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ディズニー主義の核心 | 桂英史
The Heart of Disneyism | Katsura Eishi
掲載『10+1』 No.11 (新しい地理学, 1997年11月10日発行) pp.221-230

賑わいについて

夏休みやゴールデン・ウィークなどのホリデーシーズンに、休日を過ごす人々の様子が報道される際、ほとんどのニュースは「どこの行楽地も家族連れやカップルで賑わっていました」といった調子で、その賑わいを報道する。事実、どこの行楽地でも家族連れとカップルでいっぱいである。東京ディズニーランドはそんな「行楽地」の代名詞になった感すらある。誰が言い出したわけでもなく、東京ディズニーランドは家族連れやカップルを数多く呑み込んで、巨大な消費空間と化している。消費を演出するマーケティングの専門家は、東京ディズニーランドを家族連れとカップルのひとつのモデルとして理想化している★一。「東京ディズニーランドの成功」は、家族連れとカップルにお金を使わせるためのお手本となり、その手順通りに文化やイベントといった消費を促すような要素が効率よくパッケージ化された消費空間が、全国各地に数多く誕生した。「ハウステンボス」(長崎)や「志摩スペイン村」(三重)はもとより、横浜の「みなとみらい」や、福岡の「キャナルシティ」など、枚挙にいとまがない。そして、そのどれもが地方行政の地域振興との密接な連携によって誕生している。それらの消費空間が東京ディズニーランドから学んだことは何だったのか。その問いには、マーティングの専門家が、どうすれば一度にたくさんの人々が足を向けて、たくさんのお金を使い、さらにはもう一度来たいと思わせるかというノウハウをマニュアル化する上で、数多くの分析を試みている。ただ、ここでそれを丹念に復習してみても、まるで意味はない。むしろ、そうした視点を排除して、「家族連れ」や「カップル」をどうして東京ディズニーランドは一身に引き受けているのか、という点を論じたいと考えている。
「家族連れ」や「カップル」は、消費空間のユーザにとって基本的な単位となっている。年間入場者数などという統計的なデータも、基本的には「家族連れ」や「カップル」が積み重なったデータである。美術館に行ったり、飛行機に乗って海外へ出かけたり、海や川へ釣りに行ったりする余暇の過ごし方にあっても、「家族連れ」や「カップル」は大きな割合を占めているのかもしれない。ただ、このような余暇の過ごし方の場合、「個人」という単位での行動も十分あり得る。ところが、「先週の週末、東京ディズニーランドに行きました」と言ったりすると、必ず「誰と?」という問いが返ってくるはずである。「いや、ひとりで……」なんて言おうものなら、変人扱いは免れない。つまり、ユーザ自らが、「家族連れ」や「カップル」を賑わいの演出者と見なしているわけである。いつの頃から「家族連れ」と「カップル」が「賑わい」の主役になったのか。この問いに答えていくことは、東京ディズニーランドに日本人という人間の集団がどのように呑み込まれていったか、という大きなテーマについて思考する重要な手がかりを与えてくれるはずである。

