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まつだい雪国農耕文化センター (マツダイユキグニノウコウブンカセンター)

MVRDV
文化施設|2003年

> 10+1 DATABASE内「まつだい雪国農耕文化センター」検索結果 (140件)

[論考]

住宅の廃墟に──建築家と住居をめぐる七つの物語 | 五十嵐太郎

On the Domicile's Ruins: Seven Tales of Architects and Domestic Spaces | Igarashi Taro

序─低い声 四本の柱が立ち、そこに屋根を架けた小屋は住宅の原型なのだろうか? [〈それ〉溝は作動している]あるいは、一本の柱が太古の平野に立てられた瞬間に構築が誕生したという、『二〇〇一年宇宙の旅』のモノリスを想起させる魅力的な思考。[いたるところで〈それ〉は作動している]これらはロージエの起源論、さらにはサマーソンに...

『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.130-145

[自然─環境]

2:手塚建築研究所《越後松之山「森の学校」キョロロ》──ランドアーキテクチャー | 柳沢潤

Tezuka Architects, "Echigo-Matusnoyama Natural Science Museum "Kyo-roro'": Landarchitecture | Yanagisawa Jun

風景としての建築 日本においてランドスケープという言葉が認識されたのはいつ頃からだろうか。今から十数年前、大学院の英語の入試で「Landscape design...現代美術館》(一九九四)、MVRDV《まつだい雪国農耕文化センター》(二〇〇三)など、建築と自然との...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.152-155

[図版構成]

BRABANT CITY 2050 | MVRDVヴィニー・マース吉村靖孝

BRABANT CITY 2050 | MVRDV, Winy Maas, Yoshimura Yasutaka

design & research: MVRDV, Winy Maas, Jacob van Rijs and Nathalie de Vries with Arjan Harbes, Gertjan Koolen, Penelope Dean, Bas van Neijenhof, Kersten Nebielek...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.181-188

[図版構成]

ピッグ・シティ | MVRDV吉村靖孝

PIG CITY | MVRDV, Yoshimura Yasutaka

スキャンデータあり 未アップ ...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.185-192

[図版構成]

ファンクション・ミキサー | MVRDV吉村靖孝

FUNCTION-MIXER16.0 | MVRDV, Yoshimura Yasutaka

スキャンデータあり 未アップ ...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.169-176

[インタヴュー]

磯崎新インタヴュー 破壊と救済のメトロポリス | 磯崎新五十嵐太郎南泰裕

An Interview with Arata Isozaki: The Destructive and Restorative Metropolis | Isozaki Arata, Igarashi Taro, Minami Yasuhiro

...で、グレッグ・リンやベン・ファン・ベルケル、MVRDVといった建築家に代表されるような、デジタル・ツ... ...MVRDVの「データ・タウン」なんかがそれに当てはまるのではないかと、その号で論じました。特にMVRDVは...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.54-67

[現代建築思潮]

討議:フォールディング・アーキテクチャー 横山太郎──《横浜大さん橋国際客船ターミナル》/ジン・ヨハネス──プロジェクト・スタディを交えて | 日埜直彦今井公太郎今村創平吉村靖孝横山太郎ジン・ヨハネス

Folding Architecture: Crossing Views; Taro Yokoyama, "Yokohama International Port Tarminal", Gin Johannesヤ Project Studies | Hino Naohiko, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Yoshimura Yasutaka, Yokoyama Taro, Gin Johannes

...んです。何かわかるような気もします。 吉村──MVRDVも、六〇─七〇年代くらいのブラジルの建築をよ... ...ルディングじゃないわけですね。でもたとえば、MVRDVがアメルスフォルトにつくったオフィスビルは、床...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.47-62

[コラム]

動物化する建築 | 吉村靖孝

Animalizing Architecture | Yoshimura Yasutaka

...代表的な試みを紹介しておくべきかもしれない。MVRDV★四は、デザインの恣意性ともっとも意識的に抗し... ...純化されたネゴシエーションのなかで充足する。MVRDVはまた、《ハーヘンエイランド》(イペンブルク/...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.150-153

[キーワード]

90年代都市・建築キーワード/キーパーソン | 南泰裕瀧本雅志松田達

Urban/ Architecture Keywords and Key Persons of the 90s | Minami Yasuhiro, Takimoto Masashi, Matsuda Tatsu

...して様々なツールを使っているのだから。(MA) MVRDV, FARMAX, 101Publishers, 1998.アーキペラゴ 広義では、諸... ...を行なっている。そのコールハースの流れを汲むMVRDVは、オランダという国土への検討を通じて「データ...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.68-87

[論考]

01:国際化するヨーロッパ建築 | ハンス・イベリングス佐藤美紀

The Internationalization of Architecture in Europe | Hans Ibelings, Sato Miki

...ロジェクトはひとつしかなかった──オランダのMVRDVによる積層されたランドスケープである。ヨーロッ... ...クバウ《イギリス・パヴィリオン》 筆者撮影4──MVRDV《オランダ・パヴィリオン》 筆者撮影このような...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.74-77

[論考]

不連続性の問題と密度の問題 | 松田達

On Noncontinuity and Density | Matsuda Tatsu

...飽和したような印象があるという意味を込めて、MVRDVのヤコブ・ファン・リースは、国の低密度な開発政... ...にすれば、南部の一部におさまるというものだ。 MVRDVは、コンパクトな開発とライトな開発を提唱する...

『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.120-128

[論考]

「批判的工学主義」のミッションとは何ですか?1──定義・マニフェスト編 | 藤村龍至

What is the Mission of "Critical Engineering-ism" ? 1: Definition / Manifesto Edition | Ryuji Fujimura

...センターとオフィスビルからなる《FLIGHT FORUM》(MVRDV、二〇〇四)を見てみよう。通常、こうした開発で... ...──郊外型商業空間 筆者撮影3──MVRDV《FLIGHT FORUM》 引用出典=『MVRDV FILES』 (『a+u』2002年11月臨時増刊...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.94-95

[論考]

90年代都市プロジェクト | 奈尾信英

Urbanism Projects of the 90s | Nao Nobuhide

...とである。 「メタ・シティ/データ・タウン」(MVRDV) 展示会のためにつくられたこのプロジェクトは... ...▲「メタシティ/データタウン」(MVRDV) ★「パークレーン」(MVRDV) ★「ソンドゥ・ニュータウン計...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.97-105

[都市/テクスト]

九〇年代の建築/都市計画の文献をめぐって | 五十嵐太郎

An Introduction to Books on Architecture/Urbanism in the 90s | Igarashi Taro

...考えていたことは興味深い。宇野求と岡河貢は、MVRDVに先駆けて、東京湾岸の「確率都市計画」で分別ゴ... ...の表現主義に陥ったが、コールハースの子供たちMVRDVは、『Metacity/ Datatown』において、コンピュータを利...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.112-115

[現代建築思潮]

討議:建築/統計/アーバン・デザイン──ビョルン・ロンボルグ『環境危機をあおってはいけない』、MVRDV「REGIONMAKER」を端緒に | 田村順子吉村靖孝今井公太郎今村創平日埜直彦

Architecture, Statistics and Urban Design: Bjo/ rn Lomborg, The Skeptical Environmentalist and MVRDV "REGIONMAKER" | Lunko Tamura, Yoshimura Yasutaka, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko

...のアプローチを追いかけたいと思います。これはMVRDVが一九九八年に開催された展覧会のために用意した... ...後特に安定していると言っています。こうなるとMVRDVが森を重要な都市要素と見なしたその前提が揺らい...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.48-56

[現代建築思潮]

[討議/ブックガイド] 建築情報の受容再考 「正統性」から「生産性」へ/文化の受容・翻訳・発信を考察するためのブックガイド20 | 今村創平今井公太郎日埜直彦吉村靖孝

From Orthodoxy to Efficiency/ 20 Book Guides for the Study of Reception, Translation and Transmission of Culture | Imamura Sohei, Imai Kotaro, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

海外建築情報の受容と読解 今村創平 今村──今回は「海外建築の受容」というテーマを取り上げてみたいと思います。まずは建築の文脈からは離れますが、資料として配りました丸山真男『日本の思想』、吉本隆明『初期歌謡論』、柄谷行人『批評とポストモダン』からの抜粋についてです。これらでは日本では何かを構築しようとしても難しく、特に...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.47-54

[連載 7]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 7 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to the History of Inteligence: The 1930s 7 | Yatsuka Hajime

16 一致することと相違すること 前回では「アテネ憲章」がCIAMの内部での総決算などではなく、ル・コルビュジエ個人のヴィジョンとしての側面が強かったことを見、さらにそれを発展させたものとしてのCIAMの格子を取り上げた。そしてル・コルビュジエの思想のなかに存在する二重性について、それぞれの系譜をトレースしていこうとい...

