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未だ分節されざる原=教会──アーミッシュの宗教空間 | 五十嵐太郎+大川信行
A Still-Undivided "Ur"-Church: The Spiritual Space of the Amish | Igarashi Taro, Okawa Nobuyuki
掲載『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) pp.34-38

聖なる建築はどのように発生したのだろうか? これを哲学的な思索によらず、ビルディング・タイプの問題として考えてみたい。建築史の教科書をひもといて見れば、最初にヒトの住まう家が登場する。次に貧富の差が生まれ、階級が芽ばえ、住居から諸機能が分節を始める。例えば、モノが住まう倉庫(前回のテーマだ)。ここに余剰な資産が収蔵され、やがて実用性よりも権力を象徴するコノテーションを担う。また共同体の余剰な資産によってあらわれるのが、カミの住まう神殿である。古代の日本において住居、倉庫、神社が類似しているのは、故なきことではない。切妻屋根の高床穀倉は、もともと農耕文化において重視される対象物であったが、神を祭る施設に読み換えられ、特に神明造りの原型になったとも言われているからだ。つまり高倉が神殿になったのである(ギリシア神殿は神像を設置する倉庫ではなかったか?)。だが、小さな共同体の枠を越えて宗教が膨脹を続けると、キリスト教や仏教のように、今度は増加した信者を施設内にいかに収容するかが問題となる。それゆえ初期キリスト教の建築は、市民が集う施設、すなわち古代ローマのバシリカを参照したのであり、中世以降の仏教建築でも大人数を集める礼拝空間が発展していったのだ。
ところで今回は、宗教空間が個体として分節される以前の状態を見るために、アーミッシュのケース・スタディを行なう。彼らはきわめて敬虔な宗教集団であるにもかかわらず、教会堂にあたる建物を持たないからだ。アーミッシュの源流は宗教改革のスイス兄弟団にさかのぼり、一六三九年に若い牧師ヤコブ・アマンがより純粋な教会を追求するために、そこから分派した教団である。が、彼らも周囲から弾圧され、一七一一年にはスイスのベルン市当局が北アメリカ追放計画を決定している。最初の記録は不確かで書物によって様々であるが、少なくとも一七二七年にはアーミッシュの信者がペンシルベニアに移住したことが知られている。一七三七年には二一家族が海を渡った。そこはウィリアム・ペンが信仰の自由を保証していた土地だった。当初、新世界のコミュニティは少しずつ増えていたが、一八一七年から六〇年にかけては三〇〇〇人がスイスの山から移住する。その後、二〇世紀に人口はアメリカ内で一気に増え、二〇年ごとにほぼ倍加している。教団は一九〇五年の八二〇〇人から一九九二年の 七八〇〇〇人にまで成長した。アーミッシュは旧世界から新世界への移民宗教のひとつであるが、やはりヨーロッパでは開化することなく、真にアメリカで根付いたものといえるだろう。
アーミッシュに教会がない理由は二つある。第一に、ヨーロッパで迫害されたときに礼拝堂が攻撃の対象となったり、再洗礼派狩りを逃れて洞窟などで集会をしたことを忘れていないからだ(トルコの地下都市も、弾圧されたキリスト教のコミュニティである)。今でも初期の殉教者は語りつがれ、彼らは迫害の記憶を継承している。そして第二に、時間にあらがう復古主義的な態度によって、イエスとその弟子の時代にならい、家で礼拝することを選択したからだ。
確かにローマでキリスト教が公認されるまで、信徒たちは住宅やカタコンベにおいて、文字通りの地下活動を展開していたのであり、ゴシックの大伽藍が登場したのはそれから一〇〇〇年後のことだ。こうしてアーミッシュは二週に一度、日曜日に開かれる礼拝を、各自の家において持ち回りで行なう。その結果、彼らの住宅はやや特殊なつくりをもつ[図1]。子供が平均八人の大家族だからというよりも、礼拝時に約二〇〇人を入れるために住宅はかなり大きめに作られ、一階は広い扉や取り外しのできる仕切りを用いている。が、巨大家屋に人を収容できないほどにコミュニティが成長すると、教区を二つに分けるようだ。住宅は二〜三室に分かれて座る人々が、説教者の立つ中心の部屋(説教壇は置かない)に視線を向けられるように考えられている。