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呼吸する機械:病院──近代的衛生観と建築 | 五十嵐太郎+大川信行
The Hospital as Breathing Machine: Architecture and Modern Hygiene | Igarashi Taro, Okawa Nobuyuki
掲載『10+1』 No.06 (サイバーアーキテクチャー) pp.34-37

グロピウスに至る近代建築の軌跡を描く、N・ペヴスナーの『モダン・デザインの展開』(一九三六年)を、その弟子のバンハムは厳しく批判している。ベルファストのロイヤル・ヴィクトリア病院(一九〇三年)がきわめて斬新な環境のマシーンとして設計されたにもかかわらず、おそらくそれがヴィクトリア朝の流行遅れの外観を持っていたために、まったく言及されていなかったからだ。この見過ごしは重要である。まさに様式史としての建築史が、その限界を露呈する空隙であり、後のペヴスナーによる『ビルディング・タイプの歴史』(一九七五年)にも残る後遺症となるのだから。ベルファストの病院には徹底したエコノミーの原理が働き、新たな形式を生む。当時、衛生を考慮して分離されていた病棟が、もはや蒸気機関による強制換気という新しいテクノロジーの前には、かえって表面積の増加ゆえに熱損失の原因となり、各病棟を単一の構造体にまとめる必要が発生したのだ。平面を最大限にコンパクト化し、ダクトの長さを最小限にすること。外気に触れる面積が減ったぶん、低層の天窓採光型に変えること。環境のシステムが建築を変えたのである。そして温度と湿度を制御された新鮮な空気が、巨大なダクトから分配路を経由し、頭上から各部屋に送り込まれる。呼吸する機械としての病院。バンハムは確信をもって、この病院が一九一四年以前のグロピウスのどの作品よりもはるかに近代的で、先駆的だったという。
空気の流れが、病院の重要な問題構制になるのは、衛生観が大きく変化した一八世紀に遡る。例えば、J・ハワードは『監獄の現状』(一七八四年)で、「いったん吸い込んでから吐き出された空気は、監獄内の病人、その他臭気を発するものの毒気で、いっそう汚染され、監獄のなかにある他のものにも害をおよぼす。私の衣服も最初の視察旅行であまりにもひどく汚染された」と述べ、さらには「汚染され腐敗した空気は、刺激的かつ強烈な性質を有しており、オーク材を芯まで腐らせ、溶解させてしまう。よって建造物の壁には、この有害な物質が何年分も蓄積されることになる」という意見を紹介している。監獄の観察ではあるが、細菌学以前に、空気の腐敗が疫病を広める、空気感染説が信じられていために、一般に空気に対する恐怖心が異常に強かったことを知るのには十分であろう。そして監獄と病院の親近性(概念的にも、ようやく分化をはじめる頃だった)や、病院が腐敗した空気の発生源であるのを考えれば、最初に病院が空気の流れに神経を使ったことは不思議ではない。建物が気密状態になった背景のひとつには、窓税なる悪法の存在もあったらしいが(窓が六つ以上ある家屋に課税するというもの。イギリスで一六九七年から一八五一年まで実施された)、やがて新鮮な空気を求める運動は強迫観念のように高まり、不浄な墓地は囲われるか郊外に追い出され、パリでは市壁すらも都市の空気の流通の妨げになるとして攻撃される。つまりそれは最初の、真に都市的な問題としても認知されたのだった。空気はあたかも建築・都市の血管のごとく、その体内を駆けめぐる(もちろん人体の内部にも侵入する)。そしてフーコーにならえば、一八世紀に空気を媒介とする流行病は、国家が介入する場に編成されていく。
風と健康の関係はウィトルウィウスの時代から説かれているとはいえ、近代科学としての空気の扱いは、一七世紀にボイルが気体力学の基礎を築いたときに始まる。すなわち、いかに空気が動き、振る舞うのかが、知の対象となったわけである。そしてさまざまな分野の人物が実用的な研究を行なう。早い例では、一七一三年にゴージェが暖房と換気を同時に行なうことを提唱したり、発明家のヘイルズが、船、病院や監獄のために『換気装置の解説』(一七四三年)を書き、モローの『病室の空気を入れ替えるための諸々の方法』(一七四八年)、モンソーの『船乗りの健康を維持する方法と、病室の空気をきれいにする方法』(一七五九年)、ジュネットの『病院、監獄、そして船のよどんだ空気の浄化』(一七六七年)が続く。彼らは感染した空気が清浄な空気より重いだとか、高い位置の開口が排気に良いことなどを議論していた。また船が問題視されたことから、フランス海軍でも多くの実験が重ねられていた。一七六〇年代には、ロージエ、パット、ペイルらの建築家が、空気の浄化という観点から、広場や噴水が都市に必要だと主張している。一七七〇年代には、科学者のJ・プリーストリらが空気の腐敗する原因を究明しつつ、空気の組成や呼吸の仕組みも研究していた。他にラヴォワジエが劇場や病院の汚れた空気を採集したり、オリヴィエが空気の腐敗効果を調べたり、王立医学協会が伝染病がうつる際の空気の役割を懸賞論文としたのも、この頃である。
