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アルゴリズム的思考の軌跡をめぐって | 磯崎新+柄沢祐輔 聞き手
In the Footsteps of Algorithmic Thinking | Isozaki Arata, Yuusuke Karasawa
掲載『10+1』 No.48 (アルゴリズム的思考と建築) pp.72-81

コンピュータの黎明期における情報都市の提案

柄沢──磯崎さんは六〇年代のコンピュータの黎明期、まだそれらが十分実用的とは言えない時期にさまざまな建築や都市の提案をされていました。そこでまずお伺いしたいのですが、なぜコンピュータに興味をもたれたのでしょうか。
磯崎新──まず六〇年代に僕が一番関心をもっていたのは、生物学から建築の暗喩をとりだすことでした。例えば、僕は二冊の本に惹かれていました。ダーシー・トムソン『On Growth and Form』(邦訳=『生物のかたち』柳田友道ほか訳、東大出版会、一九七三)、テイヤール・ド・シャルダン『Le Phénomène Humain』(邦訳=『現象としての人間』美田稔訳、みすず書房、一九六四)です。前者は生物形態学、後者は考古学的視点を未来世界へ延長して百万年後には宇宙的な意識共同体に到達する、終末論的な生物進化の系統図がつくられています。どっちも成長がかくれた主題で、ダーウィニズムを超える方向を探していたところが特徴的です。だけど、それ以前に、アートの側からの生物学的身体論が関心の的でもありました。人体の表面には皮膚があり、その下にさまざまな身体組織があり、これを皮膚は被っています。皮膚は息をしたり汗をかいたり、あるいは外部環境とのさまざまなかたちでの相互の出入りがある。細胞膜も浸透作用が常に行なわれている。個人的に思っていたのは皮膚のそのようなメカニズムだったんです。最近は例えば多田富雄さんの「免疫論」にみられるように、単なる形態学でなく、もっと隠れた内側に働いているメカニズムが研究されてきましたね。マクロにみた都市の生態なんかには、メタボリズムの頃の幼稚な理解では及ばなかったけど、こんな視点はもっと違ったものをうみだすかもしれません。
もちろん、このほかに『サイバネティックス』(ノーバート・ウィナー)なんかは必読書と言われていたので、持ってはいました。こんな脱領域的思考に最も刺激を与えていたのは、実はSFの新しい動きだったのではないか。
アイザック・アシモフを主とするロボット進化論がありました。人体機械論の系列でここからアンドロイドがうまれる。かつては輪廻転生だったのに、人工的な延命、再生がいわれるようになる。そのあたりのイメージはすべてダーシー・トムソンにひそんでいます。むしろテイヤール・ド・シャルダンの人類の宇宙意識への生長溶解のイメージのほうが重要だと僕は思っていました。それはアーサー・C・クラークの宇宙脳に連結します。『二〇〇一年宇宙の旅』のあの未知の直方体の出現。あの映画が人類の月への到着以前につくられたことを明記しておくべきです。そしてスタニスワフ・レムの『惑星ソラリス』。これも不定形の海状をしている意識の集合体です。
これらは領域は異っているけど、共通してひとつの未来をヴァーチュアルに描きだそうとしている点で共通しています。人類が求めようとして組みたてた近代のユートピアがその姿を消しはじめていました。これに倣って、こんな(擬似)科学的未来像、新しい型のユートピアが徐々につくられてきはじめた。
NASAの宇宙開発計画に関心をもったのもそのためです。そのため巨大な制御システムが開発されていきつつあった。『二〇〇一年宇宙の旅』の主人公HALコンピュータがそのヴァーチュアル・モデルでした。
柄沢──六〇年代にはシステム論的な思考、いわばサイバネティクスの論理が飛躍的な発達を遂げ、それがメインフレーム・コンピュータの発展や壮大な国家プロジェクトであるアポロ計画の実現へと結実していった歴史的事実があるかと思いますが、磯崎さんは生物学をいわばサイバネティクスの観点から解釈されていたということですね。現代でも生物学ではマトゥラーナ&ヴァレラのオートポイエーシスの理論は、生物やシステムを不断に内部と外部が相互作用を行なうものとして捉えて、まさにメタボリズムの単なる新陳代謝とは位相の異なる世界観を提示しています。磯崎さんはそれらの思考方法を建築や都市に応用されようとしていたということですね。万博のプロジェクトはまさにサイバネティクス的世界観の極限を実現されようとしていたと思いますが、実際にそのようなプロジェクトを実現されるにはかなりの労力が必要になると思うのです。
磯崎──当時はそれはまだSFの世界のことのように思われていました。僕はそういうふうになるだろうといっていました。なので、単なるSFの世界の話としてではなくて、もう少し近いことをやってみたら面白いと思っていたわけです。しかしそれをやってまとめると必ずつぶれました。この辺はル・コルビュジエの「輝ける都市」が文化的集積のうえにたつ都市によって全て拒否されたのと多かれ少なかれ同様で、僕たちのユートピアの提案も社会的に拒否されることはわかっていました。
柄沢──七〇年代に都市からの撤退という発言をされて、大幅に方向性を転換されて建築の創作へと専念されてゆきましたが、社会的にそのようなヴィジョンは拒絶されてしまうというようなことが、七〇年代の手法への転換の大きな理由でしょうか。
磯崎──六八年の体験、七〇年の大阪万博を通じて、僕のなかでは六〇年代にやろうとしていたことに一種の行き詰まりを感じたというべきでしょうね。それは社会的な情勢もかかわります。文化大革命が六八年──七〇年にかけて行なわれてそれが終わる。終わることによって可能な未来について考えてもしょうがないという落ち込みが社会的に起ったのです。挙げ句に七〇年代のはじめにはオイルショックがある。経済のグローバルな動きのなかでエネルギー問題が起こって、全世界が不況になりました。ところが日本には田中角栄という超アナクロな人が現われた。彼はインフラ整備や都市計画に昔ながらの手法を導入したわけです。これは五五年体制、そして土建国家という戦後レジームを強化する役割りを担おうとしたともみえますし、開発による近代化の促進という後進国モデルを圧倒的に推進する役割りを果たしたといえますね。結局のところ彼は国際資本に足をすくわれてしまった。七〇年代というのはそういう意味で沈み落ち込んだ時期だというのは確かです。そこで僕は都市から撤退すると言ったんですが、都市はもちろん政治や経済のような多様なファクターがあってこれらとつきあわなくていけない。それはひとりでできる話ではない。何よりも都市計画も都市デザインも、この国では仕事にならず、フリーランスでやることはできない。そこで建築に絞ろうと七〇年代のはじめに考えたのです。その頃にはまだコンピュータもないけれど、情報都市論ということもやっていました。
ユルバニズムから建築に転向、といっても六〇年代はもっぱらアートやテクノロジーがらみのものです。そこで、まずは形をなす建築のデザインにしぼりこもうとしたのですが、さて、そのときにどんな理論にたよるべきか。この頃までに、いくらか自覚的に自らの方法的特性を考えようとしていましたが、五〇年代までにスターリニストが批判したフォルマリズムが最も近いと思っていたけど、正直なところあの頃は言いだせなかった。七〇年頃、突然ロシア・フォルマリズムの翻訳や解説を眼にするようになった。意外にこの方法が他領域の思想にも及んでいることがわかりはじめた。ポスト構造主義と呼ばれた時代にかなり共通な方法を提供していることが後にわかってきました。『空間へ』でばらばらに書いてあったもののなかに〈手法〉といっていたものが、すでに二〇年代のロシア・アヴァンギャルドのなかで議論されていたらしいことに気づいたのです。

手法論とロシア・フォルマリズム、アルゴリズム的思考

柄沢──コンピュータ・アルゴリズムに基づく表現が、ある意味作者の手の痕跡を超えた、別の知覚の様態や創作のあり方を切り開くものだと捉えると、磯崎さんが以前に展開された、増幅、射影、布置などの単純な手続きに還元され、手の痕跡が排除された創作を特徴とする手法論は現代のコンピュータ・アルゴリズムにもとづく手法と通底したものを感じます。
磯崎──フォルマリズムに通底しているロジックを僕なりに〈手法〉と呼んでいいだろう。これを『手法論』として発表したのが七一年頃。いわゆる芸術的アヴァンギャルドから、ユートピアから、啓蒙的近代主義からの転向といってもいいけれど、その転向を「都市からの撤退」と自虐的に表現したのです。当時はどんな美術論や芸術論でも表象の根拠を自我に置いていた。でも僕には、自我そのものがどこからきているか疑問だった。無数の他者が自我のなかに侵入してきたがゆえに自我は成立しているのではないか。だからいわゆる純粋な近代的自我などというものはない。そういう頼りのない自我を根拠にして表現するということの意味もありえない。それに表現の手がかりというのは手の痕跡だったり思考のプロセスだったりします。大きな意味でのエクリチュールをする身体です。これは自我の流出とは違っていいはずだ。その乖離を方法化したことが一番重要だと思います。
柄沢──一九四〇年代にレヴィ・ストロースが構造主義を提出して以降、主体概念が消失したことはよく知られています。まさに外部連関性や相互連関性によって、主体が主体である条件が外部に依存していることが明らかになって、それがロラン・バルトのテクスト論のベースになっているかと思います。磯崎さんは、主体が存在していないのに、主体が存在しているふりをしている当時の芸術家とそれを取り巻く状況を批判されようとしていたのだと思いますが、そこで提出された手法論は、アルゴリズム的な思考方法と通底しています。もっといえば、アルゴリズムにすべてを委ねることによって、パラメータの乱舞──これは近代的自我の投影と言ってもいいし、巨匠スケッチ的なものといってもいい──を抹消して、アルゴリズムそのものを純粋に可視化しようとしたということだと言えると思うんです。
磯崎──うまくまとめてくれています。そのとおりのことを言いたかったのだけど、本人は手さぐりでした。他の理論家や思想家とちがって、自ら実践したやり方を、その過程で見つけたロジックで解読したい。こんな閉ざされた思考をしていたので、自分でのちに読んでもはっきりしないものが多々あります。よく読み込んでいただいたと思います。そんななかでひとつだけはっきりしていたのが、自我の介入なしに自動生成するシステムを設計の基準にするということ。あくまでロジカルにつめていって、最後の一瞬に自ら身体的に介入する。それを切断といったのです。いつの間にか切断が《大分県立図書館》のデザインの特徴だなんて解説されていますが、本人にとっては、忘我のままに決定を下すことであって、決して切断面をデザインしたのではない、その区別をつけておいてください。
柄沢──自動生成システムであるアルゴリルズムにすべてを還元したうえで、最終的に身体がそれを切断するわけですね。そこでは身体の位置や状態、あるいは観測者の位置やスケールが問題になると思うんです。理論物理学で問題になる観測問題とは言ってしまえばそのような問題だと思うのです。
磯崎──観測問題とはいい喩えですね。最近、理論物理学を研究し、のちに瞑想術を開発したグル(マハリシ)から、インドの古代哲学の言語観は観測問題で最も正確に説明可能だと聞いたりしました。伝達媒体としての言語には、必ず送信する主体がかかわっているからです。デザインする主体も似たところにいると思います。切断=決定をいうのはやさしいけど、実は、その瞬間に主体を介入させるのは、実に孤独な行為なんだ、ということを身にしみて感じたためでもあります。その決定を誰も保証してくれない。ひとりで決めざるをえないのです。デリダの言う決定不可能性とは、あらゆる決定は誰もができるし、誰もがやっているけど、絶対的でただひとつの解は存在しえないという非条理のことだと私は解釈しています。例えば、あなたは何度でもマウスでクリックできる。クリックとは決定です。無数の可能性のうちのひとつを選ぶにすぎない。『手法論』のどこかで、「つくるのは誰でもいい、誰かがつくっているのだ」とベケットを引用していたりするのも、こんな迷いをふっきるためでもありました。
柄沢──アルゴリズムとは言語と同じものとしてみることもできますよね。
