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写真者のテクスト──建築写真術の過剰 | 大島哲蔵
Text for Photographer: An Excess of Architectural Photography | Oshima Tetsuzo
掲載『10+1』 No.08 (トラヴェローグ、トライブ、トランスレーション──渚にて ) pp.28-31

建築を主導した言説に光をあてて、その含意を明らかにするシリーズも四回目を数える。今回は少し違った角度から、つまり「テクスト」を拡大解釈して、建築写真家(二川幸夫氏)が刊行をしている〈GAシリーズ〉をとり上げてみたい。GAシリーズは簡素なテクストが付されているが、それらの比重は相対的に低く、ここでの「本文」はあくまで写真の群れであり、それらが全体として建築界に及ぼした影響力は小さくないどころか、決定的だったと思われ、にもかかわらず余り論じられたことはない。
七〇年代から発刊が始まったGAシリーズは、従来の建築書に見られなかった特徴を三つ持っていた。大判で鮮明な写真が惜し気もなく満載されていたこと。版型自体も拡大サイズで数多くのシリーズが用意されていたこと、そして英・和文併記で和書とも洋書ともつかず、雑誌でも単行本でもなかった。こうした新しい形式は前例が無かったわけではないにせよ、二川氏が確立したもので、モダンからポストモダンへと場面が転換する──つまり視認性と流通性を優先した──時代の要請でもあった。
ひところよく耳にした「建築のメディア性」の範例が、写真撮影から出版流通まで一貫したラインで成立していたわけだが、そのレールの布設が一人の傑出した技能と直感力の持ち主の指先に依存していた事実は、「メディア」という多層的な相互関係に拠るべき概念が、(カメラの原理と同じ)一点集中の構造に偏する危険性──日本の「メディア論」が結局のところ看過した盲点──を内包していた。
そのプロセスは戦後の建築ジャーナリズムが頭打ちとなり、国際化と多極化に対応可能な出版媒体の登場が待たれていた矢先に「名のりをあげた」もので、それが「レンズ」という建築とダイレクトに向き合う現場から火がついたところに、同シリーズの秘めたる野望と画期的な戦略が浮き彫りにされている。写真術から発せられた弾道は、建築界という分厚い層を突き抜けて、時代的課題をも射程圏内にとらえたように思われる。
二川氏のレンズの基軸は初期の『日本の民家』(品切れ)で早くも確立された。しかしこの段階では被写体が日本的な情緒性を強要する面があるからかも知れないが、今よりは触感的で、建築という非生命体をあたかも生物のように、その息づかいまで盗み出すことに成功している。しかしその一方で容赦のない「アウラの剥奪」も通告され、レンズのアンビバレンスが前面に押し出されていた。従ってここでのスタンスはいまだ両義的で、芸術性への傾斜や記録に徹しようとする志向などが同居していた。
GAシリーズが開始された時点で、この振幅は一気に収束して世界のあらゆる名作と新作に対応可能なザッハリヒでニュートラルなアングルが確立された。個別のスケールと性向を秘めた撮影対象──シリーズを重ねるにつれて名作から新作へ、そして再び名作へと移行した──を、グラフ誌のフォアマットに収用して、パノプティカルな箱庭に染めあげる発想(世界名作全集)はやや日本的だが、それを可能にした技倆と建築眼はまさにグローバル(worldwide)な水準をクリアしていた。いかなる場合もストレートに被写体へ肉薄する頑固なまでの形式感を欠いたなら、同シリーズのかくも目ざましい成功はあり得なかっただろう。

