 中西──山本理顕さんはあらかじめ決められたかたちで建築を作るのではなく、建築をどのように使うかをユーザーとともに考えながら作り、また作...あり、世界中で有効でした。例えばミース・ファン・デル・ローエのユニヴァーサル・スペースはニュ...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.75-82
[対談]
集合住宅という思想 大野秀敏──集合住宅というのは、モダニズム建築の二面性を象徴的に表わしている特別なビルディング・タイプだと思います。モダニズムの二面性という...くらなかったからだと思う。 隈──ミース・ファン・デル・ローエもル・コルビュジエもその両方をう...
『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.54-65
[現代住宅論 1]
この連載では、現代の住宅が抱えているさまざまな課題について考えてみたい。できるだけ広いコンテクストで考えるつもりだが、僕自身、実際の設計に携わっている立場なので...できるかどうかという問題となる。ミース・ファン・デル・ローエはモダニズムの機能主義を否定し、...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.200-209
[対談]
部屋の写真術 岡崎——都築さんは『TOKYO STYLE』からこっち、部屋の写真を撮ることをつづけていらっしゃるとのことですが、期間としてはけっこう長いですよね...がそういう部屋に住んでみてから、ミース・ファン・デル・ローエはどうこうとか言ってほしい(笑)...
『10+1』 No.29 (新・東京の地誌学 都市を発見するために) | pp.54-72
[インタヴュー]
中谷礼仁──まずはタイトルの「トレーシング・ザ・藤森照信」について若干説明しておきます。私たち三人も藤森照信さんと同じ建築史という分野から自らの活動を始めました...優しいのはやりませんよね。 3──ミース・ファン・デル・ローエ《バルセロナ・パヴィリオン》 引用...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.54-77
[論考]
離れ、散らばること 一九九七年五月発行の『10+1』No.9において、私の初めての論考「観測者のランドスケープ──離散性、あるいは不連続性と『形式』の問題」を寄...るものであったことを再認識した。ミース・ファン・デル・ローエの自由壁のように、空間的実体を強...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.134-135
[インタヴュー]
秩序らしきものの浮上 柄沢祐輔──アルゴリズムとは、建築の文脈でいうと、建築の構成に明示的なルールを与えて、そのルールを積み重ね、ランニングさせて建築を設計する...──具体的にはル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエが提示したように、最初に全体的な...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.94-102
[都市の傷痕とRe=publik 8]
二年間にわたった連載も今回で最終回となった。都市がすべての者に対して開かれてあること。そのためには、「非病理的な」建築、われわれをもう一度デラシネとするような建...ありながら、「ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエが建築と考えたものが建築であると...
『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.31-32
[技術と歴史 3]
一九世紀的建築観の転倒 今日は「技術と装飾」がテーマですが、私にとっての装飾と技術との問題は、近代の問題と関わっています。装飾は近代とは二律背反のものであり、さ...ペレが作り、鉄骨構造建築の原型をミース・ファン・デル・ローエが作ったと言ってよいと思っていま...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.177-187
[対談]
湾岸の風景 若林──今日のテーマは、いま都市あるいは東京を語るとはどういうことか、さらにはまた東京をどのように語ることが可能なのか──言い方を換えれば、「東京論...りニュートンの絶対空間、あるいはミース・ファン・デル・ローエのユニヴァーサルであったりするわ...
『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.62-79
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 5]
三次曲面を流用した建築(角がとれて、分析的というよりも感応的な形質)に対する、人々の反応は興味深い。もっとも大方の人にとっては、その形質を成り立たせている幾何学...空間を体現する建築──その代表がミース・ファン・デル・ローエの「ガラスの箱」であろう──を制...
『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.37-40
[技術と歴史 10]
シミュレーション技術の向上と設計の変化 野沢正光──一九七〇年代、第一次、第二次と立て続けに「オイルショック」という問題が起きました。一九七二年には、ローマクラ...です。 先を急ぎましょう。これはミース・ファン・デル・ローエの《ベルリン国立美術館》(一九六八...