磯崎──ちょっと前から、漢字のアルゴリズムについて考えています。学術的ではありません。僕が面白いと思うのは、漢字には「つくり」とか「へん」とか「かんむり」とかがあって、別の要素、意味をもっているものを組み合わせると別の文字になることですね。ジョイスが英語を解体して、前後を組み替えて新しい表現を試みたことに比べると、漢字の特異なところはもともと漢字をひとつつくるときに、ジョイスがやったような手続きを経ずに、最初からアナグラムになっていることです。例えば「陽」という字は左側の梯子を意味するこざとへん「」と、易の部分の、台上の「日」──日は霊力をもつ神聖な玉──とその玉の光が下方に放射する形の三つの要素からできていますが、考えてみるとおかしな話です。全部を0、1に還元してしまうアルゴリズムに対して、漢字のようなアルゴリズムが片方であるのではないかということですね。組み合わせをいろいろやっていくアルゴリズムは、ひとつの文化を組み立ててきた文字という言語だと思います。
柄沢──たしかに漢字を圧縮された意味要素によるデペイズマンの体系としてみることも可能ですね。それをアルゴリズム的な思考で組み替えることもできる。磯崎さんは実際に漢字をコンピュータ・アルゴリズムで部位・部首・片などに分解して、それを再構成されるという実験もやられていますが、このような視点は手法論を開始された当初からおもちだったのでしょうか。
磯崎──近代の芸術家のように自分の自我を通して表現するのではなくて、自我を囲いこんで、外に存在するアルゴリズムを取り出して方法論化したいと思っていたのは確かですね。当時からコンピュータ・アルゴリズムという言葉はあったのですが、正直いって、僕にはそれを使いこなす能力はない。何がどういうふうに動くかわからない。あの時代、丹下研究室にいた山田学や月尾嘉男などのやり方を見ていると、一つひとつのデータのベースを全部パンチカードに書き込んで、それを並べて計算機と繋いでやっていた。今でいうと小さなコンピュータでやれるものが、この部屋の三倍くらいの場所が必要だった。僕はそれを見ててあほらしくてとてもつきあいきれないと思いました。構造計算をやる人や社会調査をやっている人もコンピュータを使ってそういうことしかできませんでした。コンピュータが進化した八〇年代、僕のアトリエにいた菊池誠や佐藤健司など、建築家のなかで一番早くコンピュータをやっていた連中は、今のコンピュータの先生みたいな役割を担っていて一つひとつプログラムをつくっていたんです。何年かかかって、3Dの描画プログラムを作り上げ、事務所でそれを教えようとしたらオートキャドの初期型が出た。彼らのプログラムをアトリエで一生懸命教えられたとしてもオートキャドを買ったほうが早い(笑)。まだその頃はコンピュータ・アルゴリズムで最適解を出したり、プランをコンピュータ分析によって変えるというようなメソッドはなかったのです。二〇年前はこんな有様だったと思います。インターネットのウェブサイトがこういうふうに現われるとは思わなかった。僕は十年くらい前に一度コンピュータを買ったんですが、思いなおして、やらないことにした。人生の半分はコンピュータの前に座っていないといけない。それだったら海に泳ぎにいったほうがまだましだと思いました(笑)。
柄沢──かって多木浩二さんとの対談のなかで、手法論はロシア・フォルマリズムの影響の下にあったとおっしゃっています。ロシア・フォルマリズムはよく知られるように、未来派詩人の織り成す無意味な言葉の連なりが、事後的に意味を生み出すことに当時のロシアの言語学者のV・シクロフスキーらが注目したことに端を発する言語学の潮流です。そこでは無意味な言葉の関係性のなかから形式や意味がどのように立ち上がってゆくかが徹底的に探求されました。磯崎さんの長い経歴のなかでも、形式をどのように生み出すかというのは一貫して追求されてきたテーマだと思うのですが、『GA DOCUMENT』の九六年のインタヴューでは磯崎さんはルイス・カーンのことばを紐解いて「生成される社会的なインスティテューションに対してフォームを与えることが建築」だとおっしゃっています。まさに社会的に立ち上がっていくインスティテューションにどのようにフォームや形式を与えていくかに問題を絞って考えたときに、コンピュータ・アルゴリズムが新しい形式やフォームを生み出す契機になるのではないかと思うのですが。