写真そのものを見るか、写った建築を見るか、それとも……

建築は写真術がスタートして以来の重要なレパートリィであった。当初それは風景の一要素として特別な処遇を与えられることなく印画紙に溶け込んでいた。しかし今世紀に入って写真が芸術性に目ざめると同時に、建築は個性的な役割を演じる「登場人物」として、いくぶんロマンチックまたは詩的にではあれ、それ自身のキャラクターの表出に意が用いられた。一九二〇年代の半ばになると幾人かの「芸術写真家」が建築写真に手を染めるようになり、時あたかもモダニズムの高揚期と重なっていたから、ヴェルナー・マンツに見られるように彼らは「コンポジション」をそのまま写真術にも適用した。
この流れとは別に、やはり世紀の変わり目以降、メジャーな建築家や組織事務所は記録や発表用に写真を発注した。それらは建築のポートレイトという紋切り型の構図ではあったが、その表現力と説得性を次第に向上させており、この二つの流れが合流して成立したのが、芸術性をクリアした建築写真術の確立であり、二川氏の一つ上の世代であるエズラ・ストーラー★一(ニューヨークを本拠に活動した)や「ケース・スタディハウス」で有名なジュリウス・シュルマン★二 らがそれを代表している。
彼らのイメージはモノクローム/モダニズムを基調に、自然に溶け込むと同時にそれと雄渾に対立する人工物として建築を描き出した。芸術的な身振りやストイックな構成感は和らげられ、スタイリッシュな伸びやかさに換骨奪胎され、その路線は現代の写真家(例えば村井修氏など)にも受け継がれている。しかしGAシリーズはこれらとも趣を異にしている。つまり同シリーズは本質的にカラー時代の産物であり、被写体がモダニズムだろうとポストモダニズムだろうと選ぶところがない。建築写真の唯一のコンプレックスであった「芸術性」も、この場合は問題にならない。というのも、コマーシャル・フォトの水準はとっくに(思わせぶりな)芸術写真に追いつき、表現面でも──とくに二川氏の場合は──自律的な論法を揺るぎないものにしていた。
しかしこうした建築写真の固有性の確立、つまり情緒性やイデオロギー臭を排してモノとしての被写体に焦点を絞ることが良いことずくめだったわけではない。この場合、入手されたスタイルは「スタイルの超絶」──アドホックの禁止──だったから、あたかもレンズが定常的でありうるかのような身振りは、かえって「レンズの中立性の神話」を危ういものにする。リアリズムに徹しているように見えたGAシリーズが、そうであるがゆえに抱え込んでしまう操作性(政治性)というものが存在する。感情移入を凍結した写真の反復的な投与は、生産性向上のための環境音楽のようなものとなり、図像の差異を薄めてしまう。同シリーズの図版はどれ一つとっても一級品なのだが、それだけに心に残る突出したものは一つもない。逆に言えば、対象や表現へのフェティシズム(偏愛)が表面化している「芸術仕立て」の方が、同じく建築そのものは捉えられないとしても、錯誤が少ないと言えるかもしれない。これは流暢な文体の持ち主が、必ずしも論争家として適さないのに似ている。
レンズの支配力は建築(建築家)の意識にも影響力を及ぼす。フォトジェニックになろうとする防御本能が作動し、建築はモデルのようにカメラを意識し始める。建築はレンズに奪われる快感に抗しきれず、パフォーマンス性を身につけてショウ・ピースのごときものとなる。実際にはあり得ないアングルや先読みされた処法がシミュラクルな効果を演出する。建築の側からのすり寄りとカメラ・アイの普遍妥当性との握手が暗黙裏に仕組まれたものであることが判明するのはこの地点においてである。
八〇年代に急速に消費され陳腐化した画像情報はヌードとデザインだった。物量作戦と煽情性をエスカレートすることが自己目的化し競い合うように没落していった。この当時ある京都の異能作家は、彫琢された肢体(石・コンクリート・金属で制作されたレリーフ)を惜しげもなくレンズにさらしたのだったが、内に抱えた虚無つまり写らないはずの「プランニングの欠如」が完璧なまでのファサードにありありと映し出され、その後深刻なスランプに陥ってしまった。この場合に限ってカメラはX線のような効果を発揮して、レンズと同衾した作家を裏切ったと言えよう。

ヴェルナー・マンツ、アパートメント(ケルン)、1928年 (『The Architectural Photography of Julius』より)

ヴェルナー・マンツ、アパートメント(ケルン)、1928年
(『The Architectural Photography of Julius』より)

