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アレグザンダーが再召還されていますが、なぜですか? | 中谷礼仁
Why Recall Christopher Alexander? | Nakatani Norihito
掲載『10+1』 No.49 (現代建築・都市問答集32, 2007年12月25日発行) pp.144-145

もしアレグザンダーが批判的まなざしを通して再召喚されているのだとしたら有意義でしょう。しかし先ずは忘れ去られた経緯について書いておくべきでしょう。
クリストファー・アレグザンダー(一九三六-)は最もロジカルなデザイン論である『形の合成に関するノート』(一九六四)や、パタン言語を建設行為に導入した『パタン・ランゲージ』(一九七七)によって著名です。また最近では二〇〇〇頁を超えることになると思われる「Nature of Order」シリーズ(本邦未訳)が順次発行され、彼の思想の集大成になりつつあります。
奇妙なことに、彼はこの二〇年ぐらい日本の建築界ではほぼ完全に忘れ去られていました。しかしながら建築以外の分野、特にコンピュータ言語領域では彼のネットワーク的思考がファンダメンタルなものとして注目され扱われてきたことも周知の事実です。初期に数学を専攻したアレグザンダーにとって建築(正確には建設行為)も彼の活動の一部です。しかしながら建設行為ひいてはそれによる環境形成行為が、彼の実践における総合性を体現するものとして格別の中心を占めていました。
ではなぜ忘れ去られたのでしょう。端的に述べるとすれば、彼の思考体系のラディカルさが、既存の建築生産のプロセスやその統括者としての「建築家」という職能を脱構築してしまう恐れがあったからだと主張しておきましょう。忘れ去られたのではなく、心理学的に抑圧されたのだと。
アレグザンダーの処女論文のタイトルは「革命は二〇年前に終わった」(一九六〇)でした。モダニズム建築の革命はすでに一九三〇年代後半から停滞していたことを主張するものでした。つまりアレグザンダーは、その後の彼をとりまく状況性も含めてまさに正確な意味でのポスト・モダン(モダン以後)の思想家でした。ここには大いなる皮肉があります。つまりポスト・モダンが後の批評家たちの紹介によって「歴史的引用の手法」というクリシェに変わり果ててしまったように、彼の建築論もまた同様な過程において疎外されてしまったとも言えます。
しかしながら一時流行したプログラム派、あるいはダイアグラムによる建築把握の方法の可能性をつきつめるとすれば、主体を徹底的に消したアレグザンダーの初期論文にいきつくほかはないでしょう。そしてすでにアレグザンダーは六〇年代後半にそれすらをも破棄して、自然言語に依拠したパタンの提唱という予想外の展開をみせました。現在までの彼の思想と方法論を受け入れるならば、それは建設プロセスやそれをめぐる社会的利権の根底的な変動、そして自らの立場の変更を余儀なくされるでしょう。しかしわたしたちは彼の思考の足跡に向き合うことは可能です。パンドラの箱を開けることができるのは、ポスト・アレグザンダーとしての私たちをおいてほかにありません。そのガイドとして、アレグザンダーの体系が提起した問題を二つ提示しておきます。

1:デザイン行為を客観的に把握可能なものとして開いてしまった

『形の合成に関するノート』でのデザインによる事物の改良は、既存の事物(例えばヤカン)に要求される要素を可能な限り掘り下げ、それを新しい変数にもとづく集合に再編成し、組み建て直すというプロセスによって行なわれました。この方法によって彼はデザインが個人の独創によるものではなく、客観化可能であることを指摘しました。この志向にはルドフスキーが提示した『建築家なしの建築』(一九六四)との同時代性をも読み取ることができます。彼はその驚異を数学的手法によって解明したとも言えるでしょう。彼の方法において、主体の才能の優劣はその解決における変数の取り方、時間の違い程度でしかありません。
しかしこれは彼にとってはパンドラの箱を開けてしまったことを意味しました。というのもヤカンならまだしも、例えば建設物の設計に、その構成要素を可能な限り意識化するプロセスを適用すると、途端に猛烈な勢いで要素が増え、当時のスーパーコンピュータを以てしてもその具体的形態の提示はほぼ不可能であることが明らかになってしまったからです。つまり私たちがつね日頃意識的に扱ってきたデザイン領域に対して、その対象となる事物自体には実に底なしに豊饒なネットワークが潜在していたというわけです。これによって彼はデザインとは、可視化された問題と、見えない調和──「無自覚なプロセス」──との間の動的平衡関係(homeostatic)と結論づけるに至ります。

