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写真は東京を記述しうるか──篠山紀信の「東京」 | 土屋誠一
Can Photography Describe Tokyo?: Kishin Shinoyama and Tokyo | Tsuchiya Seiichi
掲載『10+1』 No.47 (東京をどのように記述するか?) pp.111-117

今私の手元に、『東京写真』と題された一冊の書物がある★一。この書物は写真評論家の飯沢耕太郎によって著されたものであるが、この書物で扱われている写真家たちによって撮影された「東京」とは、東京という都市のフラグメントであると言っていい。扱われている写真家は次のとおり。桑原甲子雄、ウィリアム・クライン、内藤正敏、牛腸茂雄、荒木経惟、倉田精二、森山大道宮本隆司都築響一、長島有里枝。彼らの写真のほとんどに共通することは、その撮影においてぶらぶら歩きフ  ラ  ヌ  ー  ルが中心となっていることである。写真家のこのような撮影様式は、言うまでもなく写真史においてはさほど特殊なことではない。ライカのような機動性の高いカメラが一般的に使用されるようになってから、写真家はカメラを片手に街を彷徨し、都度現われる街の裂け目クラックに対してまなざしを注いできた。そこで獲得されたイメージは都市の綻びを表象し、その綻びは「都市」のリアリティを物語るものであるとしばしば理解されてきた。例えば桑原の写真は、戦前に撮影された東京の光景が時間的な「遅れ」をともなって出現したものであり、過去の光景の痕跡から導かれる記憶とその想起において、現在の視点から遡及的に都市の時間的な亀裂を露にするものである。あるいは、内藤正敏や荒木経惟は、都市の裂け目(まさに荒木の「ラッキーホール」がほかならぬ裂け目であるように)に対する注視を継続してきたと言える。内藤の『東京』(名著出版、一九八五)は都市の光に沈み込んだ闇に対して一条の光(フラッシュ)を投げかけることにおいて、闇の裂け目に出現する都市のフォークロア的な事物を浮き彫りにする作業であったし、荒木の撮影する女性の裸体に散見できる下着の跡や均整の取れていない生々しい身体の陰り、そして女性器という裂け目は、ノスタルジックな喪失感、あるいは取り返しのつかなさという感情に重ねられ、変貌する都市から類推的に、センチメントをかき立てるものである。また、森山大道がしばしば被写体とする事物における、フェティッシュなまでのディテールへの関心は、ディテールそのものへのミクロな注視が、「都市」というマクロな全体を事後的に想起させるような示唆的連関をもつものとして、観る者に理解させるであろう。
裂け目という点については、一見無関係な都築のような写真家においても、基調低音をなすものである。都築が『Tokyo Style』(京都書院、一九九三)でタイポロジカルに収集した賃貸住宅(しばしばワンルーム)のインテリアは、社会的地位やジェンダー、年齢や世帯構成の差異によって棲み分けられる「様々な意匠」をカタログ的に見せるが、そこでは「趣味」の差異化が極端なまでに進行していることを見せつけるとともに、賃貸住宅すなわち「仮のやどり」というエフェメラルかつ流動的な「場所」に寄 生パラジットする、差異化された趣味によって枠取られたさまざまな「私」の姿を露呈させる。差異化された「私(たち)」の共同性は、その各々が「Tokyo」という「シーニュの帝国」から与えられた情報に基づく多義性を示すものであるが、それはシミュラークルとしての趣味のトライブというゲットーに押し込められているものであり、そのトライブ間の裂け目こそが、逆説的に「Tokyo」という総体を浮かび上がらせる。
このように、飯沢が取りあげる「東京写真」家たちのまなざしは、その多くが裂け目へと向けられている。いや、そもそも写真とは、写される対象の自明性と写されたイメージとの間に発生する裂け目を発生させるための装置であった。写真論において繰り返し語られる、写真のインデックスとしての機能は、写される対象と密着的な関係にある。しかし、写真に発生する裂け目とは、このインデキシカルな自明性をまなざす際の、いわば剰余として発生する。ロラン・バルトの「プンクトゥム」やヴァルター・ベンヤミンがウジェーヌ・アジェの写真に指摘した「犯行現場」という形容は、まさにこの裂け目を指すものにほかならない。写真はそれ自体では、何か統一的な全体性をもった意味を表象しない。つまり、写真は常に、部分対象でしかありえないのだ。したがって、東京をまなざす写真家たちは、「東京」という全体を表象することを予め断念させられることになる。部分対象である裂け目を注視することは、都市の断片を収集するコレクターのまなざしにほかならない。収集された断片の集合は、シンタックスを形成し、単独のイメージから決定的に遅延して意味を湧出する。私たちがここに見て取る「東京」とは、インデックスの集積から象徴化された「東京」である。
ところで東京とは何であろうか。バルト以来、充溢した中心を欠いた都市として語られる「東京」は、確かに空虚なシーニュである。