磯崎──コンピュータ・アルゴリズムと芸術、文化のなかにおけるフォルマリズム、これら相互の関連を考えた記憶はあるけれど、自分なりに明快に説明する理論に到達したとは思っていません。ルイス・カーンのフォームは六〇年頃、詩的なレクチャーをやったそのなかにある鍵のような概念です。フォームとシェイプは違う。フォームは見えない背後にある形式で、シェイプは表層的な形態です。建築家はこのフォームを捉えるべきで、シェイプは結果にすぎないという言い方をしています。丹下さんが六四、五年に書いた伊勢論を読んでいたら、フォームというのが突然出てきました。丹下さんもルイス・カーンを読んでいた。ある程度流行ったのは確かです。もうひとつフォームの例としてカーンが挙げているのは、学校です。彼は木の下に学生を集めて教えること、これが学校というもののクラスのフォーム、つまりクラスというものの原型なんだと言ってます。これも最近気づいたのですが、イスラムの〈教え〉の場は樹下にはじまるとコーランに記されている。ブッダが樹下で教えたことは、僕たちの世代では最初に聞く喩えです。ルイス・カーンはそこにうまれるインスティテューションがフォームをもつと学校というビルディングタイプを形成すると言っている。とてもわかりやすい喩えです。
ルイス・カーンはユダヤ人です。今は喧嘩していますが、起源をたどればイスラムと同じ先祖、アブラハムとイブラヒムという兄弟です。文化的伝承をみると、実はプラトンもピタゴラスもすべて古代ギリシャ語の文献が失なわれ、すべてアラブ語になったものだけが残っており、それを一二世紀頃スペインのトレドあたりにいたユダヤ人がラテン語に翻訳して、はじめて西欧キリスト教社会に伝わり、これがフィレンツェのルネサンスの契機になる。こんな経路があるようで、私たちは今日の文化・言語・宗教の分布状態で見ているから、これらが同根で相互に影響し合っていることが簡単に理解できない。だけど、歴史的に交流が深いところでなされていたことを知ると不思議でもなんでもない。だからアラブはギリシアからローマも含めた文化的な体系を全部知っているんです。それを受け継いでいたのがアラブの文化なのです。カーンの言うフォームはプラトンの言うイデアとそっくりです。だからある種ラテン的な思考といってもいいでしょう。
ひとつのコンセプトが歴史的に違った文化体系相互の接触のなかで生成していくのは、アジアの漢字文化も同様ですね。シクロフスキーのフォルマリズムも実はプラトン以来の西欧の批評、それに美学の流れとつながっている。僕がこれを解説してもしょうがありませんけど、例えば、大江健三郎のグロテスク・リアリズムはシクロフスキーの異化論、バフチンのカーニバル的文学論なしではうまれえない。こんな交換が常に起きている。僕らはそんななかにほうりこまれているのだと考えれば、一種のダイナミズムが見えてくるのだけれど、その奥に言語とそのアルゴリズムが恒数のようにひかえている。行き詰まるとそこに戻る。
柄沢──イデア的な思考の先験的な特徴とフォルマリズムの経験的な方法の違いというのは確かにあると思います。一方でフォルマリストの提示した異化の方法がシュールレアリスムに継承されて、デペイズマンやデカルコマニーなどのさまざまな技法が展開されていったかと思いますが、アルゴリズムというのはそのような経験的なフォルマリズム的思考と全体論的、イデア的な思考の両者を現代的なやり方を実現させるための方法論という可能性があるという気がします。
磯崎──そういう感じがします。やはりあれは言語のシステムですからね。それはわれわれが昔からランゲージとして学んできている漢字文化であるとか、それから日本語と漢字の関係であるとか、日本語が漢字をどういうふうに崩してどういうふうに日本語に置き換えたかとか、その辺も一種のアルゴリズムがネイティヴ言語を組み替えようとしていた部分だと思います。コンピュータの違いというのは、もとはチューリング機械のようなところから0と1にデジタライズしているわけですよね。ここまで徹底して還元されたもので、数式的に展開できるとみたところの違い、ひとつの全く違うところで新しい文化ができたのだろうと思うんです。それに対して経験的にヨーロッパ言語、アジア言語の発生はこういうことを経験的に探してきたということだと思うのです。ところがこちらは抽象的なところが組み上がったのですから面白いです。
柄沢──さきほどの建築論に引き戻しますと、社会的なインスティテューションに実体を与えるフォーム、あるいは形式が、アルゴリズム的思考によって再編される可能性があると思うんです。それが今日のような状況では、極めてアクチュアルだと思うんです。
磯崎──私もそう思っています。

柄沢祐輔氏

柄沢祐輔氏

磯崎新氏

磯崎新氏

セシルによるアラベスクのジオメトリーとゼロ抜きの数学

柄沢──セシル・バルモンドとのコラボレーションに話を移しますが、彼と進行中のプロジェクトについて具体的に聞かせてください。
磯崎──つい二週間前のことですが、セシル・バルモンドと一緒にエジプトを旅行しました。今度やるプロジェクトで彼に幾何学的構造を考えてもらうためです。まだこれから始まるところなのです。大まかにいうと、アラベスクというのはグリッドとは違う別の空間構造のシステムをもっている。でも今まではすべて二次元のパターンでできているのだけど、これを三次元、四次元と考えた時に組み替える法則をそのなかから引き出してくるのではないかと期待しています。彼もそれに関心を示してやりたいと言ってくれています。そのなかにひそんでいるある種のアルゴリズムをこのなかから見つけてそれを立体化してみようということですね。
エジプトに行ったとき、セシルのことを全く知らない人に彼をどう紹介しようかと思いました。結局、この人は建築家と言っているけど、ジーニアスな数学者なんですよといって紹介したんです。数学でゼロの発明というのはインド人ですが、バルモンドには、ゼロを外して九までにして位取りを全部変えていくことになるというとても面白い本があります。インド的な数学的思考がヨーロッパに入っているわけで、そのゼロの発見という根源を否定しても成り立つということ、こんなことをやれるのは、彼がもともとスリランカにうまれたからなんだと思います。僕にはその発想のもち方が面白い。われわれが極端にいえば、天皇の起源はゼロであるというふうに思考すべきだと言っているのも数学のレヴェルと似たようなことをやっていると思っているんです。
柄沢──歴史的に綿々と連なりえる新しい言語体系をうみだしているということですね。そこで質問なのですが、例えば伝統的にイデア的なるものはプラトン立体や純粋幾何学などのギリシア幾何学として表象されてきたと思うのですが、セシルはギリシア幾何学を直線上での数比関係に還元して、いわば数値として捉え、そこから従来の幾何学を超えた新しい非線形の幾何学を生み出そうとしています。今さっきおっしゃったゼロ抜きの数学の体系の話もその一部だと思うのですが、いわばアルゴリズム的思考によって、建築のフォームや広義の文化的コンテクストの基盤(これはANY会議の前提といってもいいと思います)が全く新しいものとなる可能性があるのではないかと思うのです。
磯崎──当面の状況はおっしゃる通りです。そこで、これからはじめるイスラム神学校(マドラッサ)の設計がどんな具合のものになるのか、僕にも見通しがつきません。時間が限られているので集中的に作業することになりますが、さしあたりはイスラムのラマダン月が明けた頃にひとつの見通しをもたねばならないという条件がついています。そこで今言えるのは、予告だけ。
ひとつの宇宙空間内の秩序の体系が見えるといい。だけどエルンスト・ゴンブリッチの著作『Sense of Order』を『装飾芸術論』と訳すような無様なことはやるまいと考えています。日本語でしか思考しないために陥るトラップがあるのではないでしょうか。バックミンスター・フラーは一切合切をダイマクシオンで覆いつくそうとしました。結節点の技術的解決法だけに集中している。宇宙にはもっと多様な秩序形成の原理がひそんでいる。コーランに集約されているイスラム的思想にはそれをサチュレーションするイメージがあります。こんな時空になにか見つけえないか、目下妄想しているのです。