問題は臨時に必要となるベンチだ。これはコミュニティ内に設けられたベンチ小屋に納められ、担当の家まで馬車を使い、特別のベンチ用ワゴンにのせて運ぶ[図2]。部屋が異なるほど徹底したものではないが、基本的に男女は分かれて座る。それでも女性と子供を一室にまとめる傾向はあるようだ。原始キリスト教の時代には特別な宗教教育を受けた聖職者が存在しなかったことにならい、アーミッシュはコミュニティ内から良き生活を実践する人物を該当者に選ぶという(ただし女性以外)。彼らは一六世紀の讃美歌を当時のやり方で歌い、ドイツ語で礼拝を進める。そして三時間に及ぶ長い礼拝の後、全員で食事をとる(大量の食事ゆえに近隣の女性の助けを借りて、数日前からその家の婦人が準備する)。共同体の生活はまさに家が中心であり、礼拝以外にも洗礼式、結婚式、葬式を含む、すべての儀式は自宅で行なわれるのだ[図3]。すなわち、いずれも未分節のままに諸機能が住宅に付随している。家のほかで集まりが発生する唯一の例外は、一人の先生のもとに小学校一年から八年までがともに学ぶワン・ルーム・スクールの学校だろう。ここでは基礎教育のみを伝授し、不必要な知識は学習しない(それゆえ、かつて国家と教育問題で摩擦を起こした)。
アーミッシュの住宅は、一階に居間や台所(大家族用の長いテーブルと長いベンチを置く)、二階に家族それぞれの寝室(押し入れがなく壁に衣類をかける)がある。そして風呂場はなく、便所は家の外に置かれるという。が、この構成はそれほど珍しいものではない。おそらく最も特徴的なことは、装飾の排除への意志だろう。規定は地域によって微妙に異なるが、今世紀半ばのオハイオ州のあるコミュニティの場合はこうだ。
「どんな種類の建物の内部であれ外部であれ、装飾はいけない。意匠を凝らした柵はいけない。リノリウム、油布、棚板、そして壁紙は質素であり、華美でないこと。詰め込み過ぎた家具や贅沢な品物は禁じられている。ドイリーやナプキンもいけない。大きな鏡(装飾的なガラス製品)、彫像や壁画も装飾に使うのはいけない。……カーテンは暗緑色の巻軸か黒い布を使用すること。……ストーヴを新しく買うなら黒色でなければならない」。
彼らは装飾はうぬぼれと考え、ボタンや宝石の禁止など、規定は衣服や家具にいたるまで細かく決めている。デザイン的に言えば、すべては反装飾と地味な色を推奨するものだ。優れた家具を生むシェーカー教徒にも厳しい規則を認められるが、ともに装飾を罪悪とみなす近代の機能主義を想起させる態度といえる。もっともアーミッシュやシェーカーは、積極的な外部への布教よりも自己完結的な共同体の維持の方に熱心だったから、(ゴシックやバロックのように)メディアとしての宗教空間を華美に飾る必要がなかったのかもしれない。かろうじて彼らの文化で装飾的なのが、女性たちのつむぐ独特なアーミッシュ・キルトである(禁欲の発露?)[図4]。とはいえ単純な幾何学模様や縞模様を多用したキルトでは、絶対に具象的な絵柄を使わない。ちなみに共同体は助け合いの絆が強力である[図5]反面において、共同体の掟を破ったものへの罰則は厳しい。そうした人物は家族と同じ食卓につくことも許されず、やがては共同体からの追放を余儀なくされてしまう。
外部世界と隔離され、時間からも取り残されたユートピア。彼らはハルマゲドンを到来させることもなく、資本主義のサイクルに組み込まれることもなく、農業を中心にした自給自足のシンプル・ライフを営み、およそ二〇〇年前の生活様式を守ってきた。アーミッシュは都市内にゲットーを作らず、田園風景に自らの安息地を見出した。彼らが外部と接続する機械=電話の住宅内への侵入を拒否したのは象徴的である(近代文明を受け入れず、電気やガスも使用しないからTVもない)。たとえそれが設置されるとしても、家の外部に電話を置くことしか許さないのだ[図6]。アーミッシュは電話がコミュニティを寸断する脅威を感じたのだろうか(代わりに、政治面も経済面もないアーミッシュの新聞が全米のコミュニティをつなぐ)。ところが、D・B・クレイビルらの研究によれば、近年、アーミッシュの小企業が増えており、共同体は変質しているようである。だが、それは自然と共生するアーミッシュという常套文句から、資本と共生するアーミッシュへの、新しい文化的なモデルの提供を意味しているのだ。時計の針が動き始めた彼らの、今後の動向が注目される。(I)