『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.215-225
[シンポジウム]
第一部:スーパースタジオ一九六六──一九七三 一九六六──スーパースタジオの源泉 クリスティアーノ・トラルド・ディ・フランシア──本日は、スーパースタジオの活...ました[図7]。会場となったのは、ミース・ファン・デル・ローエのベルリン国立新美術館でしたが、...
『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.228-239
[都市表象分析 31]
1 「非都市」という戦略 前回の論考は、拙著『都市の詩学』に対する趣向を変えたあとがきのようなものとなった。それが本連載を中心として、ここ数年の都市論やイメージ...らない。同時期に書き進められた『ミース・ファン・デル・ローエの戦場──その時代と建築をめぐっ...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.2-11
[1990年代以降の建築・都市 20]
神殿ではないということ 東京から二時間半ほどのドライブで、過疎化が進む地方の小さな街につく。妹島和世は、世界的に活躍する日本の女性建築家だが、東京にはまだ主要な...校舎》でも採用されていた。また、ミース・ファン・デル・ローエの《ベルリン国立美術館》やフィリ...
『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.21-22
[技術と歴史 4]
石山──今日は前半で設計などの考え方のべース、後半では開放系技術を実際にどのように表現しているかについて話したいと思います。 初めに、ロケット開発の歴史について...代建築の、特にバウハウスの連中、ミース・ファン・デル・ローエ、それからグロピウスもアメリカに...
『10+1』 No.42 (グラウンディング──地図を描く身体) | pp.175-185
[現代建築思潮]
オランダ現代建築紀行 今村創平 オランダ人の友達がチューリップ畑を見たいかと聞いた。内心僕はチューリップ畑などまったく見たくなかった。赤、黄、白、紫といったた...の時期である。ル・コルビュジエやミース・ファン・デル・ローエのように時代を決定づけたり、イデ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46
[トーキョー・建築・ライナーノーツ 8]
内側から見る都市 昨年から今年にかけてヨーロッパの都市を訪ねたときに、いくつかおもしろい都市ツアーを経験した。 はじめは昨年七月にミュンヘンを訪れたときのこと。...、街の西にあるオリンピック施設やミース・ファン・デル・ローエのバルセロナ・パヴィリオンへ。さ...
『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.29-32
[グローバリズム 2]
1 福岡 一九九〇(ポストモダン) vs 日本 戦後(モダン) PART1 前回「ペキン 二〇〇三」の冒頭で引用したコールハースのテクストは、「日本に関して...によっても語れるが、同時にそれはミース・ファン・デル・ローエの戦後の作品に彼らが見出したアメ...
『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.230-238
[建築の還元 4]
1 判断と知覚、およびその審級 二〇世紀の終わりを締めくくる最後の一〇年は、建築が、レイト・モダンの波をも受けてミニマルなものへの志向を発現させ、ひとつの表現の...く伝えているのは、言うまでもなくミース・ファン・デル・ローエによる「レス・イズ・モア」という...
『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.210-220
[現代建築思潮]
セシル・バルモンドの『informal』を読む 今井──前回、オランダ建築の話をするなかで離散型に関する話題が出てきました。そして連続ではなく不連続、コンクリー...です。また、去年の秋にベルリンでミース・ファン・デル・ローエのナショナルギャラリーを見たので...
『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.45-52
[ポスト・ストラクチャリズムの建築 3]
前回は、建築空間の「観念性」といったテーマのもとに、命題化どころか単なる迷走をそのまま記述してしまう結果になってしまったが別段反省もしていない。述べたかったのは...ぎない、その極北ともいえるものがミース・ファン・デル・ローエの「ガラスの箱」である。 二、建築...
『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.25-27
[スタディ]
リチャード・バックミンスター・フラー(1895-1983)は、20世紀最大のテクノロジストであり哲学者である。彼は近代建築の巨匠ル・コルビュジエ(1887-19...巨匠ル・コルビュジエ(1887-1965)やミース・ファン・デル・ローエ(1886-1969)より少し若いが、彼らと...