わたしの語ろうとしている都市は、次のような貴重な逆説《いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である》という逆説を示してくれる。(…中略…)このようにして、空虚な主体にそって、想像的な世界が迂回してはまた方向を変えながら、循環しつつ広がっているのである★二。


この評言は、一九六六年から六八年の間に断続的に日本に滞在したバルトが東京から受けた印象によるものであるが、明確な外縁をもたずにスプロール化が進行し続けるこの首都においては、今日なお適切な評言足りえている。むろん、このような評言のみでは印象論に過ぎないし、一九八〇年代のバブル期に流行した、構造主義や記号論の語り口による東京論の域を出ないかもしれない。しかし、スクラップ・アンド・ビルドを繰り返すこの都市の特徴は今日も引き継がれており、東京を確定記述的に語るのが困難であることには変わりはない。東京を記述するために残される方法としては、歴史を遡行することで東京を分節化することであろうが、結局のところ八〇年代に流行した江戸ブームのような、捏造された起源へと反動的に回帰することが関の山である。では、東京はいかにして捉えられえるのか。

東京は(…中略…)とにかく延々と、なんか巨大なアメーバが、土地を侵蝕しながら富士の裾野に広がっていくようなとこでしょう。ひじょうに不定形ですよね。象徴もないし、中心もない★三。


篠山紀信はかつて、東京についてこのように語った。先の『東京写真』には選ばれていないものの、篠山は、「東京」を記述しえている写真家として、ほぼ唯一の存在であると言ってもよい。この篠山の発言は、ヘリコプターで東京を空撮した際の経験から語られている[図1]。

ほかの人の写真を見ると、どうしても東京の各論でしょう。湾岸とか下町とか東京の闇とか東京の……って。つまり各論ですよね。それは仕方ないんです。それしか撮れっこないんですよ。東京の総体を撮ろうなんていったって、絶対無理なんです。だけどぼくはバーンと上へ上がって、『東京はこういうものだ』と思った時に、無謀だけれども、東京の総論をやろうと思ったんです★四。