『10+1』 No.44 (藤森照信 方法としての歩く、見る、語る。) | pp.177-190

[現代建築思潮]

討議:建築家の有名性の生産、流通および消費 | 南後由和成実弘至日埜直彦今井公太郎今村創平吉村靖孝

Producing, Distributing and Consuming Architectural Fame | Yoshikazu Nango, Hiroshi Narumi, Hino Naohiko, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Yoshimura Yasutaka

1日目:建築家の有名性──戦中・戦後の建築雑誌にみる丹下健三の表象 南後由和 南後由和──日本の建築家を取り巻く制度、建築ジャーナリズムの系譜を追いかけながら、国家、資本、大衆によってどのように建築家の有名性が欲望されてきたのか、あるいはされてこなかったのかということを明らかにできればと思います。その取っ掛かりとして、...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.27-44

[翻訳]

何が(実際のところ)なされるべきなのか?──MVRDVの理論的コンセプト | バート・ローツマ松田達桑田光平

What is (really) to be Done?: The theoretical concepts of MVRDV | Bart Lootsma, Matsuda Tatsu, Kohei Kuwada

...MVRDVの仕事はどんな建築家や理論家よりも、民主主義的であると同時に「製作可能(makeable)」であると... ...なっている例である。そのため現代の建築論へのMVRDVの最大の貢献は、建築、アーバニズム、地域計画を...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.136-148

[インタヴュー]

ソフトウェアを用いた大規模都市計画の実践 | ヤコブ・ファン・ライス柄沢祐輔服部暁文

Practice Using Metropolitan-Planning Software | Jacob van Rijs, Yuusuke Karasawa, Akinori Hattori

...MVRDVのヤコブ・ファン・ライスさんにお話を伺えたらと思っています。広く知られているように、MVRDVは... ...のか?」(本誌一三六──一四八頁掲載。『Reading MVRDV』所収)にて、ファン・エーステレンらによるオ...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.103-108

[論考]

となりの超高層 | 吉村靖孝

The Skyscrayper Next Door | Yoshimura Yasutaka

...九九年から二〇〇〇一年まで勤務したMVRDVでのことである。MVRDVはロッテルダムに拠点を構える建築家集... ...ろう。 8──「ピッグ・シティ」 図版提供=MVRDV当時MVRDV では、ほかにもたとえば地方図書館の集約を目...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.120-125

[論考]

26:ユニット派あるいは非作家性の若手建築家をめぐって | 五十嵐太郎

The Unit Group: On the Non-Authorship of Young Architects | Igarashi Taro

...では設計の現場にコンピュータが浸透している。MVRDVやNLアーキテクツらのコンピュータを用いたポップ... ...=Archi Lab, Ville d'Orleans, 1999.13──ペリフェリックとMVRDVが共同した博物館の計画、1999 出典=Archi Lab, Ville ...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.134-145

[論考]

50 Years After 1960──グローバル・シティ・スタディーズ序説 | 八束はじめ

50 Years After 1960: Introduction to the Global City Studies | Yatsuka Hajime

...述する試みが行なわれていたことは、今日のOMAやMVRDVの統計を用いた調査や計画の先駆として注目すべき... ...法規、交通、環境……)。資本主義的な唯物論。 MVRDVの“DATA TOWN”に、われわれの想像力を刺激する分...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.62-76

[現代建築思潮]

オランダ現代建築をめぐって | 今村創平今井公太郎日埜直彦吉村靖孝

On Dutch Present-day Architecture | Imamura Sohei, Imai Kotaro, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

...の建築家のオフィスを訪ねた(OMA、WEST8[図3]、MVRDV、メカノ、クラウス・エン・カーンなど)。こうし... ...う。多くのオフィスは倉庫(WEST8、SeArch)や工場(MVRDV)を改造したもので、スタッフは高い天井の下、...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.39-46

[レヴュー]

磯崎新の夢/レム・コールハースの現実 | 浅田彰

Review The Dream of Arata Isozaki/The Reality of Ren Koolhaas | Asada Asada

磯崎新の実現されなかったプロジェクトばかりを集めた「アンビルト/反建築史」展が開かれ★一、それに合わせて『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)という二分冊...ールハースの子どもたち」の代表格とも言うべきMVRDVが発表した〈データタウン〉(Metacity/Datatown, 010 Publ...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.32-35

[1990年代以降の建築・都市 3]

反フラット建築論に抗して | 五十嵐太郎

Agaist Anti-Flat Architecture | Igarashi Taro

フラット派批判 昨年末、飯島洋一が「反フラット論──『崩壊』の後で 2」という文章を発表した★一。この論は世界貿易センタービルの破壊に触れて、スーパーフラットの...いと指摘するならば、コールハースの子供たちのMVRDVや日本の若手建築家に対して行なうべきだろう。彼...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.142-153

[対談]

グローバル・シティ・スタディーズの諸相 | 今村創平八束はじめ

Aspects of the Global City Studies | Imamura Sohei, Yatsuka Hajime

ドバイ的情況 今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(ア...かということの間には何か繋がりはありますか?  MVRDVに倣ったような単なるトレンドとしてではなく、...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.217-227

[日本]

40:リバース・アーキテクチャ | 槻橋修

Reverse Architecture: Reverse Architecture | Tsukihashi Osamu

「どうして?」の問い 建築に対し「どうしてこうなっているのか」と発せられる問い。それが建築と建築家のあいだにある唯一の結線である。この問いが「建築とは何か」とい...ツォーク&ド・ムーロン、伊東豊雄、妹島和世、MVRDVといった建築家たちが一連の流れを形成している。...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.174-180

[現代建築思潮]

Exibition Reviwe:スペース・インベーダー: 建築という領域の拡張、そして侵犯 展覧会「SPACE INVADERS──クロスオーバーから生まれる建築」展から | 納村信之田島則行

Exibition Reviw : SPACE INVADERS: Invasion and Extension of the Architectural Domain | Nomura Nobuyuki, Tajima Noriyuki

一九六〇年代の半ばに旗をあげたイギリスの若手建築家たちは今、EU統合をきっかけに訪れたイギリス好景気の波にのり、軽快なフットワークで「建築」という領域を拡張し続...計学データをもとに形態変換するコールハースやMVRDVとは一線を画する。彼らは、一般の人を巻き込みな...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.27-31

[東京]

東京デ・コード計画 | 吉村靖孝川邊真代吉村英孝

"DE-CODE" Reveal the Hidden Dynamics in Tokyo | Yoshimura Yasutaka, Kawabe Michiyo, Hidetaka Yoshimura

都市の形態の背後にある構造は必ずしもみえていないし、しかし全くみえていなくもない。それは絶えず見えがくれしているのであろう。 槇文彦『見えがくれする都市』 法...れない。たとえば、「ゴシック」と名付けられたMVRDVのプロジェクトはその典型的な例である。彼らは、...

『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.148-155

[現代建築思潮]

討議:バルセロナ・オリンピック──都市の成長と発展 | 梅岡恒治岩元真明今浦友恵今井公太郎今村創平日埜直彦吉村靖孝

Barcelona Olympic, The Growth and Development of Barcelona City | Koji Umeoka, Masaaki Iwamoto, Tomoe Imaura, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko, Yoshimura Yasutaka

梅岡+岩元+今浦──今回、「現代思潮研究会」においてオリンピックによる都市改造をテーマに研究がなされることになりました。そのなかで、都市がどのように成長・発展を...止めることなく、ヘルツォーク&ド・ムーロン、MVRDV設計のメイン施設やジャン・ヌーヴェル設計の高層...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.64-72

[鼎談]

建築の技法──つくることの楽しさへ | 今村創平南泰裕山本想太郎

The Art of Architecture: Pleasure of Creation | Imamura Sohei, Minami Yasuhiro, Yamamoto Sotaro

...、単純化された試みも、ひとつの技法なのです。 MVRDVはライトアーバニズムということを言っていて、... ...規的小住宅 ・OMA「ホイットニー美術館」増築案 ・MVRDV《ハーヘンエイランド》 自然─環境 原初的な建...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.72-87

[ゼロ年代の建築・都市 3]

家型の二一世紀 | 五十嵐太郎

House Form in the 21st Century | Igarashi Taro

建売住宅から学ぶこと 家型という視点から眺めていくと、一九八〇年代の建築は基本的に七〇年代の延長にあり、記号的な表現をさらに展開し、思考を深めている。 石井和紘...ーク&ド・ムーロン、ギゴン・アンド・ゴヤー、MVRDVを含む、スイス、オランダ、北欧の動向は、日本に...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.33-34

[オランダ]

05:NLアーキテクツ:「/」 | 吉村靖孝

NL Architects- / | Yoshimura Yasutaka

ピーター・バネンバーク Pieter Bannenberg:1959年生まれ。 ワルター・ファン・ダイク Walter van Dijk:1962年生まれ。 カ...コンクリート型枠パネルを住宅の外壁に転用したMVRDV★三など、多くの類例を容易に探し出すことができ...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.92-93

[インタヴュー]

アルゴリズム的思考の軌跡をめぐって | 磯崎新柄沢祐輔

In the Footsteps of Algorithmic Thinking | Isozaki Arata, Yuusuke Karasawa

コンピュータの黎明期における情報都市の提案 柄沢──磯崎さんは六〇年代のコンピュータの黎明期、まだそれらが十分実用的とは言えない時期にさまざまな建築や都市の提案...うね。 柄沢──レム・コールハースの方法論や、MVRDVの「データスケープ」というような量の問題にす...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.72-81

[資料]

コンパクトシティを考察するためのブックガイド | 岡部友彦坂口祐山雄和真

Book Guide for Studying Compact City | Okabe Tomohiko, Sakaguchi Yu, Yamao Kazuma

...行なわれた展覧会にオランダの建築家グループ、MVRDVが発表したプロジェクトをまとめたものである。都... ...ダ式コンパクトシティの視点が見て取れる。[S] MVRDV, META CITY/DATA TOWN, 010 Publishers, 1999  グローバリゼー...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.165-168

[対談]

コンパクトシティ──都市批判としての都市をめぐって | 南泰裕太田浩史

Compact City: On the City as a Criticism toward the City | Minami Yasuhiro, Ota Hiroshi

...ました。その過程で、リチャード・ロジャースやMVRDV、マイク・ジェンクスを始めとする一連の建築家や... ...に試されていると思うわけです。去年だったか、MVRDVのヴィニー・マースが「ユニバーサル・シティ」と...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.58-72

[批評]

神話とモダニズム──バウハウス・プロジェクト一九一九―一九九九 | 大口晃央

Myth and Modernism: Bauhaus Project 1919-1999 | Okuchi Akio

...ダ・パヴィリオンを設計したヴィニー・マースのMVRDV建築事務所、ペーター・ツムトール等の作品群に至... ...ないと指摘している。 次にオランダの建築事務所MVRDV代表の建築家ヴィニー・マース氏と現代建築批評...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.66-80

[鼎談]

建築と書物──読むこと、書くこと、つくること | 隈研吾五十嵐太郎永江朗

Architecture and Books: Reading, Writing and Creating | Kuma Kengo, Igarashi Taro, Nagae Akira

...で、五十嵐さんなんかはどうですか。 五十嵐──MVRDVの本はおもしろいと思うんですけど、いわゆるテ... ...ゼンテーションみたいじゃないですか。レムとかMVRDVとかは、辞書のように巨大な本を刊行したり、ひと...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.54-70

[鼎談]

アルゴリズムで表層と深層を架橋せよ | 柄沢祐輔南後由和藤村龍至

Cross-link between Superficial Layer and Deeper Layer with Algorithm | Yuusuke Karasawa, Yoshikazu Nango, Ryuji Fujimura

...う設計論もありえますよね。 柄沢──そうです。MVRDVの「Function Mixer」「Region Mak-er」が意図しているも... ...がありえるのではないかという気がしています。MVRDVは、その部分、特にアーバニズムに特化しています...

『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.62-75

[論考]

操作論としての サステイナブル・アーバニゼーション | 太田浩史

Sustainable Urbanization as an Operation Theory | Ota Hiroshi

...・フラーが描いたような[図3]、もしくは現代のMVRDVが示唆するような[図4]、人工性の領野を見極め... ...inster Fuller, Lars Mu¨ler, 2001.(展覧会カタログ)4——MVRDV "PIG CITY" 出典=『10+1』No.245——太田浩史+南泰...

『10+1』 No.31 (コンパクトシティ・スタディ) | pp.123-128

[1990年代以降の建築・都市 4]

世紀の変わり目の建築について | 五十嵐太郎

On Architecture at the Turn of the Century | Igarashi Taro

...コンピュータによるシミュレーションを行ない、MVRDVの「データタウン」に先駆けて、新しい都市の可能... ...に所属するものと考えられるだろう。あるいは、MVRDVの空間的な操作のように、異なる建築から各階を寄...

『10+1』 No.28 (現代住宅の条件) | pp.156-166

[現代建築思潮]

[討議] 法規から解読(デ・コード)する建築/都市──建築法規とローレンス・レッシグ『Code』をめぐって | 吉村靖孝今井公太郎今村創平日埜直彦

"DE-CODE"ing Architecture /City:On Building Regulation and Lawrence Lessi, Code | Yoshimura Yasutaka, Imai Kotaro, Imamura Sohei, Hino Naohiko

...しているのではないかと思います。それから図20はMVRDVのプロジェクトで、古い街並みが残る街区をどの... ...、「アーキテクチュア」を示すダイアグラム20──MVRDVのプロジェクトでの街区の高容積化へ至るフロー ...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.47-54

[連載 6]

思想史的連関におけるル・コルビュジエ──一九三〇年代を中心に 6 | 八束はじめ

Le Corbusier in Relation to the History of Inteligence: The 1930s 6 | Yatsuka Hajime

...。 ★三──Auke van der Woud, 前掲論文 ★四──最近MVRDVが都市のモビリティのワークショップを行なってこ... ...h, 2003.  因に大胆なキャンチレバーで話題になったMVRDVの老人用ハウジングは、エーステレンの指定した...

『10+1』 No.43 (都市景観スタディ──いまなにが問題なのか?) | pp.198-211

[景観の視学/史学/詩学 5]

街の記憶とマテリエル──パリ | 南明日香

Memories of the Cities and Material: Paris | Minami Asuka

...(レム・コールハースのOMAとヴィニー・マースのMVRDV)の四グループによるコンペとなった。 それでは... ...とりどりの香水瓶のような高層の建物を配置し、MVRDVは植栽の合間に地下に光を通す色ガラスを敷き、ヌ...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.28-30

[都市音楽ノート 5]

Dancing in the Street | 酒井隆史

Dancing in the Street | Sakai Takashi

歴史家が忘れがちのことがある、こう言うのはマニング・マラブルである。五〇年代・六〇年代の黒人による闘争のうねりを支えたのが黒人の労働運動であったことである。 マーティン・ルーサー・キングの闘いは、周知のように、公民権法や投票法の成立によって一段落をつけたあと、一九六五年のワッツ暴動など北部都市の頻発する黒人の蜂起を背景...

『10+1』 No.22 (建築2001──40のナビゲーション) | pp.49-50

[都市とモードのフィールドノート 2]

アイデンティティの空間体験 | 成実弘至

Spacial Experience of Identity | Hiroshi Narumi

あなたはいつ、どこで自分の外見を見るだろうか。 個人差、男女差、世代差もあるが、おそらく男性読者の方々は、鏡を携帯して自分の顔を頻繁にチェックすることはあまりないにちがいない。数少ないその機会といえば、洗面所や風呂場でつかの間に映しだされる自分の姿を軽く一瞥するときだろうか。それとも証明写真やスナップショットに残る曖昧...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.36-38

[1990年代以降の建築・都市 1]

アジアのジェネリック・シティとレム・コールハース | 五十嵐太郎

Rem Koolhaas and Generic Cities in Asia | Igarashi Taro

香港──一九九一年 ちょうど一〇年前、初めて香港を訪れたときのことだ。過度な疲労のために、中国から陸路で行くことを断念し、上海から香港まで三泊四日の船の旅を選んだ。四日目の朝、目覚めると、香港サイドと九龍サイドに挟まれた海の真中に船は漂っていた。朝靄のなかから海に迫る高層ビル群と山が現われる。感動的な風景だった。もとも...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.177-187

[視覚の身体文化学 1]

色の知覚の生態学? | 榑沼範久

The Ecological Approach to Visual Perception of Colors? | Kurenuma Norihisa

1 視覚とは見慣れることのない、素晴らしい営みである。わたしは五〇年のあいだ、その難問の数々に頭を悩まされてきた★一。 ジェームズ・J・ギブソンの最後の著書『視知覚への生態学的アプローチ』(邦訳=『生態学的視覚論』)は、心を動かされるこの言葉で始まる。そして光の物理学、眼・神経・脳の解剖学・生理学では、視覚の不思議...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.33-35

[ポピュラー文化としての都市空間 1]

スケーターのまちがい | 矢部恒彦

Skaters' Fault | Tsunehiko Yabe

現代の都市空間は混乱している。その原因として、建築プロパーはしばしば消費者の「まちがい」を嘆く。都市空間の理想像は、いつでもまちがった嗜好をもつ消費者によって誤解され(例:欧風テラスのある邸宅)、忌避され(見てくれにこだわらない質実剛健のわが家)、挙げ句には、ほとんど挑戦的ともいえる判断(例:ピンク色のマイホーム)の前...

『10+1』 No.32 (80年代建築/可能性としてのポストモダン) | pp.28-30

[CONCEPTUAL 日本建築 5]

第五章──関西普請編 | 黒沢隆

Ages of KANSA'I School of Architecture: SAMURAI culture had been grown in far east part of Japan, which fruited to SHOIN Zukuri style, and popularized over Japan under the TOKUGAWA Despotism. However, it was to be swallowed by western (KANSA'I) culture, towards modern ages. | Takashi Kurosawa

25 京間 ZASHIKI in Kyoto way measuring 関西普請は日本を席巻した 昔は、畳や襖をもって引越したものだ、そういう話を聞くことがある。 どうしてそんなことができるのか、真剣に考えこんだ建築家や工人は多いのではないか。内法高さは前章でみたように、全国的な統一があろう。だから襖や障子は可能か...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.306-319

[Urban Tribal Studies 11]

学び/まねび逸れる野郎ども | 上野俊哉

Unlearning to Raver | Ueno Toshiya

きわめて排他的に「われら」に固執する集団や個人でさえも、いくぶんかの「やつら」を内に同居させている。こうして「われら」はしかるべくみずからを欺くことになる。イデオロギーは「われら」の内なる「やつら」である。 ポール・ウィルス ひとつの語を引用するとは、その語を真の名前で呼ぶことなのである。 ヴァルター・ベンヤミン ...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.214-224

[都市音楽ノート 7]

もし今夜、ぼくが死んだら | 酒井隆史

If I Should Die Tonight | Sakai Takashi

1 たとえばディーヴァとは誰のことだろうか? ディーヴァ、つまり「歌姫」と呼ぶにふさわしい歌い手とはどんな声の持ち主なのだろうか? ただ上手ければそれで「歌姫」というわけではないだろう。音域の広い、それでいて正確な、しかも多かれ少なかれ心を揺さぶることのできるソウルフルな歌い手ならたくさんいる。すばらしいロバータ・フラ...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.34-36

[蒐集(コレクション)の曖昧な対象 5]

個室、まなざし、コインロッカー | 倉数茂

The Obscure Object of Collection 5──Private Room, Semblant and Coin-Operated Locker | Shigeru Kurakazu

1 X-CUBE(クロスキューブ)という名のコインロッカーをご存じだろうか。筆者は、先日原宿駅の構内で遭遇して、はじめてその存在を知った。昨年の九月に登場し、現在全国三〇カ所に設置されているというから、とりたてて意識はしなくとも、すでに目にされている方は多いかもしれない。 X-CUBEが従来のコインロッカーと違うのは、...

『10+1』 No.35 (建築の技法──19の建築的冒険) | pp.26-28

[デジタル・イメージ論 3]

イメージ、その欲望する「場所」 | 土屋誠一

Image: The Desiring "Place" | Tsuchiya Seiichi

考えてみれば、「デジタル・イメージ」を、自明のものとして捕らえることは可能なのであろうか。もちろんわれわれは、それを現象としては日常的に体験しているし、そのイメージが指示する対象に、少なからぬリアリティを感じてさえいる。しかし、前回述べたように、デジタル・イメージがサイバースペースの中に、亡霊的に遍在するものであるなら...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.23-25

[都市表象分析 7]

双子の死──パルチザン戦争の空間 | 田中純

The Death of Twins: Space of Partisan War | Tanaka Jun

1 非正規性のグローバル化 二〇〇一年九月一一日、アメリカ合衆国を襲った同時多発テロは、六〇〇〇人にのぼると言われる犠牲者を出し、ニューヨークとワシントンの両都市に大きな傷跡を残した。合衆国国民のみにはとどまらない犠牲者や事件に巻き込まれた人々一人ひとりの恐怖と苦痛は想像を絶している。合衆国の経済と政治(国防)の「象徴...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.2-11

[音響場試論 2]

音響技術の発達と音響場のメディア化 | 安田昌弘

The Development of Acoustic Technologies and Mediatization of the Sound Field | Yasuda Masahiro

近代メディアと社会関係の脱埋め込み化 前回はオスマンのパリ改造に象徴される都市空間の近代化が、パリをブルジョワ的な西部と庶民的な東部に分化し、同時にそこで響く音にもトポロジカルな棲み分けを産み出したことを確認した。今回は、都市空間におけるトポロジカルな音の棲み分けが、メディア技術による媒介を受けながら拡大再生産されてい...

『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.41-43

[ネット公正論──データの逆襲 1]

プロクロニスト・マニフェステーション | ドミニク・チェン

Prochronist Manifestation | Dominick Chen

最終結果だけでなく、そこへの過程も同時に示すような作品。バラバラのカードに記されたノートや、かべにうつされる図や公式とともに上演される。 過程と結果を区別することにどんな意味があるのか? ニューヨーク州バッファロー、一九六八・二・四 集団的創作は、具体的なモデルの上に作曲家・演奏家・聴衆の三つのちがう機能が結合され...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.30-38

[音響場試論 3]

RW技術の普及とローカル音響場のグローバル化 | 安田昌弘

The Spread of "Read/Write" Technologies and the Globalization of Local Acoustical Fields | Yasuda Masahiro

録音技術の普及 都市を音の響く場として捉え、さまざまな界隈で響く音の空間的な分布を、社会学的、経済学的、あるいはメディア論的な視点から分析し、パリを定点観測の軸として、都市や文化生産(消費)への理解の新たなとっかかりを見出そうというのがこのコラムの狙いであった。初回では音を囲い込み、より精度よく聴き手に向けて送り出す技...

『10+1』 No.46 (特集=宇宙建築、あるいはArchitectural Limits──極地建築を考える) | pp.38-39

[ネット公正論──データの逆襲 3]

情報生態論──いきるためのメディア | ドミニク・チェン

Information Ecology: Media to be Alive On the Extension of Individuality Thought through the Minimum Unit of Information as Multitiered Operational Closure, around the Idea of Plasticity and Prochronism. | Dominick Chen

自己とは何であり、石や水たまりのように自己をもたないものからいかにして自己が生まれるのか。「私」とは何なのか。 ダグラス・R・ホフスタッター「GEB二〇周年記念版のために」 (『ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環 二〇周年記念版』 野崎昭弘+はやしはじめ+柳瀬尚紀訳、白揚社、二〇〇五、四頁) この問いに...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.25-32

[都市の病理、心理学化する社会 7]

哲学的ゾンビの精神分析 | 斎藤環

Psychoanalyze the Philosophical Living Dead | Saito Tamaki

モジュール仮説から価値の科学へ ラカンは「無意識はひとつの言語(ランガージュ)として構成されている」と述べたように、言語に先立つ心というものを想定していない。無意識≒象徴界、すなわち「大文字の他者」は、シニフィアンの場として安定した精神の基盤を提供することができる。 ここにはひとつの逆説があると考えてよい。 いかなる人...

『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) | pp.49-51

[都市音楽ノート 1]

革命はテレビ化できない | 酒井隆史

The Revolution Will Not Be Televised | Sakai Takashi

昨年、ややハードな合州国の黒人音楽雑誌(『Vibe』一九九八年五月号)に掲載されたトニ・モリスンへのインタビューの一部である。 今、あたかも公共空間は私的であるかのように扱われています。ホームレスではなくストリートレス、こう私はそのような状況を呼んでいます。 ストリートレス──それはモリスンが「今、世界で生じている...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.39-41

[Urban Tribal Studies 17]

Tokyo Techno Tribes | 上野俊哉

Tokyo Techno Tribes | Ueno Toshiya

トライブは重なり合う。ひとりのサブカルチャー的主体(個人)は複数のトライブに帰属することができる。音楽ジャンルをとってみても、ヒップホップを愛する「Bボーイ」である者が同時にテクノやトランスのトライブに属していることは珍しくない。トライブを横断する主体はそれぞれのトライブの空間(なわばり=テリトリー)の文脈に合わせて微...

『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.202-210

[都市表象分析 12]

時を建てる──WTC、ザクセンハウゼン、伊勢神宮 | 田中純

Building a Moment: World Trade Center, Sachsenhausen, and the Ise Shrine | Tanaka Jun

 一、「アメリカのイコン」 二〇〇一年九月の同時多発テロによって崩壊したニューヨーク世界貿易センター(WTC)跡地では、二〇二年五月三〇日に犠牲者の遺体捜索と瓦礫撤去の作業打ち切りが宣言され、その終了式典がおこなわれた。これによってこの土地は、再開発へと向けて動き出すことになった。 WTC跡地利用計画の実施主体となって...

『10+1』 No.30 (都市プロジェクト・スタディ) | pp.2-12

[映像のトポス 4]

路上の馬鹿息子──機械の言説そして/または機械状のイメージ | 中村秀之

The Saphead on the Street: Machine: Discourse and/ or Mechanical Images in The Cameraman | Nakamura Hideyuki

1〈機械の言説〉──英雄的個人主義 機械は、諸言説の外部にあってそれを産出する〈現実的な〉力の源泉ないし集合であると同時に、それ自体が言説の主要な構成契機として機能する。とりわけ二〇年代にあって顕著な現象は、都市=機械という局域的な複合体が社会=機械へと全域化するという過程において、表象としての「人間」と「機械」との関...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.20-29

[Urban Tribal Studies 8]

TJの言葉はどこにあるのか?──あるいはテクスタシーの彼方に | 上野俊哉

How Does TJ speak?: Or, beyond Textasy | Ueno Toshiya

エクスタシーとテクノは情動=感情に適用されたコミュニズム(共産主義)である。 ニコラス・サンダース 彼らの恍惚に内容はない。恍惚に達すること、音楽が聴かれること、それが内容の代りだ。恍惚の対象は、それ自体の強迫的性格に他ならぬと言ってもよい。それは、打ち鳴らされる戦闘用太鼓に合わせて未開人が踊って見せる恍惚状態を真似...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.213-222

[Urban Tribal Studies 4]

ディオニュソス・グラフィティ | 上野俊哉

Deonysian Graffiti | Ueno Toshiya

UTS(Urban Tribal Studies)の構想について、ベンヤミン・ペラソヴィッチとわたしが一緒に準備してきたメモやノート、あるいは各地で交わされた討論のなかでは、すでにたくさんの語や概念があみだされている。例えば、Translocal, Trancecritic, Trancelation, Trance(...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.237-246

[Urban Tribal Studies 9]

TJの言葉はどこにあるのか? II──群衆と力 | 上野俊哉

How Does TJ Speak? II: Crowd and Power | Ueno Toshiya

今回も前回に引き続き、TJ(Text Jockey)という位置=立場について考えるために、最近出版、発表されているクラブやレイヴカルチャーについてのいくつかの著作を批判的に検討しながら議論をすすめたい。今回は特に、TJの位置をパーティに参加しているクラウド(群衆、一般にお客としてのクラバーやレイヴァーを指す俗語になって...

『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.187-198

[都市の音楽ノート 4]

わたしに必要なのはあなただけ | 酒井隆史

You're All I Need to Get By | Sakai Takashi

人生において確かなものは三つだけ ──税金、死、そしてトラブル "Trouble Man", Marvin Gaye 一九八三年二月、全米バスケット協会(NBA)のオールスター・ゲームでアメリカ国歌を歌う黒人ソウル・シンガーは、華々しくシーンの第一線に復帰したマーヴィン・ゲイであった。この出来事は「モーター・シティ」...

『10+1』 No.21 (トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ) | pp.36-38

[Urban Tribal Studies 2]

今日のシャーマニズム | 上野俊哉

shamanism Today | Ueno Toshiya

Ⅰ アムステルダムの熱帯美術館で九七年の終わりから九八年の九月まで開かれている展覧会「シベリアからサイベリアへ」は、様々な地域、民族にわたるシャーマンの文化を網羅的に紹介し、同時にいまやサイバー文化のなかにシャーマン的な実践が成立しうる、という仮説までそなえた興味ぶかい展覧会である。ここではロシアのサンクト=ペテルスブ...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.261-270

[映像のトポス 3]

群衆のなかの道化(承前)──『群衆』(一九二八)における言説とアレゴリー | 中村秀之

A Clown in the Crowd (continuation): Discourse and Allegory in The Crowd (1928) | Nakamura Hideyuki

〈都市の言説〉としてのコニーアイランド(承前) こうして、『あれ』と『スピーディ』におけるコニーアイランド(ルナ・パーク)は、「俗」のマンハッタンに対する「遊」の世界というきわめて常識的な構図のなかに登場する。しかし、かつてボードリヤールがディズニーランドとアメリカの関係について語った洒落た警句を借りるなら★一、コニー...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.27-39

[論考]

ロバート・ヴェンチューリとパオロ・ポルトゲージにおけるローマの写真 | デボラ・ファウシュ加藤耕一

Robert Venturi's and Paolo Portoghesi's Photographs of Rome | Deborah Fausch, Katoh Kouichi

「すべてはレトリックである」──ポスト構造主義者の信仰個条であるこの原理はそのルーツをモダニズムの奥深くに有している。これと反対の、モダニストたちが彼らの芸術によって結果に影響を与えようと試みる──実はこれがレトリックの原動力である──のと同時に、彼らがもち続けた歴史的あるいは芸術的真理という原理は、しかし、何が修辞学...

『10+1』 No.23 (建築写真) | pp.162-172

[論考]

ミニマリズム・ラスヴェガス・光の彫刻──「建築的美術」と「美術的建築」の連続と断絶 | 暮沢剛巳

Minimalism/Las Vegas/Light Sculpture: The Continuation and the Rupture of "Architectural Art" and "Artistical Architecture" | Kuresawa Takemi

公的領域と私的領域、ポリスの領域と家族の領域、そして共通世界に係わる活動力と生命力の維持に係わる活動力──これらそれぞれ二つのものの間の決定的な区別は、古代の政治思想がすべて自明の公理としていた区別である。    ハンナ・アレント「公的領域と私的領域」 単なる建築の域にとどまらない超建築的、アート的な都市プロジェクト...

『10+1』 No.27 (建築的/アート的) | pp.132-141

[批評]

暴力のテクノロジー | M・クリスティーヌ・ボイヤー篠儀直子

Technology of Violence | M.Christine Boyer, Shinogi Naoko

本稿は、M・クリスティーヌ・ボイヤーのCybercities最終章にあたる“Electronic Disruptions and Black Holes of the City”の中のテキスト「暴力のテクノロジー“Technology of Violence”」と題された末尾部分と、そのあとに続く本書全体の結論部分とを...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.123-136

[ヴィジュアル]

URBAN TRIBE | 今福龍太上野俊哉+井村俊義

URBAN TRIBE | Imahuku Ryuta, Ueno Toshiya, Imura Toshiyoshi

... your name? ODYSSEUS  Nobody. CYCLOPS  Where're you from? ODYSSEUS  Nowhere. CYCLOPS (Nodding)  Where are you going? ODYSSEUS  I don't ...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.147-160

[論考]

ペリフェリーの構造転換 | 上野俊哉

Structural Conversions of the Periphery | Ueno Toshiya

われわれはおそらく、ルフェーヴルによる空間の政治学に対する要求と、つまるところ、まさしくグラムシ的な建築の探求を擁護するためになにかを語らなければならないことになるだろう。 ──フレデリック・ジェイムソン「建築とイデオロギー批判」 I 多摩ニュータウンを移動していると、奇妙な空間感覚に陥いることがしばしばある。駅や...

『10+1』 No.01 (ノン・カテゴリーシティ──都市的なるもの、あるいはペリフェリーの変容) | pp.124-136

[批評]

戦線──「E1027」 | ビアトリス・コロミーナ篠儀直子

Battle Lines: E.1027 | Beatriz Colomina, Shinogi Naoko

個人の人格がこれほど多くに分裂している時代では、おそらく怒りが最大のインスピレーションである。とつぜんにひとつのものが、ひとつの要素のなかでのすべてとなるのだ アイリーン・グレイ、一九四二年 「E1027」。一軒のモダンな白い家が、フランスのカップ・マルタン[マルタン岬]のロクブルンヌという人里離れた場所で、地中海か...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.218-226

[批評]

地下と高架──擬似都市の建築 | トレヴァー・ボディ+末廣幹

Underground and Overhead:Building the Analogous City | Trevor Boddy, Suehiro Miki

街路の歴史は文明と同じくらい古く、ありとあらゆる人の接触、摩擦、寛大さとともに、人間のつくりだしたほかのもの以上に、公的な生活というものを象徴してきた。だから、誰も街路が影響を受け易く、脆いものだと考えはしなかったであろう。だが北アメリカ全土にわたって、ダウンタウンの道路は、今やゆっくりと、静かに、しかしながら効果的に...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.147-169

[批評]

ヨーロッパの都市の倫理 | ポール・トレノア加藤茂生

An Urban Ethic of Europe | Paul Treanor, Kato Shigeo

要旨 ヨーロッパには、都市に適用されるいくつかの規範的な原則、すなわち「都市の倫理」がある。それによって、ある都市が存在し、そうでない都市が存在しないのはなぜか、という理由を説明できるのである。原則の主なものは次の三つである。都市の近代性としての「脱都市化」。国民国家によって一律に覆われているヨーロッパにおいて、都市が...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.185-199

[批評]

シンク(sink)にて──アブジェクシオンの建築 | ナディール・ラーイジD・S・フリードマン五十嵐光二

At the Sink: Architecture in Abjection | Nadir Lahiji, D.S. Friedman, Igarashi Koji

しかし建築においては錘線器だけでは十分ではありません。例えば水準器等の他の道具も必要です。まあそれでも錘線器であるとしても悪くはありません。それがあれば幾つかの問題の鉛直線を定めることはできますから。 ジャック・ラカン『セミネールI』 「フロイトの技法論」一九五三─五四  《サヴォワ邸》[図1]のエントランス・ホール...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.100-119

[論考]

ちょっとした戸惑いを刺激として──アムステルダムとロサンゼルスの同時代の比較★一 | エドワード・ソジャ加藤政洋

The Stimulus of a Little Confusion:A Contemporary Comparison of Amsterdam and Los Angeles | Edward W. Soja, Masahiro Kato

この愉快な国で一般的な見世物を構成するこうした要素のすべてが、少なくとも習慣となっている型どおりの考え方にちょっとした戸惑いを刺激としてあたえ、独自の気風に関係していることを感じさせるのだ。     Henry James, “Experiencing the Netherlands”     in   Transat...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.146-155

[論考]

醜くて平凡──日常の表象 | デボラ・ファウシュ篠儀直子

Ugly and Ordinary: The Representation of the Everyday | Deborah Fausch, Shinogi Naoko

客観主義は社会的世界を、観察者に提示されるスペクタクルとして構築する。観察者はアクションに対する「視点」を取り、それを観察できるよう退いている者たちであって、そうして彼は対象に対する自分の関係をその対象へと転嫁し、認識のみを目的とした全体としてこれを把握するのだが、そこにおいてはすべてのインタラクションは象徴交換へと還...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.156-175

[批評]

空間から場所へ、そして場所から空間へ──ポストモダニティの条件についての考察 | デイヴィッド・ハーヴェイ加藤茂生

From Space to Place and Back Again: Reflections on the Condition of Postmodernity | David Harvey, Kato Shigeo

僕はニュージャージー高速道路を走る車を数える 彼らはみんなアメリカを探しに行った みんなアメリカを探しに行った サイモン&ガーファンクル はじめに 『ポストモダニティの条件』(ハーヴェイ、一九八九、三五五頁)の結論部において、私は歴史的唯物論とマルクス主義に想定されている危機を乗り越えるための四つの方針を提示した。そ...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.85-104

[論考]

漂流とシチュアショニストのパリ | トマス・マクドナウ暮沢剛巳

The Dérive and Situationist Paris | Tomas McDonough, Kuresawa Takemi

一九五七年、シチュアショニスト・インターナショナル創設の前夜、ギー・ドゥボールは二つの異色なパリの地図を制作した。彼の友人でもあったデンマーク人画家のアスガー・ヨルンの助力を得て作られた『恋愛の情熱についてのディスクール』は独特の折り畳み地図であり[図1]、一方の『ネイキッド・シティ』[図2]はヨルンの一九五八年のパン...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.85-92

[フィールドワーク]

トーキョー・サイレンス──都市の耳の0度 | 庄野泰子長村貴之野崎祥子長壁純子

Zero Degree of the Urban Ear Tokyo Silence | Taiko Shono, Takayuki Nagamura, shoko Nozaki, Junko Osakabe

頭上には六車線道路、左右は工事現場という膨大なノイズで満たされた空間──この写真から、この場の轟音が聴こえるであろうか。 可視領域と不可視領域のズレ、隠れた接合部、線的ではない多次元的な移動。音を通して都市に立ち会うとき、視覚・聴覚・身体的なノイズで覆われていた都市の構造が顕わになる。ここでは、その音による都市の読み取...

『10+1』 No.24 (フィールドワーク/歩行と視線) | pp.56-69

[批評]

鏡像──第二次世界大戦以降のアメリカ建築における、技術、消費とジェンダーの表現 | ジョアン・オックマン赤川貴雄

Mirror Images: Technology, Consumption, and the Representation of Gender in American Architecture since World War II | Joan Ockman, Akagawa Takao

二つのよく知られたイメージが、第二次世界大戦後の初めの一〇年期におけるアメリカ建築を定義すると言ってよいのではないだろうか。ひとつは、インターナショナル・スタイル・モダニズムのイコンであり、アメリカの企業資本主義の顔である、《レヴァー・ハウス》[図1]。もうひとつは郊外の核家族家庭の、社会的には伝統的で美的感覚としては...

『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) | pp.171-179

[批評]

民主主義の曲がり角──ホームレス・ノワールについて | ディーン・マッカンネル篠儀直子

Democracy's Turn: On Homeless Noir | Dean MacCannell, Shinogi Naoko

保護される場(シェルター)は、ある性と別の性とのあいだに存続可能な節度ある関係が確立される場であればすべて、家父長制の隠喩として知られるあの媒体による(…中略…)干渉を必然化する。 ──ジャック・ラカン『セミネールXI』 フィルム・ノワールにおいては、アメリカの都市のプロレタリア的および準プロレタリア的な地域はある種...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.180-194

[批評]

古典の発見──ジャンヌレのミメーシス | 中村貴志

Journeys of Jeanneret: Toward the Classic Origins | Nakamura Uzushi

アリストテレスもマルクスも、建築術について異口同音に述べている──「建築家は、まず、心のなかに建てる」。 しかし、このような「心のなかの建築」は、けっしてアプリオリの所与ではない。建築の観念もそれを実現する主体も、歴史的に形成されるものである。ル・コルビュジエの制作世界も、西欧の歴史に深く投錨されていた。科学技術の時代...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.113-122

[批評]

帝国の風景 | W・J・T・ミッシェル+篠儀直子

Imperial Landscape | W J T Michell, Shinogi Naoko

風景画についてのテーゼ 1 風景画とは、芸術ジャンルではなく媒体である。 2 風景画とは、人間と自然との、自己と他者との交換のための媒体である。したがってそれは貨幣に似ている。それ自体では意味を持たないが、価値の潜在的無限性を表現しているものである。 3 風景画とは、貨幣と同様、その価値の現実的な基盤を隠蔽する社会的ヒ...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.149-169

[論考]

西山夘三と日本における西洋理論の伝播 | カローラ・ハイン佐藤美紀

Nishiyama Uz*** and the Spread of Western Concepts in Japan | Carola Hein, Sato Miki

日本を訪れた者は、現代の日本の都市はカオスであり、中には実にすばらしい建築があるにもかかわらず、全体的に美しくデザインされていないと感じるはずだ。   これは最近の意見ではなく、早くも一九三六年にブルーノ・タウトが述べたものである★一。日本の都市空間を理解せずに西洋の理論を押し付け、日本の都市環境を「改善」しようと試み...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.143-148

[批評]

ポスト・バウハウス──拡散する情報身体としての現在 | 四方幸子

Post -Bauhaus:The Spreading InfoBody | Shikata Yukiko

...みならず、それらを支援するアムステルダムのPress NowなどのNGOにも資金援助を行なっている。ソロスの... ...とするアクティヴィティである。具体的には、Press NowをはじめとするNGO、またDe Waag(Society for Old and New M...