「家族連れ」と「カップル」

「家族連れ」と聞けば、ほとんどの人がその様子を頭に思い描くことができる。わさわざ東京ディズニーランドに行かなくても、電車やデパートあるいは公園などで、「家族連れ」を目にするのは難しくない。改めて視線を向けてみるまでもなく、当たり前のように「家族連れ」は日常生活の基本単位となっている。ここで言う「家族連れ」は、たいていの場合、夫婦と子供が少々(最近は一人ないし二人)という人員構成からなる集団である。「家族連れ」は、いわゆる核家族と呼ばれる現代型家族構成と言ってよい。そして、「カップル」と言えば、若い男女のことを思い浮かべる人がほとんどであろう。もちろん、八四歳と七七歳のカップルも理屈の上では成り立つが、「カップル」の語感はそれをあまり許さない。ここで翻って考えてみると、「カップル」も、広い意味で「家族連れ」である。つまり、「家族連れ」予備軍である。婚姻関係の成立によってごく近い将来「家族連れ」になる可能性があるからである。そこでは恋愛とセックスがパッケージ化されて、合理的に家族という共同体を構成する可能性が用意されている。それが核家族なのか二世帯家族なのかといったことは大した問題ではない。そもそも、民法をはじめとする現行の法制度にしても、恋愛とセックスを基本として「家族」の構成を制度化しているわけだから、「家族連れ」や「カップル」が日常生活をおくる上での基本的な単位となっているのはとりたてて不思議なことではない。
エドワード・ショーターはこうした恋愛とセックスが婚姻という社会関係や家族という共同体を成立させる上で重要な要因となったことを重視し、このような「近代家族」のあり方を「ロマンス革命」と呼んでいる★二。自由恋愛から婚姻へ至るプロセスが小説の題材として表現されるようになって、そうした小説がもたらす影響力が近代家族の基盤を作った歴史過程を「ロマンス革命」と表現したのだ。上野千鶴子は、そのショーターがあげた近代家族の成立要件を参照しながら、「近代家族」が成立した要件のひとつであるロマンス革命を丹念に論じている★三。その論旨の中でも特に注目されることは、ロマンスの中に功利性が作用していることを指摘している点である。「主婦」が正妻を意味することに重要性があった時代には、自由恋愛を奨励するようなロマンスの役割はそれほど大きくなかった。自由恋愛は女性が将来の夫を選択する余地が広がったことを意味しており、「しあわせ」をどのように獲得するかというプロセスでもある。「玉の輿」や「シンデレラ・ストーリー」は、典型的なロマンスの展開であるが、「しあわせ」をめざす物語は「豊かさ」のモデルとして人々に浸透したのである。
ロマンスは、自由恋愛と婚姻関係が物語として理想化され、小説という形式でパッケージ化されていなければならなかった。ロマンスという共同体形成のプロセスがパッケージ化した形式によって、法律や制度はロマンスの物語に沿って整備されていく。そして、家族という共同体が強化されるロマンス革命が進行していくのである。ただ、上野が論じているように、ロマンス革命は「ロマンスのロマンス化」であるため、その分析そのものがいささか理想化されている傾向がある。しかしながら、パッケージ化された「ロマンス革命」がメディアの中で消費される契機となったことは確かである。
ロマンスは本来は文芸形式を意味するものであったが、一方で、現在でも「世紀のロマンス」などといった通俗的な表現で、芸能人や王室(皇室)の私生活を報道する際の美辞麗句として用いられている。自由恋愛による婚姻関係を基礎とする家族をめぐる理想化された物語が、近代のもっとも基礎的な共同体である家族の基盤整備をサポートした。そして、ロマンス革命は見かけ上は自由な社会関係を承認するように進行していったため、家族を構成し、維持、運営するための物語を必要とするようになった。人々の「将来」や「人生」は、物語として意識の深層に深く根をおろすようになったのである。
ロマンス革命は、一見風変わりな社会改造の要素に思える。ところが、こうした小説という文学的な形式が国民国家の基礎を作ったことを重視するという点では、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』に接続するアプローチでもある。ロマンスは近代的な共同体、とりわけ家族をイデオロギー化していった文芸的な形式である。近代的な共同体を作ったのがロマンスであるとすれば、エディプス・コンプレックスはそのような文芸的な形式の裏で成立した重要なメタ物語であった。「どのように物語を叙述し得るか」という物語言説に対して、物語の内容(content)であるエディプス・コンプレックスは、「何を物語として叙述するのか」という対象そのものを意味することが多い。エディプス・コンプレックスは、物語言説(discourse)から独立した物語の内容(content)である。