1──住宅。母屋に連結した左の小住宅は、隠居した祖父母の家

1──住宅。母屋に連結した左の小住宅は、隠居した祖父母の家

2──ベンチ専用ワゴン

2──ベンチ専用ワゴン


3──結婚式の時の屋内テーブル配置

3──結婚式の時の屋内テーブル配置

4──1880年頃に制作されたキルト

4──1880年頃に制作されたキルト

5──助け合いによって、1日で仕上げる納屋づくり

5──助け合いによって、1日で仕上げる納屋づくり

6──畑の中に立つ白い木造の電話小屋

6──畑の中に立つ白い木造の電話小屋

『地球の歩き方』で知ったのだが、ペンシルベニヤ州ランカスター郡ウォールナットのアーミッシュ・コミュニティを訪れる人必見の映画と言えば、ハリソン・フォード主演した『刑事ジョン・ブック目撃者』(一九八五年)と相場が決まっているらしい(『建築雑誌』一九九五年一月号の特集「映画と建築」にも記載あり)。本物のアーミッシュ・コミュニティの中でロケされた映像は参考資料とするに充分な価値がある。NHKのワールドTVスペシャルで放送されたスイスEKIS制作(スイスといえばアーミッシュ発祥の地)『アーミッシュの世界──現代文明を拒否する人々』で紹介されていたが、彼らは具像を嫌うので写真や映像でも自らの正面を撮らせないから、撮影にはエキストラを含めてかなりの制約を伴う。
しかしこちらのアーミッシュは尋常ではない。『Xファイル』のNo・13、"GENDER BENDER"は、マサチューセッツ州スティーブストンの「キンドリッド」というアーミッシュをモデルにした仮想のコミュニティが舞台だ。結論から言うと彼らはどうやら宇宙人なのだが、相手に触れただけでその人間に通常の数百倍のフェロモンを分泌させ、ついにはショック死させてしまう。普通の人間とは生活できないため、必然的に森の中を二キロ歩かねばならない僻地にコミュニティが形成される。その構成員の一人が街で性的殺人を繰り返したことから、「キンドリッド」の秘密はFBIの知るところとなってしまう……加えて彼らには両性具有という身体的特徴が備わっている。詳細は本編を見ていてもよくわからないのだが、先の殺人犯は男としても女としてもセックスができるため、被害者は奇妙に男女同数となる。コミュニティの内部では男女は明確に区別されているのだが、どうやら死んだ時に性を転換して生命を再生されるらしい。アーミッシュはあまりに敬虔であるがゆえに、このようなフィクションを呼んでしまう。
『Xファイル』ではビルディング・タイプの未分化よりも性あるいは生の未分化というフィクションが印象的だが、これもビルディング・タイプの初源状態の一条件とは言えないか。住宅の定義も教会の定義も恐らくはこの近傍にある。    (O)

主要参考文献
J. A. HOSTETLER"AMISH SOCIETY" THE JOHNS HOPKINS UNIV. PRESS, 1978.
K. McLARY"AMISH STYLE" INDIANA UNIV. PRESS, 1993.
D. B. KRAYBILL"AMISH ENTERPRISE: FROM PLOWS TO PROFITS" THE JOHNS HOPKINS UNIV. PRESS,1995.
J・L・ダンクル『アーミッシュの贈り物』(主婦の友社、一九九五年)
池田智『アーミッシュの人びと』(サイマル出版会、一九九五年)
五十嵐太郎「『神の国』──アメリカ」(『建築文化』一九九七年一月号)

*この原稿は加筆訂正を施し、『ビルディングタイプの解剖学』として単行本化されています。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>大川信行(オオカワ・ノブユキ)

1968年生
建築家。

>『10+1』 No.08

特集=トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて