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曖昧なる明晰──ヴェンチューリの折衷神話 | 大島哲蔵
Obscured Clarity: Venturi's Eclectic Myth | Oshima Tetsuzo
掲載『10+1』 No.10 (ル・コルビュジエを発見する) pp.30-32

創造なんて、シェークスピアはなんにもしちゃいない。ただ実に正確に観察して、見事に描き出したってだけだよ。
(『人間とは何か』M・トウェイン★一)


出版と同時に高い声望を獲得し、ポストモダンと呼ばれた包括的な潮流(短命に終わったが)の論拠ともなった
ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』★二を、そのトレンドが役割を終えたかに見える今、いかに読むことが可能なのだろうか。これを近い過去を反芻・確認する手段として読んだのでは決定的に不十分だろう。例えばこの本と並んで、ポストモダンの主柱であったチャールズ・ジェンクスの『The Language of Post-Modern Architecture』(Academy, 6th ed.[竹山実訳『ポスト・モダニズムの建築言語』彰国社刊])などでは、逆にそういう読み方で十分なのであり、言わば一定の時局のガイドブックとして活用するのに適した内容だった。従ってそれは冷めたら飲めないスープのようなものだったが、逆にヴェンチューリの著書はその立論と同じく温製・冷製の両刀使いなのだ。
この著書がポストモダンに指針を与えたのは事実だが、それよりもむしろモダニズムの予定調和に陥った時代認識、硬直化したイデオロギーに対する申し分のない批判、「両義的な」告発としての意義を強く感じる。何よりも後ろめたさと共にしか語れなかった「折衷主義」を攻撃的な戦略の位相までカサ上げした手捌きは鮮烈な印象を与えた。色あせた歴史主義はヴェンチューリ理論を服用することで突如回春し、再び目ざましい細胞分裂を開始した。ヨーロッパ発のハイ・アーキテクチュア理論は、初めてネイティヴでしかも油断のならないアメリカニズムに論駁され、たじたじとなったのである。
この著書をつうじて最も強調されている「曖昧性(Ambiguity)」という概念は、世評の高いウィリアム・エンプソンの著書『曖昧の七つの型』(一九三〇年、邦訳=研究社)に基づいている。これはシェークスピアの詩作の方法を分析した大著で、かなりアカデミックな(だがインスピレーションに満ちた)論述と言える。エンプソンによればシェークスピアのテクストは音韻上、意味上、文体上など多重的な比喩で互いに結ばれ、意味を多発させるフレーズのつづれ織りを形成している。ヴェンチューリにとって建築の統辞法も同様に、歴史的なモチーフやオーダー、ヴァナキュラーな言語そしてモダン・アートで見出された新機軸を「ラジカルに折衷」して得られるナラティヴであった。言語=テクストによる意味の構築と造形デザインでの形象や色彩のオペレーションという差異を除けば、両者のコミュニケーション・モードは確かに似ている。ただ言語活動が近代化とともに飛躍的に拡張(高度化)したのに比して、フォルムの認知能力は停滞性が高く、また言語が相互的レシプラカルであるのに対して、形態言語では受け手が制作側に回る機会は限られている。
あらためて読み返してみると、ヴェンチューリがcreatorである前に天性のcuratorであることが解る。彼は意匠の背後の裏づけを気前よく切り捨ててしまった。表層的なリメークこそ真正のデザインであり、虚構性こそ建築デザインの王道なのだ。こうした確信は、彼がフランク・ファーネス(一八三九─一九一二)のような建築家の衣鉢を継いでいることを念頭に置くとある程度は首肯できるし、カーンの事務所に居た(ごく短期のようだが)ことを考えると少々奇異に感じられる。しかし後者について考えてみると、カーンの作品は精神性と深く結びついているとはいえ、世上言われるほどには「存在論的」ではなくフィクショナル(廃墟性やサブライム)が混入している。
ファーネスはエンプソンと並んでこの著書の影の主役なのだが、ヴェンチューリに決定的な影響を及ぼした作家であり、そのことは「私のファーネスへの気持ちは、好き嫌いの次元ではない。彼の作品に対しては絶対に抑制できない礼賛と崇拝の念を捧げる」という彼自身の言葉に表われている。ファーネスはマーク・トウェインと全くの同時代人で、ポスト南北戦争の退嬰的な気分(と経済)に対して、冴えたアイロニーとわくわくした高揚感を吹きこんだ。ファーネスは「機略に満ちた折衷」の最初のモデルを完遂したてだれだったが、その裏には保守派好みの「尊称的」なフィギュラティヴの氾濫に飽き足らない合理主義のニュー・リッチの出現という事態が認められた。また彼の父は詩人のラルフ・ワルド・エマーソンと親交があり、その「超絶主義」をシェアしていたファーネスがボザールの軛を断ち切って、自由でインスピレーションに満ちた個性的クラシシズムの花を咲かせたのは当然だった。さらに言うなら、MITの固苦しい校風から逃れ、フィラデルフィアに住んでいた祖父を頼ったL・サリヴァンが最初に建築の手ほどきを受けたのもファーネスの事務所で、サリヴァンの作風にも正統派の外貌のかたわらで創造的折衷が息づいている。
ヴェンチューリの論旨は破竹の勢いで世界中に伝播していったが、その結末は意外に早く明らかになった。彼の説く「歴史性」は古今東西の語句を攻撃的に引用して〈歴史の外部〉を牽き出す能力にかかわるものだったが、多くのポストモダニストは歴史的言語を「孫引き」しただけのモデレートなものだったから、それはすぐさま「新古典主義」のように自足化して内部化されてしまうか、一方では興味深いキッチュと言うよりも単なる派生品を生み出す運命にあった。曖昧さの美学は、それが明晰なものでない限り、曖昧の範疇にとどまることはできない。これらに「連想力」を働かせる余地はなく、まだしもモダニズムのアブストラクトの方が想像力を刺激してくれる。事実経済が「安定成長」という名の停滞期に突入するとともに、神話化されたデザイン戦略は一気にしぼんでしまい、散発的なパフォーマンスに主座を明け渡したのである。

(Architecture) must embody the difficult unity of inclusion rather than easy unity of exclusion. More is not less.
(原著p.16)


ヴェンチューリはjuxtaposition(並置)という言い方やdifficult(またはgreater)wholeなど(多元的国家の国民としての)アメリカ人が無意識のうちに共感を覚えるような概念を多用している。また域内統合の道を歩みはじめたヨーロッパも同じくもたれ合いのイデオロギーに引き寄せられていた。その結果として、差異のゲーム場とも言うべき円卓が急速に形成され、均質化に基盤を置くモダニズムを批判的に超克するかに見えた。しかし歴史のつぎはぎ細工やポップな都市観が是認されるのは、主流派が支持を失い価値観や趣味が分極化する過渡期に限られるのではないだろうか。作家がキッチュを擬態する──意図的なキッチュ!──ような倒錯は一過性のもので、右派統一戦線(ネオ・モダン)がしずしずと登場するまでの「露払い」を果たしただけに終わる。
日本人は自らの意思表示に関して、今なお世界で最も曖昧な態度を貫いている。また現代に生きる私たちは、和と洋の折衷というラジカルなバランスの上に乗って曲芸のような生活を強いられている。しかしことさらにそのせめぎ合いを強調して可視化するようなやり方は(私たちにとって)曖昧の範疇に入らないし、自嘲的な後味を残してしまう。あるいはまた、日本の都市では個別の建築でわざわざ曖昧を表現する必要が生じる以前に、それぞれの取り合わせがまさにヘテロジーニアス(異種媒介性)そのものであると言える。もっともその性格は曖昧模糊というやつで、ヴェンチューリの概念とは本質的に異なる。この「何でもあり」の状況こそすべての表現を無効化する元凶なのだが、都市スケールでの本源的な曖昧性の脅威は、ほぼ一〇年たたないうちに当地でのポストモダンの可能性を打ち消してしまった。
ヴェンチューリの語り口は、とくに歴史上のサンプルをとり上げた場合に、軽妙にして洒脱、破天荒にして的確で思わず引きこまれてしまう。膨大な数のサンプルをとり上げて片っ端からやっつけるが、解説はほんの数行でアカデミックな枝葉末節はすべてとりはらわれている。テクストのアップ・テンポと爽快感は主としてここから生まれ、退屈な実証主義の古城はあっさりと明け渡されてしまった。彼の建築論はエピソードの集積から成り、それを支えた共同幻想には立ち入らない。歴史の残余物にはフェティッシュなまでの詮索好きを発揮するが、歴史自体の余りの面倒くささは敬して遠ざける。複数の軸線、求心性と遠心性の並置、二重内包性、スケールの変換などに着目するが、それがなぜ必要だったかという動機には深入りしない。そのため一部の「有識者」から、「建築と都市を突き動かしている因子には記号作用を超えた物質─精神の危機的局面が投影され、その問題を空間の〈複合性と対立性〉として機械的に投げ返すだけでは不十分」と通告されてしまう。
