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建築の現場・歴史・技術 | 石山修武
Site, History and Technology of Architecture | Ishiyama Osamu
掲載『10+1』 No.38 (建築と書物──読むこと、書くこと、つくること) pp.96-97

研究室の学生を建築現場で教えて大学に戻ったところだ。建築現場と言っても貸アパートと個人住宅の複合小建築。施主が住宅部分の内装と屋上部をセルフビルドする建築の現場である。教育と言っても、セルフビルドとは何か、クロード・レヴィ=ストロースの言うブリコラージュとの関連は、とか、ヘンリー・デヴィッド・ソーローの『森の生活──ウォールデン』(神吉三郎訳、ワイド版岩波文庫、一九九一)の基本精神とは何かといった高踏なものではない。先ず、建築現場はあらゆる種類の危険が満ちているから、キチンとそれから身を護る方法、そして職人さんたちへの挨拶の仕方、ものの尋ね方、何よりも施主とは何者であって、建築家にとっては命綱のような者なのだというような、マ、言ってみればきわめて常識的な日常茶飯事の作法のようなものだ。学生はものわかりがよく「ハイ、わかりました」と聞く。私は、自分の学生時代を思い出しながら、これは言ってもわかるワケないなと、めている。私だって重要なことは皆体験して少しずつ憶えた。人に言われたり、本を読んで身につけたものではない。本当に身につく類のものは全て体験から来る。しかしながら現場で脚立の安全な配置の仕方、高い所に登らなければならぬ時は各種道具や、特に刃物は腰袋に入れて両手はフリーにしておきなさいなんて叫んでいる時には、これは横断歩道の渡り方の類を説いているなと、苦笑してしまうのである。
しかし、これはとっても大事なことで、こういうことがスッとわからぬ人間はモノを上手に作ることはできないという確信だってある。学生にとって現場での私の説教は読みたくもない本を読むことと同じなのだろうとも知る。良い本のほとんどは説教に通じる。読みながら快適で楽しく心地良いだけの本は建築と同じで、ほとんどが上物ではない。つまり、私にとっての極上な書物は全て実体験と深く結びついている。実体験は全てとは言えぬが、制作している実物の素である。
学生時代、建築史家の渡辺保忠に出会ったのが書物らしい書物と巡り会うことの必要を感じた最初であった。渡辺保忠は当時実作者ではなく、むしろ実作を作らせるための理念の重要性を私に教えた。もちろん、馬鹿であった私はそれでも研究室でこっそり建築雑誌等の頁をめくっていて、後から頭をたたかれたりもした。
先生の博士論文であった「日本建築生産組織に関する研究」(私家版、一九五九)★一や、そのエキスを再編成した『工業化への道』(不二サッシ工業社、一九六三)には教化された。特に小冊子ではあったが『工業化への道』は古代から近代に至る建築生産形態と建築デザインとの関連が平明に説かれ深く影響された。結び近くで先生はリチャード・バックミンスター・フラーの理念について述べられ、それが強く印象に残った。又、当時先生は『伊勢と出雲』(『日本の美術』第三、平凡社、一九六四)を執筆中であり、酒が入ると自分の伊勢に対する考えを縦横に論じられ、とどまることがなかった。この書物は故に発刊以前に私の頭の中では読了済みであった。近年、磯崎新の『建築における「日本的なもの」』(新潮社、二〇〇三)に接し、特に伊勢に関する論述が渡辺の説と同根なのに驚くことになる。磯崎の『始源のもどき』(鹿島出版会、一九九六)も同様である。知的な建築家の直観が必然的に歴史のタブーへと向ってゆく自然な道行をよく理解できた。
建築史研究室での生活は私に深く史家へのえも言われぬ崇敬の念とコンプレックスを植えつけることにもなった。それに耐えられずに私は歴史から度々逃走した。そして野の天才川合健二と遭遇した。当時川合は丹下健三のエンジニアリング・パートナーとしての関係を解消し、全くの独立自由人であった。川合は室町時代と江戸時代はどっちが古いのかと私に問うてみせるほどに歴史に無関心であった。が、現代を水平的に横断する知力には凄惨なものがあった。丹下健三と川合の関係に私はル・コルビュジエとクセナキスの関係をダブらせて見ているが、それはともかく川合は正真正銘の天才であった。「本はね、皆マイクロフィルムにしてそれを光に当てて読んでるとみんな頭脳に焼き付けることができて忘れることなんてできないのだ」と私に教えた。私は真似してみたが、私の頭脳には何も焼き付かず、眼を少しばかり悪くしただけのことであった。川合は何も書物を残さなかったが、私にとっては彼の存在自体が壮大な現代読解の書であった。
川合健二を私は東洋のバッキー・フラーとして眺めるようになり、フラーの数々の書物にも触れることになった。『宇宙船地球号操縦マニュアル』(芹沢高志訳訳、ちくま学芸文庫、二〇〇〇)をはじめ、フラーの思想の影響下にあった編集者たちの手になる『ホールアースカタログ』や『シェルター』はソローの『森の生活』と共に三〇代の私の座右の書であった。シリコンバレーを始まりにするアメリカの本格的なコンピュータ・エイジ、今のネット社会をつくり上げたビル・ゲイツを代表とする新世代の動向は、これらのアメリカのカウンターカルチャーが生み出したものである。