ヘイルズの機械は影響力があったようで、実際に監獄や病院に使われ、屋根の上に風車を仕掛けた換気装置を設けていた。また外挿する装置としてはふいごがあり、例えば、一七九三年の軍事病院のモデル案では病棟の端壁に突込んだものがみられる[図1]。そして軍で開発された換気の技術は、民間の病院に利用されていったという。それでは空気の形態として建物全体が設計された事例はないのだろうか。一七七二年、パリ市立病院の火災後、建築家と医学の専門家が共同作業をしたことがその契機となった。第一に、一七七四年、医者にして解剖学者のA・プティが発表した新パリ市立病院案である。場所は大都市の汚れた空気を避け、健康の象徴として都市を見下ろす小高い丘。平面は礼拝堂を収めた円錐状の中央部から、屋根つきのアーケードをめぐらす外の円に向かって、六本の病棟が放射状にのびる。彼はそれまでの汚染する機械だった矩形の平面を拒否し、空気の流れやサービスの速度というエコノミーにより、円形の平面を採用する。一見、ベンサムのパノプティコンを連想させる平面だが、たとえ中央に神や看護婦が置かれようとも、あくまでも視線の形態ではなく、空気の形態が優先されていたことは注意すべきだろう。そして興味深いのは、A・ヴィドラーの指摘によれば、中央の円錐部[図2]がディドロの『百科全書』に掲載されていたイギリスのガラス製造工場に酷似していることだ。プティは自ら「ひっくり返した煙突の形」だと言っているように、中央のドームは全体の空気を管理・統合する巨大な換気装置として機能する。これに限らず、工場と病院は関係しており、ストラット綿工場の熱換気装置が病院に使われた例もある。一七七七年に発表された他の新パリ市立病院案では、医者のル・ロワと建築家のヴィエルが、各病棟のより精密な空調を試みた[図3]。「病棟は病人を治療する機械である」の名言で知られた、ル・ロワは鉱坑にヒントを得て、尖頭形の天井に通気孔、屋根に風見を設けた単位を連続させた病棟を考案している。さらに床暖房が空気の上昇を促進するという。彼からほぼ百年後のトレの病棟も、兵役時に換気に関心をもったことがきっかけだったらしいが、ル・ロワの系譜を洗練させたものだ[図4]。そして医者のマレと建築家のジャック・スフローによる一七八二年の病院計画の場合、病棟は空気の運動する形態そのものに従わされたのである[図5]。マレは空気が明確な幾何学をもつと考え、それが錐面を描くゆえに、四角い部屋は悪い空気を隅部に澱ませるとみなした。したがって楕円の天井や流線形の断面により、ついに病棟は「風のトンネル」になる。
一九世紀は「病める都市」が課題だった。ヴィクトリア(一八四九年)など、当時の理想都市の多くが衛生に気配りをしており、リチャードソンの考案した理想病院都市ハイジーア(一八七六年)も、道路網から個別の建築まで、あらゆる細部で通気が配慮されていた。そして二〇世紀は病院が都市になる。病院の巨大化だ。マンハッタンの巨大病院(一九三三─)も著名だが、一五〇〇人の患者と三〇〇〇人の学生を収容できる、ヨーロッパ最大級のアーヘン大学工科大学、医学部新棟の病院(一九六八─八六)はマンハッタン的なグリッド道路のサーキュレーション・システムを内包し、空調などの大量の設備のネットワークを抱えている。が、もはや一八世紀のように空気と形態の幸せな一致はない。むしろ、その関係は不可視であり、皮肉なことにポップな配色のハイテク・デザインが殊更にダクトなどの配管を強調する始末だ。合理化=巨大化、これはテクノロジーのなせる技なのだろう。しかし、その技術が最後に行き着く先は? そして電気通信や人工知能が飛躍的に発展するならば? A・ツォニスとL・ルフェーヴルはこう言う。「効率的で、崇高な健康の大聖堂を築き上げた、技術そのものが、すぐにその大聖堂を廃墟にかえるのではないだろうか。その時、巨大なるものの信仰は失われ、ホームドクターの机のなかに大聖堂はすっぽりと収まってしまうのだ」。
(I)