グローバリゼーションにおける“島”と身体性

柄沢──『10+1』No.47で磯崎さんは今のハイパーシティ状況やグローバリゼーションの状況はまだ従来の都市論が描ききれていない部分だというお話をされていたと思うのですが、一方で四谷アートステュディウムの、岡崎乾二郎さんの招きで磯崎さんがレクチャーをなさったときに、グローバリゼーションの出来事をデジタライゼーションすることに可能性を見出されているとおっしゃっていました。そこで磯崎さんは、グローバリゼーションのもたらす現象をコンピュータにかけてスイッチをオンすれば新しいものができてしまうというお話をされていましたが、グローバリゼーションと都市論についての最近のお考えについてお話を伺えたらと思います。
磯崎──うーん、あのときは都市の制御システムがすべてデータ化され、つまりデジタルとして操作可能になることを昔から予想、いや夢見ていたことをあんな表現で言ったのです。『見えない都市』での最終目標は「濃度とながれ」、言い換えると「霧状のモナド」として都市を見ることでした。ハイパー都市化した現実はそれに近づいているんだけど、地球環境データを含めて、すべてが操作できるなんてまだ想像もできませんね。グローバリゼーションが旧い枠組みを消していることは確実ですが、徹底すればデータベースになっているモナドまでも溶解させるでしょうから、「ソラリスの海」を解読するような矛盾に到達するのじゃないかな。ヴァーチュアルがアクチュアルを逆襲するのがスタニスワフ・レムのテーマでしたよね。それに対して、僕が《海市》をやったときからずっと言っているのは都市は島であるということです。種類の違う都市が島として点在するのがこれからの都市のひとつの状態で、これはある意味でいうと、グローバリゼーションに対しての対抗的なコンセプトなわけです。二〇年以上前から言っている「群島都市」というものですね。超保守的だろうが、超近代的だろうが都市は同じ所にある必要はないのだから、勝手に一つひとつ組み立てられるではないか。そうすると一個一個バラバラの違う内容をもった都市が人工的にできる可能性はあるだろう。例えばどういう都市か?  ヨーロッパの昔の都市には城壁がありました。いわゆる大都市になる前のものです。こういうものはこのままで特徴があるから群島のひとつにすればよい。それに似たようなことをやっていく。それがノンリニアです。リニアは近代のモダニズムがベースとしている。それに対してノンリニアは閉鎖系になっているものを繋ぐ、あるいはフェイズを変えるわけです。ひとつが変わると全部に影響してくる。影響が広がっている。その計算が面倒だからコンピュータにやってもらう。群島都市にするということは群島はバラバラであってもいい。それをやってきたときにその間の接点をお互いに影響を与えることによって相互に変わって全部が変わるというプロセスに追い込むことができる。コンピュータ・アルゴリズムに対する関心は、そこら辺に対応する可能性が今出てきつつあるのだろうと遠くから眺めている状態なのです。
柄沢──近代のリニアな都市計画に対して、ノンリニアな関係をもつ群島が今後の都市論であり、その群島の関係性を、コンピュータ・アルゴリズムによって操作・定義するということですね。そこで非線形のアルゴリズムによって、群島が相互に多様な関係を取り結ぶことができる。
磯崎──実際に僕が計算するわけではないから、計算したり動いたりしているものを見ながら、それをどう取り出すかくらいのことしかないわけです。現実問題として、グローバリゼーションで言われている議論は、世界はすべて一色になるということじゃないですか。でも絶対にならない。一度津波のようなものが来るけれど、津波が来た時に沈殿物がたくさんできる。それが島になる。そうするとそこで独自の定向進化がおこるから、そうするとそれが別なものになっていくだろう。だけど元は近代化と同じようにグローバル化はたいがいみんなかぶっている。でもかぶったけれどそのままにならないというのは僕が唯一信じていることです。
柄沢──グローバル化が進んで一見均質化が進むように見えて、そこで多種多様な価値観や歴史的堆積物の分泌のような状況がおこって群島化するという状況があって、そこで建築家は人為的にどのようにしてアーキペラゴの輪郭を提示できるかという問題提起をなされているかと思います。その場合にアーキペラゴの輪郭はさまざまな形式で定義できるかと思うのですけれども、その間で非線形な相互作用がおこるように仕向けるための方法論はどのようなものがあるとお考えでしょうか。