ピクトリアリスト(Pictorealist)の論法

しかし巧妙なすり替えは写真術に本来的な性格であり、撮影者と被写体そして写真を見る者の三角関係のなかでは、欺かれた者が結局のところ引き下がらねばならない。そもそもリアリズムという用語自体が詐術的な響きを持つが、真を写し出すと称する技術が背信的な側面を併せもつのは当然だろう。フォトグラフとはギリシャ語で「光の記録」を意味し、物体に投げかけられた光の濃淡──真実の幻──ではあっても対象そのものの性質を解き明かす意思はもたない。しかも時代の感性は圧倒的に内実よりもアピアランスを重視しており、ヴィジョンの優位は動かず、「透明性」が重視され構造体さえもディスプレイを競い合う。
建築写真はどこまで行っても外貌の形式的捕縛で、空間の要件を闡明する機能は持たないのだろうか……。ベッヒャー夫妻の給水塔や工業プラントの写真★三 の方が、建築表現の根幹に抵触するイメージを喚起するのは皮肉な結果ではある。技術者は必要性に裏打ちされて物理的メカニズムを構築する。撮影者がオブジェクトを定点観測しさえすれば、後はそれに触発された想像力が発動する。同様にアノニマスな建物も比較的問題を起こさないと言えるだろう。表現を競う建築作品のリプリゼンテーション、つまり表現を表現するGAシリーズがその矛盾を回避するため選んだのは、作品の報道写真に徹するという論法(GAドキュメント)だった。魔法の連射(写)レンズはいかなるものもつけ加えず濾過もせず、判断は読者に委ねられているというわけだが、ここに「解釈の不可避性」という落とし穴が仕掛けられている。作品──それが芸術的と呼ぶに値するなら──を「客観的」に記述したり「写し取る」ことなど不可能で、テクストや写真は作品の一翼を担うのである。
カメラというメカニズムを「自律」させた才人は、また写真の本質にヴェールをかける才にも恵まれ、結果的にレンズは収奪の装置に転化する。建築へのアプローチはシャッター(よろい戸)を切った瞬間に字義どおり「閉ざされる」のである。ファインダーの冷感症は写真に焼き付けられ、網膜にささやかな波動を送り届けるだけだ。世界の建築に縦横無尽のアクセス道を開削した同シリーズだったが、それは一方通行の情報ハイウェイで「傍を素通り」するだけである。構図の確認が知悉──対象に切り込むこと──になり代わり、写らないものはそもそも無かったに等しい。しかしこれでは(写真術は)フォト・リアリズム絵画以下の存在にとどまる。
「アウラの否定」は空間の商品化に際して避けることの出来ない手順ではあったが、その陳腐化にも同時に貢献する。コルビュジエの言う「もの見ない目」は「過剰に見る目」にも生起する。時空を超越したグローバル・アイという存在が、擬似的な想像力の発現──ニューカマーはシラミつぶしにされている──に手を貸す一方で、建築的な創造力を封殺しマニュアル(カタログ)化に奉仕する可能性は高い。むろんこうした嫌疑はいきなり同シリーズに向けられるべきではなく、購読者の側の写真に対する無防備──批判的構成能力の欠如──という問題なのだが、送り手の側で「写真の論理」が盲信された帰結とも言い得る。
「二川イズム」に対するリアクションは、国内はもとより海外からも発せられている。つまり『エル・クロッキー』というGAシリーズとほぼ同じ体裁をまとったスペインのシリーズが急速に支持を拡大している。ここで写真を担当しているのも主に日本人なのだが、ロケーション(風光)を意識した撮り方やネオ・モダニズム的な視点を強調した編集方針──ハイテックを切り捨てるなど穏健ながら党派性を持つ──は、むしろGAシリーズ以前の段階に回帰しているように見える。またイギリスの出版社からはGAドキュメントと全く同じ版型で『Architecture in Detail』(Phaidon)というシリーズが刊行中で、これも明らかに「巻き返し」の動きととらえることができる。一期一会の直截主義に対抗して成熟したヒエラルキーで報いたと言えるが、しかしフォトグラファーがイニシアティブを握るような異例の新機軸は認められず、内容から言っても健全なものに止まっている。
撮られることによって魂を抜かれてしまう「空間の虚弱」──写真術の優位がますます顕著になっている──をさておくと、絵画描写の補助的手段(カメラ・オブスキュラ)として出発したマジカルな技法は、言説テクスト図    面ドローイングのもつ説得力を完全に凌駕してしまった。そして他ならぬGAシリーズによって、建築写真というものが──現代建築の表面上の隆盛と内面での不毛に責任を負う──メタ・テクストであることが証明された。


★一──Modern Architecture: Photography by Ezra Stoller, Abrams, 1990
★二──A Constructed View: The Architectural Photography of Julius Schulman, Rizzoli, 1994
★三──Water Towers, MIT, 1988(品切れ)、Gas Tanks, Schirmer/Mosel, 1993(英語版)

>大島哲蔵(オオシマ・テツゾウ)

1948年生
スクウォッター(建築情報)主宰。批評家。

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