『10+1』 No.17 (バウハウス 1919-1999) | pp.166-173

[論考]

住宅のなかのガレージ | ドラモンド・バックリー篠儀直子

A Garage in the House | Drummond Buckley, Shinogi Naoko

一九七六年の論文「ガレージの家庭内化」のなかで、J・B・ジャクソンは、アメリカにおける自動車の収容のヴァナキュラーな伝統の概略を描いた。彼はガレージの歴史を独立した三つの時代に区分する。 一、ロマンティック・ガレージ:屋敷と同じくらいこれ見よがしなもので、初期のモータリストたちが遊び用である高価な乗り物を停めていたとこ...

『10+1』 No.18 (住宅建築スタディ──住むことと建てることの現在) | pp.184-193

[論考]

第三日本という墓碑銘──日本工作文化連盟の視座と射程 | 矢代真己

Epitaphs for the Third Nippon: The Views and Parameters of the Nippon Plastic Culture Association | Yashiro Masaki

一九三六年に結成された「日本工作文化連盟」は、日本における近代建築運動の先駆けとなった分離派建築会の中心人物である堀口捨己から、戦後の建築界を牽引することになろう丹下健三まで、広範にわたる世代の会員、約六〇〇名を参集させた一大組織であった。 「生活の全的な立場」を主題に、建築を含めた造形行為全般を「工作」と捉えることで...

『10+1』 No.20 (言説としての日本近代建築) | pp.130-142

[批評]

日常性と「他者」の空間 | メアリー・マクレオード+佐藤美紀

Everyday and "Other" Spaces | Mary McLeod, Sato Miki

「現在最も熱狂的に受け入れられている建築理論と言えば、「他者」と「他者性」というコンセプトである。『Assemblage』、『ANY』などの出版物や、プリンストン、コロンビア、SCI-Arc、AAスクールといった建築教育機関と関わりをもつことの多い、いわゆるネオ・アヴァンギャルドと呼ばれる建築家と批評家は、何らかのかた...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.188-205

[翻訳]

スーパーモダニズム | ハンス・イベリングス佐藤美紀

Supermodernism | Hans Ibelings, Sato Miki

一九八八年、ニューヨーク現代美術館(MoMA)は、最新の建築潮流としてディコンストラクティヴィスムの展覧会を開催した。一九三二年の「近代建築」展以来、MoMAの建築展はすべて重要なサインとして、そこで扱われた建築運動や潮流の意義を保証し、公認するものと見なされてきた。また「近代建築」展で最初の成功をおさめたフィリップ・...

『10+1』 No.19 (都市/建築クロニクル 1990-2000) | pp.181-191

[批評]

テクトニック、という視座をめぐる省察 | ケネス・フランプトン南泰裕

Reflections on the Scope of the Tectonic Kenneth Frampton | Kenneth Frampton, Minami Yasuhiro

現代建築の歴史は必然的に多様なものであり、雑多ですらあるだろう──建築そのものから離れた、人間的な環境を形成するための構造の歴史。そしてそれらの構造を統制し方向づけようとする歴史。そうした試行の政策や方法を考案しようとした知識人たちの歴史。完全で明確な言葉へと辿り着くことを断念した、新しい言語についての歴史。これらの歴...

『10+1』 No.16 (ディテールの思考──テクトニクス/ミニマリズム/装飾主義) | pp.129-154

[批評]

非環境破壊性・複合性・サイバースペースに関する現代理論の収束──建築はどこへ行くのか | マニ・ラストラージ+横山亮

The Convergence of Contemporary Theories of Sustainability, Complexity, and Cyberspace: Where is Architecture Heading? | Manit Rastogi, Yokoyama Ryou

本稿では、本質的に異なると思われるような三つのテーマをとりあげる——すなわち、社会的に目覚めつつあるエコロジカルな意識、複 合 性(コンプレクシテイ)に関するニューサイエンスがきりひらいた新空間、そして、コンピュータ・テクノロジーという環境が社会と文化にもたらす影響。本稿は、この三つのテーマを収束させることにより、応用...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.104-119

[批評]

サイバーシティという想像的な現実の世界──電子コミュニケーション時代の都市 | M・クリスティーヌ・ボイヤー毛利嘉孝

The Imaginary Real World of CyberCities: The City in the Age of Electronic Communication | M.Christine Boyer, Mori Yoshitaka

ウィリアム・ギブスンが、そのディストピア(反ユートピア)的なSF小説『ニューロマンサー』(一九八四)の中で、サイバースペースと呼ばれる新しい情報ネットワーク、あるいはコンピュータ・マトリクスが上空五◯◯◯フィートから見たロサンゼルスのように見える、と言った時以来★一、コンピュータ・ネットワークのヴァーチュアル・スペース...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.92-108

[フィールドワーク]

多数性としての東京──21世紀における都市空間の遷移をめぐって | 南泰裕国士舘大学南研究室

Tokyo as Multiplicity──Transition from 2007 to 2100 | Minami Yasuhiro, Kokushikan Univ., Minami Lab.

不可視の領域である皇居と、それを円環状に取り巻く都市域によって、長らく「空虚の中心」(ロラン・バルト)としてイメージされてきた東京の都心。この特異な領域をめぐって、ヨーロッパの国際建築展において与えられた“urban voids”なる概念をスプリングボードとしつつ、ここで都市イメージの更新を試みる。すなわち、広大で不可...

『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) | pp.181-192

[論考]

認知地図 | フレドリック・ジェイムソン+太田晋

Cognitive Mapping | Fredric Jameson, Ohta shin

これから語ろうとすることについて、私は何ひとつ知ってはいない──それが存在していないということを除いては。新たなる美学の素描だの要求だの予告だのといった事柄は、一般に芸術家の実践において、自らの作品のオリジナリティを主張するマニフェストにおいてなされることである。もしくは、根本的に新しいものの覚醒や創発を自ら目の当りに...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.74-84

[批評]

リデンプション・ソング──海賊と資本主義 | 上野俊哉

Redemption Song : Pirate and Capitalism | Ueno Toshiya

I Old pirates yes they rob sold I to the merchant ships Minutes after they took I from the Bottom less pit             Redemption Song        ──Bob Marley ボブ・マ...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.210-223

[批評]

ミランダの日記 | ココ・フスコ+井村俊義

Mirandaユs Diary | Coco Fusco, Imura Toshiyoshi

アメリカ人は私によくこう尋ねる。なぜキューバ人は、亡命している者も国内にいる者も、キューバのことだとすぐに感情的になってしまい、議論はそんなに分裂してしまうのか、そしてなぜ私たちの感情は三三年もたっているのに当時のままなのか、と。私はそれにはこう答えることにしている。「私たちはいつも、もっとも愛している人々を相手に戦っ...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.111-127

[批評]

「節合」する都市論──アーバン・スタディーズからカルチュラル・スタディーズへ | 毛利嘉孝

On the Articulated City: From Urban Studies to Cultural Studies | Mori Yoshitaka

一九七六年夏、ノッティングヒル・カーニバル。その翌日の新聞は、この年のカーニバルを「この夏一番暑い日」と報じた──。 八月の最終週のバンク・ホリデイを含む二日間、ロンドン市内の北西部のノッティングヒル・エリアではヨーロッパ最大のカリビアンのカーニバルが開催される。ハイドパークの半分にも満たない面積のこの地域に最近では二...

『10+1』 No.07 (アーバン・スタディーズ──都市論の臨界点) | pp.141-153

[論考]

空間の政治学──文化研究における空間の諸概念について | 上野俊哉

The Politics of Space: On Several Concepts of Space in Cultural Studies | Ueno Toshiya

今日の都市におけるダブルバインド的な状況は、たとえば以下のような仮説的なモデルでおさえることができる。 グロ─バリゼ─ションとトライバリゼ─ション 同質化と雑  種(ハイブリツド)化 全体化とディアスポラ ナショナリズムの復活とエグザイル化 ジェントリフィケ─ションと窮乏化 情報化と非情報化 それぞれの項目は緊密に...

『10+1』 No.04 (ダブルバインド・シティ──コミュニティを超えて ) | pp.33-51

[批評]

地図のない都市 | イアン・チェンバース遠藤徹

Cities wihtout Maps | Iain Chambers, Toru Endo

...ice, 1991,p.21. ★三二──V.S.Naipaul, India. A Million Mutinies Now, London, Minerva, 1990, p.347. 著者はカルカッタについ...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.105-120

[批評]

政治と空間/時間★一 | ドリーン・マッシー篠儀直子

Politics and Space/Time | Doreen Massey, Shinogi Naoko

「空間」についての議論が最近盛んだ。まず、われわれの時代においての空間の意義が、さまざまなところで宣言されている。「結果を隠蔽するのは時間ではなく空間である」(バーガー)、「空間の作り出す差異」(セイヤー)、「ポストモダンという時代に含意されている新しい空間性」(ジェイムソン)、「現代資本主義において明らかに重要な要素...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.121-137

[情報空間の地理学 5]

都市をめぐる二つのSF──サイバーパンクとヒップホップ | 毛利嘉孝

On Two Science Fictions of the City: Cyberpunk and Hip Hop | Mori Yoshitaka

サイバーパンクという八〇年代の中期に現われた近未来イメージが、八二年のリドリー・スコットの映画『ブレードランナー』と八四年のウイリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』によって決定づけられたことに異論のある人はいないだろう。そして、この二つの作品が新しい美学を提出したとしたら、それはまさに都市の描写においてであった★...