磯崎──システムが相互に違うからそれはわかりません。今の線形の場合はひとつのシステムのなかで、与件やフェイズや輪郭を変えると演算のシステムが変わって、これまでと違う展開の仕方が見えてくるというきめの細かいことができるようになってきたと思います。別な言い方をすると、人間と人間は同じになれなくて相互の他者関係でしかありえない。相手を完全に自分と同じものにするのは無理です。自分も相手と同じにはなれない。そうするとありえるのは、共同作業です。専門家同士が共同するか、同じものと違う個性のものが共同する。あるいはそれが重なり合うということになると思います。六〇年代はそれをハイブリッドと言っていたのです。それに対して半世紀経った現在はハイブリッドと言わずにノンリニアと言うようになったという違いくらいだと思うんです。その違いを見た場合に、パッチワークは違うものを重ねて縫い合わせるだけ、その縫い目をシームレスにしてしまえばノンリニアのイメージに近づくのではないか。さしあたりは、その継ぎ目を消す方法を考えればいい。
柄沢──アーキペラゴの輪郭を一度建築家が人為的に定義したら、それを建築家が人為的にもう一度抹消していくプロセスをとることによって、非線形的な状態が実現するのではないかというお話のようにお見受けしました。
磯崎──二〇年代の「輝ける都市(ラディアント・シティ)」(ル・コルビュジエ)から九〇年代の「無印都市(ジェネリック・シティ)」(レム・コールハース)にいたるのが二〇世紀を通じての未来都市の構想の系譜になったことはほぼ定説となっているでしょう。だけど、「輝ける都市」では何が起こったか?  ル・コルビュジエの場合、彼が提案した方法は、既存のものを全部壊して新しいシステムをそこに置き換えるという筋書きです。その提案に対して拒絶反応が起こりました。歴史的・文化的な蓄積が多重に積層しているのが都市だからです。そのいきさつすべてを排除し切り取った白紙状態を想定しないとル・コルビュジエ的なモダニズムの都市は成り立たない。歴史的なものをどうやって壊すことができるか。それは単純に戦争しかない。日本であれば地震です。しかし復興した都市はそのまま昔の姿に戻るんです。ということは都市は壊れない。それを人工的に壊そうとして提案したものが「輝ける都市」なんですね。それは無理だということが二〇世紀の前半に証明されました。
レムは結局都市から逃走するしかないと考えている。大都市、つまりOMA(Office for Metropolitan Architecture)という看板を掲げて──メトロポリタンというのは二〇世紀の大都市という意味です──そこから逃げていくのが基本の姿勢です。だから今ガルフになんとか食い込もうとしているのは、あそこはまっさらの土地だからです。それに近いところで言うならば、ひと頃議論になった空地論です。それもそうは簡単ではない。それからもうひとつは郊外そのもの。こういうややこしくないところを探すということは、大都市と真正面に対峙してもここには英雄的ジェスチャーは効果ないということがわかってきた。だからOMAは語義矛盾している。AMOに変えたのは世界ネットワークのことですが、もうメトロポリスじゃないことを知っているんでしょうね。
柄沢──レム・コールハースの方法論や、MVRDVの「データスケープ」というような量の問題にすべて還元して、建築を極限的にひとつの要素に還元して展開する方法は、ひとつ彼らなりのヴィジョンでは、グローバリゼーションにおいてさまざまな資本や商品が超高速に流動していく状況に対処していくひとつの方法論、有効な戦術として掲げている節があると思います。ある種建築家の手法が何か無効になっている状況を想定していて、そこを徹底的に量に還元するという手法がグローバリゼーションにおける巨大な資本の流動、物流、すべての移動が超高速に展開していく都市の状況において、何らかの有効な方法論を提示しようとしていると思うのです。例えばレム・コールハースの方法では特に、シンクタンクのAMOですね、統計データを何らかのキーワードによってパッケージングして自らの建築をつくるある種の正当性を得るためのストーリーを構築するという方法も量の問題に解釈して、建築のひとつのストーリー、ファクターに仕立てあげてしまう部分が大きいと思うのですが。
磯崎──「都市からの撤退」を言うまでは、僕はレム・コールハースやウィニー・マースと似た方法を捜していたように思えます。だけど挫折したのです。三〇年過ぎて彼らの活動がクローズ・アップしたとき、コンペ審査やシンポジウムのモデュレータ役をやらされていたので、彼らの意図はすぐに理解できました。それは都市へと向かう構想です。これに対して、僕は建築の側に似た主題を探していました。デジタル化によって、両者へ類似の方法で接近できる状況がうまれつつあります。二〇世紀の初頭メトロポリスと建築とが同時にとらえねばならないと思われたのと同じく、今世紀の初頭はこれがハイパーシティと建築との関係に移行したのでしょう。二〇世紀をふりかえると、そんな問題は三〇年代に〈政治〉によってもみくちゃにされました。同じことが、今度は〈環境〉によって起こるだろうと僕は見ています。それを予見していた人もいます。バックミンスター・フラーは地球をひとつの宇宙船とみていました。そこではあらゆるレヴェルの環境問題が問題だとみていて、ボランティアを募って、アル・ゴアとかが言っているレヴェルではなくて、データ的に実証するようなものを先駆的に集めはじめていました。彼はデータベースを全部コンピュータに打ち込ませて、全世界の環境条件がどう変動していくか、どう対応していくかを読み取るということを構想していたんです。通常のフラー論ではその辺を面倒で言っていないですよね。最近まで流行りでもありませんでしたから。当時、ちょうど六〇年代の終わりのヒッピー文化、僕らが都市から撤退した時代というのは、そういうことの可能性があるというふうに思われていたところはあるんです。突然今はたと繋がっていくという気がしてきました。