そのため、物語言説が一糸乱れぬような近代科学の明晰な体系や系列をもつようになって、父─母─子という三角関係をめぐる物語は物語としての洗練度を高めていった。その洗練さを増していくにつれて、かえってエディプス・コンプレックスはヨーロッパ人の深層にべったりと貼り付いたのである。「王殺し」の物語内容は、いっさいの物語言説から逸脱し、明晰で雄々しいはずの近代国家を揺るがしかねないディレンマをはらんでいた。ところが、二〇世紀のテクノロジーは、「どのように物語を叙述し得るか」という物語言説に力を与えた。物語言説がいわゆる映画やテレビといった映像メディアに移植されるようになる。映画やテレビには、テキストの連続性とは異なる形式が備わっていた。その形式とは規模と速度である。規模と速度には、エディプス・コンプレックスから解放されるだけの知覚支配の能力が備わっていた。物語言説は、さらに映画やテレビによって規模と速度をもつようになったのである。規模と速度は、ロマンスから噴出しそうなエディプス・コンプレックスを封印した。「どのように物語を叙述し得るか」という物語言説が規模と速度を獲得することによって、ロマンス革命は完成に近づくのである。
アメリカ映画の産業化は、このような規模と速度を得たロマンス革命の大規模化と通俗化によって支えられるようになる。そうなれば、ロマンスそのものが消費の対象となり、家族が消費の文脈に巻き込まれるのにそれほど時間はかからない。規模と速度でエディプス・コンプレックスを封印することのできる映像メディアは、ロマンス革命のイデオロギーを基礎にした家族を、消費という経済行為に巻き込む通俗的な仕掛けとして機能するのである。
ロマンスという用語が背負っている通俗的な意味は、愛という絶対化されてきた観念の遠近法となっている。その遠近法の距離感を実感するためには、ディズニー映画がアニメーションによって実現した動物の擬人化について考えてみればよい。
ディズニー映画やディズニーランドにおいて、擬人化された動物の果たす役割は大きい。言葉を話す動物たちが愛について語り、涙を流し笑う。動物たちが演じるラブストーリーは、常に人間の社会を表現している。これは人間の愛情表現の代理機能となっているが、それ以上に、動物たちが果たす役割は、人々が家族という共同体の正当性を確認する上でもきわめて重要なのである。家族という共同体にとってもっとも身近で日常的なペットと呼ばれる愛玩動物は、相対化され記号化された自然や身体あるいは世界をいま一度絶対化してみようとする欲望のはけ口となっている。ペットを家族同然と言い切る飼い主は、それほど珍しくない。ところが、そのように言い切ることは、ペットが動物であることを強調していることにもなっている。なぜならば、先にも述べたように、家族とは恋愛とセックスをロマンスで仕立てることによってでき、エディプス・コンプレックスを背負う共同体であるからだ。ペットを恋愛とセックスのロマンスに巻き込むことはできない。動物との類比から、エディプス・コンプレックスを隠蔽した家族の理想化を試みようとしても、あるいは恋愛やセックスから逃避するためにペットに愛情を注いでいたとしても、ペットは恋愛やセックスの対象にはなり得ない。したがって、家族同然と言い切るのは、絶対に家族とはなり得ない相対化された動物への距離感がはっきりしていて、家族の一員とはなり得ない不可能性をむしろ暗示しているとも言える。また、動物の表象化をめぐる「近代性」にあってしばしば参照されるのが、動物園の存在である。動物園は教育と学術調査を目的として考案された「動物学的な公園(Zoological Park)」である。現在でもそうであるが、学術調査は婉曲的にツーリズムと接続している。近代以降の学術調査は、自然の詩性を発見したり学習したりすることよりも、自然を相対化し記述(記号化)することによってその成果を発揮した。「未開の地」の調査は、知の植民地化にほかならない。動物園は、まさに知の植民地として開園したのである。
動物への視線の確立は「動物と人間」という二項対立を保証する。なぜ二項対立の保証を必要としたのかと言えば、二項対立の保証そのものが自然支配の立場を啓蒙するからである。動物園における動物との「距離」は、自然をめぐる遠近法の距離感である。神の下で絶対化されてきた自然という観念を近代化するプロセスで、愛という観念にも相応の相対化が必要であった。距離や重さといった指標で自然を相対化していったように、愛にも距離や重さが求められた。その際、動物を通じて愛が観察されモデル化されることには、じゅうぶんな動機と合理性が備わっていた。そして、動物にも人間とは異なる独自の社会があるとする擬人化という方法は、その実自然の相対化を加速させる。人間の社会を動物との類比で考えられる思考方法は、以下のようなプロセスでルーチン化される。

