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グローバル・シティ・スタディーズの諸相 | 今村創平+八束はじめ
Aspects of the Global City Studies | Imamura Sohei, Yatsuka Hajime
掲載『10+1』 No.50 (Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960) pp.217-227

ドバイ的情況

今村創平──まず、話題性のあるドバイから話を始めるのはどうでしょうか。ドバイは、中近東のガルフ(湾岸地域)と呼ばれるエリアのなかにある、UAE(アラブ首長国連邦)でも小さな国です。中近東は、石油産出国として経済的、政策的に日本ともとても関係が深いのですが、これまで一般的にはあまり馴染みがありませんでした。イスラム文化圏と日本との接点の薄さもありますが、中近東はテロの温床であったり、紛争地域が多いので、必要以上に関わりたくないということも、縁遠い一因としてあるでしょう。しかし最近、ドバイを中心として、建築業界でも一般的にも中近東に急激に注目が集まっています。そして、いまとんでもない建物群がドバイでつくられており、高さと規模そして構想の過激な実験場としてさまざまなメディアが伝えています。またレム・コールハースのような人がかなりのエネルギーを割いてリサーチやプロジェクトのかたちでコミットしているということも、きっと何かあるのではないかという期待を持たせています。建築界を離れて世界経済のなかで見ても、政府系ファンドが米国のサブプライムの問題と連動するなど、湾岸諸国のプレゼンスは大きくなっています。そうしたなかで、まずは八束研で扱っているのは、「グローバル・シティ」のなかのアジアという括りでよろしいですか。
八束はじめ──今のところはそうです。二一世紀になってから大変動しているのは圧倒的にアジアの大都市ですから。
今村──「グローバル・シティ」には、シンガポールや上海などいくつかの都市がありますが、ドバイはそのなかでも独自の状況のもとにできている都市ですね。シンガポールや上海といった先端的な現代都市にあっても、それぞれの歴史があります。しかし、ドバイはほとんど何もないところから、ここ一〇年の間、もっと極端に言えばここ数年の間に、ものすごい量の建物が建てられています。ですから、いろいろなメディアで批判的に、砂上の楼閣とか、バブルというレッテルが貼られている。インスタント・シティだという記述もよく見かけます。そのような状態のなかで、実際にはどのようなことがかの地で起こっていて、それはどのような意味があるのかという関心があるわけです。ただ、ドバイは数十年前から港湾とかフリーゾーンの準備などを少しずつしていたために今の飛躍があるようで、ドバイ・モデルというのはこのエリアにおける稀有な成功モデルとして語られています。つまり、単にお金がだぶついているから、何もないところに張りぼてをつくっているというわけではないのです。
例えば比較をしますと、隣国のアブダビは、近年、安藤忠雄ジャン・ヌーヴェル、ザハ・ハディッド、フランク・O・ゲーリーといったいわゆるスター・アーキテクトによる文化施設の建設を発表しました。それは、一見ドバイと似た状況ですが、アブダビはUAEのなかでも石油埋蔵量が豊富であって、今後も長期的に石油に依存できるのですが、ドバイにはもう石油がほとんどなく、今オイルマネーがあるうちに、石油に頼らない社会システム、それが体現化されたものとしての都市を構築しなければいけないという切実な状況下にあります。
八束──ドバイの状況は正確に言われたと思います。先日、ケネス・フランプトンが来日した折、レクチャーをこのドバイのスライドから始めたのですね。前景に伝統的な格好をしてラクダに乗った人がいて、その背景に超高層群が写っているという写真です。彼はクリティカル・リージョナリズムの主唱者ですから、当然のことながら超高層の建築がコンテクストと関係なく立ち並ぶ状況には批判的で、意味のない競争であると言っていましたが、これは難しい問題だと僕は思っています。序論にも書いたのですが、ドバイにはUAE国籍の人間は一五パーセントしかいない。あとの八五パーセントは外国人です。その一五パーセントのドバイの人々は、相変わらずラクダに乗って伝統的な生活をするべきなのかということにもつながりかねないからです。あの写真は実際にはやらせかツーリスト用のイヴ ェントだったのかもしれないし、オリエンタリズムに結びついてしまう要素が十分にある。フランプトンもそうは言いませんが、ラクダに象徴されるような伝統的な建築が国際資本によって建てられる超高層に対峙できるかというと、そんなことはない。ドバイにおいては、どのような意味でも、われわれが伝統的に理解しているようなオーセンティックな建築、生活、あるいは社会では語れない状況が成立している。そこが一番ドバイの危ういところであり、皆が恐いもの見たさで見ているところだと思います。それは非常に特殊な状況ではあるけれども、同時に一般的な状況にも繋がっている。グローバリゼーションと呼ばれる状況です。これはひとつのアメリカ化ですが、グローバリゼーション下では、アメリカが、前期の資本主義において覇権国家であったのとは違って、金融国家として帝国化している。つまり実体経済より遥かに大きな金融経済が世界中を駆け回り、すべてのマネーフローがアメリカに戻っていくような状況がここ一〇年ちょっとで成立した。世界中で動いている株などのお金は、実体としての製品取引の一〇〇倍くらいの額で動いています。それはもちろん、時折破綻します。今日の朝刊でも一番のテーマは、サブプライムローン問題でシティバンクが大幅な赤字を出して、それを補填するために、ドバイとは書いていませんでしたが、オイルマネーと、それからシンガポールの国家のファンドが投入されたという話でしたが、これらは見事に連結しているわけです。アメリカ人はドバイに対して、アルカイダがマネーロンダリングしているというまことしやかな話もあって、心理的な抵抗を持っているにもかかわらず、グローバルエコノミーの問題としては完全に一体化している。そこで、先ほど砂上の楼閣とおっしゃった、シリアスな建築が成立しようのない状況ができている。われわれが今回リサーチした、最近の東京、特に都心部や湾岸の状況に関してもかなり似たようなことがいえると思っています。
今村──先ほど、日本人はこれまで湾岸諸国に対してさほど関心がなかったと話しましたが、同じイスラム圏でもエジプトやイラクには、エジプト文明やチグリス──ユーフラテス文明から連なる文化的遺産がありますので、日本人にも観光地として関心が持てました。それに比べると、湾岸諸国にはそうした要素がない。そうしたなかで、ネイティヴが一割しかいないドバイという国では、観光資源によって人を集めるにも、エジプトやイラクのように過去の遺産に頼るわけにはいかない。よって新たにショッピングセンターやビーチリゾートをつくって、集客するしかない。しかし、人口が一二〇万人から一五〇万人というデータがあったとしても、そしていくら都市が膨張しても、その地域に根ざした生活というものはなさそうだということが想像できます。つまり、金融で働いているビジネスマンも、全員外国から来ており、彼らは仕事が終われば本国へ帰る。滞在中も日中は超高層ビルの中で働き、夜は郊外の住まいへ車で戻るので、都市で生活しているわけではない。建設やサービス業で働いている人々もすべて移民ですから、彼らもテンポラリーに動いている。だとすると、ここにはわれわれが今まで考えてきたような、ひとつの都市を判断する文化的尺度や、社会の成熟といったものでは測れない都市が生まれているのではないか。われわれがこれまでに知っている都市とは発想を変えないと、ドバイを捉えられない。こうした都市をネガティヴに言うことはできると思います。いつまで経っても文化的に成熟しない、地域コミュニティが発生しないと、批判的にです。しかし、現実が理論や理想を無化する状況がドバイでは先鋭的に起きており、それが実は各国の「グローバル・シティ」においても共通の現象であることが、ドバイに注目する理由となっています。
そして、ドバイでは今、ザハ・ハディッドをはじめ有名無名を問わずいろいろな建築家がアクロバティックな建物をつくっています。世界一の高さを誇る超高層もありますが、それは目的があってではなく、一番であるということの宣伝が重要となっています。一方で、日本の日建設計はエコ・タワーという真面目な建築を提案していますが、両者は明らかにスタンスが違います。デモンストラティヴな建築をつくることへの批判が広くあるなかで、とりわけバブルやヒルズ族の崩壊を経験した日本では、バブリーな現象に対して過度に警戒する側面があり、またモラルに対して美徳を見出す文化的伝統もあります。モラルは誉められるべきものですが、日本においては往々にして思考停止を意味し、現状追認となりがちです。しかし、現実としてドバイではシリアスな建築が成立しないということは、八束さんも序文で東京について書かれていたように、「正しいかもしれないけれども、正しさに対する意味のなさ」という問題と結びついてくるのではないでしょうか。

八束はじめ氏

八束はじめ氏

今村創平氏

今村創平氏

コロニアリズムからグローバリズムへ

八束──その歴史的背景なんですが、僕のなかでは今回の特集は、『10+1』でのル・コルビュジエの連載に繋がっています。そこでは、近代的アーバニズムは、ル・コルビュジエに先行して北アフリカやヴェトナムのコロニアリズムのなかで生まれたと書いたのですが、今回のわれわれの作業のスタートラインである丹下健三も、大日本帝国が大陸への進出の野望が挫折したなかで、そこで要求されていたものを、戦後の民主主義日本でどう実現するかを考えた。これが「東京計画一九六〇」ですね。この二人に続く存在として、フレデリック・ジェイムソンの位置づけでは最初のグローバル・アーキテクトとなったコールハースがいる。彼はアメリカのヘゲモニーによる新しいコロニアリズム、新しい帝国主義としてのグローバリズムの時代の建築家であって、シンガポール論にあるように丹下──メタボリズムを自分の先例と考えている節がある。彼らでとても面白いのは、三人とも建築の質に対してネガティヴな発言をしていることです。丹下さんのは、今回の豊川さんの論文の頭に引用されていますが、「建築とは縁がなさそうに見えるかもしれないような基礎理論を各方面から切り開いて行かなければならない段階に来ている」という発言です。ル・コルビュジエは『伽藍が白かったとき』の有名な言葉ですが、マンハッタンのスカイスクレーパーについて、そのスタイルの古さではなくて、ただサイズの問題だけを言ったわけですね。「小さすぎる」と。さすがと思います。コールハースも、従来の建築的な規範は「ビッグネス」のなかでは無効化するといっています。ちなみに英訳の『輝く都市』では、ロシア語のボリショイを英語で言うとビッグネスだという説明をル・コルビュジエはしている。コールハースがそれをパクったかどうかはわかりませんが、コロニアリズムから帝国主義を経て、グローバリズムに向かう流れがあって、そこでは伝統的な建築の問題からはみ出した事柄があるということを三人は気がついていた。つまり、建築は批評の対象でなくなりつつあって別の問題が浮上してきている。英語の「criticism」と「critical」、日本語の「批評」と「批判的」とはくっついていますが、そういう意味での「批判的」なスタンスでは建築や都市を語ることはできなくなっている。われわれが「批判的」という場合、典型的なものがフランクフルト学派ですが、彼らはアメリカの資本主義への対抗拠点として知識人の仕事があると考えた。こうした「批評」意識の元には、「理論(批評)」、「実践(政治・デザイン・計画)」、そしてその背後に社会正義を支える道徳があって、これらの三位一体的な考えがある。社会に是正すべきものがあ って、それを変革する実践を主導するのが理論である、と。モダニズムの建築家たちもそういうスタンスの下でシリアスな建築を成立させていたんですね。ところがドバイに行くと、そんなことを言っても仕方がない。マイク・デイヴィスのように、そこにネオ・リベラリズム的グローバリズムの「evilness」を見ることはもちろん可能だけれども、自分を隔離したところでの批判という以上の力をもたない。ジェイムソンが「グローバリゼーションと建築」(『The Domestic and the Foreign in Architecture』010 Publishers所収)のなかで、モダニズム的な意味での「建築」あるいは「都市」というものはもはやなくて、その二つの関係性はすでに壊れていると書いていますが、これはそういう意味だと思うのです。ジェイムソンがコールハースを最初のグローバル・アーキテクトだというのは、ミースが最もピュアなロジックを構築したモダニズムの代表だとすると、コールハースは逆にインピュアな状態をつくり出す、あるいはその条件を発見した建築家であるという評価で、僕はそこにはおおむね共感できる。それが危い領域だということは承知していて、かつて彼は現代のメフィストフェレスだと言ったこともあるのですけれど、今では建築家や知識人たちは、その危険を見るあまり、自分たちを「批判的」という垣根で逆に囲ってきたのではないかという気がするんですね。
今村──ミースの名前が出ましたが、「グローバル・シティ」を考えるとき、建築において「グローバル」になっていくということと、「近代」ということには、相似的な面があると思います。「グローバリズム」においては、国家とか国境といったいろいろな枠組みからはみ出て、人、もの、情報、マネーが流動しますが、そもそも「近代」という運動体自身がそうでした。特に建築において、われわれは「インターナショナル・スタイル」を通して、土地に縛られない普遍性を持つあり方という概念を一度は経験しています。そして、それをポストモダンの時期に一度は乗り越えた、もしくは検証済みだという感触があります。ですから、一〇年くらい前からグローバリズムという言葉がポピュラーになりましたが、建築界では、同じことの蒸し返しではないかと、ちょっとぴんとこないところがあると思うんです。
八束──規模と速度の違いだと思うのです。「量」ということですが。それと、インターナショナリズムはいわゆる先進国が舞台だったけれども、グローバリズム下ではこの違いによって舞台がずれている。僕は、例えばル・コルビュジエの『輝く都市』は時代遅れだという議論に対しては大いに反論があるけれども、それはそれとして、グローバリズム下での「超近代」では、もっと大々的に、ル・コルビュジエをも飛ばしたかたちで、現象が拡大されて途上国のなかに移植されている。経済理論に、現象が先頭から次の列へと次々に波及していく「雁行理論」というのがあるのですが、その波及も本来は互いに等距離でないと雁行隊形を保てないのだけれども、今の状況はそうではなくて、後発のほうが量やペースを上げ、同時に矛盾も広げながら追い付き、追い越してさえいく。その都市的な現われとして、かつて五〇年代にモダニスト批判者が批判していたものが、もっと巨大な格好で出てきている。それにはかつてのジェーン・ジェイコブスやチームXのようなヒューマニスティックなアプローチではとうてい対応できない。「批判的」なアプローチは、西洋や日本の伝統的な都市なり生活様式を根拠にしてきたけれども、ドバイや中国はそういうものの完全な転覆の上に開発されている。コールハースが「タブラ・ラサ」論を核にしたシンガポール論で指摘しているのは、ウィリアム・リムのような現地の建築家たちにとってのアンビヴァレンツは、あれだけ抑圧的な国家のなかでシンガポールの人々がその生活にほとんど満足しているという事実にあるということです。そうなると、批判的なスタンスを取る知識人なり建築家の立場はどこにあるのか。序論の終わりに書いたように僕自身もアンビヴァレンツは持っているけれども、それを言っただけで自分の知識人としてのスタンス、あるいは良心を満足させているとしたら、偽善か知的怠慢でしかない。