篠山が「東京」の撮影に成功したのは、「シノラマ」という方法論によるだろう。「シノラマ」とは主として三台のカメラを並べて撮影するという方法である。篠山の名とシネラマやパノラマを組み合わせた造語であるが、シノラマはワイドサイズのパノラマカメラとは本質的に異なる。例えば磯崎新は、シノラマの効果としてパースペクティヴの解体を挙げている。つまり、カメラ・アイが複数化されることによって、カメラ・オブスキュラに基づく一点透視法の視点が解体するというわけであるが★五、その説明のみでは絵画におけるキュビスムの試みと変わりはない。それよりもむしろ重要なのは、視点の複数化が、まなざす主体の存在を脱人称化するという点である。
『東京写真』の写真家たちに限らず、通常、写真が見せるイメージは、写真家=撮影する主体のまなざしを代行する。ノイエ・ザッハリヒカイトのような写真の機械主義は、被写体と撮影主体との結びつきを切断し、非人称的なまなざしを主張する。しかし、グラウンド・レヴェルに立ち、重力に拘束される撮影主体によるその写真は、撮影者のまなざしや身体を表象しがちである。撮られた写真と撮影者のまなざしは完全に切り離されることなく、被写体とのアントロポモルフィックな結びつきは、写真から遡及的に読み取られる撮影者の身体の想起によって温存されるのである。一方、シノラマによる視点の複数化は、写真に一対一対応してしまう撮影者というまなざしの主体を定位させないために仕組まれた、「東京」を「総論」として記述するための方法である。そこでは文字通りグラウンド・レヴェルから切断され、脱人称化されたまなざしが、外縁をもたないがゆえにその実体も欠いた「東京」という浮遊するシーニュを捉えうるのである。
ここで、一九八〇年代に書かれたテクストを参照しておこう。吉本隆明は『ハイ・イメージ論』のなかで、当時の都市論において都市の未来像として頻繁に参照された映画『ブレードランナー』における都市の表象を引きながら、都市のイメージを世界視線と普遍視線という二つのまなざしに分類する★六。いかにも吉本的なターミノロジーでにわかに理解し難いが、それぞれの視線は次のように説明される。
「世界視線からみられた都市像は、その都市が瞬間ごとに、自分の死を代償として自身の瞬間ごとの死につつある姿を上方から俯瞰している像に相当している」★七。一方、「人間の坐高視線地面から数十センチ、直立視線一メートル数十センチの地面に平行した視線が、いわば普遍視線」であるとされる。単純化してしまえば、俯瞰的な視線と地表から見る視線をそれぞれ意味しているわけであるが、吉本によれば必ずしも俯瞰視線のみが脱人称的な視線を意味するわけではない。むしろ吉本がこの視線の二分化において強調していることは、世界(垂直)視線と普遍(水平)視線との交点に現われる都市のイメージこそが、ハイ・イメージ、すなわちハイパーリアルな都市の像であるということだ。『ブレードランナー』の重層化された都市表象を吉本が引いているのは、東京という都市において吉本が一九八〇年代中葉において直面した都市イメージのハイパーリアル化の予兆を記述しようとしているからである。
篠山の『TOKYO NUDE』(朝日新聞社、一九九〇)に収められた次のようなショットは、吉本が記述しようとした東京の都市イメージをよく捉えている[図2]。単眼のまなざしでは撮影者のまなざしを想起させるパースペクティヴによって十全に都市の部分対象を描写してしまうであろうが、この篠山のショットは、一望的に捉えきれない近さと遠さがギクシャクしながらパノラミック(シノラミック?)な画面の中に同居しており、グラウンド・レヴェルから眺められる近景は、モノレールや電車の線路あるいはビルディングなどの世界視線と交点を結んでいる。イメージと撮影者とのアントロポモルフィックな癒着をシノラマという装置によって切断することで、「東京」は空撮による俯瞰に拠らずとも部分対象ではない「総体」として捉えられる。空撮の俯瞰像が示したとおり、「東京」がそもそも非実体的かつハイパーリアルなシミュラークル、すなわち空虚なシーニュでしかありえないことを、シノラマという脱人称的なメディアによって捉えているのだ。
磯崎新はかつて、篠山の写真を指して「Tokyo is photography」と呼んだことがある。このキャッチフレーズは磯崎らしいレトリックであるには違いないが、確かに篠山の写真は常に「東京」を写してきたと言ってよい。実際のところ、東京が明確な被写体として集中的に撮影された時期は、一九八四年にシノラマによって撮影され始めてから一九九二年に『TOKYO未来世紀』(小学館)にまとめられるまでの短い期間に過ぎない。しかし、週刊誌のようなメディアを中心にそれ以前から撮影し続けてきたグラビアアイドルなど大量の仕事は、すでに空虚なシーニュとしての「東京」をイメージに内在してきたものではなかったか。二〇〇〇年に刊行された図鑑的な写真集『アイドル』(河出書房新社)は一九七〇年代からの「アイドル」写真をまとめたものであるが、八角聡仁は篠山の「アイドル」を次のように定義する。