人間とはいかなることかを定義する方法として、古今のさまざまな文化に共通してみられるのは、人間存在の状態に特有と考えられるものとは正反対の特性を動物界に付与し、両者を比較しようというものである。したがって、たとえば、一夫一婦婚が人間の特性を定義する大切な要素とされる場合、「獣」は乱婚とみなされる。そして一種の原始的な一夫多婦制をとる一、二の種が選び出されて、「例外があるのは法則のある証拠」の例外として示されることにもなろう★四。


近代科学や近代的な教育制度だけが自然の相対化を進めたわけではない。動物などを題材にそれを啓蒙する装置が数多く発明され、余暇や娯楽の中に組み込まれたことによって、陰に陽に自然の相対化は進んでいったのである。その典型的な装置が、動物園なのである。動物園において動物を見たり、動物の生態を学んだりすることは、間接的に一夫一婦婚やそれを基礎とする社会の秩序を巧妙に啓蒙していった。男女の出会いによって恋愛が芽生え、社会契約としての婚姻が成立し、家族という共同体を運営していくという社会の成り立ちを、人々は相対化され表象化された自然のひとつとして、たとえば家族を学習していったのである。それはロマンス革命が進行していく際の、もうひとつの側面である。

「郊外」のポリティクス

先にも述べたように、明晰で雄々しい近代国家像は、エディプス・コンプレックスの裏返しである。そのエディプス・コンプレックスを実感することなく、「近代の超克」で明晰さや雄々しさを乗りこえようとした日本の近代は、第二次世界大戦で自滅した。近代日本にも導入されたロマンス革命は、「戦後」によってさらに加速することになった。
「戦後」の民主主義と自由は、「他者」への意識を高めることを啓蒙した。もちろん、その「他者」の中に「外国」も含まれていた。「外国」を衣食住の中に受け入れることは、「戦後復興」にとってのルーチンになったのである。中でも、「住む」という行為が「戦後復興」の中でも重要なプログラムとなった。その具体的なプログラムとして誕生した団地は、近代建築が誕生させた集合住宅のヴァリエーションであるが、「郊外」が団地によって絶対化されることになった。そして、郊外の誕生によって、土地利用と家族のあり方は決定的になった。
一九五〇年代に誕生した「団地」は、そのロマンス革命が進行しはじめたことのひとつの象徴的な事件である。公園の中に作られた集合住宅とも言ってよい団地は、徹底的にその土地を非─習俗化してしまい、家族が自然観のサブセットであることを忘れさせてしまう装置として機能しなければならなかった。団地がまだ登場して間もないころ、団地は「文化住宅」と呼ばれていた。オーブントースターにも「文化天火」といった名称が付けられるなど、「文化」という言葉の中に「西洋からやってきたものはよいものだ」といったニュアンスがたっぷりと盛り込まれていた。ここに現われている戦後日本にとっての「文化」とはいったい何なのだろうか。「西洋化」と西洋の文化受容を第一義とする文化のあり方は、明治維新から「戦前」にかけても見られる傾向であるが、「近代化=西洋化」の傾向が生活の末端に広がりを見せはじめたのが、だいだい一九五〇年代に入ってからのことだという考え方も成り立つ。
「文化住宅」としての団地を計画・建築することによって、山や川にまつわる習俗をリセットしてしまったことに、造成された土地に建つ集合住宅のポリティクスがあった。団地は基本的に公園と何ら変わりない半─公空間である。私的空間でありながら公空間であることの効果は、単に土地の有効利用ということで説明はできない。単に文化住宅に空間的な制約があるがために、少子化が起こって核家族化が進んだわけではない。そもそも団地は自然を排除することによって成り立つ集合住宅なのだから、家族は自然の一部として考えられるものではなくなった。合理性が尊重され郊外型の土地利用が進んでいく一方で、空間の利用形態が家族のあり方を絶対化(「家族というのは普通こういうものだ」という潜在意識化)するような事態を加速させる。これは、近代という歴史過程が宿命的に背負う二重性である。その造成された地域が交通のネットワークによって、住宅地域としてのラベリングが行なわれる。つまり、ある程度中心から距離があっても、郊外はまぎれもなく都市なのである。都市機能の一部としての役割を与えられた以上、文化住宅としての団地の運命は変わらない。自然を根こそぎ造成することによってできた団地は、都市機能をパッケージ化し郊外を形成することによって、自然や習俗を相対化する。団地が「文化住宅」である限り、龍神伝説のような神話性はもちろんのこと、野生の動物が闊歩するような空間は、排除されなければならないのである。都市の一部としての郊外でなければ、郊外の家族は成立しないのだ。熊やきつねが歩いていないことが保証された公空間でなければ、「安全」ではないし「快適」でない。熊やきつねが歩いていることよりも、学校やスーパーや駅が近いことの方がより「文化的」なのである。団地によって住空間の公園化が進むことは、土地にまつわる習俗を徹底的に相対化することに役立った。どんな地方の出身者にとっても、都市機能が平等にパッケージ化された郊外は、都市なのである。郊外に住み「いなか」の習俗から解放される物語が、結婚や子育てといった「人生」を巻き込むようになった。