川合にもフラーにも歴史観は無かった。それらしきものがあったとしてもそれはファンタジーであった。技術が拡張拡大を続けられる時代はそれでもよかったが、現代はそれを単純には許容しえぬ。修正とブレーキが主役の時代になりつつある。
川合と出会った同じ頃飛騨高山の廃校で営まれた高山建築学校で鈴木博之と出会い、哲学者木田元とも会えた。木田は哲学は一方向へ拡大前進し続けるであろう社会のブレーキの役割だと言明しているが、建築の役割だって実はそれに近いモノがある。
学生時代に根深く植え込まれた歴史家コンプレックス、歴史からの逃走体験は私の交友関係にも色濃く反映しており、鈴木や藤森照信は頭の上がらぬ友人となっている。鈴木博之の書物を一冊挙げれば『都市へ』(『日本の近代』一〇、中央公論新社、一九九九)である。詳述はせぬが近・現代の都市を歴史家が描き出したものでは比類ない。同様に藤森のはやはり『明治の東京計画』(岩波書店、一九八二)だろう。友人のモノを持ち上げると八百長だと言われるのでこれにとどめる。
今、現在どのような書物に出会っているかは述べることができぬ。だってよく言うじゃありませんか、自分の本棚だけは他人に見せるなって。
影響は受けなかったけれど好きな本はいくらでもある。読んでも手許に残っていない本の数々である。レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(川田順造訳 、中央公論クラシックス 、二〇〇一)。ニーチェ『ツァラトゥストラ』(手塚富雄訳、中公文庫、一九七三)。
ブリコラージュ、ブリコロールの民族学的概念が自分の仕事と似ているかも知れないと考えて、先ずは本家『悲しき熱帯』を読んだ。面白かった。しかしヨーロッパ人、特にフランス人の知的屈折についてゆくことができずに理解することを断念した。もっと歳をとって寂しく屈折してきたらわかるようになるのかも知れない。友人にすすめられてニーチェも随分読んだ。読みついでにニーチェが死んだワイマールのニーチェ・ハウスでその最期の空間の中でも読んでみた。モダニズム・デザインとニーチェの思想に濃密な関係があると当然考えたからだ。しかし、これは手に負えなかった。ニーチェがヴェネツィアで暮したというアパート跡まで追っかけもしてみたが遠いままだ。キリスト教とモダニズム・デザインの関係についても知りたいのだが、もう時間が無いだろう。
網野善彦の著作とバッキー・フラーを勝手に結びつけて読んでしまう勝手気儘な読書の仕方を続けているが、おしまいにいつも長旅の時には日本史、アジア史の文庫本を何冊か持ち歩く。場所を移しながら、動きながら読む初歩的歴史本くらい面白いものはない。その白眉の一冊はスペインの碩学、ディエス・エル・コラールの『アジアの旅』(小島威彦訳、未来社、一九六七)。コラールは言うんですネ。「今、私は現代の恵みの技術の成果、ジェット旅客機で成層圏を飛んでいる。そしてヒマラヤの落日の荘厳を一万メートルの上空から眺めている。仏陀という人物が辿り着いたらしいニルヴァーナというのはこの風景そのものだろう」。このカソリックの国の哲学者の直観を私は好む。
技術が瞑想を生むという直観である。あるいは技術が、身体という小宇宙が辿り着く究極の状態への支援の道具になるやも知れぬという直観である。


★一──『日本建築生産組織に関する研究一九五九』として二〇〇四年、明現社より刊行された。

1──ヘンリー・デヴィッド・ソーロー『森の生活』

1──ヘンリー・デヴィッド・ソーロー『森の生活』

2──鈴木博之『都市へ』

2──鈴木博之『都市へ』

>石山修武(イシヤマ・オサム)

1944年生
早稲田大学理工学術院教授。建築家。

>『10+1』 No.38

特集=建築と書物──読むこと、書くこと、つくること

>セルフビルド

専門家に頼らず自らの手で住居や生活空間をつくること、あるいはその姿勢。Do It...

>バックミンスター・フラー

1895年 - 1983年
思想家、発明家。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>川合健二(カワイ・ケンジ)

1913年 - 1996年
エネルギープランナー、設備設計家。

>丹下健三(タンゲ・ケンゾウ)

1913年 - 2005年
建築家。東京大学名誉教授。

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>鈴木博之(スズキ・ヒロユキ)

1945年 -
建築史。東京大学大学院名誉教授、青山学院大学教授。

>藤森照信(フジモリ・テルノブ)

1946年 -
建築史、建築家。工学院大学教授、東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。