グローバル・シティの条件

今村──でたらめに成長している、ドバイ、シンガポール、上海、モスクワという都市は、たしかに「グローバル・シティ」ですが、「グローバル・シティ」であれば必ずしもでたらめな光景になるとは限りません。「グローバル・シティ」は世界中のさまざまな地域に遍在していて、そのなかでも特にこうした都市は極端に変貌しているということです。ただ「グローバル・シティ」のなかで特に発展が目覚しい都市は、例えばドバイやシンガポールは専制君主制、中国は共産党の統治国家であり、ロシアもまた似たような体制下にあります。揃いも揃って自由主義経済ではない。日本のバブル経済の経験からすると、自由に勝手にやっていいよということから、結果としてお金が動いて、土地が動いて、そのためにでたらめなものができて、それが最終的に破綻するというストーリーを想像しやすい。しかし、今挙げた国はそれとは違うきわめてコントロールされた国家的な計画経済にある。それが現象としては非常に面白いし、高度にコントロールされているはずが、見え方としては自由奔放であるということがとてもシニカルな状況です。
八束──具体的にはどう違うのでしょうか。上海やドバイではまだバブルが破裂していないとか?
今村──日本の場合、バブルの後に規制緩和があり、例えば、シンボリックな意味でのホリエモンもそのような文脈から登場してきたわけですが、いままでは規制により縛っていたのを、あるいは護送船団方式で銀行から何から政府がコントロールしていたものを、自由化しようという趨勢のもと、そのなかで目鼻が効く人間が勝手に振舞い活況を呈する。そうしたなかで、「グローバル・シティ」についての八束研の関心がアジアにあることは面白いと思っていて、つまりわれわれは自由な活動で都市が発展するというのは、先進国の特性という常識ともいえる先入観があるわけです。それは西欧、アメリカ、日本であって、民主主義の自由経済国家が発達を続け、ロンドン、ベルリン、東京、ニューヨークといった二〇世紀の都市をつくってきた。ところがアジアの国には、今現在においてもほとんどそういう体制のところはないわけです。そうした、国家なり政府なりがコントロールしている国家において、今爆発するように都市が生まれているということは、やはり日本のバブルとは違う状況だと思います。
八束──でもドバイでも中国でも、昔のソビエトのような計画経済は行なわれていないんですね。「体制」がコントロールしているのは限定的な局面です。ソビエトではゴスプランという国家計画委員会があり、中国にも似たような組織があった。日本にも全国総合計画があり、丹下さんもそれに近いイデオロギーを持っていた人だと思います。それらも今は全部なくな ってしまった。統制組織、大きな政府がなくなり、しかし国家権力か大資本が土地を自由にできるのが今のグローバル・シティの条件ですね。いわゆるネオ・リベラリズム。丹下さんは戦災都市復興をやろうとした時に住民のエゴを痛切に感じたらしいんですが、規制緩和が進んでも、日本の大都市の内陸部では、大きな開発は工場とか学校、防衛庁の跡地みたいなところでしかできない。ドバイや中国ではそれがもっと大きな単位でできる。シンガポールでもほとんどの土地が国有化されていますから、それをもとに国がディヴェロッパーをやれる。ドバイはそもそもかなり最近まで近代的な土地所有形態がなかったんだそうです。あったのは取水権とか。ドバイでは日本のパシフィックコンサルタンツなんかがマスタープランをつくっていて一度ヒアリングしてみたいのですけど、おそらく統計データがあって、それに基づいてインフラを整備し、その上に都市や建築ヴォリュームが計画されるというプロセスはあまりないのではないか。場当たり的な開発というか。そういう意味では大きなバブルになっている。それがどこかで破裂するかどうかは、僕は予言者ではないのでわかりません。以前は中国は絶対破裂すると信じていましたが、最近そうでもないかもと思えてきました。沿岸から内陸へ雁行状態が及んでいくようなメカニズムができつつあるので、内陸で搾取されている人々がそのタイムラグを我慢できれば、かなりのところまでは保ってしまうかもしれない。
今村──ドバイを調べていて不思議に思うのは、ムハンマド首相という優秀なリーダーの存在が強調されているのですが、トップがいかに優秀であっても、ある程度まで規模が大きくなると、都市や社会といったものは支えられないと思うんです。例えば、少し前にカンボジアと関わったことがあるのですが、カンボジアではいろんな要因により社会システムを構築することが困難なようでした。というのも数十年前にポル・ポトが知識人を徹底的に虐殺したことで、今カンボジアを復興しようとしても、リーダーだけでなく社会を支える基盤となる人々がほとんどいないわけです。湾岸の国は、ほかの発展途上国と違う点があって、一般的な発展途上国というものは、人が余っている。人は余っているけれども資金がない。ですから、失業者がたくさんいて、貧困の人がたくさんいて、どうしようもないから何かしようとしてもお金がない。一方、湾岸の国は逆で、資金はすごくあるけれども人材がないという状況のようです。それは国ごとに差があって、雇用問題も一部では生じはじめているようですが、基本的には人材が不足しています。そうなるとこれだけのプロジェクトを実現したあと、どのようにインフラなりシステムを滞りなく、また破綻させることなく維持していくのかと思います。そうした社会を支える人材もまたすべて外から引き入れているようですが。
八束──AMOのドバイ・リサーチでも出てきますが、中東で今大きく産業化しようとしているのが教育産業で、特に英米系の大学が立地している。サービス産業にせよ金融にせよ、数少ない現地の人々がその中枢の技術者としても働けるような教育レヴェルをつくるという必要性に気がついて、熱心にやっています。ただ金にあかせているわけではない。
今村──その点で中国はまた違いますね。ドバイではこれから人口が増えるのであり、そうした人々を新たに教育すればいいわけですが、中国はほとんど教育を受けていない人々がすでに山のようにいるわけで、そこで環境問題みたいなことが起こったときに、今さら社会性やモラルといったことを教育することができない。これだけの国がコントロール不能であるということは、やはりほかの国からすると脅威です。
八束──年収五〇〇〇ドルを超えると、環境問題に意識的になるという説があるらしいです。中国もそこまでいくと変わるかもしれない。胡錦濤政権は、政治的なポーズにせよ環境問題について随分発言しています。中国やインドの人々が全員自動車に乗って空調を使い始めたら、地球の温暖化がどうしようもなくなるということは、今後の最大の政治問題でしょう。今のところ中国やインドの指導者は、先進国からの規制に対してはディフェンシヴですが、このままでは危険であるとは認識していると思います。僕は過度に楽観的ではないけれども、過度に悲観的になっても仕方がないと思っています。
今村──いま中国は、環境共生都市をつくるということを始めているみたいですね。ただ、環境共生都市は人口密度が低くないと成立しない。ですから、シンガポールでもメインから離れたところで、こういうものがつくられているんです。