アイドルとはまさしく実体から乖離した「虚像」であり、人々の欲望が生み出した「幻影」にほかならない。極言すれば、アイドルとは、アイドル写真のことである。たとえば「山口百恵の写真」は生身の山口百恵との類似によって偶像となるわけではない。(…中略…)つまり写真は、実物の模写であるからではなく、相似した無数の「山口百恵の写真」が流通し、それを見て話題にする無数の人々がいることによって意味を持つ。(…中略…)そこでは、本物と幻影、オリジナルとコピーとの関係がすでに逆転しているのである★八。


そのようなアイドル写真のあり方と、「東京」という非実体的な虚像は完全に一致している。アイドルが、虚像としての「東京」というイメージの母胎マトリックスから醸造される虚像であるならば、篠山が膨大に撮影してきたアイドル写真とはすなわち「東京」の写し絵にほかならない。
今しがた、『アイドル』について「図鑑的な写真集」と形容したが、図鑑とはかつて中平卓馬によって夢みられた「植物図鑑」ともちろん無関係ではない★九。篠山と中平の共著『決闘写真論』(朝日新聞社、一九七七)において、中平は篠山の『家』(潮出版社、一九七五)について語りつつ、その写真を「遠近法が崩壊」していくものであると評する★一〇。遠近法の崩壊とは、象徴秩序によって発生する意味の深みに対して、写真が深みを欠いた表面にとどまることを意味するであろう。『TOKYO NUDE』の東京のロケーションに配されたマネキンのようなヌードの群れも、この表面と結びつくものである。これらの人物たちもまた、「内面」と呼ばれるような意味の深みを欠き、その皮膚だけが露呈される。その意味においては、初期の代表作である『晴れた日』(平凡社、一九七五)においてすでに、「晴れ」でしかない表面へと止まることは早くから実践されていたことであり、撮影されたロケーションの差異に関係なく、それらは東京が醸造する空虚で等価なシーニュであることによって、「東京写真」であったのだ。中平が夢みた「植物図鑑」とは、いわば東京写真の言い換えにほかならない。先に挙げた図鑑『アイドル』の本の見返しに、アイドル写真とは一見無関係であるような、シノラマによる東京の空撮が選ばれていることは、篠山の表面のみの写真がすなわち東京の表象であることを示している。だから、東京の中に挿入されたアイドルは、「東京」という都市イメージのなかに挿入された一枚の表面に過ぎず、浅いレイヤーとしてイメージを複層化するのみに止まるのである[図3]。
ジョナサン・クレーリーは、規律訓練型の視覚装置の史的編成とモダニティの起源を主題とする著書『観察者の系譜』の中で、近代を次のように的確に要約している。

近代化とは、資本主義が、大地に根付いたもの、根拠を与えられたものを根こそぎにして流動的なものにし、流通を妨げるものを排除し抹消して、存在を交換可能なものと化す過程なのである★一一。