家族とは、社会的な共同体であること以前に、生物学的な起源も含めて自然観である。ところが、近代的な共同体として形式化を進めていくあまり、自然としての家族は、動物行動学などのアナロジーで学習しなければならないほど「他者」となった。しかも、日本の戦後は「海外」をもう一度学習しなければならなくなった。外国とはまさに外部であり、ヨーロッパが動物を相対化しつつ家族を作っていったように、近代日本は海外から来る人間や物や情報を、相対化しなければならなかった。いわば、外国人を動物園の動物のように扱わなければならなかったのである。近くにいると恐いが、安全な距離が確保されていれば、それに触れていることは心地よい。その点、海外から輸入された外国製品は、話したり触れあったりもせず、心地よさだけを感じることができる。この迂回した相対化によって、独自の唯物論(物質主義)が生まれてくる。独自の唯物論を発揮して郊外に住むことは、近代の階段をもう一度昇り直そうとする日本人にとってもっとも合理的な「戦後復興」であったのだ。テレビの登場は、それに追い打ちをかけた。なぜ、テレビは急速に普及したのか。テレビは、一九五〇年代から、いわゆる「三種の神器」のひとつとして位置づけられるようになったが、自動車やクーラーといった、いわゆる「三種の神器」の中でもっともめざましい普及をとげた製品である。もちろん、映画のように動く映像をお茶の間で見ることができるということが人々の欲望を喚起したことは確かである。ただ、娯楽が少なくてテレビの消費意欲に火がついたとする意見は、ある程度の妥当性はあるものの、それがテレビ普及の直接的な背景ではない。「居ながらにしていろいろな情報を得ることができる」ということも、テレビ普及の背景にあげられるが、これをいったん受け入れるとすれば、社会への窓口がテレビによって開かれたことになる。そして、社会の窓口としてのテレビは、住空間というきわめて私的である空間の中に公的な空間を取り入れることでもある。近所の火事や泥棒をテレビで知ったりするわけだから、文化住宅が立地する郊外は公空間ではない。さらに、テレビの登場によって、時間の資本化は新たな局面を迎えた。メディアに表現された広告は、「家庭電化製品」の登場によって日常的な私生活に関わるものが多くなった。鉄道というネットワークが整備されていくプロセスで、運行管理や乗務員の労務管理のために標準的な時間が必要となった。イギリスやアメリカの標準時が制定されたのは、そうした背景によるものである。そして、その結果、鉄道のみならず、「就業時間」や「営業時間」は標準時によって決められるようになり、労働が標準時によって資本化することになった。それと同様に、テレビが伝える報道や広告は、人々の知的な好奇心や消費生活に大きく作用するようになった。広告主とテレビ局との関係は典型であるが、テレビが作り出す時間は重要な経済的な要因となった。テレビ放送のネットワークは、私生活を資本化したのである。
先にも述べたように、ロマンス革命は小説という文芸的な形式の広がりであり、小説のもたらす文芸的な公共圏はきわめて個人的であり近代的である。テレビは家族全員が同じ番組を見ることができるし、同じ時間に同じ番組を職場の同僚や近所の人や遠くにいる親戚も見ている可能性は高い。ところが、同じ小説を家族全員が同時に読むことはないし、職場の同僚や近所の人も同じ時間に同じ小説を読んでいることなどあり得ない。テレビは「居ながらにしていろいろな情報を得ることができる」という伝達の能力と同時に、新たな集団化をもたらしたのである。ナチス・ドイツがプロパガンダとして映画を用いたように、アメリカはテレビを徹底的にプロパガンダとして利用した。映画産業は、恐ろしいほどのスピードで、自らの経営や制作のスタイルをテレビに合わせていった★五。ディズニーはテレビ放送に参入した直後から、動物映画を放映した。たとえば、それはコヨーテやアイアンイーグルの生態を物語として構成したものだったりする。これがアメリカのナショナリズムに大いに関係していることは言うまでもないが、そのことを感じさせずにアメリカ国内はもとより冷戦下の世界へ向けて配給される。映画とは異なる集団化の能力を理解していたからこそ、アメリカ政府もディズニーもそしてハリウッドも積極的にテレビに加担していった。ウォルト・ディズニーは映画とテレビとの連携を完成させ、テレビに集まりはじめていた資本を用いてディズニーランドを誕生させた。テレビの普及とともに、ロマンスの標準化がさらに進むようになる。もちろん、「皇太子ご成婚」はテレビの普及に拍車をかけた。ロマンスの標準化がテレビ放送で進行するようになるにつれて、「家族」や「性愛」をめぐる物語はテレビ放送に委ねられて隠蔽されるようになる。
その意味で、郊外における公─空間は、恋愛やセックスが標準化された家族がエディプス・コンプレックスに悩むのではなく、積極的に離れないでいたいとする欲望の発露の場なのである。
恋愛やセックスが標準化されると、自然界の動物的な繁殖力や食物連鎖を基礎とする生態系は徹底的に相対化される。さらに言えば、基本的には日常的ではないことのように思えてしまう集団も集団化されるのである。そのことをちょっと疑問に感じても、都市の一部である公園のような造成地にできた団地に住んでいる限り、そういった自然を実感することはない。これはテレビが悪いわけでも、それを見ている視聴者という集団が悪いわけでもない。そういう意味で、郊外とテレビはあまりにも相性がよいのだ。そして、テレビとはそういう集団化と相対化を促すメディアなのである。家族はテレビを導入することによって、家族そのものを「戦後復興」させたのである。