『10+1』 No.09 (風景/ランドスケープ) | pp.35-38

[情報空間の地理学 6]

サイバースペースの「第三の空間」──空間における権力の「再生産」と「交渉」 | 毛利嘉孝

The Power of "Reproduction" and "Negotiation" at the Thirdspace of Cyberspace | Mori Yoshitaka

サイバースペースの考察は「空間」の概念の再定義を要求する。一度でも実際にインターネットに触れた人ならすぐに気がつくことだが、コンピュータの画面に現われる世界は紙芝居にも似た平面的な世界で、「空間」の本来持つべき特性、深み、距離感、物質感をことごとく欠いている。にもかかわらず、それはサイバースペース(=サイバーな空間)と...

『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) | pp.41-42

[知の空間=空間の知 7]

死体と去勢──あるいは「他なる女」の表象 | 松浦寿輝

Corpse and Castration: Or the Symbol of the "Feminine Other" | Matuura Hisaki

ファロスとしての「知」 これは必ずしもわれわれがここで論じている一九世紀西欧という特定の歴史的文化圏に限ったことではなかろうが、「知」の主体としての「人間」と言うとき、その「人間」という言葉がインド=ヨーロッパ系の言語ではしばしば自動的に「男」を意味するという事実それ自体によっても示唆されるように、少なくとも共同体の成...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.2-15

[知の空間=空間の知 4]

記憶の終着駅型──オルセー美術館の廃墟の記憶 | 松浦寿輝

The Last Stop of Memory: Memories of the Ruins of the Musee d'Orsay | Matuura Hisaki

炎に包まれるオルセー パリを燃やしてしまえ。日に日に「現代化」しつつある一八八〇年代末のフランスの首都に、「現在」への屈折した憎悪を抱えこみつつ暮らしていた奇矯な作家が、文化状況を論じた時評的なエッセーの一節に、ふとこんな呪詛を書きつける。「証券取引所も、マドレーヌ寺院も、戦争省も、サン=グザヴィエ教会も、オペラ座も、...

『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) | pp.2-15

[建築の言説、都市の言説 2]

計画者のテクスト──ケヴィン・リンチのDuplex-Complex | 大島哲蔵

A Planner's Text: Kevin Lynch's "Duplex Complex" | Oshima Tetsuzo

心血を注いだテクストの出版を目前に著者が亡くなるというドラマは、死神の非情さを思い知らされるが、ゆかりの者が手を尽くして故人が浮かばれる形で出版に漕ぎつけたなら、それは何よりの追悼となるに違いない。ケヴィン・リンチの遺著となった『廃棄の文化誌』(工作舎、一九九四年)は彼の死後にMITでの生徒だったマイケル・サウスワース...

『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) | pp.28-30

[都市論の系譜学 3]

批評の離散 | 上野俊哉

The Dispersion of "Criticism" | Ueno Toshiya

1 ここに都市と建築についてのいくつかのテーゼの断片がある。 「SIの最小限綱領は、完全な生の舞台装置(デコール)を実験すること──(…中略…)」。 「統一的都市計画とは、すべての領域で、最も進化した概念にしたがって、意識的に、人間の環境を創造しなおす、複合的で、永続的な活動として定義される」。 「居住、流通、およびリ...

『10+1』 No.03 (ノーテーション/カルトグラフィ) | pp.263-274

[情報空間の地理学 1]

都市の中のサイバースペース、サイバースペースの中の都市──「デュアル・シティ」を生み出す概念装置 | 毛利嘉孝

SpaceCyberspace in the City and Cities in Cyberspace: Conceptual Tools for Creating "Dual Cities" | Mori Yoshitaka

サイバースペースと都市。この二つの領域は、ここにきてますます交錯しつつある。しかし、このことは、コンピュータ・ネットワークの中に都市的な環境ができつつあるということを意味しているわけではない。むしろ事態は逆で、サイバースペースと都市の関係が論じられれば論じられるほど、サイバースペースの内部に都市的なものが現状のところ存...

『10+1』 No.05 (住居の現在形) | pp.36-38

[論考]

クリケット群島(続) | 今福龍太

Cricket Archipelago (Part 2): C. L. R. James, Trobrianders, and Sea Amateurs | Imahuku Ryuta

トロブリアンド・クリケット トロブリアンド諸島 1914 ニューギニア北東部の太平洋上に点在する小さな群島に居住するパプア=メラネシア人のあいだで「クラ」と呼ばれている特異な交易の形態に着目し、二〇世紀人類学の曙光を告げる記念碑的著作『西太平洋の遠洋航海者』(一九二二)を書いたブロニスラフ・マリノフスキーが、彼の他の民...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.192-198

[知の空間=空間の知 8]

スペクタクルとしての動物──動物園というイデオロギー装置 | 松浦寿輝

Animal Spectacle: The Zoo as an Ideological Apparatus | Matuura Hisaki

けだものが脱走する 一八五〇年三月二〇日の夜更け、パリ植物園附設の動物園(La Ménagerie)の檻から、一頭の巨大な狼が脱走する。鎖を引きちぎり庭園の暗がりの中に駆けこんだ獰猛な野獣を捕獲すべく、銃で武装した捜索隊がただちに編成される。だが、現在のように至るところ庭園灯で煌々と照明されているわけではない時代のこと...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.2-17

[Urban Tribal Studies 1]

アーバン・トライブとは何か?──グローバリゼーションとトライバリゼーションの往還の地平 | 上野俊哉

What Is Urban Tribe ?: The Interactive Horizons of Globalization and Tribalization | Ueno Toshiya

文化研究やメディア研究、都市研究の現状に満足できない者として、ここに別の視点からの提案をしてみたいと思う。いま、なぜ文化研究の状況に不満を感じるかについてはここではくわしく言わない。それは、この連載のなかで明らかにされるにちがいない。少なくとも、ディック・ヘブディッジがノッティング・ヒル地区の黒人暴動とレゲエ(およびダ...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.225-234

[Urban Tribal Studies 3]

トランスクリティックとエスノグラフィ | 上野俊哉

Trancecritique and its Ethnography | Ueno Toshiya

アーバン・トライバル・スタディーズ(UTS)にとって「調査」や事実や現象の記述とは、どのようなものであるのか? また、それはこれまでの社会学や文化研究における様々なエスノグラフィックな試みをどのように引き受けているのだろうか? このことを考えてみたい。 当然のことだが、UTSが相手にする「都市の部族」は社会のアンダーグ...

『10+1』 No.15 (交通空間としての都市──線/ストリート/フィルム・ノワール) | pp.254-262

[ラディカリズム以降の建築1960s-1990s 1]

ヴィリリオ/パランからジャン・ヌーヴェルへ──転回点としての一九六八年 | 五十嵐太郎

From Virilio/Parent to Jean Nouvel: Turning Point 1968 | Igarashi Taro

一九四五年、二〇世紀前半のテクノロジーを最大限につぎ込み、全人類の抹殺可能性さえも示すことになる第二次世界大戦が終結した。 同年、歴史上初めて光線兵器(原爆)が使用されたことにより、人類は「個としての死」から「種としての死」(A・ケストラー)を予感するようになった。 当時まだ一〇代の少年だったポール・ヴィリリオは、この...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.213-224

[非都市の存在論 9]

奇妙な天使たち──〈言葉なきもの(インファンス)〉の都市 | 田中純

Angels of the Odd: The City of "Infans" | Tanaka Jun

あのころ、早くも私たちの街は慢性的な薄暮の灰色のなかにますます沈みがちになり、街を取り巻くあたりは、暗黒の湿疹、綿毛の生えた黴、鉄色の苔で覆われていった。 ブルーノ・シュルツ「魔性の訪れ」★一 1 商品フェティシズムの宇宙 クエイ兄弟の人形アニメーション映画『ストリート・オブ・クロコダイル』(一九八六)では、〈木製の...

『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) | pp.12-24

[情報空間の地理学 8]

「接続」でなく「切断」を──グローバライゼーションと知識の生産の一元化に抗して | 毛利嘉孝

Not an "Interconnected" but "Monadic" Network: Resisting the Uniformity of Globalization and Knowledge | Mori Yoshitaka

つい先日、「明治初期の知識人の言説における人種の問題」に関する論文を書き英国の大学で博士号を取得した友人が、ニュージーランドの大学に就職することが決まった。彼女はインターネットを通じて公募を知り、メールで願書と既発表の論文を送付し、電話でインタビューを受け(大学側の電話は複数の人間が同時に参加できるような仕組みだったら...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.39-41

[東京ディズニーランドの神話学 4]

ディズニーランドという「日本文化」 | 桂英史

The Disneyland That Is "Japanese Culture" | Katsura Eishi

天国の住人 小島信夫は、昭和三三(一九五五)年に『アメリカン・スクール』で芥川賞を受賞し、「第三の新人」として脚光を浴びた作家のひとりである。『アメリカン・スクール』のみならず、『抱擁家族』といった代表作にあっても、物語の展開に「アメリカ」が重要な役割を果たしている★一。 彼らがこうして辿りついたアメリカン・スクール...

『10+1』 No.12 (東京新論) | pp.201-210

[都市論の系譜学 2]

批判の切断 | 上野俊哉

"Criticism"at a Critical Dvide | Ueno Toshiya

「アーバニズム」(都市論=都市計画)とは都市が抑圧し、排除し、外部化してしまった何ものかの投射、射影ではないだろうか? 一般に「アーバニズム」は、われわれが都市について考え、あるいは語るさいにその形式として機能する。この言葉が明確な定義なしでも機能しうるのは、それじたいが「都市」の概念を生産し、使用させるフレームでもあ...

『10+1』 No.02 (制度/プログラム/ビルディング・タイプ) | pp.274-285

[論考]

コレオグラフィとしての都市・東京 | 木村覚

Tokyo: City as Choreography | Satoru Kimura

待て スーパーラット 僕達は敵ではないChim↑Pomだ! 全てが言い訳がましく響く夜の日本のセンターで 僕達は作品を作るべく 夢とねずみを追いかけた (Chim↑Pom『スーパー☆ラット』展の宣言文より) 踊るリアルなピカチュウ Chim↑Pom(チンポム)★一制作によるそれを目にしたのは、今年三月にアサヒ・アー...