解体する国民国家

八束──今村さんは海外、特にイギリスの建築家との繋がりがおありだと思いますが、彼らは、ドバイに限らずこの問題に関してどういう発言をされているのでしょうか。
今村──イギリスは、ブレア登場以降、この一〇年で景気が良くなってロンドンを中心にずいぶん変わりました。イギリスは北京の次のオリンピックを準備していますが、象徴的なのはその招致のためのプレゼンテーションで、貧しい黒人の子供が成長してスポーツ選手になりメダルを取るというストーリーになっていることでした。そこには、国内向けにも、また対諸外国においても、移民の問題を扱わないとオリンピックは成立しないということがあります。オリンピック・ヴィレッジは、ロンドンの北東の新しいエリアで計画されていますが、オリンピック終了後は開放され、旧植民地からの移民の人々を中心に住まわせる、新しい都市構造をつくろうという意図があります。ドバイにおいてもヨーロッパの諸国においても、労働者として移動してくる人々を自分たちの都市のなかにどう組み込むかという問題を解決しないと持続できない。そうしたことにイギリス人はとても意識的であり、また戦略的であると思います。
パリでも二〇〇五年に北アフリカからの移民の若者が中心となって暴動が連鎖し、大きな騒乱になったことは記憶に新しいですが、旧植民地を抱える欧州諸国のみならず、移民とどのように共生するかはどの国にとっても重要な課題です。移民が表面的には問題となっていない日本は、世界的にはめずらしい存在なのかもしれません。
僕がロンドンにいたのは二〇年ほど前ですが、そのときもすでに人種の坩堝であることを日々感じられました。AAスクールでは、イギリス人が一割くらいしかおらず、アジア、アフリカ、中近東からの学生が多数来ていました。このように多国籍であるというのは、ロンドンでは以前からある状況なのですが、政策として積極的に取り組まないと国が破綻するということはますます課題となっています。八束さんが指摘されていますように、日本も外国人を入れないという政策を変えたときはがらりと考え方が変わるでしょうが、そのための都市をいかに準備するかは、大きい課題になりますね。
八束──コールハースがシンガポールについて書いた九五年より後に、シンガポール政府は積極的に移民を促進し、三六〇万人ほどだった人口を五〇〇万人まで増やすということを言いはじめました。ドバイと同じように、一部のビジネスエリートと多くのサービス業労働者を入れたいのだと思いますが、熱心にとくに技術系の教育に取り組んでいる。槇文彦さんの「シンガポール理工系専門学校キャンパス」もそうで、周辺の外国人を多く含んでいますが、ああいうものが今、六つ七つとつくられているわけです。僕の学校も海外との提携はそこそこ熱心ですが、今のところ日本は、全体としてはそういったことはほぼ手つかずですから、気がついたら老人ホーム国家だったみたいなことになりかねない。中国でも高齢化が進んでいますから、あれが老人国家になるとどうなるか、建築界の大部分みたいにサステイナビリティをフィジカルなものだけで考えていると大変な間違いを犯す危険があるのではないか。
今村──先に「グローバリゼーション」=「アメリカナイゼーション」という話がありましたが、初期には「グローバリゼーション」とは、すなわちアメリカナイズされてしまうこと、アメリカの文化が入ってくることと短絡的に捉えられていました。マクドナルドやハリウッド映画に対して、フランスをはじめヨーロッパでは反射的に拒絶反応が起きました。そして、それこそ中近東においては、9・11に繋がっていると言えるかもしれませんが、アメリカ的な独善的な振る舞いに対しての強い反発があった。ところが「グローバル・シティ」とか、今日話題に上がっている問題というものは、アメリカについてことさら言及しなくても語れることも多く、世界的なシステムとかネットワークの問題に移行しているのではないでしょうか。ですから、単純に「グローバリゼーション」=「アメリカナイゼーション」ではないわけですね。
八束──国民国家の枠が外れていくという意味ではそうです。金融経済というのは資金が還流してくれればいいわけですから、アメリカの国民はどんどん外から買って物を消費すればいい。輸入は赤字になっても、その一〇〇倍が別の格好で返ってくれば国際経済のヘゲモニーを握れるという経済体制になっているわけです。ドバイ・マネーも、辿っていけばアメリカのマネーかもしれない。そうすると、当然アメリカ文化のヘゲモニーもかたちが変わっていく。アメリカの企業でも製造拠点が海外に移動していますけれども、そのうちにヘッド・クォーター機能、あるいはリサーチ&ディヴェロップメントの部門も外に出してしまえば、もうアメリカの企業とすら言えない。僕らは今回、GDPの話と建設業の関係を少しだけ出してみましたが、GDPという指標は国の枠内で生産していた時代の指標だから、グローバル化してしまうとそのなかに何が含まれて何が含まれていないかという問題がある。よくわからないんです、今のところ。たとえば、ドバイはGDPだけで見てもそれに見合った建設量なんかでは全然ない。GDPと建設量と人口増がほぼ比例していた丹下さんの時代とは完全に違う状況です。

「建築」という錯誤

今村──ただ、金融のほうはヴァーチュアルでいいのですが、建設には実体があります。今、世界の四分の一のクレーンがドバイに集まっていると言われ、そこには建設資材が集中する。そうしたことを北京やドバイがやるとなると、世界的には物資やエネルギーは有限なので、金融と建設とでは根本的に違うということは大きいと思います。
八束──そこでギャップが生じることが問題で、コールハースの珠江デルタのリサーチを見ても、完成する前から廃墟になる工場がいっぱいあるわけです。それを斡旋した地方政府の役人なんかは、その前に元を取っているからそれでいい。革命の時に資本家と地主から取り上げて公有の財産にしていたものを横流ししてペイするという構造ができていて、土地という資本というか元手はなくて儲かる。もちろん廃墟を残された地元には問題が残るけれども。ドバイの場合も、さっき言ったみたいに、人口の問題、交通の問題、水の問題、それらが上手くかみ合って計画されているとは思えない。ですから、あれが全部完成したときに、それに見合うだけの人口がいないとか、いても交通の手段がないとか、どこかにボトルネックができて、廃墟に化すという可能性はあると思います。
今村──昨年の報道でも、日本ではここしばらくは超高層がもっと建つとありました。そして二〇〇三年のオフィスの大量供給のあとに集合住宅の乱立が起き、都心の超高層はオフィスビルから集合住宅へシフトしたのですが、現在集合住宅はすでに売れなくなり始めているという指摘もあります。そこでゼネコンは今後生産施設の建設に向かうという話を最近聞きました。一時期、日本企業が中国へ生産施設を移転していたけれども、やはり向こうでやると上手くいかないし、技術が盗られてしまう。それでゼネコンは地方に生産施設を建てようとしています。しかし今後超高層のニーズがなくなってしまうのであれば、都市に何を建てたらいいのでしょうか。
八束──今は超高層の建設量がダウンしているとしても、それがそのまま固定されていくのかどうか。二一世紀になってからの超高層の本数だと、東京はニューヨークはもちろん、香港や上海より多いわけだし。少し話が変わるけれど、日本の人口は減ってくるからコンパクト・シティにすべきだという類の予想には、心理的にこうなるだろうと思うと、それに都合のいいデータを集めてしまうところがある。昭和の初め頃の人口予側があって、それには二〇一五年に日本の人口は二億五千万になると書いてあるんですけどね。これは予測手法の精度の問題だけではないと思う。序文で書いた移民大解放時代はまったくの仮定ですが、二〇〇三年問題もあっという間にクリアされた。それが株価の上下と同じように、今のようなメンタリティの下で住宅が売れたり売れなかったりという傾向から下がるきっかけばかり探している。そういうことに一喜一憂しても仕方がないと思います。今回、僕は「東京計画一九六〇」でブランクのままだったベイエリア全部を容積率二〇〇〇パーセントで建て直すと、人口四〇〇〇万人のメガリージョンができあがると書いたのですが、例えばそれが移民のための受け皿になるということはまったくの神話だとしても、ドバイのことを考えれば全然ありえない話ではない。僕はディヴェロッパーではないので別に景気を煽りたいわけではないし、今の都心部の大開発を礼賛するつもりもないんだけれども、仮にそうなった場合にどういう事態が起こるのかは考えたい。今村さんにも意見を伺ってみたいのですが、われわれがこれまで手にしてきた建築は、こういう事柄に解を提示していないし、しようもないのではないか。もし建築が「建築」として、建築雑誌や展覧会のうえで繁茂しつづけていくだけなら、どんどん都市や社会とは無関係になっていかざるをえないのではないか。それが純粋化なのか周縁化なのか、そこはどうお考えですか。
今村──僕自身ささやかながら設計をしているので、設計について評論家風に語るのは何かと微妙なのですが(笑)、設計をするにはいくつかのスタンスがあり、ひとつには、普遍的、原理的に建築の本質というものをめざす。一方で、今という時代ときちんと向かい合い最先端をやる。これら二つは、正反対というか、相容れないかもしれません。三つ目は、そのどちらでもなくて、独自の言語や世界観を成熟させるというものです。八束さんの、建築が都市の状況に対して有効ではないというお話しは、これら三つのうちどれにあたるのかはわかりませんが、少なくとも今の傾向や雑誌の取り上げ方というのは、自分たちの感性を研ぎ澄ましていく方法を、いくぶん持ち上げすぎている。それは、一見時代の先端を走っているように見えるかもしれませんが、とてもナイーヴな作り方です。僕は、こうした傾向が特に日本では極端に進んでいるのではないかという気がしています。外国にもそうした趣味的な作り方をする人がいないとは思いませんが、日本には建築文化とそれを支えるメディアの独特の発展の文脈のもと、作家主義への偏重があり、学生もそれを目指すという土壌があるのではないでしょうか。
八束──日本は、一言でいうとオタク文化になってしまっている。「カワイイ」でも「フラット」でも、僕はそれには興味がないと宣言しています。いまの日本の建築は、感性的にはアップデートされたとしても、あり方としては結局古典芸能と変わらない。能や歌舞伎にも批評はあっても、それはわれわれが「クリティカル」という言葉につなげるような実践ではない。ですから、僕は建築の批評は成り立たないと思うのです。自分でもデザインという行為自体は好きですけれども、それが本当に新しい社会状況に結びついていると言ってしまえば、かなり状況錯誤だと思います。「新しい建築」とか言われても「新しい歌舞伎」みたいなもので、何かおかしい。その滑稽さに気づいていないのはもっとおかしい。