『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.155-166
[批評]
...いところに、一九二〇─三〇年代のミース・ファン・デル・ローエの〈建築神学〉が位置していたこと... ...─次を参照。拙論「腐敗と決断──ミース・ファン・デル・ローエの戦場四」、『建築文化』(彰国社...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.94-104
[論考]
...担当したと言えるだろう。例えば、ミース・ファン・デル・ローエやSOMなどの作品である。それにはシ... ...影し、屋根を省いた桂離宮の写真とミース・ファン・デル・ローエのインターナショナル・スタイルが...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.117-132
[建築の還元 2]
...たちで表現する未然の事例こそが、ミース・ファン・デル・ローエによる、「鉄とガラスのスカイスク... ...問い返さなくてはならない。 1──ミース・ファン・デル・ローエ 「鉄とガラスのスカイスクレーパー...
『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.2-12
[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 4]
...ではないかと言う。それゆえ、彼はミース・ファン・デル・ローエらを槍玉にあげて、合理性や普遍性... ...ダニズムの建築言語』(1978)2──ミース・ファン・デル・ローエ 《レイク・ショア・ドライブ・アパ...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.226-236
[インタヴュー]
...ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエ受容をめぐって 磯崎新──いわゆるモダニズムの受... ...がかりとして、ル・コルビュジエとミース・ファン・デル・ローエがそれぞれどんな具合に受け入れら...
『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.172-181
[批評]
...して、最も古い第三のイメージは、ミース・ファン・デル・ローエによる一九二八年の、アレクサンダ... ...ねにすでにここに〈ある〉。 1──ミース・ファン・デル・ローエ「アレクサンダー広場計画案」1928年2...
『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.46-60
[キーワード]
...モア」★27という規範を物象化したミース・ファン・デル・ローエの建築にその起源を見出すことができ... ...ことを示しているだろう。 ★27──ミース・ファン・デル・ローエは装飾をそぎ落とし、機能を純化さ...
『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87
[批評]
...断じることも可能ではあろう。1──ミース・ファン・デル・ローエ《コンクリート造田園住宅案》(1923... ...と同一化することなのである。3──ミース・ファン・デル・ローエ《バルセロナ・パヴィリオン》平面...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.102-109
[批評]
...館(MoMA)で開催されたグロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アウトを始め... ...ルフ・ロースに始まりグロピウス、ミース・ファン・デル・ローエ、ル・コルビュジエ、アルヴァ・ア...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80
[論考]
...ルビュジエの《シトロアン住宅》、ミース・ファン・デル・ローエの《煉瓦造の田園住宅》など、アン... ...ジエ)、《チューゲンハット邸》(ミース・ファン・デル・ローエ)、《マイレア邸》(アルヴァ・ア...
『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.98-104
[対談]
...きた面があると思います。例えば、ミース・ファン・デル・ローエの《バルセロナ・パヴィリオン》と... ...されたと思います。それに対して、ミース・ファン・デル・ローエは違う立場から、反転性─それは透...
『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.54-69
[建築とイマージュ 4]
G君 ミースについて君から教わったことに刺激されて、自分でも何か書いてみようと思い立ってから、もうしばらくになる。このところアルトーやシンディ・シャーマンに関す...調しておきたいからなのだ。 1──ミース・ファン・デル・ローエ「バルセロナ・パヴィリオン」準備ス...
『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.31-34
[生産─技術]
銀座と青山のファッション・ストリートを中心に、世界的な建築家によって、個性的な建築が出現している。おかげでストリートは華やかで活気があるものへと変貌しつつある。...に表現が集中する。そのことの美はミース・ファン・デル・ローエが描いた「フリードリッヒ・シュト...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.120-123
[生産─技術]
わたしたちが望むのはモノを吟味し、モノにそれ自体が持つ形態を見つけ出させることである。モノにその外側から形態を授けること、モノを外部から決定すること、モノにどん...な「形態は機能に従う」になろう。ミース・ファン・デル・ローエの僚友であったへリングだが、彼は...
『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.124-127
[鼎談]
均質空間の崩壊 鈴木了二──「美術」と「建築」というテーマが設定されているようですが、建築には実は、どこからどこまでが建築っていうような枠組みはないんじゃないか...っぱり熱で溶けちゃうでしょうね。ミース・ファン・デル・ローエのユニヴァーサル・スペースでも鉄...