1──パリ市のベルシー地区の フランク・ゲーリー設計のアメリカン・センター、 F・アムーテーヌ設計の住棟、Ph・シェ&JP・モレルの住棟 © O.Wogensky

1──パリ市のベルシー地区の
フランク・ゲーリー設計のアメリカン・センター、
F・アムーテーヌ設計の住棟、Ph・シェ&JP・モレルの住棟
© O.Wogensky

2──ヴィルジュイフ市のオートブリュイエール地区 下流から見たカナル  © Gérard Dufresne

2──ヴィルジュイフ市のオートブリュイエール地区
下流から見たカナル 
© Gérard Dufresne

「郊外」としてのディズニーランド

郊外に備わったテレビ(メディア)とクルマ(交通)というネットワークは、自然観を相対化することに大きく力を貸し、結婚や子育てといった「人生」をも徹底的に消費することによって、自然観をめぐる夢を無化し、時間の資本化に参加した。郊外が郊外であるための根拠は、土地にまつわる自然観や習俗が徹底してリセットされていなければならない。でなければ、郊外は住空間としての必要条件を欠いてしまうことになる。その点で、郊外はリゾートと似たような成立の要件をもっている★五。
戦後の驚異的な経済成長を背景として郊外が拡大していくにつれて、「庭付き一戸建て」を郊外に購入し所有する物語がいつの頃からか、「夢」になった。そして、戦後四〇年以上になって東京ディズニーランドは、「庭付き一戸建て」の「庭」として誕生した。日本の「戦後」という父親は、家庭における自らの存在が希薄になりながらも、必死で「郊外」を作る計画に加担し、「東京ディズニーランド」という庭を作った。それは、西洋という父親を殺し息子がその権限と威厳を獲得するというエディプス・コンプレックスに基づいているのだと言えなくもない。結果的に、「夢」の物語化を現実の空間に登場させた巨大な劇場となり、ディズニーランドはテレビ(メディア)とクルマ(交通)というネットワークに乗って定住(郊外)と観光(リゾート)を呑み込んだ。もちろん、テレビや映画というメディア・テクノロジー、メディアによって擬人化された動物、自動車の普及を加速させたモータリゼーションなど、ディズニーランドには「リゾート」の必要条件も「郊外」の成立要件もすべて盛り込まれていた。東京ディズニーランドでは、ゲストたちはその巨大な劇場で、思い思いの役割を演じている。「カップル」はお互いの恋人を演じ、「家族連れ」は父親や母親を演じる。いや、子供たちも子供を演じている。そのような誇張された「家族連れ」や「カップル」を演じても許容される空間が、東京ディズニーランドなのである。
「かわいい」「日常を忘れさせてくれる」「きれい」などといった他愛のない表現に集約されるディズニーランドは、東京へ移植されても、思う存分人々のツーリズムや余暇への欲望を呑み込んでいる。これらのすべてが母親の視点から見たものである。息子が父親を殺し父親の権威と威厳を獲得するというエディプス・コンプレックスの普遍性はない。たとえば、「かわいい」という感情の吐露は、子供への愛情や愛おしさとは大きく異なることは言うまでもないし、ペットへ向かう愛情とも似て非なる感情だろう。むしろ、自分がそうした父親不在の家族のあり方に身を置いていることそのものを愛おしく思っているかのようでもある。それが「かわいい」という表現となっているに過ぎない。「日常を忘れさせてくれる」という表現も、おそらくはエディプス・コンプレックスから自由な感情と言えるだろう。日本の主婦にとって、もっとも日常から解放されたと感じるのは、炊事からの解放である。主婦たちのツーリズムは「上げ膳据え膳で極楽」といった家事労働からの解放と表裏一体の関係にある。「西洋」に盲目的に仕えるあまり父親(夫)がいなくなってしまった家庭で労働から解放される母親にとっては、余暇を過ごす場は、東京ディズニーランドであっても、ハウステンボスであっても、ワイキキビーチであっても、大した違いはない。