さらに近代における写真については「十九世紀には、写真と貨幣とは社会的権力の相同的な形式となる。それらはいずれも、価値と欲望の単一でグローバルなネットワークに全ての主体を縛り付け、統一するための全体的システムなのである」と言う★一二。都市もまた、写真や貨幣と同様、シンギュラリティを交換可能なものとするように展開する。空間の均質性に対してエドワード・レルフは「没場所性」という概念を与えているが、そこでは濃密な意味の空間である「場所性」の対立項としての「没場所性」を、近代のアーバニズムに結びつけるとともに、マス・メディアによっても没場所性が供給されることを強調していることは傾聴に値する★一三。先の議論に結びつけるとするならば、写真によって供給されるイメージとはいわば、没場所性に相当するものであると言ってよい。レルフもその影響を受けたクリスチャン・ノルベルグ=シュルツは、彼が言うところの「実存的空間」を「地理学的段階」「景観的段階」「都市的段階」へと分節する★一四。この分節は、先の吉本の議論と同様、空間の垂直的認識から水平的認識への段階的移行を示している。しかし、レルフやイーフー・トゥアンのような現象学的(あるいは人間学的)地理学者やノルベルグ=シュルツのような現象学的建築論者は、人間中心主義的な疎外論の域を出るものではない。均質化した都市を身体の運動に依拠しつつ分節化し、濃密な場所性を再発見するという手続きには、実のところ没場所的な俯瞰的地図認識が前提とされることによってのみ可能になるような実存の様式であるからだ。吉本隆明が予見していたような垂直性と水平性が交わる交点に現われる都市像とは、都市に現実に存在する凹凸や襞が、濃密な実存や意味を発生させるような「生きられた空間」などではなく、それ自体非実体的なイメージに過ぎず、われわれの視覚経験においてはハイパーリアル化されているというヴィジョンであった。今世紀に生きるわれわれの環境は、身体性や場所性そのものが仮想的に与えられたものとして編成されている。GPSに象徴的であるような俯瞰的なデジタル・デヴァイスは、身体のポジショニングに関する認識を助けるものであるが、そこで身体化された主体とは、俯瞰像によって事後的に承認される仮想的なものであり、主体の確実性は所与として受肉化されているといったようなリアリティをなんら保証するものではない。このことを前提としない限り、今日の都市論者は、かつての人間中心主義をデジタル化されたキッチュとして反復する、疎外論の焼き直しにしかなりえない★一五。
篠山の写真に話を戻せば、近年の仕事は写真による東京の記述の困難さを示しているように思われる。このことは、イメージを表面に還元する俯瞰像が、デジタル・デヴァイスの進化によって容易に得られるようになった今日における、相対的な困難さの到来である。『Tokyo Addict』(小学館、二〇〇二)や『六本木ヒルズ×篠山紀信』(幻冬舎、二〇〇六)が八×一〇というクラシックな大判カメラによって撮影されていることは、映像化・流体化が進行する都市の景観の速度に比較して、写真がすでに遅いメディアになってしまったことの自覚の表われではなかろうか。都築響一は『Tokyo Addict』の序文において、細密描写が可能な八×一〇というカメラの使用について「スキャン」という形容をしているが★一六、この形容は必ずしも八×一〇の使用に対する十分な説明にはなっていない。東京を情報空間のアナロジーとして捉えることはそう新しい論点ではないが、例えば情報都市化の象徴とも言うべき六本木ヒルズの完成に合わせて制作された、押井守の『東京スキャナー』(二〇〇三)でさえも、すでに遅いイメージにしか感じられない。一九八〇年代に発せられた「Tokyo is photography」というキャッチフレーズは、情報空間に内面化されてしまった「東京」に対してはもはや有効期限が切れてしまっている。ならば、あえて現在の「東京」に対して八×一〇のカメラを対峙させることは、写真が「東京」の速度を撮り逃がしてしまうことを引き受けるための、アナクロニスティックな抵抗であると言うべきであろう[図4]。
しかし、このアナクロニズムに対して篠山は、「シノヤマキシン」という速度を対応させる。シノヤマキシンにおいて取り組まれる「アカルイハダカ」とは、『晴れた日』から一貫して撮り続けてきた空虚なシーニュの表象としての「東京」を、サイバースペースに内面化された「東京」に沿わせるための戦略であると言えるかもしれない。ラディカルなまでに徹底的に軽薄な「アカルイハダカ」に対して、東京の夜を主なロケーションとした『クライハダカ』(小学館、二〇〇七)[図5]を対置することは、サイバースペースの光と闇をシンボリックに描くものではまったくない。むしろ、情報空間に内面化された「東京」とは、「アカル」さや「クラ」さという対立を無効にする、すべてが明示的な空間であるということへのアイロニカルな応答であると言うべきだ。「digi+KISHIN」としてインターネット上で配信されるデジタル写真やムーヴィによる「アイドル写真」や「ヌード写真」には、しばしば被写体とは無関係と思われるような東京のランドスケープが差し挟まれる[図6]。中平卓馬が篠山の写真に見たであろう「植物図鑑」的な脱人称化されたまなざしは、かつて相対的に速かった写真イメージの流通と消費に相まって、表面に止まることを実践したが、その世界視線としての浅い表面は、ウェブカムのような人称的なまなざしにおいて代補されてしまったことを示す。しかし、この「東京」という空虚なシーニュとしての都市を、部分対象としてではなく「総体」として捉えようとする篠山の現在まで至る試行は、さまざまに試みられてきた東京の写真による表象を超えて、最もこの都市の本質に近似した希有な軌跡を描くものである。であるならば、「東京写真」という主題に即して言うならば、東京がすなわち写真であるというかつてのキャッチフレーズを換言して、「Tokyo photography is SHINOYAMA」と言わなければならない。