『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.54-72
[論考]
1 一九世紀の建築写真 建築は、写真にとって発端からすでに主要なモティーフのひとつであった。二人のジェントルマン・サイエンティスト、ニエプスとタルボットの最初...ニの《サンテリア幼稚園》のほか、ミース・ファン・デル・ローエ、アルヴァ・アアルトなど多くの近...
『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.83-96
[対談]
都市の政治学=社会学と均質空間 田中── 今回の特集は「メディア都市の地政学」と題しています。空間的な距離を無化するテレコミュニケーションが普及することによって...均質空間の代表例としてしばしば、ミース・ファン・デル・ローエの「ユニヴァーサル・スペース」が...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.62-77
[批評]
ネット・メディア時代の首都の夢 ドイツの新首都ベルリンは、奇しくも意義深い一千年紀転換の直前にヨーロッパ最大の建築現場となった。単にドイツという国の首都の(再)...、建築を次のように規定する──「ミース・ファン・デル・ローエが皮肉にも評したように『月曜ごと...
『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.105-114
[批評]
二つのよく知られたイメージが、第二次世界大戦後の初めの一〇年期におけるアメリカ建築を定義すると言ってよいのではないだろうか。ひとつは、インターナショナル・スタイ...していた。ノウィッキーはおそらくミース・ファン・デル・ローエのイリノイ工科大学とレイクショア...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179
[論考]
ルネ・マグリットの一連のデッサン《これはパイプではない》を分析しつつ、ミシェル・フーコーはその中に自己破壊に至るまで逆立ちさせられた一種の〈カリグラム〉を認めて...つなぎとめはしない。同様の結果がミース・ファン・デル・ローエによって、彼のベルリンのアレクサ...
『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.195-202
[批評]
ここで取りあげるのは、シャルロット・ペリアンがル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレと共にデザインをした家具と、二人のインテリア全般のアプローチに与えた彼女の影...ザイナーのマルセル・ブロイヤーやミース・ファン・デル・ローエの探究に影響を受けていたことであ...
『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.227-234
[批評]
これまで「細部(ディテール)に神が宿る」という金言は、建築の世界ではミース・ファン・デル・ローエの言葉と考えられてきた★一。しかしミースの参照源であるかもしれな...る」という金言は、建築の世界ではミース・ファン・デル・ローエの言葉と考えられてきた★一。しか...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.90-101
[建築を拓くメディア]
森川嘉一郎は『趣都の誕生──萌える都市アキハバラ』(幻冬社、二〇〇三)で、未来の都市の景観を予想しようとする時、一九七〇年代までならば、建築家がつくる建築作品の...る。前者においては都市の景観は、ミース・ファン・デル・ローエに範をとったスカイスクレーパーや...
『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.132-133
[批評]
現代建築の歴史は必然的に多様なものであり、雑多ですらあるだろう──建築そのものから離れた、人間的な環境を形成するための構造の歴史。そしてそれらの構造を統制し方向...うるかについて語っている。例えばミース・ファン・デル・ローエのアメリカの作品におけるさまざま...
『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154
[批評]
1 自然と共同体 一九八九年のベルリンの壁崩壊以降、三度、ワイマール、デッサウ、ベルリンというバウハウスの短い歴史の足跡をたどる旅を繰り返した。その旅のなかで特...イニンガー、ムッヘ、ブロイアー、ミース・ファン・デル・ローエ、マイヤー……彼らはバウハウスと...
『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.143-165
[批評]
サイバーアーキテクチャーはあるか サイバーアーキテクチャーという語はまだない。このところ、新聞、雑誌で目にする機会の増えたサイバースペースという言葉にしても、説...置に空間を手にいれる方法である。ミース・ファン・デル・ローエが《トゥーゲンハット邸》で見せた...
『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.44-53
[図版構成+論考]
黒の製法 1──黒顔料の製造機械 一五二一年チェザリアーノによるウィトルウィウス解説図 「まず、黒色顔料について述べよう。(…中略…)小さい炉がつくられ、(…...ーヴィチ『無対象の世界』 1617──ミース・ファン・デル・ローエ 《ベルリン新国立ギャラリー》(一...
『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.220-229