母親はとにかく「母」という職業の荷を降ろして、「上げ膳据え膳で極楽」の状態を獲得したいのである。でなければ、父親が畏怖し憧れている「西洋」という王を実感できるような空間を訪れ、父親が人生を賭けて背負っているはずのエディプス・コンプレックスを実感することはできない。だからこそ、労働を排除しエディプス・コンプレックスに触れてみたいという好奇心が日本の主婦のツーリズムを支えているのである。独自の唯物論を発揮してもっとも合理的な「戦後復興」を享受しようとしているという意味では、夫や父と同様に、日本の主婦にとっても「西洋」はエディプス・コンプレックスとなっている。
男の子より女の子を望む母親が増えているのは、息子が西洋という王に奪われて疎外感や孤独感を感じてしまうのではないか、という強迫観念に基づいているのだろうと思う。
「文化」に「上等、舶来」といった屈折した意味を持たせてしまった罪深い人のひとりとして、福澤諭吉が思い出される。ヨーロッパ各国の制度を視察した福澤が「その制度の何と流麗たる」と評したことは有名であるが、福澤はヨーロッパ各国にすでにあった近代的な秩序にドキドキしてしまうような美しさを感じたわけだ。もちろん、福澤の評価は主に国家の体制などに向けられたものだったが、その街並みの美しさや人々の表情なども「流麗たるシステム」によるものだと感じたに違いない。福澤にとっての西洋とは、緻密に計算され描かれた絵画のようなものであった。アナザー・ワールド、すなわちもうひとつの世界は、どこの国のどんな人々も夢想する世界観である。ユートピアもその典型のひとつだし、言うまでもなく宗教は「もうひとつの世界」としては豊かな歴史を持っている。考えようによっては、科学的世界観や絵画あるいはコンピュータ・ネットワークも「もうひとつの世界」と言える。つまり、近代は「もうひとつ」と言いながら複数の「アナザー・ワールド」を作り出してきたとも言えるわけだ。福澤の紹介した西洋は、フェルメールの絵画のように流麗なアナザー・ワールドであったのだ。
明治の知識人たちや指導者たちの中で福澤と似て非なる「西洋観」が主流を占めていたことを考えると、「もうひとつの世界としての西洋」は、畏怖と憧れで捉えられてきたのである。極端に言えば、日本人は明治以来「西洋」を、父親とも王とも言えるような存在として憧れたり怖がったりしてきたのだ。「王」は相変わらずわれわれの日常生活に浸透している。「王」は家族の中に君臨しているのではなく、常に外部の存在として強迫観念の対象となっていた。日本人にとって、西洋は明らかにエディプス・コンプレックスの対象であった。「近代の超克」は「エディプス王」の父親殺しそのものの物語である。
いずれにしても、日本人は現在でも「西洋」のユーザを続けている。「リゾート開発」といった「戦後復興のなれの果て」は依然として続いているし、「オート・キャンプ場」で自然を追い求めている滑稽な「西洋」のユーザも多い。そうしたユーザにとって、オート・キャンプ場の「自然」は、東京ディズニーランドに配備された演出装置と変わりがない。オート・キャンプ場で野生の猿を見かけたとしても、それはディズニーランドで見かけるミッキーマウスと大差はない。でなければ、オート・キャンプ場は、市場経済に参加することができない。そのような無頓着な「王」の奴隷を見かけると、「上等、舶来」という言葉が浮かんでくる。無頓着に自然を消費しようとする人々にとって、オート・キャンプ場は「文化自然」であり、ゴルフ場は「文化体育」である。東京ディズニーランドは標準化された家族のためのアナザー・ワールドであるが、東京ディズニーランドを「都市型リゾート」と礼賛する人々は東京ディズニーランドを拡張し外化した郊外として考えていないため、全国津々浦々が郊外となってしまう奇妙な事態にも無頓着である。「西洋」が日本人のエディプス・コンプレックスの対象であることは依然として続くだろうし、それが続く限り依然として「戦後復興」の状態は永続化するであろう。