1──篠山紀信『TOKYO NUDE』(朝日新聞社、1990)より

1──篠山紀信『TOKYO NUDE』(朝日新聞社、1990)より

2──『TOKYO NUDE』より

2──『TOKYO NUDE』より

3──篠山紀信+吉川ひなの『ひなのがぴょんぴょん』 (朝日出版社、1996)より

3──篠山紀信+吉川ひなの『ひなのがぴょんぴょん』
(朝日出版社、1996)より

4──篠山紀信『Tokyo Addict』(小学館、2002)より

4──篠山紀信『Tokyo Addict』(小学館、2002)より


5──篠山紀信『クライハダカ』(小学館、2007)より

5──篠山紀信『クライハダカ』(小学館、2007)より

6──篠山紀信『digi+Girls No.2  digi+KISHIN×米倉涼子』 (朝日出版社、2004)より

6──篠山紀信『digi+Girls No.2  digi+KISHIN×米倉涼子』
(朝日出版社、2004)より


★一──飯沢耕太郎『東京写真』(INAX、一九九五)。
★二──ロラン・バルト『表徴の帝国』(宗左近訳、ちくま学芸文庫、一九九六)。
★三──「篠山紀信  シノラマこそが東京の本質を表現する」『東京人』一九九〇年九月号(都市出版)。
★四──★三に同じ。
★五──磯崎新「時代の新しい気分  シノラマ」『カメラ毎日』一九八五年三月号(毎日新聞社)。
★六──吉本隆明『ハイ・イメージ論I』(ちくま学芸文庫、二〇〇三)。とりわけ「映像都市論」「多空間論」を参照のこと。
★七──吉本、同書。
★八──八角聡仁「篠山紀信『アイドル』のための基礎知識」(篠山紀信『アイドル』所収、河出書房新社、二〇〇〇)
★九──中平卓馬『見続ける涯に火が……  批評集成一九六五─一九七七』(オシリス、二〇〇七)。
★一〇──篠山紀信+中平卓馬『決闘写真論』(朝日文庫、一九九五)。
★一一──ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜  視覚空間の変容とモダニティ』(遠藤知巳訳、以文社、二〇〇五)。
★一二──クレーリー、同書。
★一三──エドワード・レルフ『場所の現象学』(高野岳彦+阿部隆+石山美也子訳、ちくま学芸文庫、一九九九)。
★一四──クリスチャン・ノルベルグ=シュルツ『実存・空間・建築』(加藤邦男訳、鹿島出版会、一九七三)。
★一五──このことは、本誌四二号(二〇〇六)の特集「グラウンディング  地図を描く身体」のような、デジタル・デヴァイス環境下を前提とした都市研究の各論考を念頭に置いている。情報社会環境下における俯瞰の欲望と、それがもたらす知覚の編成については次の拙論を参照のこと。「世界の一望という神話│『Google Earth』とスキャンされる世界」『InterCommunication』五四号(NTT出版、二〇〇五)。
★一六──都築響一「篠山紀信というスキャナー」(篠山紀信『Tokyo Addict』所収、小学館、二〇〇二)。

>土屋誠一(ツチヤ・セイイチ)

1975年生
美術批評家。沖縄県立美術大学講師。http://stsuchiya.exblog.jp/。

>『10+1』 No.47

特集=東京をどのように記述するか?

>都築響一(ツヅキ・キョウイチ)

1956年 -
写真家、編集者。

>TOKYO STYLE

2003年

>ヴァルター・ベンヤミン

1892年 - 1940年
ドイツの文芸評論家。思想家。

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年 -
建築家。磯崎新アトリエ主宰。

>八角聡仁(ヤスミ・アキヒト)

1963年 -
批評家。近畿大学文芸学部教授。

>遠藤知巳(エンドウトモミ)

1965年 -
社会学・言説分析。日本女子大学教授。