1──ふいご型の換気装置

1──ふいご型の換気装置

2──煙突型の換気装置

2──煙突型の換気装置

3──尖頭型の換気装置

3──尖頭型の換気装置

4──トレの病棟、1884年

4──トレの病棟、1884年

5──流線形の換気装置

5──流線形の換気装置

肺がわるかったようである。けれども自分のその病気に就いては、あまり私に語らなかった。
「においませんか。」と或る日、ふいと言ったことがある。「僕のからだ、くさいでしょう?」…
「いや、なんともない。」
「そうですか。においませんか。」
いや、お前はくさい。とは言えない。(太宰治『散華』)


可愛がっているこの学生の病が結核ではなくエボラ出血熱であったら、太宰は一週間以内に体中の孔という孔から血を噴き出し内臓を腐らせ、人形のように上を向いたままそこら中に地球史上最悪のウイルスをばらまいたことであろう。結核は堀辰雄のサナトリウム・ロマンスを生んだが、エボラは何を生むのか?
K・ブラナーの『フランケンシュタイン』に登場する都市インゴルシュタットはペスト──目に見えない恐怖──に首まで浸かっていたが、それでも Dr.フランケンシュタインのラボはまるで製鉄所のように視覚的・肉感的で暴力的でさえあった。しかしエボラを扱った『アウトブレイク』に登場するラボは完全に製剤工場か半導体工場のクリーンルームのようだ。「各レヴェルは危険度に応じて0、2、3、そして最高度に危険な4に区分されている(なぜか、レヴェル1は存在しない)。レヴェル2から4に至るすべての封じ込め区域は陰圧下に保たれている。そのため、万が一漏洩事故が生じた場合でも、空気は外から内側に流れ込むのでホットなウイルスが外部に流れ出る事態は避けられるのである」(R・プレストン『ホット・ゾーン』)。
病院や研究所のバイオ・クリーンルームではNASAの基準NHB-5340-2が用いられるが、これによると一フィート立方あたりの〇・五ミクロンの粒子数によってクリーン度はクラス100から100000まで三段階に分けられる。人間は存在自体が大きな塵であり汚物である。逆に言えば、病院設計の問題は人間という汚物をどう扱うかという問題だ。
「研究所には通称、スラマー(刑務所)というレヴェル4の封じ込め病院がある。そこに収容された患者は、やはり宇宙服を着た医師や看護婦による治療を受ける。もし危険なウイルスに感染してスラマーに入れられ、生きて退院することができなかった場合、死体は近くのレヴェル4封じ込め死体置場に運ばれる」(プレストン、前掲書)。
(O)
(おおかわ  のぶゆき/設計 いがらし  たろう/建築史)

J.D.Thompson & G.Goldin. The Hospital: A Social and Architectural History, Yale Univ. Press, 1975.
A. Vidler. The Writing of the Wall, Princeton Architectural Press, 1987.
R.Etlin. The Architecture of Death, MIT Press, 1987.
A・コルバン『においの歴史』(山田登世子他訳、藤原書店、一九九三年)

*この原稿は加筆訂正を施し、『ビルディングタイプの解剖学』として単行本化されています。

>五十嵐太郎(イガラシ・タロウ)

1967年生
東北大学大学院工学研究科教授。建築史。

>大川信行(オオカワ・ノブユキ)

1968年生
建築家。

>『10+1』 No.06

特集=サイバーアーキテクチャー