都市という思想的基盤

今村──話は変わりますが、都市に対するスタンスの変化について、歴史的流れをうかがえますか。丹下健三の時代についてあらためてリサーチをされていますが、僕が二〇年前に早稲田大学を出たときは、都市に関する自分の関心はなかったですし、周りもそうだったと思います。おそらく丹下さんの世代は都市に対して関心があり、真剣に向き合っていたけれども、そのあとはなくなってしまう。そして磯崎さんは都市は見えないから撤退すると宣言し、篠原一男さんも住宅は芸術だと言う。おそらく今、日本の建築界をリードしているといわれる人たちの多くが、こうした系統からきているということが根深くあり、これもまた日本独特のコンテクストだと思います。一方で今、都市に関する関心がとても大きくなっているのですが、それは先ほどのドバイと同じで、やはりコールハースみたいなスターが都市とか言うから、若い人たちが間接的に都市に興味を持っているのかもしれません。また、都市の使い方を皆が上手くなってきたということもあると思います。都市に少し期待するようになってきたから、都市が面白いということもあるかもしれません。とはいうものの、都市との付き合い方というものを、日本はこの二〇年くらいで急にやり始めたので、まだまだ上手くはないんです。ヨーロッパが揃って都市再生ということを言い出して、少し前からヴェネツィア・建築ビエンナーレではかなりの部分が都市リサーチの展覧会になっている。最新の建築プロジェクトも出ているけれども、それこそ奇妙なオブジェだというだけで面白くない。都市に関しては、ある手応えが感じられているということでしょうか。ほかにも、都市に関する展覧会、イヴェント、出版などがこのところ顕著に増えています。それは、興味の対象が単体の建築から都市になったということであり、ポジティヴに捉えれば、社会へと関心が広がったのだと思います。そこで僕が伺いたいのは、五〇年代、六〇年代には都市への取り組みがあって、その頃丹下さんは東大に都市の研究室を新たにつくったのだけれど、しかし二〇年前、一〇年前には日本では都市に関する議論があったようにはまったく見えないことです。大学の研究室やアカデミーのなかではやられていたのかもしれませんし、あるいは官僚が粛々と遂行していたのかもしれませんが、いわゆる都市に対する議論というものが日本では目に見える形ではなかったのではないか。それがなぜそうなったのかという歴史的変化は何でしょうか。またなぜ今都市に対して関心が高まっているのでしょうか。
八束──篠原さんや磯崎さんの言った芸術はアンチテーゼだったわけで、磯崎さんでいうと、丹下さん以降都市デザインという職能が成立しない、結局立てこもるのは芸術としての建築しかない、ということだったと思うのです。八〇年代に今の僕の意識に近い都市論をやっていたのは、むしろ作品至上主義みたいだった篠原一男だった。作品と切り離して語っていたからそれが成立していたのだと思います。建築家にもある程度それは見えていた。ところが、今ではそのアイロニカルな状況がすっ飛んで、作品主義という結論だけが徒花として建築ジャーナリズムによって支えられている。最近の大学の課題や卒計を見ても、ろくなプログラムもないカフェ・バーみたいなデザインばかりで、ほとんど感覚しかない。古典芸能の世界であって根拠がない。僕の研究室でリサーチを始めたら、学生が皆その枠を超えてびっくりするくらいリサーチを始めたのですが、彼らも今の建築にあまりにも根拠がないということをうすうす感じていたからなんじゃないかな。データに根拠があるかというのはともかく、別の道を探してみたら結構面白かったというのか。ボーダーレスとベースレスという状況に対する解答を、社会のなかあるいは都市のなかに見出そうとしていると思うし、そうあって欲しいと思います。彼らにはアトリエ事務所に幻想なんかないんですよ、就職状況を見ていても。アトリエ事務所自体が歴史的なもので、日本だとほぼ戦後の産物でしょう? そのうちなくなるかもしれない。二〇年前の話をされましたが、今回、五〇年代、六〇年代に仕事をしていた人たちにインタヴューをしてみると、関心も広いし、すごく勉強している。いかにわれわれが勉強していないかということですね。教養の度合いが、その後の世代と圧倒的に違う。この薄っぺらさは、先ほどお話した基盤のなさに通じています。だから、都市に対して表面的なレヴェルでしか反応できない。ヨーロッパの人たちは、良くも悪くも社会に対して古典的なフォーマットができていますから、その状況は免れているとは思うけれども、同時に古典的でありすぎる。ハンナ・アーレントみたいな言い方では今の状況に対応できるとは思えない。それは、コールハースがヨーロッパではあれだけ敵意をもたれている理由じゃないかな。彼はやはりインドネシアで生まれたということが非常に大きかったのだと思います。アジアが面白いと考える所以です。