★一──粟田房穂『ディズニーランドの経済学』(朝日文庫、一九八七)。
★二──エドワード・ショーター『近代家族の形成』(昭和堂、一九八七)。
★三──上野千鶴子『近代家族の成立と終焉』(岩波書店、一九九四)。
★四──ジョン・チェリー編著『幻想の国に棲む動物たち』(別宮貞徳訳、東洋書林 、一九九七)。
★五── Fredric Stuart, 'The Effects of Television on the Motion Picture Indusry: 1948-1960,' in Gorham Kingdom(ed.), The American Movie Industry/The Business of Motion Pictures, The Southern University Press, 1982, pp.257-321.
★六──今福龍太ディアスポラの楽園」、『10+1』No.1(INAX出版、一九九四)、一四八─一五六頁。

>桂英史(カツラ・エイシ)

1959年生
東京藝術大学大学院映像研究科教授。メディア研究。

>『10+1』 No.11

特集=新しい地理学

>上野千鶴子(ウエノ・チズコ)

1948年 -
社会学。東京大学大学院人文社会系研究科教授。

>団地

一般的には集合住宅の集合体を指す場合が多いが、都市計画上工業地域に建設された工場...

>今福龍太(イマフク・リュウタ)

1955年 -
人類学。東京外国語大学大学院教授。