こうした批判にはヴェンチューリ本人に代わって、さらにパンチ力のあるフランク・ゲーリーが解答を寄せるだろう。すなわち「形象レヴェルの意味そのものしか示さないのがわれわれの流儀である」と。ここではっきり表明されているのは、建築的表現が目ざすのはその自己展開であり、その動機は社会に内在する亀裂や課題などに由来するのではなく、プロジェクトの現前としてそれらが示唆されているに過ぎない──という裏返った思想である。状況が建築をつくる……ではなく、建築が状況をつくるのだという確信──ヴェンチューリ理論は西海岸へ飛び火して変質し、曖昧性をかなぐり捨てて一段と迫力を増したようだ。
それも良いだろう。いずれにしても建築が建築のみにとどまることはできないのだから。重要なことは、この著書とそれに続く『ラスヴェガスから学ぶ』によってアメリカの都市─建築論の方向軸が供された事実の方である。ファーネスやカーンの事蹟──古典主義の解体──を牽きながらヴェンチューリがなしたオペレーションは、モダニズムのそれが歴史主義に加えられた超越的な批判とすれば、内部的な乗りこえ──アメリカの古典とは折衷様式そのものに他ならない──を意味した。同じく空前のギャンブル都市に対してD・スコット=ブラウンが画策した「ほめ殺し」の戦略は、隠蔽よりもマーケッティングの直喩つまりポチョムキン都市の積極的な受認ではなかったか。そこではヨーロッパの人間主義的な時空認識にアメリカの書割的な時空観が対置され、またこの夫妻の「曖昧で複合的な」関係さえ看てとれる。
ネオ・コルビュジアン的な地点から出発したホワイト派と、アメリカの土着的な小屋から出発したグレー派(ヴェンチューリの他にスターンやムーアがいた)にシカゴ派がからむといった構図は、様々な変容をこうむりつつも、今なおアメリカ建築界の見取り図を概括しているように思われる。一般大衆の嗜好品としての建築(都市)に表現を与えた功績は、フィリップ・ジョンソンともども分かち合うとして、マス・カルチュアの退潮とその後の経済の「浮揚」に伴って生起した「現実回帰による現実回避」こそ問題ではないか。動作はのろいが見切りは素早いという老熟した資本主義に密着した攪乱操作が要請され、今や物的な曖昧性はその背後に介在する関係性──特に政治性──のせめぎ合いを抜きにしては語り得なくなった。「(ポップよりも)ハイプ(Hype)を志向する」と語る近年のヴェンチューリはあいかわらず希望的だが、持ち前の二重底はもはや体制のダイエットに奉仕しているように見える。

ヴェンチューリ&D・スコット=ブラウンによる「パッチワーク都市」 『Venturi Scott Brown & Associates』 Academy ed.より

ヴェンチューリ&D・スコット=ブラウンによる「パッチワーク都市」
『Venturi Scott Brown & Associates』 Academy ed.より


★一──岩波文庫(中野好夫訳)。
★二──Robert Venturi, Complexity and Contradiction in Architecture, MOMA, 1966, 1977(2nd, ed.)[『建築の多様性と対立性』R・ヴェンチューリ著、伊藤公文訳、鹿島出版会、一九八二年]。

>大島哲蔵(オオシマ・テツゾウ)

1948年生
スクウォッター(建築情報)主宰。批評家。

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1906年 - 2005年
建築家。