『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) | pp.93-101

[翻訳]

住まうことの快楽 | アンヌ=マリー・シャトレモニク・エレブ五十嵐光二

Le Plaisir d'Habiter | Anne-Marie Châtelet, Monique Eleb, Igarashi Koji

空間の知覚と使用 感覚や知覚、あるいは運動といった次元を通じてであるにしろ、空間の身体的な大きさを考察の中に取り入れている建築家たちもいる。つまり空間の知覚に対する知が根底にはあり、それはこの複合的な問題について次のように書くCh・ド・ポルツァンパルクにおいてのみ明確に示されるようなものである。「建てられたものは、物体...

『10+1』 No.26 (都市集住スタディ) | pp.128-144

[翻訳論文]

わたしはビデオカメラである | フィリップ・タボール加藤政洋

I Am a Videocam | Philip Tabor, Masahiro Kato

建築は死んだ。わたしはその死亡記事を読んだのである。ひとりの文化分析者が「建築─彫塑の時代を経て、今やわたしたちは映写的な作為性の時代にいる……これからの建築は単なる映画にすぎない」と書いているのだ★一。あるいは、建築を「見世物の半電子的な視覚標識」と呼ぶ者たちもいる。しっかりと場所に固定されて不活発であるため、エーテ...

『10+1』 No.33 (建築と情報の新しいかたち コミュニティウェア) | pp.163-171

[翻訳論文]

ナイト・ディスコース──ストリートにおける意味の生産と消費 | ティム・クレスウェル日比野啓

Night Discourse: Producing/ Consuming Meaning on the Street | Tim Cresswell, Hibino Kei

建造環境が建造されるのは建造を許可されたからである。建造環境が建造を許可されたのはそれが制度ないしは支配的文化を表象し反映しているからである。建築物の予算がパブリック・アートの予算の一○○倍あるのは、建築物が仕事と生産物とサービスを提供しそれは市の財源を増加させるからである。パブリックアートは二級市民のように、裏口から...

『10+1』 No.34 (街路) | pp.137-148

[論考]

ちょっとした戸惑いを刺激として(承前)──アムステルダムとロサンゼルスの同時代の比較 | エドワード・ソジャ加藤政洋

The Stimulus of a Little Confusion: A Contemporary Comparison of Amsterdam and Los Angeles (Sequel) | Edward W. Soja, Masahiro Kato

スパイストラートを離れて アムステルダムに生まれ育った人は誰しも、環状の運河に閉じ込めようとする動きと、この都市から外に向かう道路を使って中心を離れ去ろうとする動きで緊張した区域のなかに彼自身((ママ))を必ず見出すことになる。この緊張に満ちた区域にあっては、都市の主要な地区さえ知ることはできないであろうし、なおもア...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.151-168

[論考]

安全のランドスケープの創造 | シャロン・E・サットン篠儀直子

Creating Landscapes of Safety | Sharon E. Sutton, Shinogi Naoko

「夢のなかの散歩」チェスター(五年生) ある日ぼくは近所の、こわくて汚くていやなにおいのする、さびれたところを歩いていました。通りでは人がケンカしたり殺されたり、撃ち合ったりしていました。人が撃たれるたびに叫び声や悲鳴が上がりました。子どもが撃たれたのでお父さんお母さんが泣いていました。この危ない場所を離れようとして...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.106-114

[批評]

作家のラティテュード(緯度=自由度) | 今福龍太カレンてい山下宮田和樹

An Author's Latitude──Toward a New Literary Geography | Imahuku Ryuta, Karen Tei Yamashita, Miyata Kazuki

ラテンアメリカ化するロサンジェルス 今福──「新しい地理学」をテーマに『10+1』が特集を組むときいて、ちょうどいま日本に滞在しているあなたと少しあらたまって対話ができたら、と思って今日は来ていただきました。この秋にアメリカのコーヒーハウス社から刊行されるあなたの新作小説『オレンジ回帰線』は、今日の鋭敏な社会科学者が直...

『10+1』 No.11 (新しい地理学) | pp.158-172

[ダイアローグ]

趣味のランドスケープ──オタクカルチャー新論 | 香山リカ森川嘉一郎

"Community of Interest" Landscape :The New Theses of Otaku-Culture | Rika Kayama, Morikawa Kaichiro

趣味の都市──秋葉原 森川嘉一郎──話の枕として、ここ二、三年私が行なってきた若者の個室の実態調査について少しお話しします。一〇代の後半から二〇代にかけての人たちが、どんな趣味(テイスト)を自分の部屋に反映させているのか、またそうした趣味がどのように形成されているのかという研究です[図1a]。従来社会学などでは、父親の...

『10+1』 No.25 (都市の境界/建築の境界) | pp.48-61

[論考]

万博と国民国家──「もう一つの万博 ネーション・ステートの彼方へ」のために | 渡辺真也

EXPO and the Nation-State: For the Exhibition"Another Expo-Beyond the Nation-States" | Shinya Watanabe

私の目的は、万博の根本原理である国民国家に囚われない、自由な美術展を創造することにある。 万博と国民国家 アメリカの参加が意味するもの クレオール文学者のモーリス・ロッシュは、一九世紀に始まった万博は、西欧の都市国家から国民国家へ、そして市場経済形成へと近代化していく変遷の過程の産物であったとしている★一。一八七〇年...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.116-124

[論考]

万博・待訪録 | 内田隆三

EXPOs Marched Past ? | Uchida Ryuzo

1 万博──政治経済学の系譜 一八五一年のロンドン以来、万博──万国博(exposition universelle)、国際博(international exhibition)、世界博(world fair)等々──は「進歩の時代」を象徴するイヴェントとして幾度となく開催され続けてきた。この進歩の時代を眺めると、万博...

『10+1』 No.36 (万博の遠近法) | pp.178-186

[翻訳]

余剰人類? | マイク・デイヴィス篠原雅武

A Surplus Humanity? | Mike Davis, Masatake Shinohara

...oted in Browder and Godfrey, Rainforest Cities, p.132). ★四──Snowden, Naples in the Time of Cholera, Cambridge 1995, pp.35-36. ★五...

『10+1』 No.45 (都市の危機/都市の再生──アーバニズムは可能か?) | pp.121-137

[論考]

都市再生論のなかで建築はどのように見えますか? | 太田浩史

How does Architecture Appear in Urban Renewal Theory? | Ota Hiroshi

一〇〇都市めの中間報告 『10+1』No.31「特集=コンパクトシティ・スタディ」のリサーチで、タイの一〇万人都市ナコン・パトム(Nakhon Pathom=最初の街)を訪れてから五年が経った。その間、日本の三八都市、海外の六二都市を見て回り、それぞれの都市における課題と、そこで要請されている建築の役割を調べてきた。費...

『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32) | pp.122-123

[論考]

ジャン・プルーヴェの工場製・組立住宅における実験的試み | 山名善之

Jean Prouvé's Experimental Built-up House as Factory Products | Yoshiyuki Yamana

二〇世紀という工業化の時代を生き抜いたジャン・プルーヴェ(一九〇一─一九八四)がコンストラクター(建設家)として、マレ・ステヴァンス、トニー・ガルニエ、ボードワン&ロッズ、ル・コルビュジエなどフランス近現代建築史を代表するさまざまな建築家とコラボレートし、数々の建築や家具の「名作」を遺したことはよく知られている。しかし...

『10+1』 No.41 (実験住宅) | pp.90-97

[論考]

動物化するグラフィティ/タトゥー 都市/身体の表面への偏執 | 南後由和

Animalizing Graffiti / Tattoos: Paranoia on the Urban / Body Surface | Yoshikazu Nango

1 背景 日本では、九〇年前後から横浜市中区、旧東急東横線の桜木町駅─高島町駅間約一・四キロメートルに及ぶ高架下の壁面に多くの若者が競い合って「グラフィティ(graffiti)」を描くようになり、桜木町はグラフィティの「聖地」とまで言われるようになった[図1]★一。九〇年代半ば以降は、同所に限らず、鉄道・車道沿線、看板...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.144-155

[論考]

東京ファンタスマゴリー クラブ・カルチャーと都市 | 秋元健太郎

TOKYO Fantasmagorie: Club Culture and City | Kentaro Akimoto

序 東京にクラブとよばれる空間が、都市に穿たれた穴のように点在している。 一九八九年、現在に直接つながるクラブ、芝浦GOLDが出現した。九〇年代前半、バブル最後の仮象をはなったジュリアナ東京などの大型ディスコと入れ替わるようにして、クラブは増殖していく。その後、ハウス、テクノ、ヒップ・ホップ、トランス、レゲエなどへ細分...

『10+1』 No.39 (生きられる東京 都市の経験、都市の時間) | pp.92-99

[翻訳]

広場恐怖症 都市空間の精神病理学 | アンソニー・ヴィドラー川田潤

Agoraphobia: Psychopathologies of Urban Space | Anthony Vidler, Jun Kawata

一九世紀末にヨーロッパの大都市が急成長し、伝統的な都市は  大  都  市  (グロース・シュタット)あるいはメトロポリスとして知られる都市形態に変わった。この変容によって、モダニズムと前衛というきわめて重要な文化が生み出されただけでなく、社会学、心理学、政治地理学、精神分析といった新しい学問分野に基づいた、新しい都市...

『10+1』 No.40 (神経系都市論 身体・都市・クライシス) | pp.80-99

[CONCEPTUAL 日本建築 3]

第三章──成立編 | 黒沢隆

Toward off shoes floor civilization: A historic review | Takashi Kurosawa

13  一堂一室   Plan was the plot: 'ARCHITECTURE' was brought within proselytism 布教を鍵に文明はもたらされる 面積で世界最大といわれる仁徳陵は、おそらく五世紀はじめにできた。九州政権にすぎなかった天孫族勢力(倭(わ))が瀬戸内海を渡って難波(なに...

『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) | pp.194-207

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