データから都市を読む

今村──すでに二〇年ほど前のエピソードとなりますが、僕は卒業論文でメタボリズムをやりました。そのときに、今でも印象に残っているのは、石山修武さんが卒論生二〇、三〇人を前にして、「テーマが決まらない人は作家論でいいよ。スカルパでもいいし誰でもいいよ。でも、丹下健三だけは駄目だぜ」と言ったとき、四年生はみんな大笑いしたことです。石山さんがどういう含みで言ったかということを説明しなくとも、丹下健三を研究することはいけないということが、それほど勉強していない四年生をはじめ共通了解としてあったのです。今考えてみると、特に石山さんがそういう発言をしたということに対するおかしみはきっとある。つまり丹下さん的な、英雄的な建築をつくってはいけないということ。それと、やはり国土計画的なことに対する気恥ずかしさというか、そういうことを学習してはいけないという何らかのバイアスが働いていたのだと思います。それが学生全員の共通認識としてあった。僕はそういう時代にいたんですね。その頃は本当に都市に関心がなかったと思います。
一方で、先ほどのお話ですが、今の学生たちも単なるかたち遊びは根拠がないということに気がついている。三浦展さんが書いた本だと思うのですが、彼が調べたところ、阪神・淡路大震災以降、学生にはボランティアがものすごくポジティヴに受け止められている。もしくは若い人にとっては社会的なことに関わることに対しての抵抗感がない。調査をしてみるとそのような顕著な変化が起きたのが阪神・淡路大震災以降だそうです。僕は一昨年「越後妻有トリエンナーレ」というアートイヴェントに関わったのですが、予算の少ないなかでボランティアに支えられていて、そこでは学生がものすごく生き生きとして働いていた。無償であるけれども、地域に関わることに対してすごくポジティヴなんですね。僕が学生の頃は、ボランティアに対して、それは自分の得にならないという判断を自動的にしていたのですが、今の学生は少し違う感じを受けます。こうした傾向と並行するように、建築においても一〇年くらい前から、社会学への接近が見られます。建築の人が社会学的な領域に関心を持ち、社会学の人も建築に関心を持ってくる。そこに都市との接点があると思うのですが、八束さんが言われるデータとは、統計学ひいては経済学のことですよね。経済学という、一般的には無味乾燥と思われているようなジャンルに向かっていることに興味があります。丹下さんがなぜ経済をやっていたかということと、八束さんがなぜデータをやるのかということの間には何か繋がりはありますか?  MVRDVに倣ったような単なるトレンドとしてではなく、データを扱うことの楽しさはどのようなところにあり、経済を掘っていくと何がでてくるのでしょうか。
八束──僕は今まで、経済学だけはどうにもつまらない学問だと思っていたのですが、気がついたら経済か人口の本ばかり読んでいる。建築の話は読む気にならない。丹下さんも初期の講義はデザインじゃなくてほとんど地域経済学です。レヴェルも高い。「英雄的」な表現は丹下さんの活動の一面でしかないって、石山さんこの辺知っていたのかしら? 知っていても同じことは言ったでしょうが。丹下さん的なものの一方、学生たちがボランティアに抵抗感を持たなくなったという話は、片方は国土計画的な抽象的な話であり、片方は具体的な身の回りの話です。対極なのだけれども、今の日本建築界の主流というのはそのどちらでもない。それに対するフラストレーションからどちらかの極に行くということではないかな? 経済とか、国やもっと大きい単位を考えると、データから何かの構造を抽出してくるという分析の作業をすると、それが意外にリアリティを感じさせるわけです、手ごたえというのか。実体としての建築よりも、かえってリアリティを感じる。社会の姿が見えてくる。社会とか都市は実体ではないのでそういうかたちでしか捉えられない。それに比べると、建物が捩れていようが薄かろうが、たいしてリアリティを感じない、少なくとも僕はそうです。僕の学生も、デザインに期待をもっているし能力もありながら、リサーチに対して同様かそれ以上の関心をもっている。それは基本的には健全なことだと思う。僕は仕事としては都市計画をすぐにやめてしまったのですが、それは日本の都市計画が無味乾燥だったからです。つねづね言っているのですが、リサーチもセンスのない奴がやったものは面白くない、センスのある奴こそやって欲しい。役所のリサーチが面白くないのはおおむねそのためです。膨大に蓄積された数字から何を読み取るかは思想の問題だと僕は思っている。