2:建築制作における無意識の範疇の広大さを知らしめてしまった

アレグザンダーはこの意識できないプロセスが人類の作り上げてきた伝統的環境の質を保証しているとしました。この論的推移をみる限り、彼が安易な「調和的世界」やポピュリスティックな建設参加を提唱しているという批判は間違っていることがわかります。
むしろ彼は「調和」の現前に畏敬したのでした。というのも、人が意識的にコントロールせずとも、すでに彼の身体の大部分そして世界は調和的であったという事実に突き当たったからでした(意識的であることのほうが災いである)。この問いの立てかたの独自性を見逃すべきではありません。
「無自覚なプロセス」に対する意識的な証明は不可能です。よって残された方法は以上のような背理法(間接証明法)によってでした。なぜ人は意識せずともすばらしい詩を歌えてしまうのか。フロイトが背理法によってのみ無意識の存在を証明できたこととそれは似ています。
このような推移のなかで、その後一〇年以上の経験的収集を経て編まれたのが『パタン・ランゲージ』でした。それは本当に詩を書くかのようなプロセスで建築全体のシークエンスを構成し、構築し、実際に作りながら検討を重ねていくものでした。誰にでも家がつくれるという彼のパタン・ランゲージについての説明が、不幸ながら、簡単な積み木の組み合わせのように家をつくる方法だと曲解されてしまいました(実際分厚い本を読むのは面倒くさいものですから)。彼におけるパタン・ランゲージの手法とは、一見自然言語への「後退」とみられがちですが、むしろ事物の生産過程における「無自覚なプロセス」あるいは「言いようのない質」を引き出すためのタグ、インデックス的なアプローチと言えるでしょう。そしてパタンは単なる空間構成のみならず人間の行為自体が空間形成の媒介の主たるひとつの要素としてみなされています。それゆえにそれは主語──述語──目的語を含んだ一連のオブジェクト言語としてセット化されほかのパタンヘつながっていきます。
「誰にでも家がつくれる」における誰とははたしていったい何者なのでしょうか。それはおそらく意識的な主体とは別に存在しています。筆者がアレグザンダーに触れた時に震えるぐらい怖かったのは、その存在を自らのなかに知覚したからにほかなりません。幸いなことに久しく絶版中であった『形の合成に関するノート』が再版されそうであることを聞いています。

1──自覚されたプロセスにおけるサブセット化の破綻 引用出典=アレグザンダー『形の合成に関するノート』

1──自覚されたプロセスにおけるサブセット化の破綻
引用出典=アレグザンダー『形の合成に関するノート』

2──人はなぜ歌えるのか 引用出典=同、『時を超えた建設の道』(鹿島出版会、1993)

2──人はなぜ歌えるのか
引用出典=同、『時を超えた建設の道』(鹿島出版会、1993)

参考文献
●稲葉武司訳『形の合成に関するノート』(鹿島出版会、一九七八)。
●平田翰那訳『パタン・ランゲージ』(鹿島出版会、一九八四)。
●Christopher Alexander, Nature of Order, Center for Environmental Structure, 2003−.
●拙論「ダイコクノシバのアレゴリー」(『セヴェラルネス』鹿島出版会、二〇〇五)。
難波和彦クリストファー・アレグザンダー再考」(『10+1』No.47、INAX出版、二〇〇七)。
●船橋耕太郎+中谷礼仁ほか「クリストファー・アレグザンダーの建築理論の変容『形の合成』『パタン・ランゲージ』『構造保存変換』の比較検討を通して」(日本建築学会大会慷慨集、二〇〇七、F─2分冊、六〇一頁)。

>中谷礼仁(ナカタニ・ノリヒト)

1965年生
早稲田大学創造理工学部准教授、編集出版組織体アセテート主宰。歴史工学家。

>『10+1』 No.49

特集=現代建築・都市問答集32

>クリストファー・アレグザンダー

1936年 -
都市計画家、建築家。環境構造センター主宰。

>パタン・ランゲージ

1984年11月1日

>脱構築

Deconstruction(ディコンストラクション/デコンストラクション)。フ...

>難波和彦(ナンバ・カズヒコ)

1947年 -
建築家。東京大学名誉教授。(株)難波和彦・界工作舍主宰。