柄沢──それは全世界のありとあらゆる現象を、量的な問題を知的な問題に置き換える?
磯崎──そしてそれをデジタライズしてデータ化できれば、バックミンスター・フラーがイメージしたような刻々に変化するものに対する対応がどこかでできるのではないか。僕は全く手出しできなかったけど、何度か彼と行動をともにし、展覧会なんかもやりました。
柄沢──量的なものをもう一度すべてコンピューティングにかけて何らかの形にかえることによって、今のグローバルな超高速に動き、展開していくハイパーシティにおける都市や建築が実現可能かもしれないということでしょうか。
磯崎──その通りだと思います。群島の間には海があります。それは海の部分なんです。それに対してそのなかに沈殿物なり、澱がたまってできたものがあって、これが文化として見える。だから全体がハイパーシティ化したときにシティのなかに何らかの島がうまれるだろうと思っています。それを文化と呼んでもいい。それぞれに固有のものです。
柄沢──まさに海の状態では量を形に置き換えたようなものがあるけれども、その一方で特定のアーキペラゴが海に浮かんでいて、そこに可能性が浮かんでいるという状態ですね。数少ない群島はどのあたりに注目されているのですか。
磯崎──群島はどこにもありますが、それを今日的に問題化しているひとりはマッシモ・カッチャーリでしょう。今のヴェニス市長です。哲学者、詩人、建築批評家、こんな肩書きがついていますが、『群島(L’Arcipelago)』という著作もあります。彼はルイジ・ノーノの『プロメテオ』のシナリオも書いています。この「聴く悲劇」と題されたオペラは全曲の演奏が群島状になされます。日本初演は僕の秋吉台芸術村でなされました。この両者はともにヴェネツィアうまれ。いうならば群島モデルがここにあるのです。
九〇年代にユーロ統合がすすむなかで各国の文化的特性はどうなるか、こんな議論があったなかで、カッチャーリの群島論が注目されました。ハプスブルクに占領されても、イタリアに統合されても、ヴェネツィアは独自に存在する。
六〇年代に僕は「島」都市論(「《島》的都市の発想と歩く空間」)というものをアナクロニックに書いていたことを今思いだしました。『空間へ』に入っていると思います。この部分が、群島都市につながっているのかもしれない。そして、一方で大きい流れのように見えた「見えない都市」モナドは、グローバリゼーションというツナミとなる海そのものかもしれない。島のほうが波がひいた後にも残るのです。
柄沢──均質化してしまっている状況のなかで、「島」の輪郭を再定義することが重要だということですね。
磯崎──デジタライズできない最後の砦のようなところがどこかに残ることが人間的ではなかろうかと思っているところもありますね。そこで身体性のようなものが現われることを期待しているのです。
柄沢──グローバリゼーションやアルゴリズム的思考が進化を遂げてゆくと、そこでは逆説的に身体性が要請されるということですね。今日はありがとうございました。
[二〇〇七年八月三日、磯崎新アトリエにて]

>磯崎新(イソザキ・アラタ)

1931年生
磯崎新アトリエ主宰。建築家。

>柄沢祐輔(カラサワ・ユウスケ)

1976年生
柄沢祐輔建築設計事務所。建築家。

>『10+1』 No.48

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コンピュータによって問題を解くための計算の手順・算法。建築の分野でも、伊東豊雄な...

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建築家。芝浦工業大学システム理工学部環境システム学科教授。

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構造家。ペンシルヴァニア大学教授、オブ・アラップ・アンド・パートナーズ特別研究員。

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1955年 -
造形作家、批評家。近畿大学国際人文科学研究所教授、副所長。

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。