社会とか都市に関してはそういう意味で思想的関心が持てるけれども、建築に関しては持てない。ほとんど思想が見えないんです。だいぶ前になりますが、アテネでオリンピックの前にコンペがあって審査員に呼ばれたのですけれど、審査が終わったところで、それぞれの審査員に感想を求められたんですね。そのときにザハ・ハディッドがすごい演説をしたんです。「今や、建築における反動的なものに対して、革新的な建築が勝利を収めつつある」と。ほとんどレーニンかトロツキーの演説みたいな。僕は唖然とした、「マジ!? 」ってやつです。そのときは今ほどグローバリゼーションは言われていなかったし、彼女も今のように世界中に建てたりしてはいませんでしたが、それが革命勢力が勝利を収めた姿だとはとても思えない。スター建築家の意識のずれ方というのはものすごいんだなあと思いました。ここ一〇年間で一番衝撃的な発言でしたね。
今村──ドバイでも例えばザハのような建築家が自由な形態の実験をしていますが、彼女はほかの所でも同じスタンスで仕事をしていますね。特に、ドバイの状況があるからこうなった、ということではないようです。ですから、お金が潤沢にあってでたらめを期待されているから採用している方法というわけではなく、制約の多い場所でもやっていますし、それは単にスタイルの問題なのでしょうか。コールハースも、ドバイではみんなでたらめなことをするから、僕はミースのようなつまらない箱を単に積み上げる、という戦略を表明していますが、彼もまた同じコンセプトをよそでも使っていますね。
八束──彼は矛盾を当然意識していると思いますよ。最近のインタヴューでもそういう話をしていました。で、その結果がどうなるかは自分でもよくわかっていないと。それと似たようなことかもしれないけれども、僕は、今回は都市をデザインの対象にして「東京計画二〇一〇」を提案することには意味がないので、リサーチとして今の現実の可能性を探ったほうが面白いと思ったわけです。それでどうなるかはわからないけど僕的には大変面白い。まだ始まったばかりで、さほどの成果を挙げているとは思わないけど、今後もっと面白くなると期待しています。
[二〇〇八年一月一六日、芝浦工業大学八束研究室にて]

>今村創平(イマムラ・ソウヘイ)

1966年生
atelier imamu主宰、ブリティッシュ・コロンビア大学大学院非常勤講師、芝浦工業大学非常勤講師、工学院大学非常勤講師、桑沢デザイン研究所非常勤講師。建築家。

>八束はじめ(ヤツカ・ハジメ)

1948年生
芝浦工業大学建築工学科教授、UPM主宰。建築家。

>『10+1』 No.50

特集=Tokyo Metabolism 2010/50 Years After 1960

>レム・コールハース

1944年 -
建築家。OMA主宰。

>安藤忠雄(アンドウ・タダオ)

1941年 -
建築家。安藤忠雄建築研究所主宰。

>ジャン・ヌーヴェル

1945年 -
建築家。ジャン・ヌーヴェル・アトリエ主宰。

>フランク・O・ゲーリー(フランク・オーウェン・ゲーリー)

1929年 -
建築家。コロンビア大学教授。

>ケネス・フランプトン

1930年 -
建築史。コロンビア大学終身教授。

>グローバリゼーション

社会的、文化的、商業的、経済的活動の世界化または世界規模化。経済的観点から、地球...

>ル・コルビュジエ

1887年 - 1965年
建築家。

>丹下健三(タンゲ・ケンゾウ)

1913年 - 2005年
建築家。東京大学名誉教授。

>メタボリズム

「新陳代謝(metabolism)」を理念として1960年代に展開された建築運動...

>輝く都市

1968年

>マイク・デイヴィス

1946年 -
社会批評家。

>インターナショナル・スタイル

International Style=国際様式。1920年代、国際的に展開され...

>ポストモダン

狭義には、フランスの哲学者ジャン・フランソワ=リオタールによって提唱された時代区...

>ジェーン・ジェイコブス

1916年 - 2006年
作家、ジャーナリスト。

>槇文彦(マキ・フミヒコ)

1928年 -
建築家。槇総合計画事務所代表取締役。

>篠原一男(シノハラ・カズオ)

1925年 - 2006年
建築家。東京工業大学名誉教授。

>石山修武(イシヤマ・オサム)

1944年 -
建築家。早稲田大学理工学術院教授。

>三浦展(ミウラ・アツシ)

1958年 -
現代文化批評、マーケティング・アナリスト。カルチャースタディーズ研究所主宰。