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病理的なものの転倒 | 柿本昭人
Reversal of the Pathological | Kakimoto Akihito
掲載『10+1』 No.14 (現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築) pp.32-32

「酒鬼薔薇」事件から一年が過ぎた。加害者の少年の個人的特性、家族のあり方、学校制度。事件の原因を明らかにしようとする夥しい言説。そして加害者の少年が逮捕されるまで、犯人探しに狂奔していたわれわれ。それはそれでまた別の機会に論じなければならない。が、今回の連載との関わりが深いのは、事件を「新興住宅地特有の希薄な人間関係」に原因を求める言説である。少年の逮捕後には、事件の起きたニュータウンの開発の歴史がたびたび放映されてもいた。「希薄ではない人間関係」が対照されなければならない。住民同士の助け合い、ボランティア。震災の被害を受けた神戸の〈本体〉である。茶髪の少年が倒壊した家屋の下敷きになった者を助け出す。郊外の人工的なニュータウンには欠けてしまったものが残っていた。人はそうした総括で安心する。地縁や血縁といった自然の属性を担保にしなければ、秩序や共同性は培われないと。
「透明な存在であるボク」は言われているような欠如態なのか。むしろそれは、近代を生きるとか、自由と平等を相妨げることなく存立させるとか、都市を土地=根拠なしに生きる条件ではないのか。震災直後の神戸の人々の姿は、『共産宣言』に描かれたプロレタリアートを思い起こさせる。プロレタリアートは何も所有していない。だからこそ連帯できる。あるいはカントの『永久平和のために』を。歓待の街であるには、再び=すべての者に開かれてあることRe=publik。そのためには『純粋理性批判』が言うように、われわれは思惟物としての先験的理念、ラカンの表記に倣えば、とならなければならなかったはずである。そして、カントは諸個人に張りついている自然の属性の方を病理的パトローギッシュと呼んでいた(柿本+嶋守『社会の実存と存在──汝を傷つけた槍だけが汝の傷を癒す』)。

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>柿本昭人(カキモト・アキヒト)

1961年生
同志社大学政策学部教授。社会思想史。

>『10+1』 No.14

特集=現代建築批評の方法──身体/ジェンダー/建築